ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

インタビューの準備(その2):なぜ大学病院経営の分析・研究は、大学や国と異なる第三者機関が最善か?

2010年05月05日 | 日記
前回のブログでは、財務・経営センターの相談業務の観点からの私の考えをご説明しました。今日は、分析・研究機能の観点からお話をしたいと思います。ただし、何度も断っておきますが、このブログで書いていることは、私個人の考えであり、国の考えとはまったく関係がありませんし、皆さんのご意見をお聞きして修正するべきものと思っています。

前回、大学病院の危機的状況を救うためには、各大学病院に対する適切な経営相談だけではなく、国に対しても政策提言を行うことが必要であると述べましたが、そのためには、大学病院の詳細なデータに基づいた分析・研究が必要不可欠であり、相談業務や政策提言と分析・研究機能は一体的に行うことが不可欠であると考えます。

実は、私は、国立大学法人化と同時に始まった大学病院の経営改善係数という予算削減政策に対して、国立大学の現場の立場から、国に対してその不適切性をデータに基づいてずっと訴え続けてきた人間なのです。しかし、当事者が訴えるというのは、当事者の利益を主張していると受け取られがちであり、なかなか難しい面があると感じています。日本医師会がいくら正しいデータを示しても、自分たちの利益を主張していると国民から思われてしまい、説得力を失ってしまうのと同じですね。

このような理由で、大学の利害に関係する研究については、当事者以外の組織、つまり大学ではない組織が分析・研究するのが望ましいと思っています。また、大学は本来研究者個人の自由な発想にもとづいて研究が行われるので、このような相談業務や政策提言に直結しなければならない分析・研究は大学になじまないということもあります。

一方国が分析・研究を行う場合に懸念されることは、最初に一定の政策の方針が決められている場合、その政策を支持する分析・研究がなされる可能性が否定できないことです。医師数が過剰になると言い続けてきた医師の需給に関する報告書の件をとっても、医師を抑制するという政策が最初にありきというような環境では、分析・研究結果に何らかの影響を与えた可能性も否定はできないと私は感じています。

また、財務省は基本的に予算を削減することが使命ですから、予算を削減することだけを念頭におき、それを支持するデータだけを示すことになりがちであり、各省庁は予算を獲得するために、予算を削減してはいけないということを支持するデータを示すことになります。これは、財務省が悪いと言っているわけではなく、国の財政が逼迫する状況においては、予算決定過程の必要なプロセスなのだと思います。ただ、このことから国が行う分析・研究についても、必ずしも客観的な分析・研究がなされるとは限らない素地をはらんでいるということを念頭におく必要があると思います。

このようなことから、私は、地域住民や国民の視点からの客観的なデータの分析・研究は、当事者ではなく、また政府からも一歩距離をおいた中立的な第三者機関で、優秀な研究者を集めて行うことが現時点では最善であると考えます。

ただし、国において、最初から定められた政策ありきの下での分析・研究ではなく、現場の状況やデータを正確に把握できる部署で、ローテーション人事ではなく優秀な研究者を集めることができ、現場の立場にも配慮した客観的な分析・研究が担保されるのであれば、国で分析・研究することも可能だとは思います。私が、仕分けの場で、国でも研究が可能と発言したのは、そういう前提があっての話です。しかし、前提が担保されなければ、国で分析・研究をするべきではありません。

そして、分析・研究機能だけを切り取って考えれば、一定の条件を満たすことを前提として、国でも分析・研究が可能かもしれませんが、経営相談機能から分析・研究機能を分離してしまうことになれば、経営相談事業な成り立たなくなります。もし、国で経営相談事業を行うことがなじまないとするならば、第三者機関において、分析・研究機能だけを切り取らずに経営相談機能と分析・研究機能を一体化して事業にあたることが最善であると私は考えます。

そして、私は融資・交付機能についても、この第三者機関が、経営相談機能と分析・研究機能とともに有機的・一体的に持つべきであると考えているのですが、その理由は次のブログで説明することにいたしましょう。



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