葛飾奥戸スポーツセンターの歴史
総合スポーツセンター体育館は、1984(昭和59年)に開設し、
その後に陸上競技場は完成した。
その後に陸上競技場は完成した。
私がこの地葛飾区に越してきた当時は、中川河川が湾曲した河川敷でした。
この回り込んでいた河川敷を現在の中川土手を移動縮小して、河川敷を整地して
屋内体育館、そして陸上競技場と立派な施設の完成を見た。
(下図参照)
屋内体育館、そして陸上競技場と立派な施設の完成を見た。
(下図参照)
中川にかかる奥戸橋は、当時木製で橋の上から見た風景は一面が湾曲した河川敷
で草がぼうぼうと生い茂っていた。
中川は、葛飾区のほぼ中央部を北から南へ流れる河川である。
高砂橋下流からその流れを南西方向に変え、蛇行を繰り返し(七曲りし)ながら
上平井橋下流で綾瀬川に合流する。
かつしか郷土カルタ「中川は右に左に七曲」が、その歴史を示しています。
中川七曲
朝陽が眩い陸上競技場入り口(am5,30分)
隣の丸小公園から見る
土手に上がりて観覧席を見る
上に同じ、土手の高台から
土手から競技場を挟んで東南方向を見る
屋内体育館入り口
散歩の短歌
* 拝啓ねお元気ですか前を向き
陽はまた昇る明日への一歩 (縄)
* 元気よく回れ右してサア一歩
朝露ひかり太陽浴びて (縄)
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