すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

ぼくはまだ生きていて元気です

2023-04-28 09:15:49 | 近況報告

 複数の友人が、「『悟さんはこの頃ブログを更新しないけど、どうしたのだろう? 具合が悪いのだろうか? もしかして亡くなったのではないか?』と人に訊かれた」と言います。心配してくれる人がいるというのはありがたいことです。ぼくは老化は進んでいるものの悪いところはないし、足腰が弱くなったけどハイキングも行っています。この夏は、コロナでここ数年行かれなかった北アルプスに行きたいと思っています。
 ブログを(したがって、それをコピーしただけのFBも)書かなくなったのは、視力が落ちてきてパソコンの画面を見るのがシンドくなったこと、文章を書くのがめんどくさくなってきたこと、かな? なんせぼくは頭の回転が遅いので手間がかかるのです。こんな文章でもワードで下書きをしたものを紙にプリントアウトして、鉛筆で手直ししてまたワードで清書しなければならない。少しややこしい文章だと二度も三度も。

   まあ、今は気力が落ちて社会への関心が弱くなっている、ということもありますね。毎日のように異常気象だの水害だの山火事だの戦争だののニュースに接していると、この滅びゆく社会を直視するのがシンドい、ということもある。
 またそのうちこの状態を抜け出したら書く気になるかもしれません。

 ところで、ここから別の話。先日、古いノートを探すために段ボール箱を漁っていたら、モノクロの写真が出てきた。自分では懐かしいので披露してみる。
 1は中学生時代。おかしな顔、というか、ファニー・フェイスだね。ぼくはおばあちゃん子だったが、ある日二階から階段を降り始めたら、障子の向こうで祖母が誰かと話している声が聞こた。「次男は男前だけど、長男(ぼく)はねえ・・・かわいそうに」。ぼくはそっとまた階段を登り返した。でもこの表情は、アルカイックスマイルに見えなくもない。ぼくは世界が滅びるのを見届ける役割になるのかも。
 2は初めてアフリカに行った時。ゴリラの撮影隊の通訳兼助手(雑用係)としてコンゴ民主共和国(当時は、ザイール)に滞在した途中、いつ撮ったものかわからないが、ジャングルのそばにEUの紅茶のプランテーションがあって、根拠地として借りていた家の室内? かなり疲れた顔をしているけど、削ぎ落したような感じもあって、本人はこの写真は好きだ。遺影にはこれを使ってもらおうと思う。
 3は「詩学」という雑誌の新人紹介として何人かの詩と短いエッセイと写真が載った時のもの。その雑誌の切り抜きが残っていて、オリジナルは探したけど見つからなかった。粒子が荒いのは切り抜きのコピーだから。自分で言うのもなんだけど、いい表情だよね。オリジナルが見つかったら、こっちが遺影かな?

 2 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大菩薩峠 | トップ | 塞外 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

近況報告」カテゴリの最新記事