ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

大学改革の行方(その9)

2012年09月30日 | 高等教育

 前回のブログでは、僕の「マネジメント改革」についての講演から、PDCAという、耳にタコができるくらい聞かされている当たり前のことを、徹底して実行することの大切さをお話しましたね。

 実は僕のいっぱしのマネジメントの経験は、1997年(平成9年)~1999年(平成11年)に、当時は法人化されていない三重大学附属病院で、「節約委員会」という委員会があって、その委員長を務めた時からです。その時は、帝人という会社の改善活動や方針管理(TQC)を立ち上げた義父が存命しており、義父からマネジメントの手法をいろいろと教えてもらい、それを、病院に応用したんです。

 三重大学病院の医業収入に占める医療材料費の比率が高いことを、文科省から指摘されてさんざんおこられていたので、それを低くすることが「節約委員会」の役目でした。

 看護師さんたちの協力を得て、病院全体で改善提案活動を展開して医療材料費の節減に取り組み、それまでどうしても低下しなかった医療材料費比率を2年間で2%低下させ、当時医業収入年110億円の三重大学病院で、2年間6億円限界利益を増やしました。

 当時は、稼いだ金はすべて国へ直接行ってしまうので、全くインセンティブの湧かないシステムでしたが、改善活動を組織的に展開することで、それなりの経営改善がなされたことになります。

 2004年(平成16年)に三重大学長の仕事をお引き受けした時に、どのような管理技術やマネジメント手法を応用しようかちょっと迷ったんです。巷には、それまで日本の企業がやってきた改善活動(TQC, TQM)以外に、balanced score card (BSC)や、高度なところではearned value management(EVM)などの新しいマネジメント手法が溢れていましたしね。

 そんな時に、知切四書さんという、日本IBMの現職から三重大学に初代監事として来ていただいたproject managementの専門家がおられて

「大学のレベルでは高度なマネジメント手法を適用することはとても無理ですよ。いろんな手法に目移りするのではなく、まずは、PDCAをきっちりと回すことを徹底されたらどうですか。」

とアドバイスをいただいたんです。

 それで、PDCAという誰でも知っている、もっとも基本的なマネジメント手法を徹底することにしたんです。この、アドバイスはほんとうに適切なアドバイスだったと思っています。

 さて、次は、マネジメントでも少し話題を変えて、「ガバナンス」や「リーダーシップ」というテーマについてお話しましょう。今回の6月に出された文科省の「大学改革実行プラン」においても、大学のガバナンス改革が強調されていますね。

 考えてみれば、大学ほどマネジメントが難しい組織はないと思います。教員のヒエラルキーは希薄ですし、部局長は現場が選挙で選び、学長の決定権は実質上ありません。つまり、ヒエラルキーの断絶が起こっている組織です。

 また、大学には複数のヒエラルキーに属する職員が現場で一緒に働いていることも、他の組織ではあまり見られない構造ですね。

 たとえば、附属病院では、医師、看護師、技師などの専門職が、それぞれ別個のヒエラルキーを作っていますが、病棟ではいっしょに働いています。企業で言えば、常にプロジェクト・チームが活動していることになりますね。

 

 僕が学長になって間もなく、ある私立大学の学長さんが挨拶に来られました。その学長さんがおっしゃったことは「人事権や予算権が与えられていない学長のいうことを、教員は聞いてくれない。理事長の権限を兼ね備えている国立大学法人の学長がうらやましい。」ということだったんです。

 これは、僕にとってはちょっとおどろきでしたね。私立大学は民間的発想で経営をしているわけですから、国立大学よりも、はるかにトップダウンで、ガバナンスがなされていると思い込んでいましたからね。

 法人化によって、国立大学の学長は、法律上は、学長の権限と理事長の権限が与えられ、オールマイティの存在になりました。ただ、国立大学の学長の現時点では実質上の権限は小さく、それを振りかざして、教員を動かすことは困難です。

 そんなことで、現時点では国立・私立に関係なく、学長には人事権や予算権に頼らずに組織を統率できる卓越したリーダーシップとマネジメント能力が要求される、ということでしょう。

 

 僕は三重大学長時代に地域の商工会議所などでお話する機会があった時に「果たして企業の社長に大学の学長が務まるか?」というテーマでしゃべったことがあるんです。その時の僕の結論は「人事権や予算権に頼らずに組織を統率できる卓越したリーダーシップの持ち主であれば可能である。」というものでした。

 実際、前静岡産業大学長の大坪檀さんは、元米国ブリジストン経営責任者でした。「大学のマネジメント・その実践-大学の再生戦略―」という素晴らしい本をお書きになっていますね。大坪さんもブリジストンでやっておられた方針管理(TQM)を大学のマネジメント手法として用いておられますね。

 大坪さんは、ご著書の中で大学のガバナンスについて、たとえば以下のようなご意見をおっしゃっています。

「トップダウンでなければマネジメントはできない。

日本の学長の役割は曖昧。単なる対外的な顔⇐学長の人事・予算に関する権限は限定的

教授会と学部長の位置づけは明確にしておかねばならない。意思決定機関なのか、審議機関なのか、意見具申機関なのか?」

 僕も、大坪さんのご意見に賛成です。

 ちなみに海外の大学では、部局長を教授会の投票で選ぶ大学はほとんどないと思います。どうも日本だけの特殊な慣行のようです。

 欧米の大学でも、学長や学部長の資質として、構成員の支持が得られる人物であることは非常に重要な評価項目になります。しかし、投票という方法は、アカデミックな組織としては好ましいとは思えない政争をしばしば生じてしまうことになりますね。この前、アメリカの大学理事会協会の会長さんにお会いしたのですが、日本の大学のトップは“有能な政治家”である必要がありますね、と笑われてしまいました。

 一方、密室で、どういう基準なのかよくわからない選考がなされるのも困りものです。どうしてこんな人物が選ばれたの、とがっかりすることがありますね。もっとも、投票で選ばれた場合も、がっかりすることがありますが・・・。

 構成員からの支持を得ているかどうか、あるいは外部の候補者ならば、構成員の支持を得られる可能性があるかどうかを評価することができ、なおかつ政争引き起こさない選考方法が理想です。

 今回の文科省の大学改革実行プランで大学のガバナンス改革が強調されているのですが、日本の大学の部局長等の選考の慣行を問題にしているように感じられます。法律上は、せっかく国立大学の学長をオールマイティの存在にしてトップ・マネジメントをやりやすくしたのに、なぜ、いまだに学部長を選挙で選ばせているのか?という政府関係者の声が聞こえてきそうですね。

 ただし、「トップダウン」というと、強く反発する皆さんがいらっしゃると思うので、「ワンマン」との違いについて追加をしておきます。

 今の日本の大学のシステムでも、いわゆるワンマンの学長で困っている大学もあります。民間企業でもワンマンの社長でつぶれたところはたくさんありますね。トップダウンをワンマンであると誤解するトップは困りものです。

 一方、部下にまかせっきりのトップも困りものですし、実質上組織を動かすトップが別に存在するような組織も困ります。やはり、トップがしっかりとリーダーシップをとって、重要事項についての最終的な意思決定を自分の責任で行うトップダウンが必要です。

 僕が学長になるに際して参考にしたリーダーシップ論は「EQリーダーシップ」という本でした。世の中には数多くのリーダーシップに関する書物が出ていますが、いろいろ読んだ中で、僕の感覚に一致するのが、この「EQリーダーシップ」でした。EQとはemotional quotientの略で“感情指数”と訳されています。IQ(intelligence quotient)つまり“知能指数”と対比される言葉です。

 EQとは一言で言えば、周囲に共感・共鳴を巻き起こす能力であるとされています。

 ワンマンのトップには、あまり共感・共鳴を感じませんよね。また、名誉欲の強い人や、自分の利益だけしか考えない人にも、共感・共鳴を感じません。IQが高くて論理で言い負かされてしまう相手にも、こんちきしょうと思いこそすれ、共感・共鳴はあまり感じませんね。IQも大事なのですが、IQだけではダメでEQが必要ということでしょう。

 次は、以上のようなマネジメントの方針でもって、三重大学の学長という役職に臨んだ結果が、果たしてどうだったかというお話です。すべては結果ですからね。

(このブログは豊田の個人的な感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)


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大学改革の行方(その8)

2012年09月29日 | 高等教育

 国立大学協会のマネジメントセミナー「法人化の原点に返って」で、僕が喋った「マネジメント改革について」の講演の続きです。

 前回のブログでは、大学の顧客とは?というところまで説明しましたね。 こんなことは国立大学では法人化前までは考えませんでしたね。法人化をきっかけに、まさに、国立大学における「運営」から「経営」への意識改革がなされることになります。

 でも、「運営」と「経営」の違いっていうのが、経営学者でもない僕にはよくわからなかったんです。辞書で調べてみても違いがあまりよくわかりませんでした。大辞林の定義を見ると、経営にあって運営にないキーワードとしては「方針」「目的」という言葉と「持続的」という言葉だけですね。それに、英語の辞書でも調べてみたのですが、両者を区別する適切な言葉はなさそうなんですね。経営学の教科書を読んでみても、不思議なことによくわかりません。 

 それで、自分なりの「経営」という言葉の定義をしてみることにしたんです。そして、下のグラフのように「経営」とは「組織活動を永続させるために、環境の変化に対して自らを変えていくこと」と勝手に定義をして、三重大学の職員の皆さんに説明しました。

 自らを変えることとは「組織のミッション達成のために改善・改革のPDCAを回し続けること」と説明しました。

 そして、環境の変化に対して自らを変えられない組織は滅びるという危機感の共有化のために、学長自らが現場に足を運ぶことにしました。

 以下のいくつかのスライドは、私が教授会や過半数代表者に、三重大学の置かれた厳しい環境と、それに対してどういう対応が考えられるかということを説明した時のスライドです。これらのスライドを今から見直しても、それほど間違っていなかったと感じています。

 

 

 

 

 国立大学の「ビジネスモデル」なんてものも描いてみました。交付金をもらいつつも、自己収入をあげて、ビジネスモデルが回るように経営努力をしないといけないということを、過半数代表者の皆さんに説明したんです。


 

 そして、大学構成員の皆さんには、たとえ交付金が削減されて「官」の部分が縮小されても、地域からの協力を得て、さまざまな組織を大学の周りにくっつけて連携することにより、「教育研究を通した地域貢献」機能は、拡大しようと呼びかけました。

 

 この下のスライドは、僕のお気に入りのスライドで、特に事務職員の部屋にべたべたと貼り付けることをお願いしました。そして、毎朝この図を眺めつつ朝礼をして下さいと。

 この図は4つの視点と7つのこころがけに留意して、業務の改善、つまりPDCAを回しつづけ、そして三重大学のミッションを実現しよう、ということを示しています。

 

 実は7つの心がけというのは、民間の経営書を読みあさって、僕の気に入ったキーワードを並べたものなんです。それを英語で表現すると、すべて”C”が頭文字についているんですよ。

 PDCAという言葉を法人化の前に教授会で使ったら、ある教授から、わけのわらかない英語の略号を使わないようにするべきであると、厳しく言われたことを思い出しますね。でも、今ではPDCAという言葉は政府文書にも溢れていますね。

 もう耳にタコができるくらい聞かされているPDCAという言葉。でも、果たして、ほんとうに大学の現場はPDCAをきちんと回しているんでしょうかね?

 理念・目的やミッションが創られても、それが棚の上の飾り物になっている組織は多いのではないかと思います。

 それと同じようにPDCAも、報告書を書く時だけの、形だけのPDCAに終わっている組織がけっこうあるんじゃないかな、と思うんです。

 経営とは実行(execution)なり、という言葉もあるように、この当たり前のことを、徹底して”実行”することが、マネジメントの要であると思います。

 

 法人化で各国立大学には中期目標・計画、そして年度計画の策定、そして、その実績報告書の提出が義務付けられました。したがって、この書類を提出するという点では、大学はPDCAを回していることになります。

 でも、これらの書類を提出する時にだけ、評価担当の事務職員だけで書類をつくっているようでは、ほんとうに組織全体としてPDCAを回していることにななりませんね。

 PDCAは、下の図に示したように、トップから現場のひとり一人まで、すべての部署と階層で回す必要があります。そして、それがミッション実現に向けて整合性のとれたものでないといけません。

 これは、 total quality control (TQC)やtotal quality management (TQM)における方針展開、あるいは目標展開と同じですね。

 三重大学では、執行部が中期目標・計画、年度計画をつくりますが、各部局の年度計画とのすり合わせをし、そして、教員については、教員評価の一環として”PDCA自己申告書”というシートを出していただくことにし、事務職員には目標管理制度を導入して、個々人に毎年PDCAを回していただくことにしました。

 役員の皆さんには実に四半期ごとに、重点目標と実績を学内に公表していただくようにしました。これによって三重大学の改革がどんどん進むことになります。

 実は、個人の目標・計画を公表していただくということは、大変なプレッシャーを与えることなんです。ほんとうは、全教員に公表していただこうと考えたのですが、反対が強く、役員どまりにしました。

 このようにみんなの前で公言して約束することは、”コミットメント”と言いますね。そして、コミットメントすることは、目標を達成し計画を実行していく強力なドライビング・フォースになります。これを”コミットメント効果”と言います。

 ひょっとしたらコミットメント効果は、金銭的なインセンティブよりも、効果的かもしれませんよ。

 次のブログも、この講演の続きです。台風17号が沖縄を直撃し、本州にも近づいていますが、読者の皆さまもお気をつけください。

(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

 

 

 

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大学改革の行方(その7)

2012年09月24日 | 高等教育

 「法人化の原点に返る・・・・マネジメント改革について」の講演の続きです。

 前回は、ミッション・目標・計画の起案者と学長が一致することが、ポイントであることをお話しました。今回は、三重大学のミッションや教育目標をどのように決めたかというお話です。

 三重大学では、法人化前夜に設けられた評価プロジェクトグループ(僕が委員長)で起案をしたことはお話をしましたね。実は、三重大学の理念・目的というものが、僕の前の学長先生の時にすでに決められていたのです。それはたいへん立派なものだったのですが、5つくらいの文章からなっており、空で覚えることは困難に感じました。

 僕は、マネジメントの基本は、まず、理念・目的やあるいはミッションというものを、飾り物にしないこと、つまり、構成員に周知徹底することが最重要なことであると思っていました。そのためには、誰でも覚えられるような短い文章にする必要がある。

 それで、三重大学の「理念・目的」とは別に「ミッション」という言葉を使って、構成員に覚えて頂きやすい形に創りなおしたのです。

 もう一つ、ミッションを創る上で重要なことは、単に精神訓話的な表現ではダメで、ミッションが実現できたかどうかが判断できる表現にしないといけない、ということです。そのためには、測定可能でな明確な表現にしないといけない。

 また、三重大学が今後生き残るためには「地域」を重視する姿勢を反映したい。そして、旧帝大と量的に戦うことは最初から無理なので、「オンリーワンで世界を目指す」姿勢を反映したい。SMAPが歌っていたマッキーの歌そのものですね。

 また、「成果」つまり「アウトプット」や「アウトカム」を重視する姿勢を表現することも大切で、もう一つおまけに、豊かな自然と近代産業が同居し、四日市公害を克服した三重の地域の特性を表現したい。

 このような思いをもって創られたのが、下の三重大学のミッションです。

 読者の皆さんの中には、あまり変わり映えのしないミッションのようにお感じになる人もいらっしゃるかもしれませんが、何気ないミッションの中に、これだけの意図を込めたんです。

 次のステップは起案したミッションの案について、全学の皆さんから合意をいただくことです。しかし、これは並大抵のことではありませんでした。

 最も議論になった点は、冒頭の「地域に根ざし」のところです。「地域」という言葉を入れるべきか入れるべきでないかで、激論が起こりました。

 「地域」を目指していてはレベルが低くなるとか、「私の研究は世界的な基礎研究をしており、地域を目指す研究はしていない」とか、いろいろな反論をいただきました。

 それに対しては、ミッションに込めた意図を一つ一つていねいに説明させていただき、最終的には、原案どおりにお認めをいただきました。(本心では反対していた構成員も多かったかもしれませんが・・・)

 このように、ミッション・目標・計画を策定する時には、たとえ時間がかかったとしても、学内で十分な議論をすることが必須のプロセスだと思います。このような議論を通じて、ミッション・目標・計画が構成員に共有化されることになり、共有化されることで、その実現や達成の確率が高くなると思います。急がば回れですね。

 ただし、組織のミッション・目標・計画は、基本的にはトップが起案して、最終的にトップが決めるものであると考えます。当時は僕は学長補佐という役職で、トップの命を受けてミッション・目標・計画案を起案し、学内合意に走り回り、そして、トップである学長が最終的に決めたということです。

 さて、ここで、もう一つ付け加えさせていただきますと、三重大学のミッションの「地域に根ざし」にはもう一つの意味があるのです。

 法人化の前夜に、鹿児島大学長を中心とした地方大学の何人かの学長先生方が、法人化に反対の意見を表明されました。法人化されると、地方大学の存続が危うくなるかもしれないという危機感をお感じになったのだと思います。

 実は僕もまったく同じ危機感を持っていたので、学長選考の提出書類の中に、次のような内容を書き込んだんです。

 

 三重大学のような地方国立大学の存続が問題になった時に、地域住民から三重大学の存続を求める声が上がってくれないようでは、救いようがなくなる。そのためにも、地域貢献を第一に掲げなければならない、と考えたのです。

 そして、また後でお話しますが、この懸念は3年後の平成19年に現実のものになりかけることになります。

 ミッションの次は、教育目標を策定にとりかかりました。ただし、教育目標については、前任の学長さんの時に、すでに「感じる力」「考える力」「生きる力」という3つの力が、教育目標に制定されていました。何か、小学校の教育目標を思い出してしまいますね。

 評価・プロジェクトグループとしては、この3つの力を生かす形で、しかし、特に今後の教育で最も重要視されるであろうと思われた「コミュニケーション力」を加えて4つの力とし、それを法人化後の教育目標としました。

 

 僕は、学長に就任するとすぐさま、評価・プロジェクトグループの委員だった教育心理学がご専門の廣岡秀一先生(故人)に、4つの力の測定方法の開発を依頼しました。目標が数値化できないと、それが達成できたかどうかわからず、来るべき大学評価に耐えることができませんからね。

 実は、廣岡先生はクリティカル・シンキングの研究者で、その測定方法ではすでに研究成果をあげつつあられたのです。それで、「考える力」についてはすでに、なんとかなるめどがついていました。残り3つの力の測定方法についは、新たな研究課題として彼にお願いしたわけです。

 4つの力というとっても抽象的な教育目標の指標は、いろいろとさがしても見つからず、三重大学が独自に開発をしたことになります。(ひょっとして、僕たちの探し方が不十分で世界のどこかにはあるかもしれませんが・・・)

 この、独自の研究開発までして目標の数値化にこだわったことは、僕は、大学マネジメントの観点で、三重大学は大いに自慢してもいいと思っているのです。

 さて、明確で覚えやすいミッションの策定と教育目標の数値化の次にしなければならないことは、その周知徹底です。ミッションや目標を棚の上の飾り物にしないために、せっかく明確な表現でもって短い文章にしたわけですからね。これを、構成員に空で覚えたもらわなければ、まったく意味が無くなってしまいます。

 でも、周知徹底と言うのは、言うややさしく、これを実行することは、実はたいへんなことなのです。単にホームページ上や、パンフレット等に掲示するだけでは、覚えていただけません。

 三重大学の学長時代のブログにも書いたのですが、入学式の式辞で、新入生に対して僕が三重大学のミッションをスライドを使って視覚にも訴えてつつ長々と説明し、おまけにミッションと教育目標を書いた紙を一人一人に配ったのですが、その数か月後に、いくつかの運動クラブの新入部員歓迎コンパに顔を出して、20人ほどの新入生に聞いてみたのですが、誰一人として三重大学のミッションを答えることができませんでした。

 それで、とりあえず全教室にべたべたとミッションと教育目標を書いたポスターを張ることにしました。

 さらに、教員に対して、シラバスに自分の授業で、この4つの力をいったい何パーセントずつ教えようとしているのか、ということを書いてもらうことにしました。これは、なかなか難しい要求なのですが、でも、こうすることによって、否が応でも先生方には4つの力が教育目標であるということが徹底され、また、それを見た学生にも、伝わることになります。

 次に、教育目標が果たして社会の求めているものかどうか、ということも、たいへん重要なポイントになりますね。ちょうどそのころ経団連が大学の教育の方向性を公開しましたので、三重大学の教育目標と突き合わせてみました。そうすると、表現は違うのですが、本質的には、両者はほとんど同じことであることがわかりました。そして、当時、経団連がアンケート調査をした結果では、企業が採用の時に学生に求めている能力の第一が「コミュニケーション力」でした。

 そんなことで、僕は三重大学が「顧客第一主義」の教育を目指しているということに、大いに自信を持ちました。

 

 

 ちなみに大学の顧客、あるいはステークホルダーはどういう方々でしょうか?学生さんが最大の顧客であることは間違いのないことですが、他にも利害が関係している人々はたくさんいらして、けっこう多様ですね。

 国立大学が顧客第一主義を掲げるなんて、法人化前までは考えられなかったことですね。このようなことは、法人化という制度改革が国立大学にもたらした良い変化の一つだと思います。

(このブログは豊田の個人的な感想を書いたものである、豊田が所属する機関の見解ではない。)




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大学改革の行方(その6)

2012年09月21日 | 高等教育

 それでは、9月19日に東京の学術総合センターで開催された国立大学協会主催のマネジメントセミナーでの僕の話、司会者の方には”刺激的な”と表現されてしまいましたが、その内容をご紹介していきましょう。


 自己紹介の中で、今日のブログと関連するポイントは、2002~04年に三重大学の学長補佐という役職をしており、その時の僕の仕事が「評価プロジェクトグループ」というワーキンググループの委員長として、来るべき法人化の準備として中期目標・計画、年度計画の案を起案したことです。

 今回の講演では、前半は「法人化に際しての三重大学のマネジメント改革」、そして後半は「政治・政策リスクにどう対応するか」という2つに分けました。

 それは、法人化の時の大学マネジメントのお話をしても、聴衆の皆さんの興味と少しずれている面もあるのかな、と思ったからなんです。今、大学の皆さんにもっとも関心があるのは、この6月に出された「大学改革実行プラン」や、国家公務員給与削減が非公務員である国立大学法人職員にも適用されたことや、赤字国債特例法案が国会を通らないために交付金の交付が滞っていることなどの、「政策・政治リスク」についてですよね。

 そうは言っても、今回のテーマが「法人化の原点に返って」ということですので、まずは、法人化の頃の話から始めさせていただくことにしました。

 上のスライドは、法人化を経験した国立大学の皆さんなら、よく御存じの文言ですね。平成14年に調査検討会議が出した、新しい国立大学法人像についての最終報告に掲げられていた文章です。

 これは、国立大学法人の仕組みについて、僕がポイントと思われる点だけをまとめたものです。

 なお、このスライドに僕があげた効率化係数や経営改善係数、そして、国家公務員総人件費改革等については、「法人化」そのものとは直接関係が無く、別個に考えるべきことであるとされています。法人化が始まって後出しじゃんけん的に付加された仕組みで、これらの大学予算の削減は法人化されなくてもなされたはずです。

 でも、予算の削減というのは大学経営やパフォーマンスに大きな影響を与えますし、また、現状では法人化と予算の削減が「セット」になっているとも感じられるので、このスライドに挙げています。

 そもそも、独立行政法人化の主旨は、法人化することによって”効率化”を図る事ですからね。”効率化”とは、イコール予算の削減です。

 原則論としては、”国立大学法人”は”独立行政法人”ではなく、それを規定する法律も異なり、法人化の主な目的は、もう一つ前のスライドにお示しした調査検討会議の3つの事柄なのですが、残念ながら、独立行政法人と同じように、やっぱり効率化(予算削減)のために法人化されたのか、と思えてしまいます。

 ただ、国立大学法人は、独立行政法人に比べて、予算の削減率は緩く、また、独法よりもより大きな裁量が与えられたことは、ほんとうに良かった(不幸中の幸い)と思います。


 さて、このような法人化の前夜、各国立大学では、法人化とはどういうことなのか、よく理解できない状況の中で、手探りでその準備に取りかかっていました。

 三重大学では、法人化の2年前に、その準備を検討する委員会がいくつかつくられ、僕は、三重大学の学長補佐に任命されて、中期目標・計画、年度計画の案の作成を担当することになりました。評価プロジェクトグループというワーキンググループを作り、5つの学部からそれぞれ1名の委員を出していただいて、毎週喧々諤々の議論をして、ミッション・中期目標・計画、年度計画の案を作り上げ、各学部の教授会に出向いていって説明をし、学内での合意を取り付けました。

 ちょうど法人化の始まる2004年に合わせて新学長を就任させることになり、その前年に学内の意向投票と学長選考会議による選考が行われ、豊田が選ばれてしまいました。当時僕は53歳で、異例の若さの学長ということで新聞にも紹介されました。

 その結果、これは全くの偶然ということになりますが、ミッション・目標・計画の起案者が学長と一致することになりました。偶然とは言え、ミッション・目標・計画の起案者が組織のトップと一致するということは、マネジメント上、たいへん重要なポイントです。組織のトップは、自分自身の創ったミッション・目標・計画に結果責任を持たねばなりません。

 法人化のシステムでは中期目標期間が1期6年と定められ、6年ごとに中期目標・計画を定めて、その実績が評価されるということになっていました。

 三重大学では、僕の次の学長からは、必然的に起案者と学長を一致させるために、次の中期目標期間が始まる1年前に学長を交代するシステムとしました。次期中期が始まる1年前には、次の目標・計画案を国に提出しないといけないわけですからね。

 そして、それまでの4年1期で、再選されると2年延長されるという学長の任期の規定を6年1期に変えました。つまり、自分で創った6年間の目標・計画について、6年間途中で交代せずに結果責任をとっていただきますよ、という趣旨です。ちなみに、その結果僕自身の学長の任期は5年ということになりましたけどね。

 そんなことで、聴衆の皆さんに最初にあげさせていただいたマネジメントのポイントは

〇学長は、自ら策定したミッション・目標・計画の実現・達成に結果責任を持つ。

ということでした。

 いくつかの大学では、三重大学と同じように、目標・計画の実現・達成の面で学長のトップマネジメントが機能する制度にされたと思います。でも、このような制度にしていない大学もあります。他人が作った目標・計画をやらされて、それで評価されることになる学長さんは、たいへんお気の毒ですね。

 今日のブログでは、まだ司会者のおっしゃった”刺激的”なところは出てきませんね。もう少し先になります。

(本ブログは豊田の個人的な感想を述べたものであり、豊田の所属する機関の見解ではない。)


 

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大学改革の行方(その5)

2012年09月20日 | 高等教育

 昨日の9月19日に、学術総合センターで開催された、国立大学協会主催の平成24年度大学マネジメントセミナー〔企画戦略編〕で話をさせていただきました。今回の対象は、主として理事・副学長・事務局長といった大学の役員が中心で、約190人集まりました。

 今回のマネジメントセミナーに参加できなかった方で、ぜひブログ上で紹介して欲しいというご要望がありましたので、鼎談のご紹介ももう少ししないといけないのですが、これから数回にわけて、僕の講演内容を紹介させていただきたいと思います。

 今回の企画の全体テーマは「法人化の原点に返って」ということでした。この6月に文部科学省から「大学改革実行プラン」が出され、各国立大学には思い切った改革が求められているわけですが、大学の執行部が代替わりしていることもあり、2004年の国立大学法人化の時のことをあまりご存じない方もおられるので、ここで、法人化の時の時になされたマネジメント改革を振り返って、考えなおしてみようという企画でした。そして、ちょうど法人化の時に三重大学長をつとめさせていただいた僕に、白羽の矢が当たったわけです。

 最初に文科省高等教育局の長谷浩之さんから「国立大学法人を巡る情勢について」、二番手が僕の「マネジメント改革について」、三番手が東京大学監事の有信睦弘さんの「大学マネジメントにおける役員、副学長等幹部職員の役割について」というレクチャーが続き、そのあとはパネルディスカッションという構成でした。

 司会の方が、この日の講演を順番に紹介されました。僕の講演については、「2番目は刺激的な内容の豊田先生のお話です。」なんて紹介されたので、ちょっと、言い過ぎた面もあったかなあ、ちょっとあそこは直しておいた方が良かったかなあ、と思いつつ、まあ、いいかという感じで臨みました。

 僕に与えられたテーマは「マネジメント改革」について、ということなので、法人化の頃のことを思い出しつつ、自分自身が実際に経験したことを中心に、これからの大学改革の原動力になる大学執行部の皆さんのお役に立てそうなことをまとめてみました。前半は「法人化に際しての三重大学のマネジメント改革」、後半は「政策・政治リスクにどう対応するか?」という内容です。

 そうそう、例の鼎談の記事については、数日前に、大学マネジメント誌9月号が発刊され発売されています。すでに、聴衆の中に、僕の鼎談の記事を読んだ方がおられました。一生懸命財務省と戦っておられましたね、と言われました。ご興味のある方は、ぜひとも大学マネジメント研究会(http://anum.jp/)に申し込んで、入手頂きたいと思います。

 ちょっと、順序が逆になってしまいますが、講演終了後のパネルディスカッションの時に、ある大学の先生から、国立大学への基盤的運営費交付金の削減は、いったいいつまで続くのですか、というご質問があったんです。パネリストのお一人である文部科学省の合田哲雄さんが、社会保障費が毎年1兆円増え、他の予算がその分削減されつづける状況であり、財務省になんとかならないかお願いをしているのだが、なかなか難しいというご説明をされました。

 僕も追加発言をさせていただき、例の鼎談について、財務省や大学外の皆さんからの国立大学を見る目はたいへん厳しいこと、財務省神田主計官が「運営費交付金は意味が無い」とおっしゃっていることをご紹介しました。そして、僕なりに、運営費交付金の削減に対しては精一杯反論を試みたのだが、社会保障費を抑制してまで国立大学へ国費を投入する価値があることを根拠をもって示さないことには無理であること、このままいくと、さらにどんどんと国立大学の研究機能が低下していくだろうということを申し上げました。

 ちょっと会場がしーんとなってしまいましたけどね。

 後で、大学マネジメント誌の入手方法をお聞きになられた方がおられたので、大学マネジメント研究会の事務局の電話番号”03-3230-8687”とe-mail: "info@anum.jp"をお教えしました。滝口さんという女性が対応してくれますよ。

 それでは、次回から、司会者の弁によると”刺激的な”豊田の講演内容をご紹介していくことにします。

(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

 

 

 

 

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大学改革の行方(その4)

2012年09月07日 | 高等教育

 前回に引き続いて、鼎談のおおよそのやりとりについて、ブログの読者の皆さんにも、お話していくことにしましょう。鼎談とはいっても、ずいぶんと修正をしましたので、ちょっと不自然な鼎談になっている部分もありますけどね。

 それと、前回のブログから「僕」という言葉を使っていますが、鼎談の原稿では「僕」という言葉で統一してしまったので、ブログの方もなんとなく「僕」という言葉づかいにしてしまいました。

 まず、本間さんの趣旨説明ですが、ブログでご紹介するにはちょっと長いので、一部省略させていただいて、つぎはぎになってしまいますが、ご紹介します。(略)の部分にも、重要なコメントが書かれていますので、詳しくは、大学マネジメント誌を入手されてお読みください。

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本間:本日は、皆様大変お忙しいところお集まりいただきまして、ありがとうございます。18歳人口の急減による高等教育市場の縮小やいわゆる「グローバル人材」など大学に対する人材育成ニーズの高度化、さらには国内外の大学間競争の激化など大学を取り巻く環境が急激にかつ激しく変わっているにもかかわらず、大学側の対応があまりにも遅く、また不十分です。今日は、財務省の神田主計官と前三重大学学長で現在国立大学財務・経営センターの豊田長康理事長にお出でいただき、また旧文部省で高等教育・学術行政を行い、国立・私立大学で実際に大学マネジメントに参画している本間が加わって、文科省が6月に発表した「大学改革実行プラン」を中心に今後の大学改革のあり方などについてそれぞれの立場から率直に意見交換をさせていただきたいと思います。

(略)

 さて、国立大学の法人化が2004年に行われ、当初こそ危機感があり、法人化を契機に本気で改革しようという学長も事務局長もいたわけですけれども、あれから8年を経て、残念ながらそういう危機感や改革の機運もしぼんでいるのが実情です。例えば、法人化の目的の一つに民間企業から人材を理事に登用することによって効率的な経営を導入しようとか、外部委員が半数以上を占める経営協議会の設置、文科大臣任命の監事の配置によって「開かれた」「社会的説明責任を果たせる大学運営」の実現ということがあったはずですが、現状を見ると企業から理事などに登用されても「教育・研究を旨とする大学は、営利追求の企業とは違う」と、経営効率化のための提案を行っても排除されることが多く、経営協議会は事実上学長の「大政翼賛会」のような存在になり下がっています。監事も、大臣ではなく学長が決める慣行が確立し、多くの大学では非常勤化されて「無力化」し、しかも国立大学の学長を退職した方が数多く監事に就任しています。学長OBが監事では、納税者の代表としての活動など期待する方が無理というもので、大学運営に厳しい注文を付けることなどできません。元々、国立大学は、監事が経営だけでなく教育・研究のあり方にまで踏み込んでくるのではないかという警戒感がとても強く、大臣任命の監事が派遣されてきても、情報も事務サポートも与えず、無力化しようと待ち構えていましたから、こんな結果になることは予測されていましたが。

(略)

 高等教育財政ですが、2005年度から始まった国立大学への運営費交付金の1%削減、あるいは付属病院に対する2%の「効率化係数」、さらには今年度から3年間にわたる人件費の7.8%削減などに対する反発は非常に強いものがあります。特に地方の国立大学や、文系で小規模の大学はもう限界だという声が上がっています。これに対して文科省は、国立大学に「選択と集中」を進めるようにと言っていますが、この意味は「不採算、不必要なものを廃止・縮小して、限られた資源を強みのある部分に集中しろ」ということですから、本気でやろうとしたら学内で大きな抵抗を受けます。したがって、部分的な「選択と集中」は行われても交付金削減を乗り越えて「強い」大学として浮上しているような国立大学はまずないと言っていいでしょう。そもそも、「選択と集中」を言う文部省自身が、交付金削減に当たって、どの大学にも同じ削減率を適用するという極めて安易な方法を取っているために、過去130年以上の重点的な国家投資による膨大なインフラの蓄積があり、かつ外部から研究資金獲得が可能な理工系・医療系学部・研究科をもつ東京大学と、人件費が予算の大部分を占め、学問分野として外部資金を集めにくい教員養成大学とでは交付金削減のインパクトは前者で軽く、後者で重いという不均衡が起きています。

(略)

 厳しい環境に置かれている地方国立大学は、豊田先生がいつも力説されているように、教育面でも研究面でも総体としてコストパフォーマンスが高く、高等教育機会の提供や地域の課題の解決という面でも地域にとって非常に重要な存在です。にもかかわらず、一律削減によってそういう大学が疲弊しています。一方、大都市圏にあって、外部資金も集めやすい大規模な大学の事情は違っています。実は筑波大学の小林信一先生が全国立大学の寄付金、競争的資金間接経費、財務収益からなる「裁量度の高い予算」を調べたデータが、「大学マネジメント」2011年8月号に論文として出ていますが、トップの東京大学の「裁量度の高い資金」が294億円という巨額に達しているんです。京都大学が205億円、東北大学が170億円をはじめ旧制帝大が上位7校を占め、最下位の名大でも70億円あります。一方、最も少ない大学は2億5千万円しかありませんでした。(いずれも2008年度のデータ)

(略)

 今回、国家戦略会議の圧力のもとに、文科省が6月5日に「大学改革実行プラン」を出してきました。経済同友会も、今年3月26日に「私立大学におけるガバナンス改革」という文書を発表し、改革を進めるために学長の権限強化などを提言しています。政府の行政刷新会議による昨年11月の提言型政策仕分けにおいても、「大学が社会の実情と乖離し、社会のニーズに十分対応できていない」と批判し、「大学数を削減して、予算を集中」「教授会の権限の縮小」といった刺激的な提案が行われています。この数年、一気に国立。私立を問わず大学に対する期待が高まる一方、現状への批判が噴出しているという状況です。この鼎談では、このような状況を踏まえつつ、環境激変下における大学改革の方向性を、それぞれのお立場から、率直に、本音ベースでお話をいただければと思います。

(略)

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 本間さんの趣旨説明の後、順次自己紹介をし、まず、最初に議論したテーマは

「1.現在の大学のあり方についての基本的な認識とは?大学は、激変する環境の下で適切に対応しているか? 」

ということでした。財務省主計官の神田さん、僕、本間さんの順に、ご紹介をしたいと思います。今回のブログでご紹介する神田さんや本間さんのご発言は、豊田がかってに短くさせていただいて要約しました。もし、お二人のご趣旨とそぐわないことがあれば、その責任は僕にあります。

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神田さんの発言の要旨

1.人口減少と少子高齢化⇒基本的なマーケットである青年層の激減

(a)私大の39%が定員割れで赤字

(b)大学数は平成になって490校から708校に激増

(c)収容力が92%⇒大学生は選別された存在でない⇒品質保証困難⇒就職問題

(d)大学は留学生、生涯教育を拡大しない限り、どんどん収縮

2.国際競争の激化の認識の甘さ

(a)留学生の拡大による優秀な頭脳の獲得と日本人学生の活性化に希望

(b)国際ランキングの順位低下⇒日本人で海外の大学を選ぶ学生が増加

(c)論文引用度が低下

(d)国際的にみてわが国の大学は小規模。フランス等でかなり荒っぽい統合。大規模総合大学でないとプレステージを維持できない現実に各国とも対応

3.財政事情

(a)大学予算は、例外的に優遇。運営費交付金を薄切りする一方で、競争的資金を激増し、全体として予算規模増。これはもう続けられない。

(b)日本の財政事情は古今東西最悪で、破綻のリスクが高まる。

(c)選択と集中で勝ち残れる能力があって、その努力をしているところに集中投資しないと、みんなだめになってしまう。

(d)とにかく、破綻しないよう、必死で増税や社会保障合理化等をお願いすると共に、国家公務員の給与1割削減など、非常に厳しい歳出削減をしているところ。

4.こういった危機的状況の認識が、最も賢い方々が集まっているはずの大学に共有されていない。

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次には、僕の発言を省略せずに書いておきましょう。

「豊田:僕は三重大学の学長を、法人化の時から5年間やりました。自分としては地方大学をかなり改革したつもりです。学長になった時、まず運営から経営へという意識改革をしました。経営とは、組織活動を継続させるために、環境の変化に対して自らを変えていくことである、ということを構成員に訴えました。神田さんは、青年層の激減、国際競争の激化、財政事情という3つの環境変化について大学の危機感が薄いことをご指摘になりましたが、当時の僕の部局長を集めて説明したスライドには、克服すべき環境変化として、18歳人口の減少、グローバル化社会での地域における国際競争の激化、文教予算の減少、などをあげております。

 その意識改革のもとにPDCAを回す。旧帝大と論文数で戦っても勝てないので、地域社会に役立つことが一番大事であり、地域から世界を目指そうと、三重大学のミッションを「三重から世界へ:地域に根ざし世界に誇れる独自性豊かな教育研究成果を生み出す。~人と自然との調和・共生の中で~」と定義しました。「人と自然の調和・共生の中で」とサブタイトルをつけたのは、三重県は四日市ぜんそくという環境問題を経験し、また、豊かな自然資産と同時に最先端産業も集積している地域であるからです。このミッションの実現のために具体的な目標を設定し、教職員が一丸になり、どんどん改革を進めました。

 教育改革については、当時、経団連が「志と心」、「行動力」、「知力」という3つの力の養成を提言しました。三重大学は「感じる力」、「考える力」、「コミュニケーション力」、それらを総合した「生きる力」の「4つの力」を目標にしました。これは、実質上経団連の教育目標ほとんど合致しています。目標は極力数値化することが必要です。測定できないと、達成したことが分からず、PDCAを回せないからです。そして、この抽象的な4つの力の数値化という困難な作業から始めました。教育心理学の先生が、それを測定する調査票を独自に開発してくれました。普通の講義だけでは4つの力は身に付きませんので、特に、学生が主体的に自学自習する能動的な課題解決型の授業、つまりPBL(problem-based learning及びproject-based learning)を増やしていきました。その結果、果たして、4つの力の評価点数が毎年上がっていきました。三重大学は社会が望んでいる教育を、かなり達成したと思っています。

 それから国際化については、地方大学は、国からの予算もつかないので大きなことはできません。留学生の宿舎も寄付を集めて、節約したりして3億円捻出して建設しました。そして、天津師範大学とのダブル・ディグリー制度を学部間でつくりました。大学院レベルのダブル・ディグリーはよくありますが、学部レベルは非常に珍しいと思いますね。日本語教育コースの学生さんを中国で募集して20人取ります。向こうで2年半、三重大学で2年半、トータル5年で、両方のディグリーを取らせます。あちらの入学式に僕が出向いて行って、向こうの学長と一緒に式辞を述べるのです。ただ一つだけ残念なことに、双方向でやろうということにしたのですがまだ実現していません。

 また、地域との産学官連携を最大限拡大しました。多くの市町村、地域企業、私立大学の鈴鹿医療科学大学と包括連携協定を結び、伊賀市の工業団地にも三重大学伊賀研究拠点を創って、地域密着型の産学官連携に取り組みました。三重県の「みえメディカルバレープロジェクト」の一環として、全県下の医療機関を巻き込んで「みえ治験医療ネットワーク」をつくり、薬だけでなく健康食品の臨床試験を行っています。そして、今年の7月に国からライフイノベーション総合特区に指定され、三重大学に「みえライフイノベーション推進センター」をおいて、大学が地域の中核となって、ライフイノベーションを推進しようとしています。

 実は、皆さんもご存じだと思いますが、平成19年に、科研費の取得額に応じて運営費交付金を配分するという試算が財政制度等審議会の資料に出されるという事件があったんです。その試算によれば多くの地方大学で運営費交付金が半減するということでした。当時の朝日新聞は「競争したら国立大半減?三重など24県で『消失』」と報道しました。どうして「三重など」と名指して報道されるのかよくわかりませんでしたが、そのおかげで、僕は緊急記者会見を開いて、地方大学の存在意義を記者の皆さんに訴えることになりました。そしたら、特にお願いをしていないのにもかかわらず、三重県知事と津市長がさっそく動いてくれて、県議会、市議会での反対決議、そして全国的な反対運動に広がり、近畿知事会と全国知事会の反対決議にまでいったんです。その結果、当時の骨太の方針の原案の、「運営費交付金の『大幅な傾斜配分』」という文言が、急遽『適切な配分』に変更されました。知事や市長が何もお願いしなくても動いてくれたのは、三重大学がミッションを文字通り実行し、改革を進めたことが、評価されたからだと思っています。

 以上のような努力の結果、就職率も向上し、全学部・全研究科で就職希望者の96~97%ときわめて良好となり、今回、三重大学は東海地域で「学生が受験したい大学」の4位にランクインしました。国立大学法人評価の最終結果は86大学のうち14位という結果です。」


この間に、いくつかのやりとりがあるのですが、次に本間さんのお考えを要約形で書いておきましょう。

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本間さんの発言の要旨

1.18歳人口の急減、厳しさが増す財政、国際競争の激化、人材ニーズの高度化、社会的説明責任の強化という大学を取り巻く環境の劇的変化⇒大学の執行部の危機感を持った改革への取り組みは、一部を除いて悲観的、

(a)ある教員養成大学の事務局長「交付金削減累積8%は大学の対応能力を超えている。人も金もきちんと確保して欲しい」

(b)人材育成もまともに行わず、経営の効率化も進まず、事務局は管理部門が肥大化し、人事制度は古色蒼然とした年功序列のままで、しかも教員定数の削減を恐れるあまり、18歳人口が減っているのに、不要不急の教員組織という「贅肉」をそぎ落としてダウンサイズ化=筋肉質化を図ることもせずに、ただ金を増やせと叫んでも説得力なし。

(c)まず、国立大学が痛みを伴う構造改革を行った上で、政府の支援を求めるべき。

2.個別大学の努力だけでは不可能

(a)文科省が、国立大学を全体としてダウンサイジングしつつ、立地条件が良く知的資源を豊富に持つような国立大学を私学化、旧制帝大を大学院大学化、子供数の激減により余剰化している付属学校を半減、といった政策をとる必要

(b)国立大学改革、大学のガバナンス改革などは逃げ切れるものではない。

(c)京大なら毎年800億円ぐらい税金が投入。にもかかわらず、京大の学部教育は「自由の学風」の美名に隠れて実際には無責任な自由放任にすぎない場合も。全学で留学生の受け入れを増やし、京大生の海外留学を増やそうという計画を提案しても、部局自治がある、トップダウンでは京大は動かないといった、世間から見ると理由にもならない理由を挙げて反対。

3.グローバルな高等教育の状況

(a)世界の留学生300万人の6割はアングロサクソン系の大学。英米の大学の授業料は、日本の2から3倍が普通。それでも世界中から優秀な学生を集める。教員や学生の質の低いところには、志の高い優秀な学生は行かない。

(b)日本の留学生数は12万人。人口が我が国の半分の英国に60万人もの留学生が集まる⇒世界の大学教育の事実上の世界標準は英米に

(c)かつてわれわれが手本として仰いだフランスやドイツの大学は目を覆うばかり。両国とも授業料を取らない国立大学で、進学率は6割を超え、高校を卒業すれば、誰でも大学に入れる。しかし授業料を取っていないので、学生数が増えても教員を増やしたり、施設の拡充が不十分。学生の半数中退を大前提にして大学が成立。

(d)日本の国立大学の予算の補助金の割合は5割。英国や米国の州立大学は3割から4割。英国も40年前は授業料無償⇒80年代のサッチャー改革以降、授業料の導入を含む徹底的な効率化と自己財源の確保。留学生や産学協同資金を集めるには、人材育成や先端的研究に力を入れる必要⇒財政自立が大学の教育・研究機能の強化に。

(e)タイムズ他の大学ランキングで英国の大学が上位に名を連ねているのは偶然でない。

(f)米国の大学は、研究大学と呼ばれるスタンフォードやイエール大学でも教育を大事にしているので、卒業生が喜んで寄付⇒エンダウメントという運用資金を確保し、資産運用。日本の国立大学は長い間、国に甘えて自分で稼ぐこともせず、放蕩(放漫経営)をしたから、自分で必死に稼ぐ、無駄遣いをしないというふうにはなかなか変わらない。

(g)中世以来の伝統があり保守的だった大学を、世界の国際標準に持っていった英国にこそ大学改革のモデルを求めるべき。

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皆さん、いかがだったでしょうか?

 三者三様の発言ですが、神田さんと本間さんは、お二人とも大学の危機意識があまりにも低く、激変する環境の中で適切に対応していない、とおっしゃっていますね。この部分はお二人で意気投合という感じですね。本間さんは、元文部科学省の官僚、そして京都大学におられたのですが、歯に衣を着せずに国立大学に対して、ズバズバとおっしゃいます。

 それに対して、僕の発言は、三重大学という地方国立大学で、法人化後の大学改革をいかに進めて成果をあげたかという話に終始しています。お二人の問題意識とは、ちょっとずれている面もあると感じましたが、一般読者の皆さんに全ての大学が体たらくなんだと誤解されてもいけないので、けっしてがんばってこなかったのではなく、一生懸命改革を進めてきた大学もあるんだよということをお分かりいただくために、三重大学のことを書いておきました。もちろん三重大学以外にも、いっしょう懸命やってきた大学はたくさんありますよ。

 最初から、大学、特に国立大学に対して厳しい言葉が飛び交っているこの鼎談、これからどういう展開になるんでしょうね。

(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

 

 

 

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大学改革の行方(その3)

2012年09月06日 | 高等教育

 やっと、きのうの夕方、鼎談の原稿を大学マネジメント研究会に提出しました。実際の鼎談の時に話した内容を、はるかに超える分量の書き込みをしてしまいました。何しろ、財務省の神田主計官を交えた鼎談ですし、また、6月に出された文部科学省の「大学改革実行プラン」に対して、真っ向から意見を述べている鼎談ですからね。神田さんも、本間さんも、かなり厳しいことをおっしゃっており、それにつられて、僕も、かなり思い切ったことを言ってしまいました。ちょっと言い過ぎたかなと思う所が何か所もあり、ひょっとして物議をかもすことになるかも知れません。

 なお、この鼎談は「大学マネジメント」という雑誌の9月号に掲載されます。この雑誌は1500円で、大学マネジメント研究会に申し込んでいただければ、購入することができます。http://anum.jp/

 この鼎談の原稿を書き直している間、8月のブログの更新回数が少なくなってしまいましたね。でも夏休みということでご勘弁いただくとして、9月は、もっとがんばって書いていきたいと思います。

 9月19日には、国立大学協会のセミナー「国立大学の法人化の原点に返って」という全体のテーマで、学長を含む役員、副学長、部局長、事務代表の皆さんに、「マネジメント改革について」というタイトルで1時間お話をする予定になっています。

 僕の話の前には、文部科学省の方が「国立大学法人を巡る情勢について」というタイトルで1時間、それから、後には東京大学監事の有信睦弘さんが、「大学マネジメントにおける役員、副学長等幹部役員の役割について」というタイトルで1時間お話になり、その後のパネルディスカッションも3人で2時間半もやるという、なんともはや、講演者にとっては、ハードなプログラムになっています。そして、2004年の法人化の時も国立大学は大変な思いをしたのですが、今回の方がもっと大変な状況と思われ、そういう状況で大学の幹部の皆さんにお話しするというのは、とても重い仕事をお引き受けしたことになりますね。

 そんなことで、その講演の準備にも早く取りかからないといけないのですが、でも、ブログも更新しないといけませんね。ブログの読者のみなさんは例の鼎談の中から、物議をかもすことになるかもしれないところも含めて、少しずつご紹介していきましょうかね。

 神田さんのご発言からは、財務省の厳しさが尋常ではないことが伝わってきます。

 「日本は科学技術をものすごく守ってきたし、これからも大事です。ただ、限界があります。今までみたいな超優遇はもう不可能です。」

 「運営費交付金という概念はそろそろ意味が無くなってきていますね。」

 「村の外では一番、評判の悪い運営費交付金に着目してどうだという議論というのはもう不毛だからやめましょうということなんです。」

 神田さんには、この2年間、ほとんど財政破たんをしている状況で、科学技術や文教予算をほんとうによく守っていただいたと思います。でも、このようなお言葉からすると、今後は、科学技術予算も削減され、国立大学の運営費交付金は、大幅削減ということになるかもしれないと、感じさせられますね。

 神田さんからは、この6月に出された文部科学省の「大学改革実行プラン」に対しても、危機感の不足、スピード感の欠如、具体性の欠如、深度不十分、総花的、隔靴掻痒・・・、と、厳しいお言葉が次から次へと出てきます。

 これでは、もう、どうすることもできないかな、と思いつつも、僕は僕なりに自分の意見を主張しておきました。僕の言いたかったことを一言で表した一文は、鼎談の最後の方に書かれています。

 「日本国としてのミッションの実現と目標を達成するために、データに基づきつつ、手段を目的化させない適切な政策と現場の大学の思い切った改革努力で、日本のイノベーション力の国際的なポジションが低下しないこと、いや、むしろ向上することを心から願っています。」

 そんなことで、日本国としてのミッションを自分なりに明確にし、できるだけデータに基づいて、神田さんのお考えに賛成するところは賛成し、納得のいかないところは異見を述べ、そして、国立大学に対しては、厳しい改革や連携・統合を促す主張となっています。

 果たして、僕の主張がどれだけ財務省の理解を得られるのか、あるいは、逆に大学の理解を得られるのか、よくわかりません。最悪の場合は、どちらからも理解が得られないということになってしまいかねません。第三者のご意見も伺いたいところです。このブログの読者の皆さんにも、大学マネジメント誌の9月号が発行されたら、ぜひとも鼎談の記事をお読みいただき、ご意見をお寄せいただければ幸いです。


 (このブログは豊田の個人的な感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

 

 

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