1月31日、しばた100選を見てみよう!で仙台大学を見学した。
大学担当者から案内していただいた。

キャンパスマップ

LC棟にてキャンパス内の建物模型で各建物がどのように使われているか説明がありました。
LC(Learning Commons)棟は、学生たちの主体的な学びや活動を支援し、学生と教職員が
相互に学びあう「新たな学びの空間」を目指し、平成28年4月より運用を開始しました。

第五体育館
【1F】アリーナ
1階のアリーナはバレーボールコートを4面同時(バスケットボールだと3面同時)に利用でき、
格納可能な観客席240席と天井や壁面に情報収集のためのカメラ設置が可能です。
ボタン1つで演台・スクリーンの格納が可能で、音響設備も整っています。

この体育館は1階にアリーナと、3階建ての研究棟を有しています。本学で最大の
スペースを持った体育館となり、入学式や卒業式など大きな行事での利用が可能です。
また、2階・3階には、教員研究室や教室・演習室があり、特に3階演習室はアリーナを
見渡すことができるようにアリーナ側の壁面がガラス張りになっていて、さまざまな
活用が期待されます。

第三体育館・トレーニングセンター平面図

オープンエリア
実技授業に使用される以外にも運動選手のスピードトレーニングやプライオメトリクス
トレーニングにも利用される。

マシントレーニングエリア
人体が持つ関節全てのトレーニングが可能なほど多彩なマシーンを設備し、運動選手の
トレーニングだけでなく、怪我をした選手のリハビリテーションやレクリエーショナル
エクセサイズにも最適。

ダンベルトレーニングエリア
1kg~50kgまでのダンベルを揃え、各運動選手のニーズに合わせたトレーニングが可能。
見学の際、学生は1個35kgのダンベルを両手に持って(合計70kg)トレーニング
していました。
仙台大学
昭和38年、自衛隊の増強に伴い、陸上自衛隊船岡駐屯地が現在地に移住した事から、
当時の平間町長は、空き地になった土地と建物を活用して、文教施設の設置を推進した。
町では、当初高校設置を検討していたが、県庁関係課の指導で、歴史と伝統を誇る
学校法人朴沢学園が大学誘致先を探している事が分かり、早速交渉に入ったところ、
学校側が自衛隊跡地が適地であると判断を下したことから、町では臨時議会を開いて、
4年生大学設置の案件を議会に提案。満場一致で議決された。
設置された大学は、東北、北海道で初めての体育学科を有する4年制大学。募集定員100名で
スタートした。
大学名については、種々検討された結果 、当初候補とされていた「仙台体育大学」から、
将来の大学の拡充と発展を念頭にした「仙台大学」とすることに決まった。
昭和41年12月17日には膨大な認可申請書類の提出や現地調査を経て、私立大学設置審議会の
審査に無事合格した。翌年の1月には文部省から大学の設置申請が正式に許可された。
さらに、昭和42年4月に、大学用地として、東北財務局から第一海軍火薬廠の本部跡地を
国有財産特別措置法の適用をうけ、土地評価額の50%減額という優遇措置を受けて取得
するなど、開学に向けて着々と準備は進行した。
昭和42年4月25日、仙台大学は仙南初の大学として、第1回の入学生59名を迎え開学した。
平成7年には、全国初の健康福祉学科を開設。高齢化時代のニーズに応じた介護技術や
健康指導の専門指導員を要請するために設置された。仙台大学は地域社会と世界に向けた
「文化とスポーツ情報の発信基地」としての役割を担いながら、人間尊重の時代を築く
ために不可欠な健康福祉とスポーツ学の先駆的指導者を養成している。
(出典:柴田町HP)
仙台大学は、1967年(昭和42年) 4月開学・4年制体育学部体育学科を開設。
現在、体育学部に体育学科・健康福祉学科・運動栄養学科・スポーツ情報マスメディア学科
・現代武道学科・子ども運動教育学科の6学科と大学院スポーツ研究科から構成されており、
体育・スポーツ・健康に関わるあらゆる分野の専門家を育成しています。
2017年、開学50周年を迎えています。
学内は、かつての第一海軍火薬廠の敷地にあり、大学本部は火薬廠の本部跡地に立っています。
正門の右手にあるコンクリート製の門壁は、当時のものです。
また、世界平和の思いを込め、旧制高等学校、旧制中学校、旧制高等女学校などの生徒が
1万人以上動員され火薬製造にかかわった記憶として、「勤労動員学徒の碑」が建立さています。
大学担当者から案内していただいた。

キャンパスマップ

LC棟にてキャンパス内の建物模型で各建物がどのように使われているか説明がありました。
LC(Learning Commons)棟は、学生たちの主体的な学びや活動を支援し、学生と教職員が
相互に学びあう「新たな学びの空間」を目指し、平成28年4月より運用を開始しました。

第五体育館
【1F】アリーナ
1階のアリーナはバレーボールコートを4面同時(バスケットボールだと3面同時)に利用でき、
格納可能な観客席240席と天井や壁面に情報収集のためのカメラ設置が可能です。
ボタン1つで演台・スクリーンの格納が可能で、音響設備も整っています。

この体育館は1階にアリーナと、3階建ての研究棟を有しています。本学で最大の
スペースを持った体育館となり、入学式や卒業式など大きな行事での利用が可能です。
また、2階・3階には、教員研究室や教室・演習室があり、特に3階演習室はアリーナを
見渡すことができるようにアリーナ側の壁面がガラス張りになっていて、さまざまな
活用が期待されます。

第三体育館・トレーニングセンター平面図

オープンエリア
実技授業に使用される以外にも運動選手のスピードトレーニングやプライオメトリクス
トレーニングにも利用される。

マシントレーニングエリア
人体が持つ関節全てのトレーニングが可能なほど多彩なマシーンを設備し、運動選手の
トレーニングだけでなく、怪我をした選手のリハビリテーションやレクリエーショナル
エクセサイズにも最適。

ダンベルトレーニングエリア
1kg~50kgまでのダンベルを揃え、各運動選手のニーズに合わせたトレーニングが可能。
見学の際、学生は1個35kgのダンベルを両手に持って(合計70kg)トレーニング
していました。
仙台大学
昭和38年、自衛隊の増強に伴い、陸上自衛隊船岡駐屯地が現在地に移住した事から、
当時の平間町長は、空き地になった土地と建物を活用して、文教施設の設置を推進した。
町では、当初高校設置を検討していたが、県庁関係課の指導で、歴史と伝統を誇る
学校法人朴沢学園が大学誘致先を探している事が分かり、早速交渉に入ったところ、
学校側が自衛隊跡地が適地であると判断を下したことから、町では臨時議会を開いて、
4年生大学設置の案件を議会に提案。満場一致で議決された。
設置された大学は、東北、北海道で初めての体育学科を有する4年制大学。募集定員100名で
スタートした。
大学名については、種々検討された結果 、当初候補とされていた「仙台体育大学」から、
将来の大学の拡充と発展を念頭にした「仙台大学」とすることに決まった。
昭和41年12月17日には膨大な認可申請書類の提出や現地調査を経て、私立大学設置審議会の
審査に無事合格した。翌年の1月には文部省から大学の設置申請が正式に許可された。
さらに、昭和42年4月に、大学用地として、東北財務局から第一海軍火薬廠の本部跡地を
国有財産特別措置法の適用をうけ、土地評価額の50%減額という優遇措置を受けて取得
するなど、開学に向けて着々と準備は進行した。
昭和42年4月25日、仙台大学は仙南初の大学として、第1回の入学生59名を迎え開学した。
平成7年には、全国初の健康福祉学科を開設。高齢化時代のニーズに応じた介護技術や
健康指導の専門指導員を要請するために設置された。仙台大学は地域社会と世界に向けた
「文化とスポーツ情報の発信基地」としての役割を担いながら、人間尊重の時代を築く
ために不可欠な健康福祉とスポーツ学の先駆的指導者を養成している。
(出典:柴田町HP)
仙台大学は、1967年(昭和42年) 4月開学・4年制体育学部体育学科を開設。
現在、体育学部に体育学科・健康福祉学科・運動栄養学科・スポーツ情報マスメディア学科
・現代武道学科・子ども運動教育学科の6学科と大学院スポーツ研究科から構成されており、
体育・スポーツ・健康に関わるあらゆる分野の専門家を育成しています。
2017年、開学50周年を迎えています。
学内は、かつての第一海軍火薬廠の敷地にあり、大学本部は火薬廠の本部跡地に立っています。
正門の右手にあるコンクリート製の門壁は、当時のものです。
また、世界平和の思いを込め、旧制高等学校、旧制中学校、旧制高等女学校などの生徒が
1万人以上動員され火薬製造にかかわった記憶として、「勤労動員学徒の碑」が建立さています。