ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、前国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

10月19日激論が予想される研究力シンポジウムの練習(4)なぜ、病床数が論文数と相関するの?

2013年09月29日 | 高等教育

  10月19日のシンポジウムも近づいてくるし、毎週の大学の授業の準備もしないといけないし、また、10月16日には、国立大学病院の若手の事務職員の皆さんを対象とした「病院若手職員勉強会」で理想の大学病院について講演をしないといけないし、ちょっと、お尻に火がついてきました。

ー第1回ScienceTalksシンポジウム開催!「日本の研究力を考える -未来のために今、研究費をどう使うか-」
日時:2013年10月19日 (土) 13:00~17:00
会場:東京工業大学 蔵前会館 くらまえホール  

http://www.sciencetalks.org/ja

 今日は、Dさんのご質問の「経営判断」の問題にに答えるのがどんどんとおくれてしまうのですが、Dさんからの国立大学法人会計における減価償却費に関するさらなる技術的なご質問に対して、先にお答えをしておきます。

“減価償却費は、施設・設備への投資額や債務償還費を反映している“という事は、私なりに理解できます。

昔、習った知識では、減価償却費は次のようだったと思います。例えば、建物についての減価償却費 400,000を計上した場合、間接控除方式で、表わしますと、

        減価償却費 400,000/減価償却累計額 400,000 とし

 減価償却費は一応費用として、損益計算書に記載、減価償却累計額は貸借対照表の、建物の下に 減価償却累計額として △ 400,000 と記載します。

 減価償却費は、実際のキャシュアウトのない費用なので、減価償却費の分だけキャッシュはプラスになり、“営業活動によるキャッシュフロー”の中に記載されます。

 このような事で、前のメールで、原資となる可能性があるのではと書きました。

 ところが、国立大学法人の会計は、相当異なるのでは? 例えば、次のような情報がありました。(先生は、良くご存知のことで、今頃知ったのかと思われるでしょうが、)

 国立大学法人の減価償却は、当該設備の更新投資資金をどのように捻出するかで次の3つの処理法に分けられるとのこと。 一般の企業と同様の処理、資産見返負債戻入処理、損益外減価償却費処理。 従って、具体的な投資資金先とか、償却年数、など分からない私が、単純に一般企業の会計ではというのは、聊か的外れだったように思います。逆に、投資資金の種類によって減価償却費の扱いが変わるのですから、定量的には問題はないのでしょうか?  捻出法で、金額は全然異なるのでしょうか? 所謂、学校間に差はないのでしょうか?

 「減価償却費」についての、かなり高度な技術的なご質問ですね。

 「減価償却費+利益」はグロスキャッシュフローとも呼ばれており、営業キャッシュフローを間接法で計算するときの最初のステップですね。民間企業では、税金も計算に入れます。これは、元金の償還や投資や留保に回せる、およその現金を意味します。支払利息は損益計算書に計上され、「減価償却費+利益」においてはすでに差し引かれた金額ですので、ここから支払う必要はありませんね。このグロスキャッシュフローに、さらに現金の出入りを伴わない、あるいは一致しない科目の金額を加減して調整していくと、次第に営業キャッシュフローに近い金額になっていきます。

 「減価償却費+利益」が元金償還額よりも小さい場合は、資金がショートしている可能性が高く、資産の取り崩しが行われている可能性がありますね。こういう場合は、手元に残る現金はなく、ふつうは新規の投資もできませんね。この「減価償却費+利益(税で調整)-元金償還額>0」については、一部の金融機関が融資を決める場合の、極めて大まかな目安の1つにしている財務指標ですね。

 国立大学の減価償却費は、Dさんがお調べになられたように、3つの処理があります。なかなかややこしいのですが、損益外減価償却費処理は、主として、利益を生まない施設・設備(教育・研究のための施設・設備等)が公的資金で賄われた場合の減価償却費で、これは、損益計算書に計上されません。したがって、この減価償却費は僕の今回の分析には使っていません。Dさんのご指摘にように、投資資金の財源が公的資金の場合は、借入金償還という負担には結びつかないので、論文数に対するマイナスの影響はないはずですね。今回分析に使った減価償却費は、概ね病院現場の負担になるものと考えてよいと思います。

 利益を生じる施設・設備は減価償却費として損益計算書の費用に計上されますが、このうち公的資金や寄付金で賄われた施設・設備については、減価償却費相当額を、資産見返負債戻入等として収益に計上し、減価償却費を打ち消す処理をします。

 先ほどのグロスキャッシュフローを求める観点から申しますと、「資産見返負債戻入」はキャッシュインを伴わない収益ですので、これを調整して「減価償却費+利益-資産見返負債戻入」とするほうが、より正確なキャッシュを推定できます。

 ただ、最近の一連のブログでお示しした論文数と、業務収益および減価償却費の回帰分析で、「減価償却費」を「減価償却費-資産見返負債戻入」に置き換えても、論文数に対する寄与率はほとんど変わりませんでしたので、「減価償却費」を使ってお示しした次第です。本来ならば、減価償却費から資産見返負債戻入の金額を差し引き、医業収益からも資産見返負債戻入を差し引いた金額で相関をとった方がいいのかもしれませんが、今回の検討では資産見返勘定の金額は、結果に影響を与えるほどの金額ではなかったということです。

 さて、病院の財務データの論文数に対する寄与についてもう少し追加の説明をしておきます。

 実は、国立大学間の論文数の違いは、業務収益と減価償却費でもって、その93%が説明できるという回帰分析の結果をお示ししたのですが、その大部分は業務収益の差で説明ができ、減価償却費の差は、それをわずかに調整する程度しか寄与していないのです。

 次のグラフは、病院の医業収益(業務収益ではない!業務収益には運営費交付金収益や受託・共同研究費が含まれています)と臨床医学論文数の相関を調べたものです。国立大学間の臨床医学論文数の差が、大学病院の医業収益、つまり病院の売り上げ高だけで、寄与率約90%で説明できてしまいます。これに、受託・共同研究費、運営費交付金、減価償却費、その他の財務データで調整を加えていくと、最終的には96%が病院の財務データで説明できるようになります、


 

 ところが、病院の医業収益と臨床医学論文数が相関するのであれば、医業収益を増やせば臨床医学論文数が増えるかというと、そのようなことにはならないわけです。下のグラフは2007年から2010年にかけての、各国立大学病院の医業収益の増加率と、臨床医学論文数の増加率の相関を調べたものですが、相関は認められませんでした。

 医業収益の差は、大学病院の規模(∝研究人材数)の差を反映するものであり、論文数と良好な相関を示しますが、医業収益を増やしても、それがFTE研究者数(∝研究活動の人・時間)の増をともなわない場合は、論文数は増えない。医業収益の増が研究者の診療時間を増やして、研究時間を減少させるようにマイナスに働いた場合は、論文数は減ることだってありうるわけです。このような論文数の動的な変化に関係する財務データとしては、前にお示しした分析では、運営費交付金の増はプラスに働き、減価償却費の増はマイナスに働き、診療活動への偏り(静的データですが)はマイナスに働くということでした。


 

 このようなメカニズムを理解していただくために、「床屋ー研究所モデル」なるものを使ってご説明しましたね。このモデルでは、床屋が研究所を持っており、研究者が50%の活動を研究に使い、50%の活動を床屋の営業に使っているということにします。そして、床屋の売り上げ単価や、1人の顧客に要する理容時間、理容椅子稼働率も50%で同じと仮定します。そして、研究者の人件費は運営費交付金で賄われていることにします。

 Aという「床屋ー研究所」には、10人の研究者がおり、10個の理容椅子を持っている規模であり、Bという「床屋ー研究所」には20人の研究者がおり、20個の理容椅子を持っていました。

 研究者一人が1年間に1編の論文を産生するとすると(FTE研究者あたり年2編の論文数産生)、A「床屋ー研究所」は年10編の論文を産生し、B「床屋ー研究所」は20編の論文を産生し、2倍の違いがあります。この時の床屋部門の売り上げ高も、AとBでちょうど2倍の違いになりますね。ですから、床屋の売上高の違いを調べれば、論文数の違いも正確にわかるわけです。

 ところが、A店 、B店とも、設備の購入のために売上高を10%増やす必要に迫られました。そのため、両店とも理容椅子稼働率を55%に上げました。A店では、研究者の数を増やさずに稼働率だけ上げたので、研究者の研究活動時間が10%減少してFTE研究者数は10%減少し、論文数は10%減少しました。

 一方B店では、運営費交付金を10%増やしてもらえたので、研究員を2人増やすことができ、総研究員数が22人で、理容椅子稼働率が55%、FTE教員数は11名という勘定になるので、論文数は10%増えることになりました。

 このようなケースの場合、A店、B店の売上高の違いは2倍、論文数の違いは9対22と2.4倍の違いになりますが、論文数の違いの2.4倍は、売上高の違いの2倍で、まだ83%まで説明できることになります。しかし、売上高が10%増えたということで、A店の論文数が10%減り、B店の論文数が10%増えたという違いを全く説明できませんね。一方、運営費交付金の増でその50%を説明できることになります。

 もう一つ、A店、B店の理容椅子の数は、それぞれ10、20であり、2倍の違いがあり、論文数の違いと同じですね。この理容椅子の数の違いでも、論文数の違いが説明できるかもしれませんね。

 では、実際の国立大学附属病院で調べてみましょう。

 

 病床数と論文数の相関については、病床数の多い大学(旧帝大)のバラつきが大きく、残差の正規性が認められないという問題はあるのですが、大学間の臨床医学論文数の違いは、病床数の違いで、その約84%が説明できてしまうという結果になりました。(なお、病床数の多い5大学病院を除きますと、残差の正規性が認められ、寄与率は87%となります。)

 「床屋ー研究所モデル」をご理解いただいた読者の皆さんには、論文数とまったく関係がないと思われる病床数が相関する理由がお分かりになりますよね。もちろん、病床数だけ増やしても論文数は増えませんよ。研究者数を増やさずに病床を増やして、病床稼働率を上げた場合には、研究時間が減ることによりFTE研究者数が減って論文数が減少するかもしれませんし、逆に、研究者数を十分増やしつつ病床数を増やすということであれば、論文数が増える可能性もありますね。

 Dさんの「経営判断」の問題への回答は次回です。

 

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10月19日激論が予想される研究力シンポジウムの練習(3)

2013年09月28日 | 高等教育

教育についてのご報告を2回にわかってさせていただきましたが、再び論文数の議論に戻ります。10月19日に「日本の研究力を考えるシンポジウム」についてのシンポジウムの練習その3です。

ー第1回ScienceTalksシンポジウム開催!「日本の研究力を考える -未来のために今、研究費をどう使うか-」
日時:2013年10月19日 (土) 13:00~17:00
会場:東京工業大学 蔵前会館 くらまえホール  

http://www.sciencetalks.org/ja

9月19日の論文数についてのブログでは

「論文数=k×(研究人材数)×(研究時間)×(狭義の研究費)」

という式をお示ししました。ここで(狭義の人件費)とは、研究者の人件費を除いた研究費という意味で使っています。

 これは、研究人材数も研究時間も狭義の研究費もすべてお金で決まることから、一定レベル以上の大学における論文数は、お金で決まるということを主張した式でしたね。ただし、(狭義の研究費)を(研究人材数)×(研究時間)に単純に掛け合わせるのは正確性に欠けるようです。そこで、もうちょっとましな式を考えてみたいと思います。

 簡略化のために研究人材数×研究時間をフルタイムの研究人材数に換算した数値をFTE研究者数と呼ぶことにしましょう。(FTEはfull time equivalentの略)

 1人のFTE研究者が、論文産生のために必要な狭義の研究費が与えられており、1年間m個の論文を産生すると仮定すると、

 1年間の総論文数=FTE研究者数×m

 となります。mはそれぞれの研究者の論文産生能力で違ってきますが、前のブログでは、少なくとも国立大学医学部の臨床医学論文数の産生能力はについては大学間で差はない、というのが僕の主張でした。

 1年間の広義の研究費総額=FTE研究者人件費総額+狭義の研究費総額

                  =(FTE研究者数×人件費単価)+(FTE研究者数×1論文産生に必要な狭義の研究費×m)

                  =FTE研究者数(人件費単価+1論文産生に必要な狭義の研究費×m)

 1年間の総論文数=FTE研究者数×m

                         =(1年間の広義の研究費総額×m)/(人件費単価+1論文産生に必要な狭義の研究費×m)

             =1年間の広義の研究費総額/(人件費単価/m+1論文産生に必要な狭義の研究費)

             =(FTE研究者人件費総額+狭義の研究費総額)/(人件費単価/m+1論文産生に必要な狭義の研究費)

 これらの式は、FTE研究者数の論文産生能力(m)に差がないと仮定すると、また、研究者の人件費単価に差がなく、1論文産生に必要な狭義の研究費に差がないと仮定すると、論文数は研究費総額に比例することを示しています。

 ただし、研究者の人件費単価が高かったり、1論文産生に必要な狭義の研究費が多額だったりすると、同じ研究費総額の場合に、論文数は少なくなりますね。

 1論文産生に必要な狭義の研究費が多額にかかる例としては、例えば、原子力とか、素粒子とか、宇宙などの研究があげられます。このような多額の狭義の研究費を必要とする科学分野を多く行なっている大学(旧帝大が中心)では、研究費あたりの論文数は少なくなる方向に働きます。

 研究者の人件費については、従来は国立大学間で差はありませんでしたが、法人化後は、旧帝大と地方国立大学とで差が生じ始めていますね。昨年の東日本大震災の財源確保のための国家公務員の給与削減に応じる形で、多くの国立大学法人では非公務員である教職員の給与を国家公務員に準じて下げましたが、東大と京大はあまり下げませんでした。

 一方、大学院生、特に博士課程の学生を多く在籍させている大学(旧帝大が中心)では、人件費は基本的にかかりませんので、研究費あたりの論文数は多くなる方向に働きます。

 このような複雑な要素が総合されて論文数が決まるわけですが、研究者の論文産生能力、研究者の人件費単価、および1論文を産生するために必要な狭義の研究費がそれほど変化しない場合には、論文数は研究費総額およびFTE研究者数に概ね比例するということになります。

 ただし、研究費総額を増やす場合、FTE研究者数と狭義の研究費を同時に増やす必要がありますね。どちらか片方を増やしただけでは、論文数と比例しなくなります。

 実は、科研費などの”研究費”に人件費を含めないのは、以前からの日本の基本的な研究費配分方法でした。アメリカでは人件費も含めて”研究費”が配分されていますね。論文数を増やすためには、狭義の研究費だけではなく、研究者数を増やすための人件費を増やさなければならないはずなのですが、日本では、その部分は大学の経費で賄われてきました。誰が出してきたのかというと、国立大学法人では運営費交付金の一部であり、私立大学では私学助成金と学生納付金の一部ということになります。

 国立大学では、2000年以前から教員の定員削減、2004年の法人化後は運営費交付金削減によってFTE研究者数が減少したことにより、特に地方国立大学で論文数が停滞~減少することになりました。こういう状況で、狭義の研究費だけ増やされたとしても、それほど論文数は増えませんね。この時、国は運営費交付金を削減することが、イコール研究費を削減していることであるという認識はまったくなかったと思います。狭義の研究費だけが”研究費”という認識です。

 運営費交付金についても少し説明しますと、そのどれだけが研究費で、どれだけが教育費なのか、明確な線引きは困難です。ただし、教員の研究時間と教育時間を測定あるいは推定すれば、ある程度案分することは可能と考えられます。国立大学の運営費交付金を研究費とするのか教育費として計算するのか、という点については、総務省は全額「研究費」として計算してきました。しかし、OECDの研究費の国際比較では日本の国立大学の運営費交付金は約半々ぐらいに案分されて研究費が計算されています。OECDの方が、より実態に近い計算をしていると考えられます。

 附属病院となるとさらにややこしくなり、1人の大学教員が教育・研究・診療の3つの活動をこなすことになります。正規教員の診療活動の人件費はいったい誰が出しているかというと、国立大学では運営費交付金、私立大学では医学部の教員人件費(主として学生納付金)ということになります。つまり、大学病院は国立も私立も、医業収入だけでは必要な経費を賄うことができず、教員の診療活動の人件費を、医業収入以外の財源で賄うことにより、やっと経営が成り立っているのです。

 なお、国立大学病院のセグメント会計では、教員の教育・研究活動と診療活動の比率を測定あるいは推定して(タイムスタディー等)、教員の診療活動の人件費を案分して計上しています。法人化後の附属病院運営費交付金の急速な削減などに伴って教員の教育・研究時間が減って診療時間が増えた大学病院では、附属病院会計における教員人件費は増えているはずであり、一方医学部の臨床教員の人件費、つまりFTE研究者数は鏡像のように減っているはずです。このFTE研究者数の減少が臨床医学論文数の停滞~減少を招いたと考えられます。

 いろいろと書いてきましたが、いずれにせよ、論文数はほとんどはお金で決まるということであり、お金を減らせば論文数が減る。つまり、2000年以降、あるいは2004年の国立大学法人化以降、我が国の論文数が停滞~減少して国際競争力が低下したのは、国がお金を削ったからということです。何らかの形でお金を増やせば論文数は増加するはずです。そして、お金の総額を増やさずに地方大学から中央の大学へお金を移すだけの「選択と集中」政策をしても、日本全体の論文数ということでは、効果はないということです。

 Dさんの後半のご質問にお答えするのが、どんどん遅れていきますね。

 

 

 

 

 

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果たして人間性を教育することは可能だろうか?

2013年09月24日 | 高等教育

 今回は、前回の教育についてのブログの続きです。前回のブログでは、鈴鹿医療科学大学理学療法学科2年生の「救急医学概論」の講義で、クリッカーを使用して、学生による授業評価の点数が大幅に改善し、4.9という、ほぼ限界の値にまで上がったことを報告しました。それまでは、学生のアンケートを毎回とって、いろいろと授業を工夫してきたのですが、4.2~4.5どまりでした。それが4.9に突然上がったのですから、やはりクリッカーの使用が大きな理由になったことは間違いがないと思います。

 ただし、クリッカーだけではなく、僕が以前から実行していることですが、毎回の授業で学生のアンケートをとって、改善できることは次の授業ですぐに改善するという、毎回の授業でPDCAを回すということが、とても大切だと思っています。この際、半年1回の学生による授業評価だけでは、改善のスピードが遅すぎます。毎回の授業のアンケートでPDCAを回すことによる改善効果を、半年1回のPDCAで回そうと思えば、単純計算では15年もかかってしまうことになりますからね。

 そして、PDCAを回すにあたっては、学生さんの自由記載のアンケートがたいへん役に立ちます。ちなみに、学生さんが躊躇せずに本音で言いたいことを書けるように、僕は、無記名でアンケートをとっています。

 実際、最終的に4.9という最高点をとった前期の授業にしても、学期の前半はまだまだ直すべきことがたくさんありました。

たとえば4回目と5回目の授業に対する学生の意見としては、

「先生がクリッカーの使い方を理解していないため、生徒も混乱している。また、生徒(一部)使い方を理解していない。正確な説明を!」

「あせっている時にスライドかえるのが早いと思います。」

「内容がむずかしく理解するのがたいへんだった。」

「DVDの説明が理解しにくい用語が多く、わかりにくかった。」

「今日はすごしやすい気温であたたかく眠かったです。」

「スライドのプリントが全体的に見て分かりにくい。」

「アンケートをクリッカーにするのは少し効率がわるい。」

「教科書はあまり使わないのですか?」

などと、たくさんの改善するべき点が書かれていました。これらの学生さんの指摘には、できるだけ早く改善するよう努力をしました。また、僕の授業に対する意見とともに、大学全体に対する意見も学生に書いてもらい、すぐに改善することが難しい要望も多々あるのですが、いくつかの要望については、理事長や事務局のご理解をえて改善しました。

14回目、15回目の授業になると

「授業の進め方も楽しいし、先生も熱心に講義をしてくださったので、とてもいい勉強ができた。」

「15回の講義すべてに学長の熱意を感じた!ありがとう!学長!!!」

「前期にこの科目をとってとてもよかった。学長から勉強のことだけでなく、人間性を学ぶことができた。全国をみて、大学のレベルはトップレベルではないかもしれないが、学長のレベルはトップレベルだと思う。」

「これだけ熱心に働いていらっしゃる学長が、この大学の理事長になってほしい。」

「豊田先生は今まで見てきた先生の中で3本の指に入るくらいいい先生です。」

「学長さん良い人すぎます(T^T)♡。色々と考えて下さって本当にありがとうございます!理学療法学科はとても厳しく嫌になるときもあるけど頑張ろうとおもえます!!!!頑張ります!!」

「とても楽しい授業を受けることができた。学長先生に教えてもらえることだけでもすごいことなのに、ここまで熱心に面倒を見てもらい本当に感謝しています。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。」

「毎回熱心に講義していただいてありがとうございました。また、自分たちの要望も実行していただき、とても助かりました。本当にいい先生だと感じました。ありがとうございました!!」

「学長の熱意がすごくて尊敬します。」

「学長が良い人すぎてびっくりしました。」

「学生のことを考えて講義をして下さっていてとても良い講義だった。」

「生徒の意見を聞いてくれて、食堂の開放時間の延長が実現したのはほんとに感謝しています。これからもよろしくお願いします!!」

「食堂を10時まで開けてくれるようになり、とても助かります!大変だったと思いますが本当にありがとうございました。」

「私たちの要望を真剣に考えて下さって食堂も10時まで延長して下さって、本当にありがたいです。豊田先生みたいな先生がたくさん増えたらいいなと思います。」

 学生たちから、気恥ずかしくなるような感謝の言葉をもらって、半年間授業の改善に四苦八苦したことが、また、学生たちの大学への要望のいくつかに応えようとして奔走したことが、ほんとうに報われたと感じました。学生たちからこのように評価されると、こちらも「よし、学生たちのためにもっとこの大学を良くしてやろう」と、いう気になりますね。

 今回、学生たちからいただいた感想の中でも、僕にとっていちばん心に残ったのは

「前期にこの科目をとってとてもよかった。学長から勉強のことだけでなく、人間性を学ぶことができた。全国をみて、大学のレベルはトップレベルではないかもしれないが、学長のレベルはトップレベルだと思う。」

という言葉でした。この書き込みをした学生さんを仮にAさんと呼ぶことにしましょう。

 僕が、注目したのは、Aさんの書き込みの中で「人間性を学ぶことができた」というところです。

 実は、僕は今まで、人間性を教育することができるとは、思っていませんでした。教育によって付加価値をつけることができるのは、「知識、技能、態度」の3つであって、これらは、教育効果を測定できるものです。しかし、人間性は果たして測定できるものなのかどうか?人間の心の奥底は、伺い知ることはできませんからね。

 鈴鹿医療科学大学の教育の理念は「知性と人間性を兼ね備えた医療・福祉スペシャリストの育成」であり、その下に5つの教育目標((1)高度な知識と技能を修得する。(2)幅広い教養を身につける。(3)思いやりの心を育む。(4)高い倫理感を持つ。(5)チーム医療に貢献する。)が掲げられ、その中に「思いやりの心」が挙げられています。僕は、これはたいへんな教育目標が掲げられているな、と思っていました。目標に掲げた以上は、それを達成したかどうかが、測定できないといけない。測定できない限り、目標は達成できたかどうか永久にわかりませんからね。そしてPDCAが回せない。でも、「人間性」や「思いやりの心」をいったいどうやって測定すればいいのでしょうか?

 僕は、「思いやりの心」が教育によって身についたかどうかは、他者に思いやりを感じさせる「態度」を示すことができるようになったかどうか、で測定するしかないのかな、と思っていたのです。

 でも、今回のAさんの「人間性を学ぶことができた」という書き込みを見て、ひょっとしたら「人間性」そのものを伝えたり、教育したりすることが可能かもしれない、と思い始めたのです。

 最近のニュースで「情けは人のためならず」という見出しで、話題になった研究がありましたね。親切な行動をとる園児に対しては、周りの園児も親切な行動をすることを実証した研究でした。

 これは、学生に「人間性」や「思いやりの心」を伝えたり、教育しようと思えば、まず、教員が学生に対して「人間性」や「思いやりの心」を示す必要があるということだと思います。学生が「人間性」や「思いやりの心」を感じとることができない教員のもとでは、「人間性」や「思いやりの心」のある学生は育つはずはありませんからね。

 その上で、学生同士でお互いに助け合うピアサポートや、さまざまな地域へのボランティア活動を活発化させて、鈴鹿医療科学大学という集団、あるいは周囲の地域まで巻き込んだ大きな集団全体を「人間性」と「思いやりの心」に溢れた組織風土にする。そういう風土で育った学生たちが、様々な医療の現場で、患者さんや周囲の人々に「人間性」と「思いやりの心」を自然体で伝えていく。僕は、今、鈴鹿医療科学大学をこのような大学にしたいと考えています。

 Aさんは、「全国をみて、大学のレベルはトップレベルではないかもしれないが、学長のレベルはトップレベルだと思う。」とおっしゃったけど、これからこの大学をトップレベルにするのが、僕の役目ですよ。Aさんが、トップレベルの大学を卒業したと胸を張って言えるようにね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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学生による授業評価の点数はどこまで上がったか?(クリッカーの効果とブレインルール)

2013年09月20日 | 高等教育

 4月19日のブログで学生による授業評価の点数はどこまで上げられるか?(クリッカーの効果)と題するブログを書き、6月5日に僕の授業のことが朝日新聞紙上に掲載されたことをご報告して、その後、前期の授業が終了して最終的にどうなったのかを、読者の皆さんにまだご報告していませんでしたね。

 そんなことで、論文数についての議論をしている真っ最中なのですが、ちょっとここで、一息ついて教育の話をはさむことにします。題して「学生による授業評価の点数はどこまで上がったか?(クリッカーの効果とブレインルール)」です。

 前回のブログでは、クリッカーを授業で使ってみて学生たちから良い感触が得られたことをご報告しましたね。下の写真のタイトルには「授業改善の秘密兵器」などと書きましたが、中教審の答申にも出てくる言葉ですし、すでに一般化しつつあります。

 けっこう多くの大学で使われているようですが、僕の場合は昨年の後期から試行的にやってみて、今年の前期の理学療法2年生に対する「救急医学概論」の講義から本格的に使い始めました。1学期間を通して使ってみて、やはり、これはたいへん優れたツールだということを改めて確信しました。

 

 

 使い方としては、講義中に学生さんにある程度説明をしたら、説明した内容に関する問題(通常は選択肢から正解を選んでいただく問題)を出し、クリッカーで回答していただきます。そうすると、瞬時に正解率がグラフに表示され、教師が今説明をした内容を学生が理解できたかどうか、ほぼリアルタイムで把握することができます。

 このようなクリッカーを使って僕が最初に思い知らされたのは、僕が説明をしたことが、驚くほど学生に伝わっていない、ということでした。教員のみなさん、授業で説明をしたら学生に伝わっている、あるいは学生が覚えていると思っていたら、大間違いですぞ!!

 さて、1学期間を通して、最終的な学生による僕に対する授業評価の点数はどうだったのでしょうか?

 前回のブログでは2009年の学生による授業評価の総合評価の点数が自分のとっているアンケートでは4.05、大学の実施しているアンケートでは4.19とご報告しましたね。今回2013年の点数は、自分のとっているアンケートでは4.70、大学の実施しているアンケートでは4.91と大きく改善しました。2012年の授業では、大学で実施したアンケートで4.32だったので、2009年と比べて少ししか改善していなかったのですが、この1年間で0.59突然跳ね上がったことになります。やはり、これはクリッカーの効果によるところが大きいと思われ、4.91というのは、ほぼ限界の点数かなと思います。

  救急医療に関連して心電図が出てくるのですが、今までは、それを授業で1回説明をして済ませていました。そして、それを定期試験で確認する。多くの先生方は、このような形の講義をしておられると思います。クリッカーを使ってみたら、当初僕のした心電図の説明を、ほとんどの学生が理解していないことがわかりました。これではいけないと思い、次の授業時間で、再度説明をしてクリッカーで確認しました。そして、最終的に心電図についてのクリッカーの問題を14回繰り返すことになり、この間手を変え品を変えて説明をしたところ、正解率はでこぼこしながら徐々に上がっていき、最終的にはほぼ全員が正解するまでに至りました。

  最終的な定期試験の平均点は、昨年のクラスが74.3点であったのに対し、今年のクラスは86.3点となり、同様のレベルと思われる問題に対して、10点以上の成績の改善が見られました。

 学生による授業評価の点数と、学習成果が相関するかどうかについては、アメリカのデータでは、ゆるい相関があるとするデータがあるようなのですが、日本ではあまり調べられていません。この学生による授業評価の点数が学習成果とゆるく相関をするということが、大学において学生による授業評価を実施する、もっとも大きな根拠になっているのです。今回の僕の授業では、まだ1回きりなので断定はできませんが、学生による授業評価の点数が上がると学習成果も上がるということに整合性のあるデータが得られたということになります。

 さて、読者の皆さんの中には、ブレインルールというのをご存知の方も多いのではないかと思います。NHK出版からも本が出ており、下のサイトに紹介が載っています。

https://www.nhk-book.co.jp/books/brain/rule/12rule.html

 12のルールがありますが、その中から授業改善に役立ちそうな箇所を抜き出してみました。

 

  「10分たつと聴き手の注意はどこかへいってしまう」と書かれていますね。そして、感情をかきたてるできごとをはさむと効果のあることが書かれています。つまり、講義をして10分話したら、教師は何かをしないといけない、ということですね。感情をかきたてるできごとをうまくはさむことができない人にとっては、クリッカーは強力なお助けマンになると思います。

 また、「記憶は数分以内に消えてしまう」と書かれていますね。ですから、教師がしゃべったことを学生が覚えていないのも、当然といえば当然ということですね。長期記憶のためには、覚えてなお繰り返す必要があり、「新しい情報を徐々に組み入れ、時間の間隔をあけて繰り返すといい。」と書かれています。今回の心電図の問題で、でこぼこしながら正解者数が徐々に上がっていったのは、全く同じ問題を繰り返すのではなく、手を変え品を変えて新たな情報を少しずつ加えながら繰り返し説明をしていったことの反映と思われます。

 僕が、他の大学や先生方がほとんど採用していない「眠たさ」を授業評価の項目にして授業改善を行ってきたことも、このブレインルールに照らしてみると、合理的なことであったと思われます。

 クリッカーなどのツールを最大限活用して、ブレインルールに則した生理学的にも理にかなった眠たくない繰り返し講義をすることが、学生による授業評価点数を上げると同時に学習効果を高める秘訣である、ということになりますね。

 もう一つ、学生による授業評価での自由記載もたいへん重要な情報を与えてくれます。今回の授業評価での自由記載のご紹介は次の機会にしたいと思います。

 

 

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10月19日激論が予想される研究力シンポジウムの練習(2)「床屋ー研究所」モデル

2013年09月19日 | 高等教育

今回も10月19日に「日本の研究力を考えるシンポジウム」についてのシンポジウムの練習です。

ー第1回ScienceTalksシンポジウム開催!「日本の研究力を考える -未来のために今、研究費をどう使うか-」
日時:2013年10月19日 (土) 13:00~17:00
会場:東京工業大学 蔵前会館 くらまえホール  

http://www.sciencetalks.org/ja

 前回のブログではDさんの最初のご質問にお答えをしましたが、Dさんのご質問はまだまだ続きます。

“「減価償却費」は、施設・設備への投資額や債務償還費を反映するが、この比率が大きい病院ほど、相対的に人への投資額が少なくなり、一人当たりの診療の負荷が大きく、その結果、研究時間が少なくなる可能性が有ると考えられる。・・・・・・”投資できる手持ちの資金額が同じ場合、施設・設備に多く投資すると、人への投資が少なくなるのは理解できます。これは経営者の判断の問題では? 

 借入金で施設・設備へ投資した場合、ある決まった期間に返済する必要があります。この期間は、減価償却期間と同じでしょうか? よく分かりませんが、借入金の返済期間が短い場合、返済が終われば、減価償却費というのは現実にお金を支払うのではないのでしょうから、より多くの金額を人へ投資することができる可能性があるのではないでしょうか?

 借入金が大きいため、一人当たりの負荷が大きくなるのは現実の問題としてあるのかなと思います。でも、先生も否定されていませんが、施設・設備は研究に大きく寄与する要因の一つではないでしょうか。勿論、研究目的とか内容とか手段等によると思いますが。 過度の投資というのは、経営者の判断の問題が大きいと思いますが。

 投資できる手持ちの資金額<<借入金 ですか?    

 “研究時間が少なくなる可能性があると考えられる。” 可能性ですから否定は出来ません。でも、臨床医学論文の9割以上お金で決まる!!は少々抵抗を感じるのが本音です。

 今回は財務指標の一つである「減価償却費」をめぐってのご質問が中心ですね。「経営者の判断」のご質問については、「仮に論文数はほとんどお金で決まるということを認めたとしても、そのお金の財源の一部は経営判断で左右されるのではないか?」というご質問のように思われます。これは、論文数がお金で決まるかどうかという問題を一歩進めた高度なご質問ですので、答えは後に回すことにして、まずは、「減価償却費」なるものの会計的な解釈についてのご質問にお答えしたいと思います。

 「借入金で施設・設備へ投資した場合、ある決まった期間に返済する必要があります。この期間は、減価償却期間と同じでしょうか? よく分かりませんが、借入金の返済期間が短い場合、返済が終われば、減価償却費というのは現実にお金を支払うのではないのでしょうから、より多くの金額を人へ投資することができる可能性があるのではないでしょうか?」

 これは「減価償却費」についての基本的なご質問ですね。

 ご指摘のように減価償却費の償却期間と借入金の償還期間にはずれがあります。現在、国立大学病院が利用している国立大学財務経営センターからの借入による場合は、医療機器などの設備については、償却期間よりも償還期間の方が長く設定されています。(仮に医療機器の償却期間が7年とすると償還期間は1年据え置きの9年)。一方、建物については、その逆で、償却期間よりも償還期間の方が短くなっています。(仮に建物の償却期間を39年とすると、償還期間は5年据え置きの20年)。これらの合計でもって、各大学病院の毎年の償還額や減価償却額が決まることになります。今までの国立大学病院では、高額の医療用施設・設備費についてはほとんどが借入金で賄われてきており、少し長い目で見れば両者は概ね相関をしています。

 Dさんのご質問の、「借入金の返済期間が償却期間よりも短い場合、返済が終れば、より多くの金額を人へ投資できるのではないか?」というご質問についてですが、短期間の借入金償還を経常収入で賄えるほど経営状態が良ければ、Dさんのおっしゃる通り借金を返し終わった後は、次に建物や医療機器の更新をするまでの期間については、人を増やすことができますね。ただし、短期間の借入金償還が経常収入で賄えず、資産の取り崩しなどを行わなければならない経営状況であれば、話は変わってきますし、次期の施設・設備の更新までに残された期間が短ければ、その期間だけ人を増やすということは現実的には困難になります。

 国立大学病院でそのようなことが生じるとすれば、病院再開発時の建物建設の償還のピークが過ぎて、返済が楽になってきた頃ですね。ただし、医療機器の更新はけっこう頻繁に行わないと、大学病院は先進医療を維持できませんので、必ずしも人を増やすわけにはいかず、償還のピーク時に更新を控えていた先進医療機器の更新が人よりも優先されるかもしれません。ある大学病院の再開発計画を例にとると、償還のピークが過ぎるのは約25年後になっていました。つまり、人が増やせるとしても25年後ということになります。これでは、25年後に人が増やせるとしても、激しい国際競争には打ち勝てませんね。また、従来は、30年経つと病院の再開発を考えるので、次の再開発投資までの期間もそれほどありません。そんなことで、償却期間と償還期間の隙間を狙って人を増やすというのは、あまり現実的ではありません。

 「投資できる手持ちの資金額<<借入金 ですか?」  

というご質問に対しては、国立大学病院ではその通りです。

 基本的に、国立大学病院では、中期目標期間(6年間)については剰余金の留保が認められていますが、中期目標期間を超えて、剰余金を繰り越すことは困難です。財務省としては、繰り越せるお金があれば国に返還するべきであるという考えだと思います。その代わり運営費交付金が国立大学に交付されているわけです。運営費交付金は毎年削減され続けていますが、もし、各大学が将来の病院再開発のために剰余金を積み立てる余裕があるのであれば、財務省は運営費交付金の削減幅をもっと大きくできるという判断をするのではないかと想像します。

 42国立大学の附属病院の借金の総額がどのくらいあったかということですが、国立大学が法人化された平成16年の時点では約1兆円でした。最近ではその額は減少傾向にあり、9千億円を切っています。これは、法人化以降、各大学病院がいっしょうけんめい法人化前の国の借金を返しているととともに、新たな病院再開発の節減努力をして、法人化前ほどお金をかけなくなったということを意味していると考えます。ただし、今後デフレからインフレ基調となって、消費税が引き上げられれば、建設費が高騰する可能性もあり、借入金総額がどう動くのかについては、予断を許しません。

 「借入金が大きいため、一人当たりの負荷が大きくなるのは現実の問題としてあるのかなと思います。でも、先生も否定されていませんが、施設・設備は研究に大きく寄与する要因の一つではないでしょうか。勿論、研究目的とか内容とか手段等によると思いますが。」 

 施設・設備は研究に寄与する要因の一つです。ただし、今回の分析に用いた大学病院の「減価償却費」は、診療に使われる施設・設備を反映したものです。収入を生まない教育・研究用の機器については、医業収入で賄うことはせずに、公的な資金や医学部の予算で賄うことになりますが、このような教育・研究用機器の減価償却費は含まれていません。

 研究用の機器であれば、研究成果に直結するわけですが、医療用の機器の場合は、必ずしも研究成果には直結しません。ただし、間接的に研究につながることはあります。たとえば、最新式のCTスキャンを購入して、検査をした症例を集積すれば、臨床医学の論文が書けるかもしれません。しかし、必ずしも研究に結びつく医療機器ばかりとは限りませんし、また、大学病院の建物にいくらお金をかけても、あまり論文数には結びつきません。

 今回の分析結果は、診療に使われる施設・設備の投資については、一部の医療機器は論文数にプラスに働く面もありますが、研究にプラスに働かない医療機器や建物を含めてトータルで見ると、差し引きマイナスになるというふうに解釈されます。

   “研究時間が少なくなる可能性があると考えられる。” 可能性ですから否定は出来ません。でも、臨床医学論文の9割以上お金で決まる!!は少々抵抗を感じるのが本音です。

 Dさんが、「臨床医学論文の9割以上お金で決まる!!」という表現に抵抗感をお感じになるのは、きわめて常識的な反応ですね。僕が、内閣府のある委員会で、論文数を大きく左右するのはお金です、と申し上げたら、担当していた官僚のかたは信じられないという感じて否定的な発言をされましたからね。彼の主張は、科研費を増やしたのに論文数は増加していない、というもので、科研費そのものの存在意義を否定しようとするものでした。

 多くの政策決定者が、お金以外のファクターが大きいと思っており、研究費総額を増やす必要はないと思っているからこそ、このようなことをあえて僕が主張する意義があると思っています。

 さて、Dさんにご質問いただきました「経営者の判断」の議論にお答えしなければなりませんね。

 

”投資できる手持ちの資金額が同じ場合、施設・設備に多く投資すると、人への投資が少なくなるのは理解できます。これは経営者の判断の問題では?

 過度の投資というのは、経営者の判断の問題が大きいと思いますが。”

 

 これは、論文数がお金次第であると認めた場合の財源論、あるいは研究機能と病院経営のリンケージの問題ということだと解釈します。つまり、研究論文の増は、病院の経営判断に左右されるのではないか?

 今回お示しした僕の分析結果に対し、Dさんは論文数の9割以上がお金で説明できるということに驚かれました。もう一つの驚きは、なぜ、論文数が、一見関係がないと思われる病院経営と関係しているのか、そして、研究活動に直接的に投資されるお金ではなく、病院経営の財務指標で9割が説明できてしまうのか?ということだと思います。ある銀行の幹部の人が、そんなことが証明できたら、ノーベル賞をあげるよとおっしゃっていた問題ですね。

 経営判断について僕の考えをお話するまえに、まずは、研究機能と病院経営が、どういうメカニズムでリンケージするのかということについて、ちょっと詳しく説明したいと思います。

 これを理解するためには、企業の研究所の研究員が、同時に営業部で営業活動をしている場合を仮想してみると理解しやすいと思います。営業活動としては、例えば床屋さんをイメージすると病院に近いかもしれませんね。この床屋さんは、研究所を持っていて、その従業員は研究活動を50%、床屋の営業活動を50%おこなっていると仮定します。これを、例えば「床屋ー研究所モデル」ということにしましょう。

 Aさんが働いている「床屋ー研究所」は、何らかの理由で床屋の収入を10%増やさなければならず、そのためにはお客さんの数を10%増やさなければなりません。お客さん1人あたりの理髪に要する時間が変わらないと仮定すると、従業員の床屋での営業活動時間は10%増えます。その場合、従業員を増やさなければ従業員の研究時間は10%減ることになります。一定期間に産生される論文数が「従業員の人数×研究時間」に比例すると仮定すると、論文数は10%減ることになります。ただし、この従業員が残業をして研究時間を10%増やせば、論文数は減りません。しかし、ここの従業員は普段から週80時間も働いており、残業を増やす余地がないので、研究時間は10%減少したままです。

 このようなモデルでは、営業活動時間を増やすように作用する負荷が、シーソーゲームのように、鋭敏に論文数減少に反映されることになります。その負荷は、たとえば、床屋さんが施設・設備の更新をしたために借入金の償還額が増えた、ということでもいいし、交付金が減ったということでもいいわけです。

 僕は、大学病院の実態は、このモデルに近いと考えています。

 Aさんの「床屋ー研究所」は10人の従業員がいて年間10編の論文数を産生しており、理容椅子が10台あり、稼働率は80%でした。一方Bさんの働いている「床屋ー研究所」は、20人の従業員がおり20台の理容椅子をそろえており稼働率は同じく80%でした。両方の「床屋ー研究所」とも施設・設備の更新をして、そのための借入金償還額が増えたため、稼働率を10%増やしました。その結果10%営業活動の時間が増え、研究活動時間が10%減って、論文数も10%減りました。ところが、Bさんの「床屋ー研究所」については、国からの運営費交付金を増やしていただいたので、従業員の数を1人増やすことができ、論文数の減少を防ぐことができました。

 二つの「床屋ー研究所」の論文数の差は?

 通常の状態でBさんの「床屋ー研究所」の従業員は、Aさんの「床屋ー研究所」に比較して2倍いることから、論文数も2倍の20編が産生されていたと考えられます。Bさんの「床屋ー研究所」は、施設・設備の更新に伴う借入金償還の増に伴う研究時間の減少が、運営費交付金による従業員増で防ぐことができたことから、論文数は20編のままです。一方Aさんの「床屋ー研究所」では、交付金が措置されず、施設・設備の更新に伴う借入金償還額増の影響がそのまま研究時間の減少に反映されたため、論文数は10編から9編に減ったということになります。

 このようなモデルでは、「床屋」の財務指標のうち、「従業員の数×研究時間」を反映する指標はすべて、論文数についても、いくばくかの程度反映することになります。

 例えば、「床屋」の営業売上高を考えてみます。Aさんの「床屋ー研究所」とBさんの「床屋ー研究所」の客単価と客一人あたりの理髪時間が同じと仮定すると、売上高は「従業員の人数×営業活動時間」を反映します。従業員の人数は論文数にプラスに働きますが、営業活動時間は研究活動時間を減らすと考えられマイナスに働きます。ただし、Aさんの「床屋ー研究所」とBさんの「床屋ー研究所」とで、従業員の人数は2倍の差があるが、従業員あたりの営業活動時間と研究活動時間の比率の差が高々10%程度であったと仮定すると、人数の方が、研究時間よりもはるかに大きく影響し、売上高は論文数とけっこう良好な相関係数でもって正の相関を示すことになります。

 「売上高」に、「従業員の人数×研究時間」にプラスに働く「運営費交付金」や「狭義の研究費」を加え、マイナスに働く「減価償却費」を差し引いて調整をすれば、論文数とさらに良く相関する財務指標が得られることになります。その結果、異なる「床屋ー研究所」間の論文数の差を、床屋の営業部門の財務指標だけでもって9割以上説明できてしまうことになるのです。

 このような

「床屋ー研究所モデル」

そして、

「論文数=k×(研究人材数)×(研究時間)×(狭義の研究費)」

は、大学附属病院だけではなく、病院以外の大学部分でも成立すると考えています。病院以外の大学の場合に「床屋」にあたるのは「教育」が主なものになりますし、その他、研究時間にマイナスに働く活動も含まれます。

 「論文数=k×(研究人材数)×(研究時間)×(狭義の研究費)」のうち、(研究人材数)については、2倍になれば論文数も2倍になり、3倍になれば論文数も3倍になるという関係が成立しやすいと思いますが、(研究時間)については、1日の研究時間には限りがあるので、あるところで頭打ちになりますね。

 (狭義の研究費)については、ある金額までは論文数と相関すると思いますが、すぐに効果の逓減という現象が表れてきます。たとえば300万円の狭義の研究費をもらった研究者が3か月で1編の論文を書くとしましょう。では、3000万円の狭義の研究費をもらった研究者が、3か月で10編の論文が産生できるかというと、そうはなりませんね。もっとも、3000万円の研究費が狭義ではなく、それで研究人材の数を増やすことに使うことができる広義の研究費であれば、論文数はその金額に比例して増えることも考えられます。また、300万円では実施できず、3000万円かけないことには実施できない研究もあるわけで、この意味からも、(狭義の研究費)と論文数は必ずしも比例するわけではなく、現象としては効果の逓減として表れてきます。

 ただ、研究者の数や時間はあるが、(狭義の研究費)が不足しているために、満足に論文が産生できない大学があるとすれば、このような大学に(狭義の研究費)を投入すれば、その金額に比例して論文数が産生されることが期待されます。

 また、国立大学への運営費交付金の削減は、研究人材数を減らすことに繋がり、教育の負担、つまり「床屋」の営業活動時間が変わらなければ、研究時間が減少して、「研究人材数×研究時間」が減少するので、論文数は減少することになります。これは地方国立大学で実際に起こった現象ですね。

 kは、研究者の能力やソフト面のファクターです。Dさんのおっしゃるように、もちろんこのファクターも重要ですが、論文数の産生と言う面では、ある一定レベルの大学であれば、大学間格差は小さいと思われ、kという定数で表わしてみました。

 さて、以上のような大学病院および大学の経営と研究活動(論文数)とのリンケージの仕組みをご理解いただいた上で、「経営判断」についてもお話したいと思うのですが、ブログが長くなりすぎたので、ちょっと休憩して、また次の機会にします。


 

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10月19日激論が予想される研究力シンポジウムの練習(1)

2013年09月17日 | 高等教育

台風18号が過ぎ去り、今日は秋晴れの天気でしたが、被害に会われた皆さんのことを思うと、複雑な気持ちになりました。

さて、前回のブログで10月19日に「日本の研究力を考えるシンポジウム」が開催されることを紹介させていただきました。

第1回ScienceTalksシンポジウム開催!「日本の研究力を考える -未来のために今、研究費をどう使うか-」
日時:2013年10月19日 (土) 13:00~17:00
会場:東京工業大学 蔵前会館 くらまえホール  

http://www.sciencetalks.org/ja

 財務省の神田眞人さんや文科省研究振興局の菱山豊さんもプレゼンされる予定で、熊本大学長の谷口功さん、中部大学理事長兼総長の飯吉厚夫さん、藤田保健衛生大学の宮川剛さん、政策研究大学院大学の小山田和仁さんと、そして僕がプレゼンをします。かなりの激論が予想されますね。

 いつも僕のブログに対して、なるほどと感じられるご意見をいただくDさんから、たくさんのご質問をいただいていますので、今日はそれにお答えをいたします。

「研究力∝(研究者数、研究時間、狭義の研究費、研究者の能力)∝論文数∝お金  ということでしょうか? 研究者の教育・訓練・指導といったことも、お金次第でしょうか? やはりそこには、ノウハウといった、ソフト面も重要な要素ではないでしょうか? お金だけでなく、伝統とか、指導者の指導力、人柄とかいった面はどうでしょうか?    良き研究者=良き指導者 でしょうか?お金を投資して、どれくらいの年数で結果が出るのでしょうか? 仕組みといったソフト面は不要でしょうか? どういうプロセスを経過して成果に繫がるのでしょうか?」

 Dさんはたくさんのご質問が、次から次へと噴出されるようですね。 それぞれ、なるほどと感じられるご質問が並んでいます。この質問に加えてあと2つご質問があります。まずは、この最初のご質問にお答えしたいと思います。10月19日のシンポジウムでも同じような質問が出ると思われますしね。Dさんのご質問にお答えすることは、10月19日のシンポジウムへ向けての良い練習にもなります。

 研究力∝(研究者数、研究時間、狭義の研究費、研究者の能力)∝論文数∝お金  ということでしょうか?

 僕がお金と直接関係していると申し上げているのは、このうちの「研究者数、研究時間、狭義の研究費」の3つです。「研究者の能力」については、お金と直接関係のない要素として考えています。だたし、一部はお金と関係している可能性があります。

 研究者の能力はお金とはあまり関係のない部分ですが、現在の日本の状況では

 「研究力∝(研究者数、研究時間、狭義の研究費、研究者の能力)∝論文数∝お金

が成り立つと考えています。つまり、適切にお金を出せば、お金に比例して論文数が増える。言い換えると、能力を持った研究者が、日本にはまだまだ存在するということです。能力を持った研究者がいなければ、お金を出しても論文数(特に質の高い論文の数)は増えませんからね。また、今後日本で能力をもった研究者をさらに増やすためには、女性研究者を増やすことや、海外からの優秀な留学生や研究者を増やすことが考えられます。そのためにはお金も必要です。

研究者の教育・訓練・指導といったことも、お金次第でしょうか? やはりそこには、ノウハウといった、ソフト面も重要な要素ではないでしょうか? お金だけでなく、伝統とか、指導者の指導力、人柄とかいった面はどうでしょうか?    良き研究者=良き指導者 でしょうか?

 Dさんのおっしゃるように「研究者の教育・訓練・指導、ノウハウといったソフト面、伝統とか、指導者の指導力、人柄とかいった面」は、基本的にはお金以外の要素が大きく関係することがらです。また、「良き研究者=良き指導者」というのは、まったくその通りです。

 Dさんのおっしゃるようにお金以外のことも非常に大切です。「研究力はお金次第」というのは、いささか誇張した文学的表現であって、誤解や反発を招きやすい表現かもしれませんね。

 ただし、僕が意識的にこのような誇張された表現を使うのは、「研究力はお金以外の要素が大きいので、研究費を削ったとしても、工夫して頑張ればいいはずだ。だから、たとえ大学(特に地方大学)の運営費交付金や研究費を削減しても、日本の論文数と外国との格差が大きくなり、研究の競争力が低下しているのは、現場の努力や工夫が足りないからだ。」という政策決定者の考えを変えていただくためです。

 さて、前回お示しをしたデータは、医学部附属病院を有する42国立大学の臨床医学論文数について、ある時点での静的な分析であり、このデータだけで「研究力はお金次第」と結論付けるのは限界があります。実は、静的な分析だけではなく動的な分析が必要なんですね。

 前回のデータで何が示唆されるかというと

 「国立大学医学部における、ある程度質の保証された臨床医学論文数の大学間格差は、その93%がお金の差で説明ができる。」

 ということです。お金を増やしたら論文数もそれに比例して増える、ということまでは、このデータでは言えないのです。

 前回のデータで言えることは、お金以外の研究力を左右すると考えられる要素の大学間格差は、国立大学医学部の間では極めて小さい。ということです。つまり、東大であろうが、三重大であろうが、「ある程度質の保証された論文数」という指標で測定をした場合、研究者の能力や、その他研究力に関係するソフト的な要素については、ほとんど差がない、ということを言っているのです。

 繰り返しますと、Dさんのおっしゃるように「研究者の能力」は、もちろん研究力を左右する大きな要素であり、決してそれを軽視するべきではありませんが、前回のデータは、医学部においては東大と三重大とでその差はほとんどなく、東大も三重大も研究者の粒がそろっており、ちょぼちょぼである、ということなのです。

 したがって、地方国立大学の予算を削って、論文数の多い大学に予算を移しても、日本全体の論文数が増えるわけではない。最近、国は、旧帝大+いくつかの大学を「研究大学」と称して重点化し、「選択と集中」政策をあからさまに押し進めています。僕の主張は、下位の大学の予算を上位の大学に移し替えるだけの「選択と集中」政策をしても、日本国全体の研究の国際競争力は向上しませんよ、ということなのです。

 もっとも「選択と集中」政策を実行するにしても、下位の大学の予算を削らすに、研究費総額を増やす形でやっていただければ、日本全体の論文数は増えることが期待されます。

 ただし、研究費を増やしたら論文数は増えるのですが、研究費に比例して論文数が増えるかというと、必ずしもそうとは限りません。「効果の逓減」という現象が起こってくるからです。つまり、お金を増やせばある所までは比例して論文数が増えますが、あるところを超えると効果の伸びが鈍化すると考えられるからです。僕は上位大学に「選択と集中」をすることは、この「効果の逓減」を生じやすいリスクがあると考えていますが、これについては、今回お示ししたデータとは別のデータによる実証が必要ですね。

「お金を投資して、どれくらいの年数で結果が出るのでしょうか? 仕組みといったソフト面は不要でしょうか? どういうプロセスを経過して成果に繫がるのでしょうか?」

 お金を投資して、どれくらいの年数で結果がでるのかというご質問ですが、これは、前回お示ししたデータではわかりません。動的なデータの分析が必要ですね。ちょっと解釈が難しくなるのですが、動的な分析をしたデータを下にお示しいたします。

 2007年から2010年にかけての臨床医学論文数の増加率と相関する財務指標を求めた分析です。

 2010年度の「帰属主義からの教員人件費増加率」とは、いったい何を意味しているのか、ほとんどの皆さんはお分かりにならないと思いますが、簡単に言えば、本来あるべき教育・研究と診療の時間的な比率から、実際はどれだけ診療に傾いているか、ということを示す財務指標ということになります。この指標が大きい大学病院ほど、教員の研究時間が少なく、診療時間が多い大学であると考えてよいでしょう。

 ほんとうは、2007年から2010年にかけてのこの指標の増加率を分析に使うことができればよかったのですが、残念ながらそのデータが得られないために、2010年の静的なデータとして分析をしています。運営費交付金と減価償却費については、2007年から2010年にかけての増加率を用いています。

 そうすると、論文数の増加率に対しては、運営費交付金の増加率がプラスに働き、減価償却費の増加率と「帰属主義からの教員人件費増加率」(つまり診療時間への偏りの大のきさを示す静的データ)はマイナスに働くことがわかりました。

 つまり、教員の研究時間が確保されている大学病院において、運営費交付金が増えれば論文数が増える。ただし、その間に減価償却費が大きく増えた大学ほど論文数の増えは悪い、ということになります。

 このようなデータから「お金を投資して、どれくらいの年数で結果が出るのでしょうか?」というDさんの質問に対しては、数年単位の非常に短期間で結果が出る、というお答えになります。

 Dさんの「仕組みといったソフト面は不要でしょうか?」というご質問に対しては、ソフト面は必要であり、非常に重要な要素であるが、ただし、東大と三重大の論文数の差はソフト面では説明が困難であり、ほとんんどはお金の差で説明ができ、ソフト面での差はないと考えられるということになります。

 「どういうプロセスを経過して成果に繫がるのでしょうか?」というご質問には一般的なことしか答えられませんが、運営費交付金が増えれば、研究人材を雇用することができ、論文数が増える。逆に運営費交付金が減らされれば、研究人材を減らさなければならず、論文数が減る、というふうに考えられます。また、減価償却費が増えるということは、施設・設備の投資を最近行ったということであり、償還が始まれば医師の活動時間が研究から診療へシフトすると考えられ、それだけ論文の生産は減ることになります。

 臨床医学研究のプロセスは、一般的には、症例数を統計学的分析に耐えられるだけの多くの数を集めて、分析するということです。ただし、実験的研究をする研究者もいます(今まで日本の臨床医は実験的研究をする人が多かった)。今後、海外に対抗できるような質の高い臨床研究をしようと思えば、より多くの症例数を集める必要があるのですが、これは、Dさんのおっしゃるソフトの問題ですね。日本の医療提供システムが歴史的に中小規模病院の分散型になっているので、これを海外の大学病院みたいに、多くの症例が集中する大規模病院のシステムにしようと思えば、相当な構造改革が必要であり、またICTシステムを構築するにしても、かなりのお金が必要となります。

 Dさんのご質問はまだまだ続くのですが、また、次のブログで回答することにします。

 

 

 

 

 

 

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僕が「論文数は金(かね)次第!!」と確信した理由

2013年09月09日 | 高等教育

 2020年のオリンピック開催地が東京に決まり、そのニュース一色の土日でした。すべてにわたって内向きで縮小してきたわが国が、これからはいけいけどんどんで、イノベーションが、そして成長が加速していくようになればいいなと思います。

 さて、大学セクターにおけるイノベーションの指標である論文数について、しばらく前に僕が皆さんに「論文数は金(かね)次第」であると確信した理由をお話しすることをお約束してから、ずるずると日が経ってしまいました。

 今までのブログで、僕は、日本が国際競争に勝つためには論文の質だけではなく数が大事と主張し、そのためには広義の研究費総額を増やす必要があると主張してきました。前回のブログでは、論文の再現性(質の1つ)についてのコメントに、僕もコメントさせていただきましたね。ここで、誤解をしてほしくないのは、僕は、個々の研究者が論文の質を低下させてまで論文の数を増やすべきであると言っているのではないということです。個々の研究者には、むしろ、論文の数は少なくてもいいので質の高い研究をしていただきたい。

 その上で、日本が国際競争に勝つためには国民一人あたりの論文の数を増やす必要があり、そのためには、優秀な研究者の数を日本国として増やす必要があり、そのためにはお金(広義の研究費)が必要ということになります。

 こんなことは自明のことと思われるのですが、政府の政策を決定する立場のみなさんにご納得していただくためには、データが必要なんですね。いままでの僕のブログでも、海外、特に台湾と比較して、研究費と論文数が非常にパラレルに動いていることをお示ししてきました。

 今日は、日本の国立大学における臨床医学論文数と、大学附属病院の財務データの相関についてお示しをいたします。僕が「論文数は金(かね)次第」であると確信したデータです。

 大学病院の財務データというような”経営”に関するデータが、果たして研究機能と関係しているのかどうか?僕が、ある銀行の幹部の人に、そんなことをちょっとお話をしたら、「豊田先生、それを証明したら、私はノーベル賞を差し上げますよ。」なんて言われて、まったく信じていただけませんでした。

 それで、2010年度の国立大学病院の財務指標と、2009-2011の臨床医学論文数との相関を検討してみました。なお、臨床医学論文数は例によって、トムソン・ロイター社の学術文献データベースInCites™を用いて分析しました。トムソン・ロイター社の学術文献データベースに採用されている学術誌は、ある程度以上の質を保っているとされていますね。

 また、重回帰分析はCollege Analysis Ver.5.0(by 福井正康氏、福山平成大学)を用いました。

 その結果が下のスライドですが、42国立大学附属病院の財務指標と臨床医学論文数との重回帰分析を行ったところ、「業務収益」と「減価償却費」の2つの財務指標と臨床医学論文数との間には、グラフにあるように、非常に良好な相関関係が得られ、臨床医学論文数の実に93%は、この2つの指標だけで説明が可能という結果でした。

 ただし、「業務収益」には、病院の医業収益だけではなく、受託研究費や共同研究費、そして運営費交付金も含まれています。また、相関係数の符号から「業務収益」は、論文数にプラスに働いていますが、「減価償却費」はマイナスに働いていますね。

 

 

 

 「減価償却費」は、病院の施設や設備への投資額を平準化した指標であり、このような投資が基本的に借金で賄われている国立大学病院においては、債務償還額ともほぼパラレルです。

 つまり、運営費交付金や受託研究費・共同研究費、そして医業収益を含めた総業務収益が多くて、借金が少ない大学病院を有する大学ほど臨床医学論文数が多い、というふうに解釈されます。しかも、この二つの財務指標で論文数の93%まで説明ができてしまう。

 僕が「論文数は金(かね)次第」と確信するに至ったことに、ご納得いただけましたでしょうか?

 ただし、もう少し、このデータの解釈には注意が必要です。

 大学病院の「業務収益」のうち、運営費交付金や受託・共同研究費をたくさん獲得することは研究活動にプラスに働くことが容易に想像され、それが多い大学ほど論文数が多いことには納得がいきます。ただし、「業務収益」の中には医業収益も含まれており、そうすると、お金をたくさん稼いだ附属病院を持っている大学ほど、臨床医学論文数が多い、ということにもなります。果たして、論文数を増やすためには、大学病院がお金を稼ぐべきなのでしょうか?むしろ、大学病院がお金を稼ごうとすれば、先生方の研究する時間が少なくなり、論文数は減るのではないでしょうか?

 次の図は、ずっと以前にブログでお示しした図ですが、研究人材の多い大学病院ほど臨床医学論文数が多いこと、しかし、1人あたりの医業収益が多い大学病院ほど、1人あたりの論文数が少ないことを示しています。

 

 実は「医業収益」が多い病院とはどういう病院かというと、基本的には規模が大きく医師の数も多い病院であり、したがって、研究人材も多い病院なのです。つまり「医業収益」という財務指標は、「規模」や「人材数」をよりよく反映する指標である可能性がある。

 一方「減価償却費」は、施設・設備への投資額や債務償還費を反映しますが、この比率が大きい病院ほど、相対的に人への投資額が少なくなり、1人あたりの診療の負荷が大きく、その結果、研究時間が少なくなる可能性があると考えられます。

 つまり、大学病院は、1人あたりの診療の負荷が大きくならないように効率よくお金を稼ぎ、稼いだお金を施設や設備に投資せずに、人へ投資すれば、論文数が増える、というふうに解釈されます。

 もちろん、大学病院は施設・設備への投資も欠かすことはできず、その一部は研究機能にプラスに働きます。しかし、少なくとも過度な投資をした場合には、経営上も問題になるし、また、研究機能にもマイナスになるということだと思います。

 研究力∝(研究者数、研究時間、狭義の研究費、研究者の能力)

 というふうに考えますが、今回用いた「業務収益」と「減価償却費」は、この4つの要素のうちの「研究者数」、「研究時間」、「狭義の研究費」の3つを反映するものと考えられます。これらの3つはいずれもお金で確保することができます。

 ということで、臨床医学論文数の9割以上は”お金”で決まる!!

 さらに「研究者の能力」についても、シンガポールなどの国がしているように、お金をたくさん出せば、優秀な研究者を世界中から集めることができるかもしれません。

 論文数は金(かね)次第!!

 僕は、この法則(?)は、おそらくは臨床医学以外の分野にもあてはまることができるのではないかと推測しています。

 ところで、来る10月19日(土)の13-17時に”Science Talks 「日本の研究力を考えるシンポジウム」”が東工大蔵前会館で開かれ、僕もプレゼンをします。まさに、研究費のことがテーマです。

 財務省からは、以前に文科担当の主計官をしておられた神田眞人さん、文科省からは研究振興局長の菱山豊さんもプレゼンをされます。神田さんといえば、昨年の大学マネジメント誌の鼎談で、僕とかなりの激論を交わさせていただきましたね。こんどはどういうことになるやら。他にも、何人かの楽しみな論者が発表されますよ。熊本大学の谷口功学長さんにも、地方大学の立場から発表していただく予定です。下のサイトをぜひ訪問してみてください。

http://www.sciencetalks.org/ja

 

 

 

 

 

 

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