ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

なぜ論文数を増やす必要があるのか?

2012年01月31日 | 科学

 (このブログに書かれていることは、豊田個人の勝手な感想であり、豊田が所属している機関の見解ではありません。)

 前2回のブログでは、台湾は最近学術論文数を急速に伸ばしており、国民一人あたりの論文数では、すでに日本を追い抜いていること、その要因として、台湾政府が支出している研究費が急速に伸びており、国民一人当たりの政府支出研究費が日本を追い抜いたと推定されることをお話しました。

 そしたら、何人かの読者からご意見をいただきました。

 「なぜ、論文を産生すべきなのか、一般の人に理解してもらわないと、納税者の後押しは得られない。」

 「先生が、論文の減少を日本の危機と心配されていることは、私も理解できますが、以前にも申し上げましたが、素人分かりする具体的事例(病気に関することなど)と例えば特許などとのつながり、そしてその基盤となる論文などを記述して頂くと理解が深まるように思いますが? 素人にとって分かりやすく説明することも大切では?」

 まったくその通りで、もっともなご意見ですね。今の日本政府の莫大な借金と、増え続ける社会保障費の負担の中で、国民や為政者に科学技術予算確保の重要性をご理解いただくことは、並大抵のことではありません。

 以前は、「大学の偉い先生がたは、何を研究しているのかわからないが、税金を投入する価値のあるような、国民や人類にとって役に立つ研究をやっておられるのだろう。」というような、暗黙の了解があったかもしれません。

 しかし、今は、研究が血税投入に値する価値のある研究であることを、研究者自らが国民や為政者に説明をして理解していただかないと、研究費を確保できない時代になったということでしょうね。マスコミもある程度は科学技術の成果をとりあげてくれていますし、各大学や研究機関も市民に対する公開講座や広報にそれなりに力を入れているのですが、それだけでは不十分ということなのでしょう。

 やはり、

 「科学技術研究開発予算増(民間+政府)研究成果増(論文数増、特許件数増、新製品開発件数増)イノベーション創出増地域の経済成長(GDP増)

 という図式をもっと明確に説明する必要に迫られていると感じます。

 とはいっても、基礎研究を経済成長にすぐに結びつけることはなかなか困難ですね。天文学や数学なんかも、どうやって結び付けたらいいのか、私にもよくわかりません。

 でも、”はやぶさ”の成功は、経済成長に結びつけるのは難しいですが、国民の多くが感動しましたね。だから、国民の多くが抱く”夢”や、ブータン国王の掲げておられる”幸福”の実現に結びつくということでも、国民にある程度のご理解は得られるのかもしれません。もっとも、あの時、もし”はやぶさ”が失敗をしていたら、科学技術予算はかなり削減されていたかもしれませんけどね。

さて、

 科学技術研究開発予算増(民間+政府)研究成果増(論文数増、特許件数増、新製品開発件数増)イノベーション創出増地域の経済成長(GDP増)

という図式の明確な説明をしないといけないのでしたね。

私は経済学については素人なので、間違っていたらご指摘をいただきたいのですが、多くの経済学の教科書には、潜在成長率を規定する因子として、労働投入量、資本投入量、そして、全要素生産性(技術革新等)の3つが書かれています。そして、今後の日本では全要素生産性を高める技術革新やイノベーションが特に重要であると書かれています。

したがって、イノベーションの創出が経済成長に重要であるという部分は、多くの国民にご納得いだだける部分なのだろうと思います。

つぎに、論文数増が果たしてイノベーション創出増に結びつくことを説明できるかどうか?

もちろん論文に書かれないイノベーションも多くあり、また、イノベーションに結びつかない論文も多くあるわけですが、論文の一部はイノベーションに結びつき、その中でも注目度の高い論文ほど、経済効果の大きいイノベーションに結びつきやすい、ということは言えるようです。(これは、経済効果の大きいイノベーションに結びつくかもしれないと多くの人が感じる論文ほど、結果的に注目度が高くなるというふうに考えた方が納得しやすいかもしれません。)

また、論文と特許の結びつきを示す指標にサイエンス・リンケージというものがあり、これは米国特許の審査報告書における特許1 件当たりの科学論文の引用回数です。1997~1999 年から2007~2009 年の間に、全製造業におけるサイエンス・リンケージの値は2.0 から3.4 へ上昇しました。サイエンス・リンケージの値は、「医薬品製造業」が飛びぬけて高く、2007~2009 年では28.7 とのことです。したがって、科学論文と特許の結びつきは次第に高まっていると考えていいでしょう。(文科省科学技術政策研究所:科学技術指標2011より)

民間も含めたわが国全体の研究開発投資については、世界的にみて高レベルなのですが、政府が支出する割合は、先進国の中で最低の部類で、日本は民間の研究開発投資に頼ってきた面があります。そして、民間の研究開発投資はここにきて、減少し始めています。

もっとも、わが国の民間の研究開発投資が世界的に見ても多額であったにもかかわらず、どうして経済成長に有効に結びつかなかったのか、いくつかの議論があるようです。民間企業どうしだと、せっかくの研究成果が共有されないからではないか?もっと、多くの企業に成果が共有される公的な研究開発投資の率を増やすべきではなかったのか?と推測する意見もありました。また、日本は特許の申請件数は世界有数なのですが、それが、効率的に収益に生かされていないことも指摘されています。

いずれにせよ、民間の研究開発投資が減少を示し始めた状況の中で、公的な研究開発投資まで削減することは、わが国のイノベーションの創出に大きな暗雲を投げかけるものと思います。

上の図式の中の最後に「地域の経済成長(GDP)」というふうに、”地域”という言葉をあえて書いたのですが、これは、地域の経済成長値を足し合わせたものが、すなわち日本全体の経済成長値になるというあたりまえのことを示していると同時に、地方大学が地域の経済成長に与える役割の重要性を示すために書いたものです。

上の図は、研究開発投資額の大きな企業ほど、イノベーションの実現率が高いことを示しています。前のブログで「論文数の多さも金次第」というようなことを書きましたが、「イノベーションの実現も金次第」というようなことも言えるかもしれません。

ただし、ベンチャー企業や中小企業などの資金に恵まれない企業のイノベーションを育てることの重要性も強調されています。

また、日本の大企業の中には、すでにグローバル化して、社長も大株主も外国人で、果たして日本の企業なのか、外国の企業なのかわからない企業もありますね。

やはり、地方にある大学の重要な役割は、研究開発投資額を増やそうとしても増やせない地域のベンチャーや中小企業の研究開発をお手伝いして、地域におけるイノベーションを起こして、地域経済を活性化することではないでしょうか?そのために必要な大学の研究費を削ることは、地域経済の活性化に大きなマイナスになるのではないかと考えます。

以上で

科学技術研究開発予算増(民間+政府)研究成果増(論文数増、特許件数増、新製品開発件数増)イノベーション創出増地域の経済成長(GDP増)

の図式の大まかな考え方を、とりあえず説明しましたが、さらに定量的な根拠や効率性を示すことが求められるかもしれませんね。

また、今回ご意見をいただいた読者の方がおっしゃっておられたように、論文がイノベーションに結びついた成功事例をそのつど根気よく国民に示すことも重要ですね。これにはマスコミのさらなるご協力も必要ですし、SNSを最大限活用するということも必要でしょう。

もし、iPS細胞の研究が、実際に難病の克服に応用され、あるいは経済効果に結びつき、しかもノーベル賞の受賞に至れば、これは、国民に科学技術研究開発予算確保の重要性をご理解いただく上で、大きな追い風になると思います。

ただし、たとえ、上のようなことがうまく説明できたとしても、イノベーションと直接結びつかない基礎研究について、どのように国民に説明してご理解を得られるのか、まだ、よくわからない面があります。どなたか、いいアイデアがあればお教えいただけるとありがたいのですが、少なくとも研究者自身が、”夢”でも”幸福”でもいいので、自分の研究が成就した暁には、どのような将来像が描けるのか、国民に訴える努力がこれまで以上に必要だと思います。


 



 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

果たして日本は台湾に追いつくことができるか?(その2)

2012年01月26日 | 科学

 前回は、台湾の人口一人あたりの論文数(質の高い論文も、並みの論文も)が日本を追い越したこと、そして、一部の分野、たとえばコンピュータ・サイエンスでは、人口高々2300万人の台湾の方が、人口1億3千万人の日本よりも、絶対数で論文を多く産生していることをお話しました。最近、台湾企業製の質の高いパソコンが家電量販店の店頭に並んでいることも、うなずける結果ですね。

 もう一度、人口百万人あたりの台湾と日本の全分野論文数のグラフを下にお示ししておきます。

 1月6日のブログでは、いくつかの国際比較のデータから、大枠では政府が支出する研究費の多い少ないにより、論文数の多い少ないが決まることをお話しましたね。

 そして、

 「地獄の沙汰も金次第」ということわざがありますが、「論文の多さも金次第」

 なんてことを書きました。

 もちろんお金だけが論文数を左右する要因ではなく、優秀な研究者の選抜方法や人事・評価制度、研究体制等々、さまざまな因子が影響するわけですが、”大枠”ではお金で左右される、ということは間違いのないことだと思います。したがって、研究費を削減して、なおかつ注目度の高い論文数を増やせ、というのは、言うはやさしくして、ほとんど不可能であるというのが私の考えです。少なくとも、研究費総額は確保をしていただいて、その上で、さまざまな構造改革などを行って、多少なりとも質の高い論文数が増える、ということであろうと思います。

 では、今回お示しした台湾の論文数の増加は、果たしてお金で説明できるのでしょうか?

 まず、日本の政府が支出した科学研究費総額の推移を下の図に示します。

 日本の論文数は2000年頃から頭打ちで停滞していますが、政府の支出する科学技術予算額も、2000年ころから頭打ちですね。

 一方台湾の研究費はどうなっているでしょうか?台湾の政府がネット上で公表しているデータをもとにグラフを書いてみました。

 古いデータは分からなかったのですが、少なくともこの10年間、台湾政府は研究費の支出を増やし続けていることがわかります。これで、どうやら、台湾が日本を追い抜いた理由がわかりそうですね。研究費が停滞している国の論文数は停滞し、研究費が増加している国の論文数は増えている。やっぱり、お金!!

  台湾と日本の政府支出研究費の増減の傾向がわかりましたので、次に、額の多寡の比較を試みることにしました。

 国際間で研究費の多寡を比較することには、けっこう難しい面があることを1月10日のブログでもお話しましたね。特に日本の研究費については、大学への交付金のどれだけが研究費で、どれだけが教育費なのかがあいまいなので、両方を含めて研究費として計算されています。だから、日本の研究費は実際よりも多く計上されているんです。

 それで、最近ではOECDが、大学教員が研究に従事した時間の割合等からFTEを求め(フルタイム換算)、それをもとに推定した研究費で国際比較をしています。また、為替の変動があるので、購買力平価換算で比較していますね。

 まず、台湾はOECDに入っていないので、自分で台湾の政府支出研究費の購買力平価換算をしてみることにしました。総務省が公表している2005年の換算率を用いました。ただし、2005年の換算率を1999~2009年のデータに当てはめて計算した数字なので、誤差があります。そして、その金額を日本の人口あたりの数値に換算しました。つまり、5.4倍しました。

 また、1月10日のブログでもお示しした文科省の科学技術指標2011の39ページの表から、日本の政府支出研究費のFTE換算を試みました。

 この表によると日本の大学の研究費(07-09)は3.5兆円となっていますが、OECDのFTE換算した日本の大学の研究費(06-08)は2.2兆円となっており、実に1.3兆円もの開きがあるんです。大学の研究費のうち政府が支給している割合は約5割なので、仮にFTE換算が同じ割合で適用できると仮定すると、政府支出研究費から約6千500億円しゃっぴかなくてはなりません。これを、最近の10年間くらいのデータに、誤差を承知で適用してみました。

 すると、以下のようなグラフができあがりました。

 

 かなりの誤差を承知でこのグラフをみていただかなければなりませんが、それにしても、人口あたりの論文数の変化と実にぴったりと合うではありませんか。台湾は政府支出研究費を増やし続けており、それに応じて論文数も増加し、国民一人あたりの政府支出研究費(購買力平価換算)が日本を追い抜いたので、国民一人あたりの論文数も日本を追い抜いた。実に明快な結論ですね。

 なお、ある方から「一人あたりの論文数」だと、中国などの大国は不利になるので、果たして国際比較をする上で適切な指標なのかどうか、という質問をいただきました。もちろん、一つの指標では限界がありますね。複数の指標でもって総合的に評価をする必要があります。

 GDPの比較でも同じようなことが言えますね。国としてのGDPでは中国は日本を追い抜きましたが、一人あたりのGDPはまだ低いですね。論文数でもまったく同じで、国としての論文数は日本を追い抜きましたが、一人当たりの論文数はまだ低いレベルです。ただし、同じ中国でも、都市部だけをとって計算してみたら、かなり高いレベルになるかもしれませんね。

 両方の指標とも意味があると思いますし、どちらも完璧な指標ではありませんが、ただ、日本が数値目標(KPI)として掲げる場合、どちらがベターでしょうか?もし、日本人が国民一人ひとりの豊かさを求めるのであれば、やはり、一人あたりのGDP、そして一人あたりの論文数をKPIとして目標に掲げるのがベターなのではないでしょうか?

 ちなみに、台湾の一人あたりのGDP(購買力平価換算)は20位、日本は24位で、日本はすでに追い抜かれています。

(本ブログは豊田個人の私的な感想であり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

果たして日本は台湾に追いつくことができるか?

2012年01月23日 | 科学

 1月5日のわたしのブログで、人口百万人あたりの注目度の高い論文数(被引用数がTop10%の論文数)が、日本は21番目であり、先進20か国の平均の3分の1であることをお話しましたね。そして、日本は国としての数値目標を定めるべきであって、とりあえず、19位の台湾を目標にするのがよいのでは、と申し上げました。それでも、今の日本の注目度の高い論文を1.5倍に増やす必要があるんですけどね。

 そうしたら、あるブログの読者の方から次のようなご意見をいただきました。

 「国として明確な数字目標設定・・・・人口当たりの論文数を1.5倍にすること、つまり、世界19位の台湾に追いつくことを目指そう。事実ですが、何かもう少しかっこ良くなりませんか? 1.5倍は良いのですが、やはりせめて、難しくとも、10位以内とか・・企業の改善目標も色々ありますが不良率半減とか、結構元気がいいですよ。・・・」

 ほんとに、そのお気持ちは良く分かります。せめて、先進20か国の平均を目指すべきでしょうね。つまり、注目度の高い論文数を今の3倍にする。もし、国が数値目標を設定する場合は、ぜひ、そうするべきだと思います。高い目標を設定して、いっしょうけんめいやって、実際に達成できるのはせいぜいその半分くらいですからね。

 でも今回のブログでは、目標をどこに定めるかはさておき、たまたま私が目標の候補として挙げてみた台湾の学術論文数を、もう少し調べてみることにしました。

 1月5日のデータは、文部科学省科学技術政策研究所がトムソン・ロイター社の学術文献情報データベースで分析した結果を利用させていただきました。今回は、そのトムソン・ロイター社が最近発売した”InCites”という製品を使いました。これは、トムソン・ロイター社の学術文献情報データベースを、素人にも分析できるように、パッケージにしたものです。科学技術政策研究所のようなプロ的な分析はできませんが、かなりの程度の分析ができます。各大学や研究機関別、そして、国別の論文の数や注目度の比較がいろいろとできます。以前からあったUSIとかNSIというパッケージですと国を超えた大学や研究機関間の比較が困難だったのですが、InCitesですと、そのような分析も簡単に可能です。

 まず、台湾と日本の全分野の論文数を比較してみました。1月5日のデータは注目度がトップ10%という論文のデータでしたが、今回は、トムソン・ロイター社が収載している全論文についての分析です。ただし、トムソン・ロイター社により学術誌の選択がなされているので、ある程度以上の質的な評価がなされた論文ということになります。

 

 1年毎のデータですと、デコボコしていますので、5年移動平均値で示してあります。人口百万人あたりの論文数は、2000年以降に完全に追い抜かれていますね。日本が完全に頭打ちになり、やや低下傾向すら示していることからすると、この差はますます開く可能性があると思います。

 また、1月5日の注目度の高い論文数の場合と同じように、台湾と日本は1.5倍の開きがありますね。つまり、注目度(質)の高い論文数も、並みの論文数も、1.5倍置いていかれている。

 このことから、台湾は注目度の高い論文数を増やしましたが、注目度の高い論文を日本よりも効率よく産生したのではなく、日本と同程度の効率で論文全体の数を増やすことによって、注目度(質)の高い論文を増やしたということが言えると思います。

 日本では「選択と集中」によって注目度(質)の高い論文を増やすべきであるとよく言われるのですが、言うはやさしくして、現実にはなかなか難しいことかもしれませんね。やはり、サッカーのように裾野を広くすることが必要なのではないかと感じさせられますね。

 ちなみに、日本の人口は約1億2536万人、台湾は2306万人で、約5.4倍の開きがあります。

 私の専門の臨床医学について調べてみましたが、同じような感じでした。下の図のように最近の数年間で台湾に完全に追い抜かれています。

 最近の台湾のコンピュータ産業の躍進は目覚ましく、日本の家電量販店にも、台湾製の質的にも高いコンピュータが並んでいますね。そんなことで、engineeringについても調べてみました。

 

 この上の図のように、engineeringの分野では日本ははるか以前から台湾に追い抜かれていたことがわかりました。そして、日本と台湾の人口比が5.4倍ですから、もう少しで絶対数でも追い抜かれそうですね。

 実は、コンピュータ関係の論文では、すでに絶対数で追い抜かれているのです!!

 下の図は、computer scienceの論文数を調べたものですが、人口あたりではなく、絶対数で示してあります。また、5年移動平均ではなく、毎年の論文数をそのまま示しているので、デコボコしています。ただし、2003年~2006年にかけては、”外れ値”と思われるような高値を示しています。これは、おそらく、トムソン・ロイター社で収載する学術誌の取捨選択や分類に大きな変更があったものと考えられ、日本だけがこのような大きな変動を示しているのではなく、世界中で同じような変動がみられます。いずれにせよ、このような変動があったとしても、相対的な比較をすることは可能と考えられます。

 このグラフで分かるように2009年と20010年の論文の絶対数で日本は台湾に追い抜かれていますね。人口が5.4倍も多い日本が台湾に追い抜かれているなんて・・・。皆さんこれをどう思いますか?

 日本は諦めるんですか?追いつこうとするんですか?そして、大学や科学技術の予算を増やさずに、構造改革だけで追いつくことが可能と思うんですか?(構造改革はもちろん必要ですが・・・)

 私は近々台湾の大学を訪問して、台湾がどういう努力をしたのか、直接伺ってこようと思っています。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の高等教育財政・財務研究会にて

2012年01月21日 | 高等教育

 きょう1月21日(土)の午後、国立大学財務・経営センターの主催で「第59回高等教育財政・財務研究会」が開かれました。テーマは「国立大学法人の財務経営-現状と課題」です。

 実は事業仕分けの結果、この3月で国立大学財務・経営センターの研究部が廃止になるので、この研究会が最後の研究会ということになります。年5回程度開催されてきましたから、ずいぶんと長く続けられてきた研究会ですね。   

 講師は、財務・経営センター研究部の先生方で、丸山文裕先生、水田健輔先生、金子元久先生、そして澤田佳成先生です。水田先生は、すでに他の大学に移籍されています。(下の写真は左から丸山先生、水田先生、金子先生、澤田先生)


 この研究会では国立大学の理事や事務職の幹部に対して財務・経営センターが最近実施したアンケート結果も報告され、たいへん興味深いものでした。その内容は、後日順次報告させていただこうと思いますが、今日はまず私のはじめとおわりの挨拶の主旨の報告です。

<はじめの挨拶>

 みなさん、こんにちは。天候がすぐれない中、こんなにたくさんの皆さんにお越しいただき、ありがとうございます。

 まず、たいへん残念ですが、財務・経営センターがこの研究会を主催するのはこれで最後です。しかし、国立大学を取り巻く財務環境は、今年度あるいは来年度予算については、なんとか確保していただいたものの、今後さらに厳しくなると考えられます。したがって、このような研究会の重要性は、これからますます高まることになります。

 財務・経営センターがやってきた事業の一つである国立大学職員の勉強会は、国立大学協会や国立大学付属病院長会議のご尽力で引き続き承継されています。昨日もその若手職員勉強会が開かれたのですが、その熱気はすばらしいものでした。

 この高等教育財政・財務研究会についても、たとえ、財務・経営センターが主催できなくても、何らかの別の機関や組織によって継続していただけることを強く願っています。

 今日は、財務・経営センターの教授陣総出の、高等教育財政・財務研究会の総まとめです。最後まで、熱心なディスカッションをよろしくお願いいたします。

<おわりの挨拶>

 皆さん、最後まで熱心にお聞きいただき、ありがとうございました。

 金子元久さんは、国民や政治家の国立大学に対する目が非常に厳しくなっており、形を変えることが求められているが、ただし形をかえることで、大学がますます機能低下を来すことを懸念しているとおっしゃいました。私も全く同じことを心配しています。

 平成24年度の大学関係の予算案の「国立大学改革強化推進事業」では、各大学がさまざまな構造改革や事務統合案を提案することになると思いますが、構造改革やファイナンスの意味は、あくまでも、大学の公的使命、つまり教育や研究のパフォーマンスをあげて、国際競争力を向上させることが目的であり、それを伴わない構造改革やファイナンスは意味がありません。

 国立大学の法人化という構造改革も(その副次的な影響もふくめて)、結局は、研究機能の低下を招きました。その主要な原因は、地方国立大学、特に旧帝大に続く2番手、3番手のグループの大学の疲弊であり、研究者数×研究時間(FTE教員数)の減少という人的インフラの損傷です。構造改革はそのようなことを改善するようなものでないといけないと考えます。

 高等教育財政・財務研究会はこれで最後ですが、財務・経営センター研究部のイベントとしては、3月23日にシンポジウムが予定されており、その時には私も講師としてお話をいたします。一人でも多くの皆さんにご参加いただきたく思います。

 本日はほんとうにありがとうございました。

 

 

 

















 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地方国立大学の構造改革に大きな期待

2012年01月15日 | 高等教育

 さて、地方国立大学の疲弊シリーズ5回、イノベーションシリーズ5回が終わって、今回からは、今までのお話と関連するのですが、ブログごとにタイトルを変えていくことにしましょう。

 例によって、ブログの内容はあくまで豊田の個人的な感想であり、所属する機関の見解ではありません。 

 前回までに、最近のわが国の注目度(質)の高い論文数の減少は、主として、研究効率がある意味では高い地方国立大学における人的インフラ(研究者数×研究時間)のダメージによると考えられることをお話しました。その対策としては、わが国としての数値目標の明確化、研究費総額の確保、そして、地方国立大学の潜在力の掘り起しが効率的な政策ではないかという考えをお話しました。

 せっかく今まで長い間かけて築いてきた地方国立大学システムを疲弊させるのではなく、その潜在力を有効に生かさない手はないと思います。それが最も効率的な方法であると感じます。

 でも、どのようにして地方国立大学の潜在力を掘り起こすのか?これには、ざまざまなアイデアがあると思いますが、以下に、若干のブレーンストーミングをしてみますね。

 私は小手先の改善だけでは不十分で、けっこうな構造改革が必要なのではないか、という気がします。ただ、この財源が厳しい状況では、構造改革の過程で現場に大きな痛みをともなうことがあるかもしれませんね。

 構造改革に関連して思い浮かぶのは、平成24年度の大学関係の予算案で、「国立大学改革強化推進事業(13,833百万円)」が新規に提案されたことです。この主旨は「国立大学の改革強化を推進するため、大学の枠を超えた連携の推進、教育研究組織の大規模な再編成、個性・特色の明確化などの取組を行う国立大学法人に対し重点的支援を実施」とされています。

 つまり、国は思い切った構造改革を現場に求めているんですね。私は、地方国立大学がこれを一つのチャンスと捉えて、思い切った構造改革案を提案することを、大いに期待しています。

 でも、構造改革というのは、やれば必ず良くなるという代物ではなく、両刃の剣ですね。うまくやれば大きな効果がでるかもしれませんが、下手にやると逆効果になるかもしれません。構造改革のための構造改革ではなく、ちゃんと、明確な目的・目標を持った改革案を提案して欲しいものです。

 研究面では、ぜひとも地方国立大学の潜在力が掘り起こせるような構造改革案を提案して欲しいですね。複数の国立大学が連携して、事務部門の統合をするような案も考えられているかもしれませんが、事務作業の効率化だけの目的では、もう一つですね。教育や研究という大学の使命についての国際競争力を高めなければ意味がありません。

 地方国立大学にも、数は少ないかもしれませんが、世界的に戦える優秀な研究者がけっこうおられると思います。そのような優秀な研究者の能力を最大限生かせるような、本当の意味で世界と戦える研究拠点を各地方大学に最低1個形成することはできないでしょうかね?

 アメリカのいくつかの大学にはハワードヒューズ研究所というのがありますね。私の留学していたバンダービルト大学にもありました。研究拠点を全国組織にして、ある意味では大学の教授会とは独立して、優秀な研究者を世界中から集めてくる。各大学の研究拠点の研究テーマができるだけ重複しないようにするためにも、全国的な組織で戦略的に運営をしてはどうですかね。

 そして、この地方大学に置く全国組織の研究拠点に、東大や京大に勝るとも劣らないいブランド力を与えることはできないだろうか、なんて空想をしています。地方大学でせっかく優秀な研究者が育っても、上位大学に取られてしまうという悲哀を、私は何度も味わいましたからね。

 これを実行するためには、国からの支援も不可欠ですが、研究拠点が純増で措置されるということはありえず、各地方国立大学は、かなり身を削らなければならないでしょうね。

 この世界研究拠点の教員たちのエフォート管理は、ほとんど研究に専念していただくことになりますから、これだけでも、他の先生方からは不公平だと文句がでそうですね。

 一方では、教育の質保証ということもさかんに言われており、教育改革が求められていますので、大学の教育負担はこれからも増えるでしょう。こんな状況の中で研究拠点を造ろうとして研究に専念する教員を増やせば、必然的に教育に専念する教員の必要性が出てくると思います。そのような教育専念教員についても、きちんと評価をして、研究者と同等の評価をする仕組みが必要でしょうね。

 それから、地方国立大学には世界的な研究拠点とともに、地域と密着した産官学金連携を強力に推し進める仕組みが必要です。例えば三重大学では、私が学長の時に「地域イノベーション学研究科」という独立大学院を造りました。やる気のある地域企業の社長さんたちが入学してきており、大学を場とした新たな地域のコミュニティーができつつあるような気がしています。

 そして、おそらく地域が必要としている産学官連携のシーズは一地方大学では少なすぎるので、複数大学の連携や全国的なネットワークを造る必要があるでしょうね。

 教育についても、国立大学はイノベーターの育成に特化してはどうでしょうか?もちろんこの際のイノベータ―は理系だけではなく文系も含みますし、基礎研究者も含みます。

  イノベーターを育成するとともにイノベーションを推進する。教育と研究と地域社会貢献の3つを一気通貫でできることになりますね。

 そして、今回のわが国の研究機能の国際競争力の低下が、特に地方国立大学の人的インフラの損傷によると考えられることから、経費を節減したり、外部資金を獲得するなどして、お金が少しでもあれば、あの手この手で優秀な研究者や教育者の数を一人でも増やすこと。5%の人件費削減でいいところを10%も削っていては、機能の維持は不可能です。

 イノベーションは”人”によって生み出されるのですからね。

 ただし、先の政策仕分けで、大学には教育も研究もしていない教員がおり、その人たちに税金で給与が支払われているとのご批判もあったようなので、教員の評価や人事制度改革はしっかりと行う必要がありますね。

 以上は私の勝手なブレーンストーミングで、正しいとも限らないし、実現性にも問題を残しているでしょう。皆さんからももっと素晴らしいアイデアをどんどんとお寄せください。

 「国立大学改革強化推進事業」が国会で承認された暁には、各大学からどんな構造改革案がでくるか楽しみです。特に地方国立大学においては、今回が再生のためのラストチャンスかも知れませんからね。

 





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが国のイノベーション力を強化するためには?(その5)

2012年01月10日 | 科学

 いよいよ、新年のわが国のイノベーションシリーズも5回目になってしまいました。年末の地方国立大学の疲弊シリーズ5回を合わせると、12月15日の日本分子生物学会での発表にもとづいたブログは10回にもなります。1シリーズの講義をやっている感じもしますね。

 さて、例によって本ブログの内容は豊田の私的な感想であり、所属する機関の見解ではありません。

 前回のブログでは、イノベーション力の一つの指標である「注目度(質)の高い論文数」については、わが国は、人口一人当たり、あるいはGDPあたりで計算すると、先進国中最低で、先進20か国の平均の約1/3であることをお話しました。

 そして、まず、わが国としての数値目標を設定することが大切であり、人口あたりの論文数を1.5倍にすること、つまり、世界19位の台湾に追いつくことを目指してはどうか、と申し上げました。

 また、一人当たりGDPと一人当たりの注目度(質)の高い論文数は概ね正の相関をすることをお示ししましたね。そして、わが国の高等教育機関への公財政支出はGDPあたりで計算すると、OECD諸国の中で最低の部類で、平均の半額程度であることをお話しました。

 このようなデータから、論文数を増やすためには、大枠としては研究費総額を増やすこと(最低限現状を維持すること)が不可欠であることをお話しましたね。そして、その事実を国民や為政者にご理解いただくこと。

 ただし、高等教育機関への公財政支出を国際比較する場合、なかなか難しい面をもっているんです。いくつかの理由がありますが、その一つとして教育費と研究費がごっちゃになっていることがあります。

 特に、日本の大学の場合は、研究費だけを教育費から分けて計算することが難しいのです。

 そんなことで大学の”研究費”の国際比較は、けっこう難しいのですが、文科省の科学技術政策研究所が出している「科学技術指標2011」の中から、政府が大学へ出している研究費の国際比較ができそうなデータを探してみました。

 

 この表に、わずかの国についてですが、大学の総研究開発費が購買力平価換算の兆円単位で書いてあり、そして、研究費総額のうち政府から受け入れた%が載っているので、それを掛け合わせたら、政府から大学へ支給された研究費がわかりますね。

 日本の欄には二つの値が書いてありますね。一つがOECDで使われている値で、フルタイム換算(FTE)がしてあります。

 研究費は研究者の人件費と物件費等に分かれますが、日本では、物件費は”科学研究費補助金”等でカバーされ、研究者の人件費は、国立大学の場合は主として”運営費交付金”でカバーされています。そして、この運営費交付金のうち、どれだけが研究のための人件費であり、どれだけが教育のための人件費かが、あいまいなのです。

 それを研究時間を考慮して研究のための人件費を計算したのがFTE換算データです。FTE換算をしたデータの方が、より正確な研究費と考えられますので、OECDの方の数値を使いました。

 こうやって、人口あたりの、政府から大学へ支出されている研究費の主要国間比較をしたのが、次のグラフです。

 日本は欧米の主要国に比較してかなり低い値を示していますね。日本の政府は大学に対して先進国ほどの研究費を出していない。そして、前のブログでお示ししたように、日本はそれに応じた論文しか産生していませんね。

 わが国の政府は、財政難から、さらに研究費(運営費交付金を含む)を削ろうとしていますが、上のようなデータから、それで海外との競争力を高めることは、不可能だと思います。やはり、国際競争力を維持しようと思えば、研究費の総額確保はどうしても必要であり、そのことを国民や為政者に、根気よく訴えつづける必要があると思います。 

 では、仮に研究費の総額が確保されたとして、次にはいったいどうすればいいのでしょうか?


 先にもお話しましたが、為政者の多くは、「選択と集中」や「傾斜配分」をすれば競争力が高まると考えており、たとえば、国立大学の運営費交付金のうち、基盤的な運営費交付金をさらに競争的資金に変えて、大学間の傾斜配分を強めるべきであるという政策が選択される可能性があります。これは、自民党政権時代の経済財政諮問会議の考え方でもありましたね。

 でも、今までの私のブログでお話しましたように、わが国の注目度(質)の高い論文数の減少は、”ある面”では効率の良い地方国立大学の人的インフラの損傷による研究機能の弱体化が主因と考えられるので、基盤的な運営費交付金を減らして、競争的資金を増やし、その傾斜配分を実行した場合は、いっそう地方国立大学のダメージが大きくなり、日本全体の競争力の低下を招く危険性が高いと考えられます。

 むしろ、最近のわが国の論文数減少の主因が地方国立大学における人的インフラの損傷であるならば、それを、回復させるような政策が理にかなっているのではないでしょうか?

 そんなことで、数値目標の設定、研究費総額の確保の次に、日本分子生物学会の発表では

 「優秀な研究者(補助者)の数の確保と研究時間の確保のための大学自らのマネジメント改革と構造改革、および政策的支援」

「地方大学の研究(イノベーション)潜在力の掘り起し(やり方によっては上位大学への選択と集中よりも効率的である可能性)」

という対策をスライドに挙げさせていただきました。

 具体的な対策についてはいろいろなアイデアがあると思いますので、皆さんからのご意見をいただきたいところですが、次回以降のブログに回したいと思います。でも、5回+5回で、合計10回ということで区切りがよいので、次回からも続きの話になりますが、タイトルは少し変えることにしますね。

 次回につづく。

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが国のイノベーション力を強化するためには?(その4)

2012年01月06日 | 科学

 ブログの連日の更新です。

 昨日のブログでは、非常に悲観的な見通しの中で、「わが国のイノベーション力を強化するためには、いったいどうしたらいいのか?」という問いかけに対して、まず、国としての数値目標の設定が必要であることをお話しました。

 今日は、下に昨日と同じスライドを出しますが、数値目標設定の次の「研究費総額確保へ国民と為政者への働きかけ」という項目です。

 しつこいようですが、ブログの内容はあくまで豊田個人の私的な感想であり、所属する機関の見解ではないことを、例によってお断りしておきます。

 前回のブログでは、イノベーション力強化に関する数値目標を、注目度(質)の高い論文数という指標について、先進20カ国の平均よりもかなり低いですが、19位の台湾レベル(つまり、今のわが国の注目度(質)の高い論文数の1.5 倍)を目指すということにしてはいかかですか、というお話をしましたね。そして、これを達成するためには、研究費の総額を減らしていてはとても不可能であり、少なくとも現状維持をしていただいて、それに加えて思い切った大学の構造改革をしないとダメだろう、という感想を述べました。

 ただし、現下の財政難の状況では、研究費総額を確保することには、たいへん厳しいものがありますね。増大し続ける社会保障費と、科学技術研究やイノベーションとが同等の価値があることをご理解いただかなければなりませんからね。果たしてそんなことが可能なのかどうか?

 でも、それを国民や為政者にご理解いただかないかぎり、どんどんと科学研究費や大学の予算は削減され続け、わが国のイノベーション力は低下し続けることになります。

 大学が苦しい、苦しいと訴えても、説得力はありませんね。国民全体が苦しいのだから、大学も我慢しろ、と言われるだけだと思います。

 それに研究開発やイノベーションへの投資は、すぐには利益があがりませんし、必ずしも国民の生活に直結しているわけではありませんし、また、成功するのは一部ですからね。1の成功を得るためには9の失敗(つまり”無駄”)が必要であるということを、国民や為政者にご理解いただかないといけない。

  最近、多くの大学関係者の間に、あきらめの閉塞感がただよっているようにも感じています。

 それでもなお、私は、国民や為政者が、科学技術研究やイノベーションの価値を判断できる材料を、可能な限り具体的なデータで根気よく提供し、訴え続けることが極めて大切だと思っています。

  iPS細胞の山中伸弥教授も、実にいろいろな場で講演をされていますね。私も数回そのご講演を聞いたのですが、まったくの素人にも実によくわかるように、その研究が重要であることを、見事にお話になりますね。そして、必ず、聴衆の皆さんに支援をお願いされています。

 さて、昨日の国民一人あたりの注目度(質)の高い論文数のデータと関連して、ためしに、国民一人あたりのGDP(購買力平価換算、PPP)との相関をとってみました。

 すると、有意の正の相関が得られ、大枠としては国民一人あたりのGDPが高い国ほど、国民一人あたりの論文数も多い傾向がみられました。

 豊かな国であるほど、研究開発やイノベーションも活発であるということだと思いますが、どちらが原因か結果かということまでは、この分析ではわかりません。

 つまり、研究開発やイノベーション活動が活発であるが故に、国が豊かになっているのか、国が豊かであるが故に、研究開発やイノベーション活動を行う余裕があるのか?

 おそらくは、両者は互いに影響しあっているのであろうと想像されます。つまり、研究開発やイノベーション活動が活発であるが故に国が豊かになり、国が豊かになれば、さらに研究開発やイノベーション活動に投資ができるので、国が豊かになって良循環になる。

 日本の現状はおそらく、国がまずしくなり、研究開発やイノベーションへの投資が少なくなると、さらに国がまずしくなり、さらに研究開発やイノベーションへの投資が削減される、という悪循環に陥っているのではないかと感じます。

 ちなみに、下の図で日本のプロットは論文数が一番少ない左端の点になります。

 

 

 もう一つついでに、GDP(PPP)あたりの注目度(質)の高い論文数を調べてみました。

 ここに挙げた先進国の中では日本は最下位ですね。実に情けないグラフです。

 このグラフを見ていてふと思い出したのは、文科省がしばしば引用するOECDのEducation at a glanceの中の、GDPあたりの高等教育への公財政支出のグラフですね。これはOECD加盟国のデータなので、上のグラフの国と少し違う国になっていますが、概ね良く似た傾向のグラフになっています。

 文科省の科学技術政策研究所のデータでも、大枠では、各国の論文数と研究費投資額とは、概ね相関していることが示されています。

 上のグラフはあくまで高等教育機関への投資額であり、どれだけが教育費で、どれだけが研究費かよくわからない面もあるのですが、いずれにせよ、大学への投資額が多い国では、注目度(質)の高い論文数も多く産生されていることが伺えます。

 「地獄の沙汰も金次第」ということわざがありますが、「論文の多さも金次第」であることを示唆するデータであると思います。

 私が、注目度(質)の高い論文数を増やすためには、研究費総額の維持が不可欠であると主張しているのも、このような理由によります。

 なお、GDPあたりのデータを示して国民や為政者に予算の少なさを訴える場合には、実は、少ないのは高等教育費だけではなく、防衛費など、他の予算についても、また税収全体についても、先進国の中で最低の部類であることに留意しなければなりません。実は国家公務員の人件費も先進国で最低の部類です。公共投資は過去は突出して多かったのですが、最近では他国レベルに下がりつつあります。

 「日本は小さな政府であり、その結果他国に比較して科学技術や大学への予算が少ないのは、当然であり、その結果、(公的な)研究開発やイノベーション活動が低調でもしかたがない。」このような意見を言われた場合に、他の予算を削ってまで、研究開発やイノベーションへの投資を確保する必要があることを、果たしてどこまでご理解いただけるのか?

 そうは言っても、私どもは、データを示して根気よく国民や為政者に訴え続けるしかないのですが、もう一つ、大学自らが、国としてのイノベーションの数値目標(例えば注目度の高い論文数を1.5倍にする等)を達成するための、思い切った構造改革案を提案して、国民の目に見える形で実行することが必要なのではないかと感じています。

 次のブログにつづく

 

 

 

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが国のイノベーション力を強化するためには?(その3)

2012年01月05日 | 科学

 

 新年になってから「イノベーション力強化」シリーズの3回目のブログ更新です。昨年12月15日の分子生物学会での発表を元にした「地方国立大学の疲弊」シリーズ5回の続きなので、両方合わせると、シリーズ8回目の更新ですね。それぞれ量の多いブログになってしまいましたが、学会では、これからお話することも含めてだいたい40分くらいでしゃべりました。かなり、はしょりましたけどね。

 さて、そろそろ最終章に近づかないといけないのですが、政策にも関係する感想が多くなってきますので、私が所属する機関の見解ではないことを、再度、強調しておきますね。あくまで豊田個人の勝手な感想です。

 前回のブログでは、このままでは、科学技術研究費や高等教育予算が削減され続け、大学間格差がさらに拡大し、地方国立大学の研究機能がさらに低下して、わが国全体のイノベーションの国際競争力がいっそう低下するという悲観的な見通しをお話ししましたね。

 いったいどうすればいいのか!!

 いろんな考えや可能性があると思いますが、私の頭に思い浮かんだことを、これからお話しようと思います。もちろん、これが正解ではなく、間違っている可能性もありますし、他にもっと良いアイデアがあることと思っています。皆さんからもぜひとも良いアイデアをお寄せいただきたいと思います。


 私が思うことは、まず、イノベーション力強化について、「国としての明確な数値目標設定」が必要ということです。何かをしようとする場合には、民間企業を含めて、どのような組織においても目標を設定することは当たり前のことですね。でも、国となると、なぜかなかなか難しいことかもしれません。

 イノベーション力の指標としては、昨年末の「地方大学の疲弊」シリーズの最初の方のブログでもお話しましたが「注目度(質)の高い論文数」が一つの指標になると考えます。もちろんこの他に特許や新製品の開発等の指標もありますけどね。

 そして、国際競争力となると、絶対量も大切ですが、他国との相対的な量が重要になります。たとえば、海外からものを買ったり、海外で販売のシェアを拡大するためには、イノベーション力が相対的に海外よりも凌駕していないことには困難です。その意味で「注目度(質)の高い論文数」だけではなく、その国際シェアが重要な指標になると考えます。

 今までのブログで、わが国の注目度(質)の高い論文数の国際シェアが最近急激に低下し、惨憺たる状況にあることは、何度もお示ししましたね。そして、シェアどころか、絶対的な論文数が減っているようでは、まったくお話になりませんね。たとえ論文数を多少増やしても、新興国がどんどんとシェアを拡大しているので、シェアを維持するのは非常に困難なことですからね。

 では、わが国の国際シェアはいったい何パーセントを目指せば良いのでしょうか?

 それに答えを出すには、日本人1億2千万人が将来の生活レベルや社会保障等を維持するために、どのくらい海外から資源を得ることが必要で、そのために必要なイノベーションの国際シェアはどのくらいか、ということを計算しないと決められないのかも知れません。もっとも、自給自足経済であれば、海外から資源を買う必要な無くなりますが、生活レベルを下げずに自給自足経済を成り立たせるためには、今後、かなりのイノベーション力が必要であると思われます。

 そう考えると、なかなか数値目標の具体的な計算が難しいことになりますが、とりあえず、先進国と同程度のレベルを目指すということで、数値目標の設定を試みましょう。

 先進国と同程度のレベルを計算する場合、人口が多い大国の国際シェアが高いのはあたりまえなので、比較するために人口あたりで計算することにします。

 まず、文科省科学技術研究所(NISTEP)の阪彩香さんの「科学研究のベンチマーキング2011」の中のデータから、人口百万人あたりのTop10%論文数(分数カウント法)、つまり人口あたりの注目度(質)の高い論文数を計算してみました。


 日本はここであげた先進国の中で最低の37という値で、上位20位にも入っていませんね。韓国や台湾よりも低いです。いったい、日本はこれでよくも科学技術創造立国などと言ってきたものですね。

 ちなみに上位20カ国の平均値は、112です。シンガポールの138には及びませんが、まずは先進国平均の112を目指すことはどうでしょうか?

 そうすると、日本は、注目度(質)の高い論文数を今よりも3倍増やさなくてはなりません。現在の日本の注目度(質)の高い論文数の国際シェアは4.4%ですから、それを約13%に高める必要があるということですね。それで、先進20カ国の平均レベルにやっと追いつくことになります。

 でも、今の日本の注目度(質)の高い論文数を一挙に3倍に増やすというのは夢のまた夢のように感じますね。今でさえ、日本の注目度(質)の高い論文数が減少して、世界ランキングを下げており、なおかつ科学研究費や大学予算が削減されつつある状況では・・・。

 そうは言っても、やはり、日本の国全体としての数値目標を明確に設定して、その目標を達成するための戦略立案、構造改革、そしてそのための予算の確保などを実行していかない限り、先進国並みに注目度(質)の高い論文数を増やすこと、すなわちイノベーション力を高めることは不可能であると思います。

 場合によっては、企業がやっているように、日本国全体の数値目標を参考にして、各国立大学が自らの数値目標を掲げて(いわゆる目標展開のようなもの)、それを達成するための改善方針や構造改革案を自ら策定し、それが有望なプランであれば、この財政が苦しい時であっても予算を措置する、ということをしないと、達成は難しいのではないかという気がします。

 ただし、国立大学の中期目標・計画は、現場の大学の自主的な意思をを尊重することになっていますので、国が全体の数値目標を作ったからといって、それを強制的に押しつけることはできず、あくまで、各大学の自主的な判断を尊重する必要があります。

 それにしても、同じアジアの国であるシンガポールは、はるかかなたを走っていますね。日本は先進20カ国の平均にも遠く及びませんが、まずは、台湾レベルを目指しますかね。つまり、今の日本の注目度(質)の高い論文数を1.5倍に増やすことをとりあえずの数値目標にする。ランキングでは21位から19位に上げることを目標にする。その達成は、少なくとも研究費総額を減らしては絶対に不可能です。そして、研究費総額を減らさないという前提に加えて、さらに思い切った大学の構造改革をしないことには、とてもダメでしょうね。

 その構造改革にしても、例えば「日本の国立大学は多すぎるので選択と集中をして10にする」というような構造改革では逆効果になることは明白ですね。あくまで数値目標の達成が可能となる構造改革をするべきです。間違った構造改革をしないためにも、日本国としての数値目標の明確化が、どうしても必要です。

 次回につづく

 

 

 







 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが国のイノベーション力を強化するためには?(その2)

2012年01月04日 | 科学

 皆さん、たいへん申し訳ありません。昨日1月4日に投稿したブログを、誤って消してしまいました。バックアップしていなかったので、原文通り復元はできませんが、同趣旨の内容を書き直しましたのでご了承ください。

 なお、本ブログの内容はあくまで豊田個人の私的な意見であり、豊田が所属する機関の見解ではないことをお断りしておきます。

 前回のブログでは、交付金削減、総人件費改革、法人化による大学運営の負荷、教育改革、大学病院収益増圧力、臨床研修制度などの様々な負荷により、地方国立大学のような余力の小さな大学の人的インフラ(研究者・補助者数×研究時間)が損傷したことによって、学術論文数、つまりイノベーション力が低下したのではないかという仮説をお話しましたね。

 そして、科学技術政策研究所の神田由美子さんのデータでは、研究者数に研究時間の割合を掛け合わせて計算したFTE教員数が減っているが、旧帝大ではそれほどは減っていないが、他の大学では大きく減っており、それが、論文数とも概ね相関するということでしたね。そんなことで、私の仮説は、かなり裏付けられたのではないかと思っています。

 では、今後、日本の研究機能やイノベーション力はいったいどうなるのでしょうか?

 私はとっても悲観的な見方をしています。

 まず、国の財政が厳しいことは皆さん百もご承知ですね。国の借金が世界一となっている上に、高齢化が進んで社会保障費が毎年約1兆円増え続けており、多少消費税を上げたところで、とても持続可能な財政になるとは思えません。したがって、社会保障費以外の政策的経費には削減圧力が引き続き強く続くと思われます。

 科学研究費や高等教育費についても、2011年度予算から10%のマイナスシーリングがかけられ、特別枠(要望枠)で復活するということになっています。2010年には要望枠をめぐってパブコメが募集され、科学研究や大学の予算には、非常に多数のパブコメが集まったことは皆さんもご記憶のことでしょう。この時は幸い、政治判断で科学研究費や大学予算はかなり復活しましたね。でも科学研究費と大学予算の削減圧力はこれからも長く続くと考えられます。

 研究力やイノベーション力、つまり注目度(質)の高い論文数については、大枠としては研究開発投資額と相関すると考えられています。海外の質の高い論文を多く産生している国では、どこの国もそれなりに研究開発費を増やしているのです。私は、研究費の総額を減らしつつ、しかも、注目度(質)の高い論文数を増やすことは、言うは易しくして、実際にはきわめて困難と考えています。少なくとも現状維持をしない限り、不可能であると思います。

 次には、為政者の多くが「選択と集中」や「傾斜配分」をすれば競争力が向上すると考えていることです。

 研究の場合、まず、広く研究の種を蒔いて、有望と思われる芽がでてきたら、集中的に投資をして、世界的な競争に勝とうとすることは一つの戦略です。iPS細胞の研究への「選択と集中」は、まさにこれを地で行くもので、研究の国際競争の戦略として成立するものだと思います。

 しかし、「選択と集中」や「傾斜配分」は両刃の剣であり、大学間格差を単純に拡大させるだけの「選択と集中」では、むしろ、逆効果になることは、私の今までのブログを読んでいただければ、ご理解していただけると思います。今起こっている、わが国の注目度(質)の高い論文数の減少は、主として地方大学の疲弊によるものですからね。

 また、基盤的な大学予算は現在削減され続けていますが、それがたとえ同じ削減率であっても、余力のある大学と余力のない大学とでは、ダメージの程度が違います。たとえば外部資金の余力のある大学では、特任教員を多数増やして、研究力の低下を補うことができますが、余力のない大学ではそれができません。その結果大学間格差が拡大します。これは、無意識に大学間格差拡大を生じさせる政策ですね。

 競争的資金も削減されつつありますが、予算削減下では、限られた競争的資金をどうしても実績のある上位の大学に措置してしまいがちになります。これは、半意識的に大学間格差を生じさせる政策になりますかね。

 このようにして、今後も大学間格差がさらに拡大し、地方国立大学がさらに疲弊をして、ますます日本全体の競争力が低下すると思われます。

 英米の大学間格差は富士山のようななだらかな傾斜ですが、日本の大学間格差は東京タワーのような急峻な傾斜であることを、先のブログでお話しましたね。それが、今後は、さらに進んで、スカイツリーのような極端に急峻な傾斜になり、(実際のスカイツリーのように高さが東京タワーよりも高ければまだしも、あまり高さが変わらないスカイツリーになると思われる)、その結果、日本の研究力やイノベーション力が低下すると思われます。

 さらに、国立大学法人の会計制度にもとづく懸念材料を下に説明します。


 国立大学法人は、苦しい苦しいといいつつも、毎年黒字(剰余金)を計上しています。これは、もちろん各大学の経営努力や経費節減努力のたまものです。

 たとえば、国家公務員総人件費改革(非公務員の国立大学法人にも適用されている)では、5年間に5%の人件費削減が義務付けられましたが、実際には各大学は10%も削減しているのです。

 しかし、剰余金は、一般の人や財政当局からは”余っているお金”とみなされます。そうすると、国立大学への予算を削減してもやっていけるだろう、ということで次の年も予算が削減されます。

 大学の現場がどう対応するかというと、予算が削減されても、必ず黒字にします。しかも、法人化後の大学への予算が不安定であり、見通しが立て難いことや、私学のように経営危機になった時に取り崩せる留保金の積み立てが制度上難しいことから、余裕をもって黒字にします。

 どうやって黒字にするかというと、収益は限られていますので、物件費も削減しますが、余力の小さい大学では人件費を削減していくことになります。人件費はいったん増やすと減らすことが難しい(下方硬直性が強い)ので、余裕をもって減らします。つまり、5%減でいいものを10%も減らしてしまう。

 いずれにせよ、大学の機能を低下させて黒字にするわけです。この場合、まず研究機能から低下していきます。大学は教育ということで存在が認められている機関ですからね。

 そうすると、黒字になるので、また次の年も交付金が削減されます。このサイクルがどんどん続いて、気が付いた時は、大学の機能、特に研究機能が破たんすることになります。

 私はこれを勝手に「黒字ー縮小サイクル」と名付けました。

 このようなことを考えると、日本の将来が絶望的になりますね。

 果たして、このような状況をくい止めることのできる妙案はあるのでしょうか?読者の皆さんからのアイデアを期待します。

 次回につづく

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが国のイノベーション力を強化するためには?(その1)

2012年01月02日 | 科学

 今日は、2012年の1月3日。今年も、引く続き”つぼやき”ブログをよろしくお願いしますね。

 昨年は東日本大震災と原発事故が起こり、デフレと円高が続き、そして、わが国の財政は世界一の借金を抱えています。また、世界経済はヨーロッパのソブリン危機がいまだ収まらずに、世界同時不況の様相を呈し、まさに”大いなる不安定”の状況で、閉塞感に満ち満ちたお正月ですね。でも、今年は辰年なので、なんとか龍のように飛躍の年でありたいものです。

 今の状況に対して有効な経済政策が打てない中で、イノベーション力が大切であるとは、多くの経済学者が強調していることですね。逆に考えれば、ここで日本がイノベーション力を低下させてしまっては、他に救われる道がなくなるということでしょう。

 すでに、以前のブログでもお話ししたように、イノベーション力を測る指標はいくつかありますが、質(注目度)の高い学術論文の数(量)もその一つです。最近、わが国の質の高い論文数が減少しつつあり、国際シェアが低下し、イノベーションの国際競争力が低下しつつあることは再三お話しましたね。昨年の7月にも「イノベーション力強化急務」という論説を日経新聞に投稿した次第です。

 さて、昨年末の「地方国立大学の疲弊がわが国の競争力を低下される」と題したブログの続きをお話ししようと思うのですが、年も改まったので、ブログのタイトルを「わが国のイノベーション力を強化するためには?」と前向きのタイトルに変えました。

 まずは、前回までの論文数分析の復習です。

1)わが国の学術論文の量(数)および質(注目度)ともに2000年ころをピークにして停滞~減少し、国際シェアは急速に低下し、国際競争力は低下している。

2)その中でも医学分野(臨床医学および基礎的医学の両方を含む)の低下が著しい。

3)わが国の質の高い学術論文の主要な産生機関は国立大学であるが、その国立大学の論文数の停滞~減少が著しい。

4)論文数が減っても、質の高い論文の数が減らなければ、まだ救いがあるが、むしろ質の高い論文の方が大きく減っている。

5)国立大学の中でも、地方国立大学の論文数減少が著しい。

6)地方国立大学の中でも、上位大学に続く、中位の大学の論文数の減少が、大きく影響している。

7)地方大学の研究費あたりの論文数および被引用数は上位大学よりも高く、”ある面”では効率よく質の高い論文を産生してきた。この”ある面”では効率の良い地方国立大学の疲弊が、わが国全体の競争力低下に大きく影響したと考えられる。

8)私立大学では国立大学ほど影響を受けていないことから、国立大学特有の要因が考えられる。例えば、国立大学法人化、大学予算の削減、総人件費改革、など。

9)臨床医学論文数が減っている大学では、基礎的医学論文も減っている傾向があることから、両者に同時に影響を与える要因が考えられる。

 臨床医学については、国立大学病院に対する大幅な予算削減に伴う診療活動へのシフトや、法人化と同年に導入された新医師臨床研修制度による若手医師の流動化に伴う大学での若手研究者(研究補助者と大学院生を含む)の減少などの特殊な影響が考えられる。そして、臨床医学所属研究者による基礎的医学研究への貢献がなされてきたことから、基礎的医学論文数の減少が生じたことが考えられる。

 しかし、臨床医学論文が減っている大学では化学の論文数も減っていることから、医学分野の特殊な事情に加えて、国立大学法人化、大学予算の削減、総人件費改革などの、医学分野以外の他の分野にも影響する共通の要因が働いたことが考えられる。

 以上が前回までの論文数分析のまとめですが、臨床医学と化学の論文数の法人化前後の相関については、まだデータをお見せしていませんでしたね。

 下の図は国立大学法人化の前の1999~2003年と法人化後の2009年にかけて、臨床医学と化学の論文数の変化率の相関をみたものです。なお、臨床医学と化学の論文数が法人化前の平均で50以上産生している大学に限っています。このために、前のブログで見て頂いた臨床医学と基礎的医学論文数の変化率の相関を見たグラフよりも、分析の対象となった大学数がかなり減って35大学になっています。単科医科大学などは除かれてしまいます。

 臨床医学と化学の論文数の変化率についても、臨床医学と基礎的医学と同様に、統計学的に有意の相関を示しました。つまり、臨床医学の論文数が増えた(減った)大学は、化学の論文数も増える(減る)傾向にあるということです。やはり、両方とも減っていることを示すグラフの左下の象限には、地方国立大学が多く入っていますね。

 今まで、わが国の質の高い学術論文数の(地方国立大学を中心とした)減少、すなわちイノベーション力が低下していることをお話してきましたが、では、もう少し踏み込んでイノベーション力のどういう要素が低下したと考えられるのでしょうか?

 昨年の5回もののブログの2回目にも載せたスライドですが、もう一度下にお示しします。

 イノベーション力の要素を示したものですが、この中で、どの要素が最も大きくダメージを受けたと考えられるのでしょうか?私の昨年7月の日経新聞の論説では、各種の状況証拠から「人的インフラの損傷」という表現で、研究者(補助者を含む)の数や研究時間という、研究を進める上での基本的なインフラがダメージを受けたと考えられることを書きました。つまり、上のスライドでは、最下端に書いた二つの事項ですね。

 そして、分子生物学会の発表では下の仮説を説明させていただきました。つまり、交付金削減、総人件費改革、法人化による大学運営の負荷、教育改革、大学病院収益増圧力、臨床研修制度などの様々な負荷により、地方国立大学のような余力の小さな大学の人的インフラ(研究者・補助者数×研究時間)が損傷したことによって、学術論文数、つまりイノベーション力が低下したのではないか。


 実は、12月15日の分子生物学会のちょうど直前に、文科省の科学技術政策研究所の神田由美子さんの大学教員の研究時間に関するデータが公表されたので、発表直前1時間前にスライドを差し替えて学会でさっそく発表させていただいたんですよ。

 

 神田さんのデータによると、2002年と2008年とでは、研究時間が減り、教育や運営に関する時間の割合が増えています。法人化後、余力のある大学では特任教員などを増やして見かけ上教員数は増えているのですが、教員数に研究時間をかけて算出したFTE(full time equivalent)を計算してみると、減っていることがわかりました。上位大学ではFTEはそれほど減っておらず、それ以外の大学で大きく減っており、それと学術論文数が概ね相関するというものです。そして、臨床医学でのFTEの減りがもっとも大きかったということです。

 このデータは、私の仮説を裏付ける一つの大切な根拠であると思っています。

 次回のブログにつづく









 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする