ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

東日本大震災における東北大学病院の貢献

2011年06月16日 | 日記

忙しさに追われてちょっとだけ書くのを休んだつもりだったのですが、気が付いたら、ブログの続きを書くのがずいぶんと遅れてしまいました。読者の皆さんすみません。今日は、4月26日と27日に東北大学を訪問した報告の続きで、今回は東北大学病院について報告することになっていましたね。

27日午前9時頃、東北病院にて震災直後の混乱の中で災害時の医療体制の構築にリーダーシップをおとりになった里見 進 病院長のお話をお伺いする機会を得ました。その時のやりとりを私なりに再現をしてみました。 

 豊田 

 大震災の対応、ほんとうに大変だったと思いますが、まず、当日はどのような状況だったのですか?

 里見病院長

 震災当日は、研究棟9階にいたんですが、尋常でない揺れのひどさと長さでしたね。5分くらい揺れていたんではないかと思います。この時、これはたいへんなことになるだろうと、病院長としての覚悟を決めたんです。でも外をみると、揺れのひどさの割には建物が倒れていないので、ちょっと安心しました。これは、県などが30数年前の宮城県沖地震以降、同規模の地震がおこることを想定し、民家の耐震化を進めていたことが結果的に良かったのではないかと思います。

 私は揺れがおさまると、すぐに研究棟から降りて行って、対策本部を設置しました。20分くらいで対策本部ができたと思います。

 検査室などが入っている古い建物との接続部分が損傷を受けましたが、大学病院本体には大きな損傷はなく、手術中の患者さんもおられましたが、けがをされた患者さんがおられなかったことはほんとうに幸いでした。

 豊田

 たいへんな混乱の中で、大学病院での救急医療体制をどのようにつくられたのでしょうか?

 里見病院長

大学病院の医師全員がたいへん協力的で、ほとんどの医師が手を挙げて被災地に行くと言ってくれました。しかし、私は、すぐに被災地にいくよりも、まず、大学病院で救急医療体制を整えることが大切であると考え、大学病院で被災医療に貢献することにしました。当初は重症の救急患者が集中してくるだとうとの想定のもとに、一般の患者さんの診療は10日間ストップして、救急患者だけを受け入れる体制を、救急センターのみならず、全診療科の協力のもとに整え、救急センターの医師20人を中心にすべての診療科の全研修医が救急を手伝う体制としました。多くの医師が泊まり込んで診療にあたってくれました。

トリアージポストを病院の前に設営し800人以上の患者を受け入れました。他県の病院も協力していただき、山形大学病院へは重症で安定した患者を搬送させていただき、また、北海道へは透析患者78人を自衛隊に搬送してもらいました。

 豊田

 すばらしい病院長のリーダーシップですね。外科の先生らしい、てきぱきとした意思決定はさすがです。大学病院の体制作りの次に被災地への医療支援はどのように行われたのでしょうか?

 里見病院長

 最初はまったく被災地の情報が入らず困りましたね。でも被災地にある関連病院から大学病院が派遣していた医師が大学病院へ帰ってきて、少しずつ被災地の情報が入りはじめました。彼らの情報では、被災地での医療はまったくなされていないとのことでした。そして、最初は大学病院が被災地の中心に位置すると考えていましたが、これはどうも違うぞということを感じたんです。

東北大学病院から災害医療派遣チーム(DMAT)を派遣しましたが、帰って来た人の話しを聞くと、阪神大震災時のような倒壊による外傷はほとんどなく、ほとんどが津波により水死した人か、生き残った人。そして生き残った人が避難所で、内科疾患や精神科疾患で苦しんでいる状況がわかってきました。それで、その後は、内科医と神科医のチームに行ってもらうことにしました。今までに約80人の支援チームを被災地へ送り込みました。

問題点としては、全国からも災害派遣医療チームがぞくぞくと入ってきたんですが、それをコントロールする体制がなく、たいへん混乱したことです。せっかく来たのに何もすることがない、というようなことなどがおこりました。必要な所に必要な人数を送ることが大切なんです。実は、全国の大学病院に対しても派遣をお願いしたのですが、最後の調整の時に、あえてご無理をお願いすることにしました。そのため、大学病院の皆さんには、途中で急遽行先を変更したり、来なくていいと言ったりさせていただきました。普段から「顔の見える」間柄だからこそ、このような無理を聞いていただけるんです。

今後の災害医療チームの派遣については、どの被災地に誰が行くかをきちんとコントロールする体制の構築が不可欠です。

 豊田

 今回、震災の混乱の中での災害医療を遂行される中で、ライフラインは確保されていたのでしょうか?

  里見病院長

病院建物の停電は、非常用電源に切り替わった後、電気・水道とも2~3日で復旧しました。しかし、今回のような非常事態に対する対策として、3日分の患者用非常食、3日分の非常用電源のための重油、3日分の薬剤はちゃんと備えがしてあったのですが、実は職員用の食料がまったく備えられていないことに気が付いたんです。これでは、職員が飢えてしまう。11万食必要なんです。

さっそく国立大学附属病院長会議の常置委員会担当大学や文科省へ連絡しました。そしたらいくつかの大学病院がさっそくたいへんな苦労をして物資を届けてくれました。私どもも、どうやって送っていただいたらいいのかわからなかったのですが、各大学の皆さんがご自分たちで到達ルートを探して、往復のガソリンを積んで物資を運んでくれたんです。これはほんとうにありがたいことでした。そのおかげで職員が飢えずに、被災地域へも医師を送ることができました。見逃されがちですが、今後は、きちんと職員用の食料も1週間分くらいは備えておくべきです。

 豊田

先生のお話をお伺いして、今回の大震災で大学病院が大きな役割を果たしたと感じたのですが、ちょっと残念だと思っているのは、大学病院が果たした大きな役割を、マスコミはあまり取り上げてくれなかったような気がするんです。

 里見病院長

 震災当初は野戦病院化することを想定していたこともあり、邪魔にならないように取材はすべて断っていたために、大学病院が貢献しているといったニュースはほとんどありませんでした。現在はマスコミ対応を解禁し、取材はすべて受けているため、今後は記事に取り上げられることも増えるのではないかと思っています。

 豊田

たいへんな混乱の状況の中で、里見病院長の素晴らしいリーダーシップと大学病院の皆さん一人一人の使命感のおかげで、未曾有の災害医療支援が適切になされたことがわかりました。そして、大学病院が災害医療や地域医療に果たす大きな役割を改めて認識しました。国民の皆さんに、ぜひともこのような大学病院の大きな役割をもっと理解していただきたいと思いました。

里見先生、本日はたいへん貴重なお話をお聞かせいただき、ほんとうにありがとうございました。引き続き大震災の災害医療への対応にご尽力をいただくとともに、今後の日本全体の災害医療の在り方についても、ご指導いただきたいと思います。 

 

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