ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

学術文献データベースの論文数の読み方について

2012年06月29日 | 科学

 一昨日の「つぼやき」ブログ「あまりにも異常な日本の論文数のカーブ」へのアクセス数が急増したことには、ほんとうにびっくりしたのですが、昨日もアクセス数が増え続け、閲覧が67,298、訪問者が36,988と倍近くに増え、gooブログのランキングは3位になっていました。地味な学術的ブログとしては、ちょっとした“ブレイク”かも。

 コメントも15件に増えてうれしいかぎりです。今日もコメントについてご紹介しようと思いますが、学術文献データベースで論文数のデータの“読み方”にも一部関係するご質問がありますので、今日はそれについてお話したいと思います。 

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なぜ日本以外は増えるんでしょう? (通りすがりの者です)

2012-06-28 14:40:26

 不勉強なものでよくわからないのですが、そもそもなぜ他国は一様に増加しているのでしょうか?


 先生のブログでも書かれているとおり、研究者の数、質、研究費など様々な要因により増減することはわかりますが、いずれも無限に増えるものではないし、それならば減少することも自然にありえるはずです。
 

また、人口が一様に増加している国であれば研究者数は自然に単調増加しうることもわかりますが、すべての国で人口が一様に増加しているわけでもないはずです。
 

私には、むしろ、(日本以外の)すべての国で一様に増加していることのほうが異常に思えるのですが。

 

Unknown (p_h)

2012-06-28 17:16:36

 各国2002年まで穏やかなのが飛び跳ねる要因はそもそもなんなんでしょうか

 

2002年からの増加傾向 (2001年博士号取得者)

2012-06-28 20:58:23

2002年から各国の論文数が増加したのは、インターネットの普及によって投稿しやすくなったからだと思います。

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また、いつもメールでコメントをいただくDさんから 

「先生ご紹介のElsevier社出典の図“・・・・各国の論文数の推移”で1996~2002年頃 米国、英国、日本、ドイツなど、細部は兎も角として横ばい傾向、米国などは1999~2001年頃はダウンしています。2002年頃とそれ以降とは何が異なるのでしょうか? 例えば、母集団が変わっているのでしょうか? 施策が変わったのでしょうか? 研究費が急激にアップしたのでしょうか? 各大学の裁量がアップ?等々

 2003年頃から、中国を筆頭に、米国、ドイツなど急激に上昇していますが、どんな理由によるのでしょうか?

 先生ご参加の部会の配布資料を拝見しましても、図はありますが説明はないようです。

 ご多忙のところすみません。時間的にOKでしたら、ご教示下さい。」

 というご質問をいただきました。皆さんのご質問に答えるためには、データベースの論文数の“読み方”に関する部分と、論文数に影響を与える本質的な要因を考察する部分の両方があると思います。

 一昨日のブログで

「データベースによって、その“くせ”のようなものがあり、一つのデータベースだけにこだわって分析をすると、過ちを犯すリスクがあると思います。やはり複数のデータベースで確認することが、大切なことですね。」

と書きましたね。

 今日は、コメントのご質問にすべて回答したことにはなりませんが、データベースの“くせ”も含めて、論文数データの“読み方”について私の考えをお話します。

 まず、データベースの論文数は、そのデータベースが収載した学術誌に掲載された論文数を数えており、実際に世界に存在する実論文数を数えているわけではないことに注意する必要があります。つまり、データベースの論文数と実論文数には、乖離があるということです。

 たとえば、日本の論文数を見る場合、日本語で書かれた論文はトムソン・ロイター社やエルゼビア社のデータベースには、ほとんど収載されません。そのこととも関連して、データベースの論文の大半は自然科学系であり、経済学などの一部の社会科学を除いては、人文系の論文数がデータベースの論文数に反映されることは少ないのが現状です。

 また、各データベースとも、ある程度レベルの高いと思われる学術誌を選別して収載するので、英語で書いたとしても、レベルの低い学術誌に投稿した場合は、データベースに収載されません。例えば、一部の大学が発行している紀要等や小さな学会・研究会が発行している学会誌・研究会誌などです。通常、研究者は、自分の論文をまずは世界的に著名な学術誌に投稿し、リジェクトされた場合に、だんだんとレベルを落としていって、それでもだめなら各大学の紀要等に載せることになります。

 データベースが収載誌を増やさない場合、各学術誌がページ数を増やすか、発行回数を増やすかしないと、たとえ実論文数が増えていたとしても、データベースの論文数は増えません。逆に、実論文数が変わらなくてもデータベースが収載誌数を増やせば、データベースの論文数は増えます。

 世界の実論文数の増加に応じて、適度に収載誌を増やしていき、たとえば、実論文数が10%増えたのならデータベースの論文数も10%増えるようにコントロールできれば、実論文数の増加を反映する形で、データベースの論文数が増えていくことになります。このような収載する学術誌のレベルや数を増やしていくさじ加減が、各データベースの会社で微妙に異なることで“くせ”を生じるのであろう、と想像しています。

 次は、データベースの“くせ”ではないのですが、過去の私のブログにも書きましたように、論文数の国際比較をする場合には、国際共著論文がどれだけ存在するか、ということも論文数を左右します。最近、国際共著論文が急速に増えつつあり、論文数の分析で無視できない割合になっています。文科省科学技術政策研究所の阪彩香さんたちによるレポート(調査資料204)によると、2009年の国際共著論文は、英国、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ諸国は約50%前後、米国が31.5%、韓国26.8%、日本25.8%、中国22.8%となっています。

 複数の国の著者が記入されている1つの論文をそれぞれの国の論文として1つと数えると(整数カウント法)、国際共著論文の比率の高い国ほど、論文数の上では有利に働きます。これを防ぐためには“分数カウント法”と呼ばれる分析手法があります。これは2つの国の研究者による共著論文の場合、それぞれの国の論文数を1/2とカウントする方法です。ただし、分数カウント法は阪さんのような専門の研究者でないと、分析することは困難です。

 今回のエルゼビアの論文数のデータは整数カウント法でなされていることも念頭においておく必要があります。ただし、阪さんたちのトムソン・ロイター社のデータベースを用いた分数カウント法の論文数分析でも、日本が諸外国に比較して、競争力を大きく落としているという結果自体は変わりませんけどね。

 ここで、前回のブログでお示ししたエルゼビア社のデータベースによる論文数のグラフと、トムソン・ロイター社のデータベースによる論文数のグラフと比較してみることにしましょう。

 下のグラフは、トムソン・ロイター社のデータベースを用いた整数カウント法による論文数のグラフです。米国と中国は、一昨日のエルゼビアのグラフと同じ比率でスケールの修正をするために7/25が掛けてあります。なお、分析には、トムソン・ロイター社のInCitesという、素人にも簡単に分析ができるセットになったデータベースを使いました。

 

 まず、トムソン・ロイター社の1年ごとの論文数のカーブは、エルゼビアの1年ごとのグラフよりも、けっこう凸凹している印象を受けますね。このような凸凹は、収載する学術誌の毎年の変更による影響が大きいのではないかと想像しています。このように変動すると、1年単位で論文数が減ったり増えたりすることに一喜一憂することにはあまり意味がありませんね。数年単位の中期的なトレンドで判断する必要があるということになります。

 そんなことで、5年間の論文数の平均値をプロットしたグラフを次にお示しします。ずいぶんとカーブがスムーズになりましたね。

 

 もう一つ、今回はスペースの関係でお示ししませんが、データベースによる収載誌の変更による見かけ上の論文数の変動は、国際シェアを計算することでもスムース化されます。先ほどご紹介した文科省科学技術政策研究所の阪さんのレポートでも、国際シェアを中心に分析がなされています。国際競争力の観点からは、論文の絶対数よりも国際シェアの方が重要な指標になるとも考えられますしね。

 さて、トムソン・ロイター社とエルゼビア社によるグラフの比較ですが、まず、論文数がかなり異なることがわかります。エルゼビアの方が概ね1.5倍くらい論文数が多くなっています。このことは、トムソン・ロイター社の方が、ある程度レベルの高いと判断される学術誌を精選して収載している可能性がありますね。

 いただいたコメントに1996年~2002年までは、論文数のカーブが穏やかで、その後急に飛び跳ねるように増加をしているのはなぜか?というご質問がありました。トムソン・ロイター社のデータベースの論文数の推移を見ると、エルゼビア社ほどの飛び跳ねる感じはないようですが、1996~2002年頃は、いくつかの国で、やはり踊り場的な感じで論文数が停滞している印象を受けますね。この踊り場の時期に、実際の論文数も停滞していたのか、単に両社が、たまたまこの時期に収載する学術誌をあまり増やさなかったのか、定かではありません。

 でも、エルゼビア社のデータでは、2003年以降の数年間、日本の論文数が急激に増えていますが、トムソン・ロイター社のデータでは、ずっと停滞が続いています。この差の原因の詳細はよくわからない面もありますが、両者が収載する学術誌を増やしていく過程の違いによって説明できるかも知れません。つまり、エルゼビア社は日本の研究者が多く投稿しているレベルが低い(?)と考えられている学術誌の収載数を増やしたが、トムソン・ロイター社はそれほど増やさなかったと仮定すれば、ある程度説明がつきます。そして、エルゼビア社のデータでは、日本の論文数が2003~2005年にかけて見かけ上増えたと・・・。もっともこれは、あくまで、根拠のない推測ですが。

 しかし、エルゼビア社のデータで、今でも収載誌の数が増え続けて、諸外国の論文数が増え続けているにもかかわらず、唯一日本だけ論文数が減少したことは、データベースのテクニカルな要素では説明できず、これは実際に日本の論文数が減っていることを意味する可能性が高いと考えています。つまり、増えたことは見かけ上である可能性が高く、減ったことは実際に減った可能性が高い。そして、もちろん国際シェアは急減し、国際競争力は急速に低下していると考えられるわけです。

 トムソン・ロイター社のデータでは、2000年頃から日本の論文数は停滞していますが、同様に国際シェアが急速に低下していることは同じですね。私は、トムソン・ロイター社でも収載する学術誌を増やし続けているわけですから、その状況で論文数が“停滞”していることは、実際の論文数は減少している可能性が高いと見ています。

 エルゼビア社とトムソン・ロイター社で、その論文数のグラフはけっこう異なって見えますが、そこから読み取れる結論は同じです。一昨日のブログでも書かせていただいたように、「もっとも、トムソン・ロイター社のカーブとエルゼビア社のカーブのどちらが、研究力を真実に近い形で反映しているのかわからないわけですが、いずれにしても2000年頃から法人化後にかけて、日本の学術論文は停滞~減少傾向にあり、他国がすべて右肩上がりであることから、研究面での国際競争力が急速に低下したことは、まぎれもない事実と考えていいでしょう。」

(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

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あまりにもびっくりの「つぼやき」ブログアクセス数

2012年06月28日 | 科学

 先日の私の「つぼやき」ブログの記事「あまりにも異常な日本の論文数のカーブ」の閲覧数は31,701、訪問者数は19,050で、gooブログに登録されている1,733,353ブログの中で第4位というランキングでした。これだけアクセス数が増えたのは初めての経験で、私自身もびっくりしています。ツイッターで、かなりたくさん拡散していただいたことが、ブログへのアクセス数の急増につながったのではないかと感じています。

 通常アクセス数の多いブログはタレントさんたちのブログで、これは1日数十万件から数百万件というオーダーなので、まったく比較になりませんが、学術論文数というたいへん硬いテーマで書いたブログが、こんなに多くの皆さんにアクセスされるとは、ほんとうに驚きました。皆さんの危機感がよほど大きくなっている証拠かもしれません。

 さっそくコメントをいただいた皆さんにもお礼申し上げます。ほんとうに、ありがとうございます。どれも、もっともなコメントばかりなので、コメント欄においておくのではなく、今日は本文上で読者の皆さんにご紹介することにしましょう。(コメント数が増えていっていますので、本日は最初の5件にします。)

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脱落者からの意見ですが (アカデミア脱落)

2012-06-27 23:21:25

>> それなら来年から交付金の額が増えれば解決かというと、そう簡単にいくのでしょうか?

先生には言うまでもないことですが…

 技術というものは(研究に限らず)積み重ねによって改善,更新を繰り返していくものですから,日本が過去10年で世界の第一集団から脱落したからといって「予算を増やせばすぐ追いつける」というものではなく,一度失った遅れを取り戻すために持続的・継続的に予算を付け続ける必要がありますね.

 しかも,他国だって必死で走り続けているレースですから,今から全力で予算を付けても「いつかは追いつける」などという保証はどこにも無いというか,どちらかというと既にゲームオーバーの可能性の方が高いと思います.

 それと,アカデミア脱落者(注:研究者としては脱落していませんが)として感じることは,00年代初頭あたりまでに学術系パーマネント職に付いた世代と,その後の世代の間における極端な格差です.一般企業の就職と同じ構図ですが,年を取って不良資産化した連中をクビにできないシワ寄せによって入り口が絞られまくりました.その代わりにPD職で数年間のスパンで一時的な成果を量産させようとしたのが00年代ですよね.しかし,そんな短期間の雇用ばかりで長期的・持続的な研究成果が出るはずもないですし,そもそもPDを使う側の研究者のプロジェクト・マネージメント能力が低いために,結果的にPD個人の能力に依存した研究になりがちで,PDの経験が何のスキルアップも産まず,win-winどころかlose-loseな雇用体系になってしまっているのが日本の研究現場ですね.

…というような現状を鑑みて,私の知っている大学教員でも「最近は学生が博士を希望しても全力で止める」と公言している人が何人もいます.私の周囲で学位を取った者はかなりの割合で企業に就職しています.特に優秀な人材であれば,日本で学位を取ってから学術系を目指して不幸な人生を送る位なら,最初から米国で学位にチャレンジするべきというのは否定できない事実でしょう.その結果,さらに国間格差が開くという悪循環ですね…

  国として競争力を取り戻すためには,既得権を廃止して,若くても能力のある人材を優遇するような制度にしなければならないでしょうね.若手をPD職で雇用するなら,上の世代は「最低でもPD以上の成果を出さない限り雇用する価値が無い」という認識を常識にしなければならないと思います.が,そういう基準でクビにするような制度が実現できるかといえば,制度を決める側の連中がそんな自分の首を締めるような制度を作るわけはないですよね…

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研究費改革を! (布村渉)

2012-06-28 03:29:56

 科研費の審査にも問題が有ると思う。自分の例では、「波及効果」の得点だけが低くて不採択になるケースが多い。結局、流行の課題でないと、基礎の基礎をテーマにした研究は理解してもらえない。ところが、流行の課題は、どこでもやっていて大型予算がつく米国、中国は圧倒的に有利だ。研究室も大講座制になって、教授一人が卒論学生の面倒まで見ている現実。大型量スーパーに個人の八百屋が挑んでいるようなもの。また、科研費は実質記名なので、知合いや高名な先生の所は絶対有利なのが現実。今、日本の大学は研究資金の面で悪循環に入っていると思う。

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Unknown (通りすがり)

2012-06-28 09:49:45

 原因は2000年頃から始まった若手研究者の減少でしょう。
大学法人化と結びつけるのはちょっと無理があるのでは。1990年代からの長期的な変動や、国際的に共通した論文数の変動傾向を鑑みれば、2000年頃から始まったコンスタントな論文生産者の減少が理由ではないかと。


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配分に問題 (卒業生)

2012-06-28 09:55:42

 旧帝大から地方大学に転勤になったとたん、研究の内容に変更がないにも関わらす、急激に科研費の採択率が下がるのは周知の事実です。ポストドクの採用にも同じような傾斜があります。研究内容ではなく、その場所によって配分に傾斜があるようでは、地方大学の研究室が研究意欲を失い、必然的に論文数が減少するのは当然です。


 自然科学の研究は、何も研究費の多寡でのみその生産性が左右されるものではありませんが、ある程度の研究費がなければアイディアだけでは論文は書けません。科研費の配分の傾斜をなくすことと、事後成果の検証が厳密に行われることが必要でしょう。


 大学が法人化されたことによって、ともすればすぐ成果が出やすくまた説明しやすい応用分野への研究が重要視され、基礎科学分野が軽視されます。この傾向は日本の将来の科学技術の発展に大きな禍根を残すことになるのではと危惧します。

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Unknown (MK)

2012-06-28 10:04:24

  2000年頃・・・ちょうど団塊ジュニアがドクターに進学する年齢になり、あちこちで大学院が増設され、教員たちはウハウハして・・・そうそんな頃に私も進学したのでした。潜在的若手研究者は増えたはず、そして、あちこちでPDが増えたのに、全く若手育成という視点で若者と接することなく、傭兵のごとく使ってきたのに、論文数は低下。人を育てることができなくなってしまったら、しかも教育機関で!!、未来が真っ暗に見えてしまいます。

  まぁ、そんなことを考えないで、おじさんおばさんのことは完全に無視して、今のこれらからの若者のことだけを考えていきたいです。

  ちなみに私は地方大学でPD、をしています。1歳と6歳の子供がおり、全力で研究なんてできません。低空飛行でもいいから続けていこう、という気持ちです。今では、教員数削減、地方大学では教授が数名やめたって、助教を雇うことはありません。

  でも、後数年、そうしたら、世代交代が始まるのだろうと思います。その時、なにが変化するのか、まったく予想できません。

  まとまりないコメント、お許し下さい。

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 ほんとうに身につまされる思いで皆さんのコメントを読ませていただきました。私が委員として参加している総合科学技術会議の「基礎研究および人材育成部会」という会議は、まさに、これらのコメントに述べられているような、大学院生やポスドク、若手研究者問題をどうすればよいのか、ということを話し合っています。

 前回の会議では、私は、「国立大学の基盤的な運営費交付金は“バラマキ”と位置付けられているので、今後も削減が続くと思われる。余力の小さい地方国立大学はそれに対応するために教員削減計画を立てている。教員のポストを削減する場合、教授のポストが削減されることは少なく、通常は助教のポストから削減されるので、このままの政策が続けば若手研究者の比率はますます減少すると思われる。」というような主旨の発言をしました。

 また、もう一つ、文科省科学技術政策研究所の「定点調査委員会」という会議の委員もしています。これは、日本全国の研究現場の研究者や管理者の皆さんから、一定期間、毎年研究に関わるさまざまな質問にお答えいただき、定性的に研究環境や研究トレンドの変化をつかもうとする調査です。日銀の景況判断も、各企業に定性的な質問をして判断していますね。現場の研究者の皆さんの感じていることをモニタリングすることは、論文数として数字で表れるよりも、より早く動向を把握することができるかもしれませんし、定量的なモニタリングのデータと突き合わせることで、より現場に即した正確な分析ができると思われます。

 第四次科学技術基本計画に「イノベーション」が謳われたことから、今回の定点調査では、新たにイノベーションも含めた研究開発現場の定性的な調査が行われました。その結果が集計され、近々公表される予定です。その内容の一部を見せていただいたのですが、今回のコメントでいただいたご意見と同様に、ほんとうに研究現場の環境の悪化がひしひしと伝わってくる内容です。これについても、今後のブログで、ご紹介していくことにしましょう。

 しばらく前にiPS細胞で有名な山中伸弥教授が、朝のテレビの報道番組に出演されて、「基金」への寄付を視聴者にお願いされました。その理由は、「不安定な定期雇用の身分のままの研究者では、十分に研究に専念していただけないので、常勤の正規雇用の研究者になっていただきたい。そのためにはお金が必要です。」というご主旨でした。山中先生は、日本の中では研究費の面では非常に恵まれた環境にあられると思うのですが、その先生がこんなことをおっしゃるわけですから、他の研究室では推して知るべしですね。

(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

 

 

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あまりにも異常な日本の論文数のカーブ

2012年06月27日 | 科学

 今年度から、私は内閣府総合科学技術会議の「基礎研究および人育成部会」という会議の委員として出席をしているのですが、その会議で配られた資料には、日本の学術論文数が減少していること、そして、若手教員(研究者)の比率が減っていることを含め、たくさんの日本の研究機能についての分析データが示されていました。

 日本の若手研究者の減少については、以前のブログでもご紹介したように、最も有名な科学誌の一つであるNature誌の3月20日号にも記事が掲載されていましたね。http://www.nature.com/news/numbers-of-young-scientists-declining-in-japan-1.10254

 そして、資料の中で私が目を留めたのは、エルゼビア(Elsevier)社のスコーパス(Scopus)という学術文献データべ―スによる、日本の学術論文数の変化を示したグラフでした。

 今まで、私は、主としてトムソン・ロイター社の学術文献データベースにもとづいて分析し、日本の学術論文数が停滞し、国際シェアが低下していることを皆さんにお示ししてきましたが、エルゼビア社の学術文献データベースも、トムソン・ロイター社と並んで、世界の大学のランキング等にも採用されている、たいへん有名なデータベースですね。

 日本と海外諸国の最近の学術論文数の推移を示してあるのが下の図です。米国と中国は他の国よりもはるかに多くの論文を書いており、スケールが違うことにご注意ください。

 

 さて、この図をみると、少し太めの赤線で示されている日本の論文数が、多くの国々の中で唯一異常とも感じられるカーブを描いて減少していますね。いつから減少しているかというと、国立大学が法人化された翌年の2005年から増加が鈍化して2007年から減少に転じています。他の国はすべて、右肩上がりです。

  トムソン・ロイター社のデータベースによる分析(5年移動平均値)では、日本の論文数は少し早く2000年頃から停滞を示しており、エルゼビア社ほどはっきりと増減を示していません。エルゼビア社では、トムソン・ロイター社ではすでに停滞している2003年頃から増加し、そして、2007年から減少に転じています。

 データベースによって、収載する学術誌の選び方や変更の仕方が違うので、二つの会社のカーブが多少異なっていることは不思議な事ではありません。ただし、データベースによって、その“くせ”のようなものがあり、一つのデータベースだけにこだわって分析をすると、過ちを犯すリスクがあると思います。やはり複数のデータベースで確認することが、大切なことですね。

 トムソン・ロイター社のデータベースでは2000年頃から日本の論文数が停滞しているので、2004年からの国立大学法人化とは必ずしも一致せず、その原因についても法人化と必ずしも関係のないことも影響したのではないかと考えられてきました。たとえばその前後から始まった国立大学教員の定員削減も原因の1つの候補ですね。政府支出研究費が頭打ちになったのも2000年頃からなので、大きな要因の一つであると思います。

 一方、エルゼビア社のデータベースでは、2004年の国立大学法人化の数年後から論文が顕著に減少しており、これを見ると、まさに国立大学法人化、あるいは、法人化の時期と一致して起こった何かが原因であることを思わせるデータですね。減少に転じるのが2004年から少し遅れているのは、何らかの原因が論文数に反映されるのにはタイムラグがありますから、それで説明できるかもしれません。

 エルゼビア社のデータでは、唯一日本だけが異常なカーブを描いており、これは、徐々に、自然の流れで生じたことがらではなく、突然に、人為的・政策的に生じた現象であることを思わせます。

 このカーブを見せられたら、たとえ法人化そのものが原因ではなくても、他の国は国立大学を法人化することを躊躇するでしょうね。まだ韓国と台湾が国立大学を法人化していないのも、わかるような気がします。

 私は、各大学の裁量を増やすことが法人化であると解釈すれば、法人化そのものが論文数減少の原因にはなりえないと思っています。台湾の国立大学は、法人化をしていないのに、各大学の裁量を増やして、論文数が増えていますからね。法人化によってさらに裁量が増えたら、ひょっとしてもっとパフォーマンスがあがるかもしれません。

 そんなことから、裁量を増やしたたことが論文数の停滞~減少につながったのではなく、法人化と同時期になされたさまざまな政策、たとえば運営費交付金の削減や、新たな運営業務の負担増、特に附属病院における診療負担増、政策的な格差拡大による2番手3番手大学の(研究者×研究時間)の減少、などが影響したのであろうと考えています。

 もっとも、トムソン・ロイター社のカーブとエルゼビア社のカーブのどちらが、研究力を真実に近い形で反映しているのかわからないわけですが、いずれにしても2000年頃から法人化後にかけて、日本の学術論文は停滞~減少傾向にあり、他国がすべて右肩上がりであることから、研究面での国際競争力が急速に低下したことは、まぎれもない事実と考えていいでしょう。

 また、いずれのデータベースでも、収載する学術誌を増やしていけば、その国の学術論文産生数が実際には増えていなくても、見かけ上増える可能性があります。たとえば、私がかつて出入りをしていた大阪大学の微生物病研究所がずっと昔から発行していたBiken Journalという学術誌が、比較的最近トムソン・ロイター社のデータベースに収載されたので、収載された時点からのBiken Journalの論文がデータベースの論文としてカウントされて、その分日本の論文数が増えたことになります。

 一方、データベースの論文数が減った場合は、実際にも、日本が産生する論文数が減った可能性が非常に高いわけです。「停滞」でも実際は減っている可能性があります。また、データベースが一部の学術誌の収載を止めることがありますが、この場合は、その学術誌のレベルが低いと判断して収載を止めるわけです。実際には論文数は減っていないかもしれないが、質の低い論文が除かれて見かけ上データベースの論文数が減るということが、理論的には生じ得ます。いずれにしても、データベースの論文数が減るということは、極めて芳しくない結果です。

 このような論文数減少のカーブを描いた国立大学法人化第一期(2004~09)において、国立大学法人評価がなされ、その点数によって運営費交付金が大学間で傾斜配分されても、いったいどういう効果があるの?と問いたくなりますね。国立大学法人評価やそのインセンティブは、国立大学全体としてのパフォーマンスを向上させることが目的であると思いますが、法人化第一期の国立大学の研究のパフォーマンスは下がっているわけですからね。もっとも、私が学長をしていた三重大学は評価によってご褒美をいただいた大学の一つなので、ありがたく頂戴しているわけですが・・・。

 さて、いつもご意見をいただくDさんから、今回もご意見をいただきました。

 「国立大学への運営費交付金の削減が研究機能の低下につながり、それが優れた論文(研究力の一つの尺度)の数を減少させているということは、私なりに理解できるのですが、それなら来年から交付金の額が増えれば解決かというと、そう簡単にいくのでしょうか?研究費以外の要因はどうなのでしょうか?」

 論文数の分析の結果「では、政策にどのように反映するべきか?」というご意見と承りました。非常に重要なご質問ですね。国においても来年度概算要求に向けていろいろな政策が検討されていると思いますが、これについては、次回のブログから考えていくことにいたしましょう、読者の皆さんからも、どうすればいいのか、どんどんアイデアやご意見をいただけるとうれしいです。

(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田の所属する機関としての見解ではない。)

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学術論文数とイノベーションの関係

2012年06月25日 | 科学

 今までのブログで、日本の学術論文数が停滞あるいは減少傾向にあり、諸外国が軒並み増えていることから、学術研究の国際競争力が急速に低下していることをお話してきました。そして、その大きな要因が、地方国立大学における研究機能の低下であり、その原因としては、国立大学への運営費交付金の削減が関係していることをお話してきましたね。

 そして、論文数の減少はわが国のイノベーション力の低下を意味すること、そして、わが国は資源の乏しい国であり、今までイノベーションで海外から資源を買ってきたことを考えると、論文数の減少は由々しき事態であると主張してきました。

  ここでお二人の方から、これに関連してご質問をいただいていますのでご紹介します。

大学の役割の指標として論文を数で比較することにどれくらい意味があるのでしょうか。それが社会の富や国民の生活を向上させるという根拠はありますでしょうか。

 〇質の高い(?)論文とイノベーションは本当に因果関係があるのですか?近年のイノベーションといえる技術や産業が論文から生まれたとは思えないのですが…

 2つのご質問とも、もっともな、また、非常に重要な質問ですね。

 この2つのご質問に共通する問題は、「サイエンスとイノベーションのリンケージ」と言われているもので、科学技術政策の上で重要な研究テーマになっています。

 私の今までのブログでも、1月31日と2月7日のブログで、根拠をあげてその説明をしてきましたが、ウェブ上で得られる他の文献もご紹介しつつ、再度説明しておくことにします。

 果たして、学術論文がイノベーションを生み出しているのか?

  この問いに答える一つの研究手法は、特許出願にどれだけ学術論文が引用されているか(特許のサイエンス・リンケージ)という指標を調べることです。1月31日のブログに書かせていただきましたように、米国特許の審査報告書における特許1 件当たりの科学論文の引用回数は、1997~1999 年から2007~2009 年の間に、全製造業において2.0 から3.4 へ上昇しました。サイエンス・リンケージの値は、「医薬品製造業」が飛びぬけて高く、2007~2009 年では28.7 とのことです。したがって、科学論文と特許の結びつきは次第に高まっていると考えていいでしょう。

 また、例えばウェブ上で公開されている“Science Linkages and Innovation performance”というベルギーの論文では、企業の開発とサイエンスのリンケージには種々の程度があるが、サイエンスとのリンケージをしている企業の方が、イノベーションのパフォーマンスが優れている(firms with a science linkage enjoy a superior innovation performance)と書かれています。

http://www.oecd.org/dataoecd/9/42/37450707.pdf

 次に、質の高い(?)論文とイノベーションとの因果関係ですが、被引用数の多い「高注目度論文」を用いますと、2月7日のブログでご説明したように、文科省科学技術政策研究所のレポートで、高注目度論文を産生した研究プロジェクトの方が、そうでない研究プロジェクトに比較して、特許出願件数が多かったことが示されています。

 また、例えばウェブ上で得られる“Research excellence and patented innovation”という論文のアブストラクトには、アメリカのトップ1%の高被引用度論文は、他の論文に比較して、アメリカの特許に引用される頻度が9倍高い( A US paper among the top 1% most highly cited papers is nine times more likely to be cited by a US patent than a randomly chosen US paper. )と書かれています。

http://spp.oxfordjournals.org/content/27/5/310.abstract

 このような根拠から、学術論文、特に高注目度論文がイノベーションに寄与していることは、間違いのないことであると考えられます。近年の産学連携の推進により、サイエンスとイノベーションのリンケージが高まりつつあると考えられ、今後ますます、その重要性が高まるであろうと思われます。

 もっとも、ご質問をいただいた方が「近年のイノベーションといえる技術や産業が論文から生まれたとは思えないのですが・・・」とおっしゃっているお気持ちもよくわかります。学術論文と関係のないイノベーションはたくさんありますし、また、イノベーションに結びつく論文は、ごく一部ですからね。

 でも、たとえば青色発光ダイオードというイノベーションも名古屋大学の赤崎勇先生が大きな貢献をし、光ファイバーについても東北大学の西澤潤一先生の大きな貢献が有名ですね。iPS 細胞というノーベル賞候補にあげられているイノベーションは京都大学の山中伸弥先生がなされました。カリフォルニア大学アーバイン校の工学部の教授の90%はベンチャーを立ち上げるそうですから、企業として成功するかどうかは別にして、彼らは、何らかのイノベーションの卵を引っ提げて起業に挑戦をしているはずですね。

 また、「大学の役割の指標として論文を数で比較することにどれくらい意味があるのでしょうか。」とおっしゃるお気持ちもよくわかりますね。

 大学の役割には、教育、研究、地域・社会貢献など、いくつかありますし、論文数は大学の研究機能を反映する指標の一つにすぎません。教育中心の大学があってもいいし、地域・社会貢献中心の大学があっても良く、全ての大学が研究中心である必要性はありませんね。

 また、日本の大学でも、近年産学連携がある程度進み、大学発の特許件数も増えましたが、アメリカの大学に比較すると、まだまだですね。ここをもっと強力に押し進めないといけないと思います。

 日本という国の将来を考えると、国をあげて研究を振興することは、日本人が今後とも、豊かな生活を継続する上で必要不可欠であると思っています。研究には、大きく分けて、大学の研究、研究所の研究、企業の研究とあるわけですが、日本の企業の研究開発投資は、リーマンショックの後、減少傾向にあります。企業の研究開発が低下して、公的な研究機能も低下することになると、これはたいへん由々しき状況になると思います。

 また、中小企業においても、グローバル化の中で、世界に進出してビジネスを展開するためには、研究開発が不可欠ですが、しかし、体力の乏しい中小企業では、大企業のように研究所を持つことは困難です。このような中小企業に対して、大学が積極的に共同研究などの産学連携を進めることは、地域の産業の振興にとって大きな役割を果たすものと考えます。

 我田引水ですが、私が学長をしていた三重大学では、中小企業との共同研究数は、全国で3位になったことがありました。また、「地域イノベーション学研究科」という独立大学院を創りましたが、その博士課程には、地域のやる気のある中小・中堅企業の社長さんや幹部の方々がぞろぞろと入学してきて、新たな地域企業と大学のコミュニティーを形成しつつあります。

 また、三重大学伊賀研究拠点という施設を、伊賀市との共同で創設し、地域の中で産学連携やベンチャー育成に貢献しています。三重県の医療・健康・福祉産業の振興を目的とした「メディカルバレープロジェクト」に三重大学は深く関わり、例えば、「みえ治験医療ネットワーク」を大学病院と三重県下のほぼ全病院とで作り、新薬だけではなく、地域企業の健康食品の治験を行い、地域企業の第二創業(イノベーション)に貢献をしています。

 このような地域企業との産学連携をしようとする場合、世界と戦わねばならない今時の地域企業が求めることは、世界に通用する研究シーズです。地方大学だからといって、2流の研究をやっていたのでは、地域の企業にも貢献することはできません。地域に貢献するためにも、大学は研究力を高めなければなりません。その研究力を測定する指標の一つが論文数になります。もちろん特許件数も重要な指標の一つですし、地域企業との共同研究の結果生み出された新製品の数などは、大学とイノベーションのリンケージを測る直接的な指標の一つですね。

 

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台湾に学ぶ(その4):台湾の大学が日本の大学を圧倒した理由は?

2012年06月02日 | 高等教育

 さて、もう6月になってしまいました。5月の私のブログの更新回数はちょっと低調でしたね。月も替わったので、なんとか、がんばって書くことにしましょう。

 先のブログでは臨床医学の論文数で、台湾の大学が日本の大学を急速に追い抜いていることをお示ししました。そして、3月14,15日に台湾の国立成功大学と国立台湾大学を訪問する機会があったので、今回は、その印象を簡単にお話することをしましょう。詳細は、後日報告書にまとめる予定で、ブログでも追々ご報告していきたいと思います。

 台南市にある国立成功大学は日本の地方国立大学のモデル、台北市にある国立台湾大学は日本のトップレベルの大学のモデルになると思います。両大学とも医学部および附属病院を中心に訪問し、幹部の方にインタビューをしました。今日は日本の国立大学と大きく違うと感じたポイントをとりあえずあげておくに留めます。

1)台湾の国立大学は法人化されていませんが、日本の国立大学法人と同様に、剰余金の繰り越しが条件付きで認められているようです。特に大学病院の剰余金は無条件に繰り越しが認められているとのことです。

 法人化されていない国立の制度のままで留保金が認められるとは、私にとってはほんとうに驚きでしたね。日本では、さしずめ“埋蔵金”として、財務省がただちに巻き上げてしまいそうです。

 実は、台湾でも国立大学の法人化が検討されているようですが、日本の国立大学法人化が、思ったよりも成果が上がっていないようなので、どうも躊躇しているようです。

 国立のままでも留保金が認められるのであれば、わざわざ法人化する必要なないとも思われますが、法人化によって、いっそう各大学の自由裁量権が大きくなるのであれば、台湾の大学のパフォーマンスはさらに上がるかもしれませんね。ただし、日本の国立大学法人化のように、予算の削減と抱合せをされ、研究者×研究時間が減るような制度では、自由裁量の効果は打ち消されてしまうでしょうね。

2)大学病院の財務・会計は、大学から完全に独立しているようです。また、国立大学のままでも剰余金の無条件留保が認められていることは、上にも触れました。病院は財務的に大学から完全に独立しているので、予算計画は大学に提出する必要はなく、直接的に教育省に提出しているとのことでした。

 大学病院が財務的に大学から完全に独立するべきであることは、2004年の国立大学法人化当初から、私が主張してきたことです。当時、私は国立大学協会の病院経営小委員会の委員長をしており、病院を財務的に大学から完全に区別して“自己完結的経営”をするべきであると主張しました。“自己完結的経営”と表現したのは、私の主張が “独立採算”と誤解されると困るという意見があったからです。台湾の国立大学が、私の主張とまったく同じスキームを採用していることを知り、私のかねてからの主張に自信を得ました。

 台湾の国立大学病院の再開発は、基本的には留保金で行うようです。国立成功大学では、自己の留保金5割、国からの支援金5割で、病院再開発を行ったとのことでした。日本の自治体病院並みの支援ですね。日本の国立大学病院では再開発のうちの病院建設費の10%しか支援金がいただけないいので、なんともうらやましい話ですね。

 このような、法人化をしない国立の制度の枠組みの中で、剰余金を無条件に留保できる仕組みがどうしてできたのか聞いてみたところ、国立台湾大学の副病院長は、これは、そうしてもわらないととてもやっていけないと政府に強く訴えて、自分たちが勝ち取った制度なんだと、力強くおっしゃっていました。

 日本の政府は、とても台湾政府のような柔軟な対応はできないでしょうね。「そんなことはできるはずはないでしょう。」と一蹴されそうです。

3)大学の評価制度はトムソン・ロイター社に依頼しているようです。日本の国立大学では、中期目標・計画を各大学から提出させ、大学評価学位授与機構や法人評価委員会が目標管理によって評価していますが、台湾の割り切り方はすごいですね。トムソン・ロイター社の評価制度がどのようなものなのか、一度調べてみる必要がありますが、大学評価学位授与機構の教育・研究評価委員会に出席していますと、日本ではとてもトムソン・ロイター社の評価を使うことはできないような雰囲気を感じます。

 ただし、国立成功大学の医学部では、教員に対して4半期毎に論文のチェックがなされているとのことで、すさまじいことがなされているようです。医学部長も、果たしてこんなことがいいのかどうかわからないが・・・、とおっしゃっていました。

4)なぜ、台湾の大学の論文数が増えているのかお聞きしたところ、大方の意見は、政府が研究費を増額したことをあげておられました。台湾政府の支出する研究費が急速に増えていることは、前のブログでもご紹介しましたね。特に10大学には重点的に配分したようで、これは、日本の大学に当てはめると50大学を重点化したことになりますね。やはり、日本も台湾のように研究費総額を増やさないことには、海外と戦えないということを強く認識させられました。

 また、国立台湾大学では、同規模の日本の九州大学をベンチマークして目標に掲げて頑張ったとのことです。前のブログでお示ししたトムソン・ロイター社のデータベースによる臨床医学の論文数をみると、国立台湾大学は九州大学を2004までに追い抜いており、また、ついに東京大学までも追い抜いてしまったわけです。

 以上、ごくごく簡単にまとめてみますと、台湾の国立大学では国立という枠組み中にありながら、各大学に最大限の裁量を与えて、研究費も増額。そして、国においてはトムソン・ロイター社に評価を依頼し、各大学においても明確な数値目標を掲げて頑張り、論文数で日本の大学をどんどん追い抜いているということになります。

 一方日本の国立大学では、法人化によりある程度の裁量が大学に与えられたことまでは良かったと思いますが、台湾の国立大学に比較するとまだ改善する余地があり、研究費は減額され(基盤的運営費交付金の削減は実質上の研究費減額として作用している)、国においても各大学においても明確な数値目標が設定されずに、研究者×研究時間という研究の人的なインフラがダメージを受けました。その結果、上位大学では論文数は維持されていますが、大学間格差が拡大し、余力の小さい地方国立大学から論文数が減少し、海外の大学との差はどんどん広がっています。

 これでは、台湾の大学が日本の大学を圧倒するのは当然の結果ですね。

 

 

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