ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、前国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

地方国立大学の疲弊がわが国の国際競争力を低下させる(その5)

2011年12月31日 | 科学

 さて、このシリーズも5回目。学会発表を元にしたけっこう長いブログが続いているので読者のみなさんは、ちょっと疲れてきましたかね。でもこの物語は、今からいっそうの佳境に入っていきますよ。もうちょっとのがまんです。

 下の図は、PubMedというアメリカの医学関係のデータベースをもとに、北海道大学医学部の西村正治教授といっしょに分析したデータです。このデータベースはインターネット上で公開されているので、誰でもタダで利用ができますよ。ただし、分野が医学関係に限られていますけどね。

 このデータベースの中に、PubMedが以前から選定している臨床医学の著名な学術誌の論文を一括して検索できるサービスがあります。現在では119誌になっています。注目度(質)の高い論文数を見る一つの方法ですね。すでに、この”地方大学の疲弊”シリーズの(その3)で、世界の主要国の比較をお示ししました。日本だけが急速に低下していましたね。

 今回は、それをわが国の大学群別に調べてみました。

 この図を見ると、国立大学も私立大学も公立大学も、すべて低下しています。そして、その中でも地方国立大学の低下の急峻さが際立っていますね。

 もう一つ、このカーブをご覧になって、皆さんもお気づきになったと思いますが、2000年ころまでは、地方国立大学の注目度(質)の高い論文数が急速に増えています。つまり、地方国立大学は、旧帝大に追いつけとばかりに論文の質を急速に高めてきましたが、2000年を超えると、刀尽き矢折れたかのように、急速に質の高い論文数を減らしています。

 なんとも哀れな地方大学の物語だと思いませんか?

 さて、このブログは、12月15日の日本分子生物学会での私の発表にもとづいています。そんなことで、”分子生物学”を含む基礎的医学分野について、医学部のある42の国立大学に限って、法人化前後の変化を分析してみることにしました。ただし、言い忘れていましたが、”基礎的医学”の論文には、医学部以外の学部の先生方の論文も含まれていることに留意しておいて下さい。つまり、論文数の分析は学術誌の分類で行っているので、大学の学部の分類とは若干ずれているのです。

 まず、医学部を持つ42国立大学の基礎的医学について、法人化前5年間の平均論文数をチェックしました。左図は1大学ごとにプロットしたもの、右図は7大学グループごとに平均値を棒グラフで示したものです。

 下の図のように、トップの大学から42番目の大学まで、すごい傾斜がありますね。大学間格差、あるいは大学の序列といったことをまざまざと見せつけられるデータです。

 

 次に、これを元にして、2009年の論文数の変化を見てみたのが下の図です。左の図は変化率、右図は変化量を示しています。

 左の変化率のグラフでは、上位の大学は1前後で、あまり大きな変化はしていませんが、下位の大学になるほどばらつきが大きくなり、論文数を大きな割合で減らした大学が増えています。

 右図の変化量、つまり論文の数そのものの変化では、上位の大学での論文数の変化が大きく、下位の大学では数としての変化はそれほどでもないことがわかります。上位の大学では、率としてはわずかの変化であっても、数としては大きく変化するんですね。

 これらを元にして、さらに分析を進めました。

 下の左図は、法人化の前と後の論文数の変化量について7大学群ごとに平均をとったものです。トップ7大学(旧帝大)は増えていますが、第二グループ、および第三グループの論文数の減少が大きいことがわかります。

 右図はこれと同じことを示しているのですが、論文数の多い大学から順番に累積の変化量をプロットしたものです。上位の大学群で論文数は100くらい増え、中位の大学群で200くらい減少し、下位の大学でさらに100くらい減少し、トータルのプラス・マイナスでは約200の減となったことがわかります。イメージ的にも中位群での減少のカーブが最も急峻になっていますね。

 

 さてさて、読者の皆さんには、たくさんの論文数などについてのデータの分析を見て頂いてお疲れさまでしたね。今までの分析でわかったことを下の表にまとめてみました。


 でも、もう一つだけ、国立大学間の格差についてのデータを追加しておきますね。

 下の左図は、昨年の7月に出された「国立大学法人化の現状と課題~中間まとめ~」(文部科学省)からコピーした図で、日米英の科学研究費の大学間の傾斜を示しています。日本の大学間の傾斜は英米よりも急峻であることがわかります。つまり、日本では国立大学間の選択と集中や傾斜配分は、すでに英米よりも激しくなされてきたことがわかります。英米は富士山くらいの傾斜ですが、日本は東京タワーのような傾斜ですね。

 右図は、トムソン・ロイター社の学術情報データベースから、わが国の全分野の論文数の大学間傾斜について私が分析したデータを、先ほどのわが国の研究費の傾斜の図に重ね合わせたものです。単なる論文数だけではなく、論文の注目度(質)を示す被引用数の傾斜についてもお示ししました。

 論文数および被引用数の傾斜は、研究費の傾斜よりも緩やかであることがわかります。つまり、下位の大学(地方大学)は、”ある面”では、より少ない研究費で、質の高い論文数を効率よく産生してきたことになります。

 上位大学には大型のプロジェクト研究に対して巨額の研究費が配分されるので、研究費あたりの論文数は少なくてあたりまえだ、という人もおられますので、”ある面”では、という断りを入れました。しかし、このデータは少なくとも、地方大学は程度が低い、などと批判されるようないわれは全くないことを示していると思います。

 

 このようなデータから、私は2000年以降のさまざまな政策が、結果的に、あるいは意図的に大学間格差を拡大させ、”ある面”では研究効率の良い地方国立大学を疲弊させたことが、日本全体の学術の国際競争力を低下させた大きな要因になったと考えます。

 これで、今回お示しするデータはおしまいです。皆さん、いかがでしたでしょうか?ブログとしてはたいへん重いものになってしまいましたが、最後までおつきあいいただいた読者のみなさん、たいへんお疲れ様でした。

 でも、毎年予算が削減されるこの財政難の折に、今後の日本の研究力はいったいどうなるのでしょうか?果たして研究力をを維持するための良い方法はあるのでしょうか?とっても心配ですね。

 次回からは皆さんといっしょに、この対策について考えてみたいと思います。読者のみなさん、良いアイデアがあれば、ぜひともコメントをお寄せくださいね。




 

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地方大学の疲弊がわが国の国際競争力を低下させる(その4)

2011年12月27日 | 科学

 今までは、日本全体の学術論文、特に医学分野の学術論文の数および質が停滞し、国際競争力が低下していることをデータにより説明してきましたが、今回からは、いよいよ、大学群別に医学の論文数について分析をしたいと思います。

 下は文科省科学技術政策研究所の阪 彩香さんのデータをグラフにしたものですが、わが国の機関別に、臨床医学の論文数の推移を調べたデータです。

 左図は”通常の”論文数です。”通常の”と言っても、トムソン・ロイター社が選んだ良質の学術誌しか収載されませんので、ある程度のセレクションがかかっています。

 右図はTop10%の注目度(質)の高い論文数です。いずれも国立大学が圧倒的に多数の論文数を産出しています。やはり、国立大学の貢献は大きなものがありますね。

 しかし、どうでしょう。左の通常の論文数では、国立大学は停滞しています。しかし、私立大学は増えていますね。

 一方注目度(質)の高い論文数については、国立大学はけっこう急速に論文数を減らしています。私立大学は停滞しているという状況ですね。

 前回のブログでもお話しましたが、論文数が減っても注目度(質)の高い論文数が減らなければまだ救いがあるのですが、現実は注目度(質)の高い論文の方が減っています。

 また、国立大学の論文数が減っているのに、私立大学がそれほど影響を受けていないのは、どうしてなのでしょう?何か、両者の間で論文数に影響を与える要因に違いがあることを想像させます。

 国立大学で起こって、私立大学で起こっていないことは何でしょうか?

 まず思い浮かぶのが、”法人化”の影響や、予算削減の影響ですね。国立大学は2004年に法人化されました。そして、国立大学は運営費交付金が毎年削減され、国家公務員総人件費改革によって人件費を削減され、また、一部の附属病院に対しては交付金が大幅に削減されました。その結果、病院の収益増が求められ、教員は研究時間を削って、診療活動に多くを割かなければならなくなりました。

 なお、私学助成金も削減されるようになりましたが、国立大学の運営費交付金の削減と同じ1%の削減であったとしても、国立大学の場合は大学予算全体に占める割合が大きいので、より大きなダメージを受けることになります。

 また、2004年は、新医師臨床研修制度が始まった年でもあり、若手医師の流動化が起こり、勝ち組と負け組の差が大きくなり、負け組となった地域の病院の医師不足が表面化するとともに、一部の大学病院の若手医師が少なくなり、研究活動にも影響を与えたことが考えられます。



 次のグラフは基礎生命科学です。基礎生命科学の分野は、前回のブログで出てきた基礎的医学(分子生物学および遺伝学、免疫学、微生物学、生物学および生化学、神経科学および行動科学)に、農学、植物・動物学、薬学・毒物学を加えたものです。

 

 国立大学が圧倒的な論文数を産生していますね。しかし、国立大学で通常の論文数がやや減少気味、私立はやや上昇。注目度(質)の高い論文数は国立大学で最近減少し、私立大学では停滞しています。

 次は、臨床医学論文数について、国立大学を上位大学と地方国立大学に分けて分析してみました。旧7帝大、次に続く7大学、および私立大学ではやや増加していますが、他の国立大学(地方国立大学)では低下しています。

 基礎的医学分野の論文数については、旧7帝大や次に続く7大学や私立大学でも停滞していますが、地方国立大学では明らかに減少しています。

 このように、国立大学の医学論文数の停滞、あるいは減少の要因として、地方国立大学での論文数減少が大きく影響し、それが延いては我が国全体の医学論文数の停滞~減少に寄与していることがわかります。

 また、これはわが国の国立大学の格差が拡大したことを意味します。研究活動に影響する様々な負荷(法人化、予算削減、新医師臨床研修制度、その他)がかかった場合に、余力の小さい大学ほど、大きな影響を受けるということでしょう。たとえば、外部資金を多く獲得できる余力のある大学では、特任教員等を増やすことによって、研究力の低下をある程度補うことができますが、余力のない大学では困難です。

 ただし、注意深くグラフのカーブをご覧いただくと、地方国立大学の医学論文数が減少し始めたのは2000年ころからであることがわかります。この頃、いったい何があったのでしょうか?

 この頃には国立大学の大学院重点化ということがありましたね。旧帝大やそれに続く数大学で大学院が重点化され、予算がつき、教員数が増やされ、学生定員も増やされました。教員の本籍が学部ではなく大学院とされ、また、一般の人には理解しにくい名前の講座がたくさんできましたね。

 当時、地方国立大学では、もちろん大学院重点化の申請をしましたが受け入れられず、涙を飲みました。そして、哀れにも旧帝大の大学院の表面的なまね事をしただけでした。表面的なまね事とは、旧帝大に倣って教員の本籍を学部から大学院に変え、講座の名前を一般の人には理解しにくい名前にしたことです。

 また、この頃には、公務員の定員削減が実施されていましたので、教員数も徐々に減りつつありました。下位大学は教員が減り続け、上位大学は大学院重点化で回復しました。つまり、政策によって格差拡大が進んだということですね。

 下の図は、臨床医学と基礎的医学論文数について、法人化前と法人化後(2009)の変化率をプロットしたものです。

 横軸に臨床医学論文数の変化率、縦軸に基礎的医学論文数の変化率をとっています。両者は統計学的に有意の正の相関を示しました。つまり、法人化前と後で、臨床医学論文数が大きく減った大学ほど、基礎的医学論文数も大きく減ったことを意味します。これは、臨床医学論文数の減少と基礎的医学論文数の減少に、何か共通の要因が働いたことを推測させますね。

 たとえば、臨床医学の若手医師が基礎医学の研究を一部担っていたことや、臨床医学の研究者が基礎的な医学の学術誌に論文を投稿することもあったので、臨床医学研究の衰退が、基礎的医学論文の減少にもつながった可能性もあります。また、法人化、予算削減、定員削減などは大学全体に影響するので、もちろん両者に影響する要因ですね。

 ただし、ここでは図に示しませんが、たとえば臨床医学論文数の変化度と化学論文数の変化度も正の相関をするので、医学分野の特殊事情だけではなく、法人化、大学予算削減、定員削減などの大学全体に影響する要因が寄与していると考えています。

 この図では、地方国立大学のプロットは左下(つまり両者とも低下)に多くあり、私立大学のプロットは右上(両者とも上昇)に多くあり、旧帝大と次に続く大学のプロットは中央(両者とも停滞)に固まっていることがわかります。

 さて、ここで、忘れないうちにトムソン・ロイター社の学術論文のデータベースを読む際の注意点を書いておきますね。

 トムソン・ロイター社では、毎年論文を収載する学術誌を選定しています。論文の要約だけを掲載した雑誌を削除することもありますが、基本的には毎年論文を収載する学術誌の数を増やしています。そして、学術誌を選定した年から、その学術誌に掲載されている論文数をカウントし始め、その雑誌の以前の掲載論文についてはカウントしません。

 たとえば、私が昔勉強したことのある大阪大学微生物病研究所はBiken Journalという学術誌をかなり前から発行しているのですが、トムソン・ロイター社のデータベースに収載されたのは比較的最近のことなのです。そうすると、Biken Journalに掲載された論文については、実際に産生していた論文数はかなり昔から変わらないのですが、見かけ上論文数が最近増えたように見えるわけです。つまり、論文数が見かけ上増えても研究のアクティビティーは停滞していることもありうるわけです。

 また、私の分析は整数カウント法なので、つまり、共著論文をそれぞれの機関で1とカウントするので、大学群別の論文数については、その群内大学の間での共著論文があれば、それを重複カウントすることになります。そして、共著論文の比率が最近増える傾向にあるので、見かけ上論文数が最近増えたように見えることになります。

 つまり、何が言いたいかというと、論文数が増えていても、多少しゃっぴいて見なければならないということです。論文数が停滞しているということは、実は研究活動が多少低下している可能性が高いのではないかと思っています。

 論文数が減った場合は、特殊な場合を除いて、実際に論文数が減り、研究のアクティビティーが低下していると断定してよいと思います。

 少し、難しかったですかね?今日はこのへんにして、次回は、さらにつっこみますよ。お楽しみに。

次回につづく


 

 

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地方大学の疲弊がわが国の国際競争力を低下させる(その3)

2011年12月25日 | 科学


 前回はちょっと難しいスライドが並んでいたかもしれませんね。なにせ、日本分子生物学会という学会での発表ですので、どうしても普段のブログより少し堅めになってしまいますね。

 下のグラフはすべての分野の論文数(左図)と国際シェア(右図)を示したものです。主な海外の国の論文数が軒並み増えているのに、日本だけが停滞していますね。シェア(右図)でみると、中国、韓国が急速にシェアを高めていることで、他の国のシェアは相対的に低下していますが、中でも日本のシェアが激減しています。

 わが国の学術の国際競争力が低下していることをうかがわせるデータですね。

 でも、数は減っても質が高ければいいって?そうですね、その通りなんですが・・・。では論文の質を見てみましょう。

 下のグラフはすべての分野の学術論文の「相対被引用度」の国際比較です。論文の質の評価は難しいんですが、今のところ、その論文が他の論文にどれだけ引用されたか(被引用数と言います)で評価することが多いのです。「質」というよりも「注目度」と言った方が、より適切ですね。

 「相対被引用度」とは、世界中の論文の被引用数の平均を1として、その論文の被引用数を指数で示したものです。実は、「被引用数」は年数が短いと少なく、年数が経つと増えることが多いので、年毎の推移を比較するのが難しいのです。しかし、この「相対被引用度」ですと、その年その年の被引用数を、その時の世界平均で割るので、年ごとの推移の比較がしやすいんです。

 では、日本の相対被引用度の変化はどうなっているでしょうか?残念ながら世界平均の1にも達せずに、低迷をしていますね。中国、韓国は、まだ日本より注目度が低いですが、最近どんどん追いつきつつありますね。米国はずっと前から1.4と非常に高い値ですが、他の先進欧米諸国は、最近軒並み注目度を高めています。日本だけが置いていかれていますね。

 論文の数が停滞していても、質が高まっておれば、まだ救いがあるのですが、残念ながら数と質の両方とも、世界との差が広がっています。わが国の学術の国際競争力は低下していると断定していいでしょう。

 次は、分野を限って、基礎的医学(分子生物学および遺伝学、免疫学、微生物学、生物学および生化学、神経科学および行動科学)について調べてみました。論文数(左の図)は、日本は少し低下していますね。国際シェアは激減。注目度(相対被引用度)は多少上がり気味ですが、先進国に置いて行かれ、やはり世界平均に達していませんね。

 3つ目は私の専門の臨床医学。論文数(下の左の図)は、日本は停滞。他の国はすべて増加しています。国際シェアははやり激減ですね。

 

 臨床医学の注目度(相対被引用度)の方は、0.8のままで停滞ですね。他の国は全部右肩あがりなのに、実に惨憺たるものですね。

 さて、次の図は、文科省の科学技術政策研究所の阪彩香さんのデータをグラフにさせていただいたものです。分数カウント法というのは、海外の研究者と共著論文を書いた時に、それぞれの国の論文の数を分数でカウントする方法です。たとえば、日本人とアメリカ人が共同で論文を書いた時は、日本1/2、アメリカ1/2とカウントします。

 また、Top10%の論文というのは、被引用数がトップ10%の中に入っている論文ということで、注目度(質)の高い論文を意味します。。

 阪さんのデータでも、日本の臨床医学の論文数(左図)は停滞しており、私の分析と同じ結果です。では注目度(質)の高い論文(右図)はどうでしょうか?これは明らかに低下していますね。

 これは何を意味しているのでしょうか?論文数が減る場合に、注目度(質)の高い論文から減るということですね。論文数が減っても、注目度(質)の低い論文数が減るのであれば、まだ救いがあるのですが、注目度(質)の高い論文から減っていては、どうしようもありませんね。

 でも、考えてみれば、注目度(質)の高い論文を書くためには、通常は、多額の研究費や多くの研究者(補助者)、長い時間が必要であり、大学や研究機関への予算削減や人員削減や研究時間の減少などの負荷がかかった場合、大きいエネルギーを要する注目度(質)の高い論文から減り始めるというのは、当然の現象かもしれません。

 次は、PubMedという、アメリカの公開されている医学論文のデータベースによって、北大医学部の西村正治教授と私が分析したものです。臨床医学の有名な雑誌119誌(これはPubMedの判断で選らんだものですが)に掲載された論文数のカウントです。これも、被引用数とは別の、注目度(質)の高い論文数をみる一つの方法だと考えますが、日本の激減ぶりがわかりますね。

 以上のように、わが国の学術の競争力は、数(量)も注目度(質)も、最近急速に低下していると断言してよいでしょう。基礎的医学も臨床医学もこんな状態では、ライフ・イノベーションが成長戦略の一つになっていますが、とても世界と戦えないでしょうね。

 さて、次のブログでは、いよいよ旧帝大と地方大学の比較など、本シリーズの佳境に入っていきます。学会の発表を元にしているので、一般の皆さんにはちょっと難しいかもしれないけど、ぜひ、フォローしてくださいね。

 次回につづく







 

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地方国立大の疲弊がわがの国際競争力を低下させる(その2)

2011年12月21日 | 科学

 さて、今日は日本分子生物学会のフォーラムでの私の発表のつづきでしたね。スライドにそって説明をしていきましょう。

 これが、タイトルのスライドです。「日本の大学におけるイノベーション力強化について」という、とても高尚なタイトルですね。果たして、タイトルに恥じないお話ができるかどうか。

 このスライドの下の方に「本日の内容は発表者が所属する機関の見解ではなく、豊田個人の私的な考えである。」という断り書きを入れました。そもそもこのブログ自体も、また、ツイッターやフェイスブックで書いていることも、機関の公的見解ではなく、あくまで豊田個人の私的な考えを書いたものです。しかし、このようなお断りをしたとしても、気休めだけかもしれませんね。最近、ツイッターのうかつなつぶやきで、大問題になったケースがけっこうありますからね。

 私に、このフォーラムでしゃべるように依頼がきたきっかけは、前にもお話しましたが、今年の7月4日に日経新聞に掲載された投稿記事です。「質高い論文、日本シェア低下」「イノベーション力強化急務」「研究に数値目標設定 人員・時間の確保を」という見出しでした。

 日本の質の高い学術論文数は低下している。特に医学論文の低下が著しい。中でも主要な論文産生機関である国立大学の論文数が減り、その中でも地方国立大学の論文数減少が顕著である。その要因としては、研究者(補助者も含む)の数のや研究時間の減少といった人的インフラの損傷が考えられる。国として、どの程度質の高い論文数を産生するのか、その数値目標を定め、研究者数と研究時間が減少しないようにする手立てが重要である、というような主旨でした。

 今回の講演の主旨も、だいたい、この新聞記事で主張したことと同じなのですが、新しい分析も加えて、さらに根拠を明確にしようとしました。


 このスライドはイノベーションの定義を説明したもの。「イノベーション」の定義って、なかなかやっかいなんですよね。少し前までは、世の中をがらっと変えるような技術革新、という狭い意味で使われていましたが、最近では、社会システム等の革新も含めたもっと広い意味で使われることが多くなっているようです。技術革新だけではなく、広く革新を含め、また、非連続・画期的イノベーションだけでなく、連続的・漸進的なイノベーションも重要である、とされています。

 では、イノベーション力はどういうことで左右されるのでしょうか?それをまとめたのが次のスライドです。


 イノベーションには多くの要素が関係すると思いますが、ここでは「研究・開発者の能力×研究・開発マネジメント×研究・開発の場×研究・開発費×研究・開発者(補助者も含む)の数×研究・開発時間」をあげました。

 そして、今回の私の発表では、研究・開発者の数や研究・開発時間という、まさに泥臭いインフラに焦点を当てています。私の前にお話しされた和田先生は、研究・開発者の能力やシステムという、華麗でハイレベルのお話でした。


 イノベーション力を推測する指標として、今回使ったのは注目度の高い論文数。注目度は、論文の被引用数で評価します。論文の”質”と言ってもいいでしょう。学術論文の一部はイノベーションに結ぶつくわけですが、注目度の高い論文ほど、経済効果の大きいイノベーションに結びつきやすいと考えられています。もっとも、経済効果の高いイノベーションに結びつくと思われる論文ほど、注目度が高いと考える方が、説明しやすいかもしれませんね。

 論文数分析の方法はトムソン・ロイター社の学術文献データベースとPubMedという公開されているデータベースを用いました。PubMedはネット上で無料で使えるデータベースですが、医学関係に限られていますね。

 それと、文科省の科学技術政策研究所(NISTEP)の阪 彩香さんによる論文数分析の報告と、神田由美子さんによる研究者×研究時間に関する調査報告のデータを使わせていただきました。

 特に、神田さんのデータについては、12月15日の発表当日にデータを公開したという情報をいただいたので、発表直前にスライドを作って差し替えました。まさに泥縄なんですが、そんなことを可能にした最近のパワポの進歩には感謝をしています。

つづく


 




 

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地方国立大の疲弊がわが国の競争力を低下させる(その1)

2011年12月19日 | 科学

 12月13~16日にパシフィコ横浜で「日本分子生物学会」という大きな学会が開かれ、私は15日(木)のフォーラムでしゃべる機会を得ました。19時50分からという、とっても遅い時間の発表。研究者の皆さんはほんとうに熱心だなあと、改めて感心。

 分子生物学の研究者ではない私がどうして? と思われる人もいるでしょうね。私も、場違いかもしれない、と心配しつつ、この学会に臨みました。

 フォーラムのテーマは「世界に通用するチャレンジングな研究とイノベーション力強化に共通して必要なものとは?」 なかなか高尚なテーマですね。オーガナイザーは三重大学生物資源学部の田丸浩先生と、奥村克純先生。私が学長時代からよく知っている先生方です。

 前半は、東大名誉教授で、理化学研究所研究顧問の和田昭允(あきよし)先生の「世界に通用するチャレンジングな研究」というお話。和田先生はDNAの自動解析装置の開発などで、世界的に超有名な生物物理学者ですね。

 最初に和田先生がDNAの自動解析装置の論文を投稿した時は、レフェリーから不可の判定をされたそうです。和田先生はそれに敢然と反論。編集者は再投稿を促したものの、和田先生は他の有名誌に投稿して、そちらで掲載されたとのことです。掲載しなかった学術誌の編集者は後悔したことでしょうね。

 さて、引き続いての私の話は、「日本の大学におけるイノベーション力強化について」です。でも、和田先生のハイレベルの話とはうって変わって、泥臭くて下世話な類の話。

 今年の7月4日の日経新聞に掲載された「質高い論文 日本シェア低下 イノベーション力強化急務」という見出しの私の投稿記事を読んで、田丸さんと奥村さんが私に声をかけた、というのが、私がこの学会でしゃべることになったきっかけのようです。

 時間が時間だけに、聴衆の数は期待していませんでしたが、それでも40人ほどの皆さんが熱心に聞いてくださいました。ツイッター仲間の茨木大農学部准教授の豊田 淳(あつし)先生も、わざわざ聞きにきてくれました。講演の後で、彼には「ほかの全ての学会でも話をされるべきですよ」と言っていただきました。そんなことで、このブログでも、さっそくご紹介しようと思います。

 なお、この学会では撮影・録音禁止とされていたので、残念ながら写真は撮っていません。けっこう厳しいですね。たぶん研究者のプライオリティー(先取権)優先に対する配慮なんでしょうね。でも、私の発表はプライオリティーなんて関係ありません。私の主張ができるだけ早く広く伝わって、少しでも国や地域が動いてくれればいいと思っています。

(つづく)



 

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けっこう手ごたえがあったドン小西との対談(追加)

2011年12月07日 | 地域イノベーション

11月26日に開かれた第一回地域イノベーション学会での、私とドン小西との対談を3回にわたってご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?現場に来ていただければもっと良くお伝えできたと思いますが、ブログでは、ほんの一部しかお伝えできないので残念です。

対談のあとドンは忙しい身なので東京へ帰りましたが、次のプログラムもすばらしかったですよ。「高校生レストランが変えた人と町~多気町~」。これは三重県立相可高校の食物調理科の生徒が運営している「まごの店」というレストランのお話ですね。テレビでも取り上げられて有名です。聞き手は、昨年日本経営品質大賞を受賞されて、カンブリア宮殿にも出演され、全国を講演して走り回っている万協製薬の松浦信男社長。彼も、三重大学の学生で、今回の学会の会長の西村訓弘先生のグループなんですよ。

次が「柚子つくりを通した地域活性化~大台町」。これも素晴らしい地域活性化のお話。

2つの発表とも、ゲストと聞き手が、同じテーブルに隣どおしで座って、スライドを投影しつつ、トークをするので、すごくなごやかな雰囲気で進みます。

最後は、西村訓弘先生の司会で、ゲストの皆さんと、三重大学地域イノベーション学研究科の学生さん(地域企業の幹部も含む)が壇上にあがって、会場も巻き込んだディスカッション。

他の学会とはずいぶんと趣の違ったうち解けた会になりました。

その後の情報交換会で、いろんな方々から感想をいただきました。

「3つのMIEで三重を世界へ売り込め」のキャッチは、けっこうたくさんの人から褒めていただきましたよ。

ある三重県の役人さんは、ドン小西の「三重県の観光大使としてせっかく三重を売り込むアドバイスをしても三重県は自分をまったく利用しなかった。」という話を聞いて、まったくその通りだと、よほど手を挙げて言いたかったという。たぶん、彼は、さっそく三重を売り込むためのドン小西の活用に動くことでしょう。

情報交換会の終わりがけに、三重大学の地域イノベーション学研究科の学生ですという浅井雄一郎さんから挨拶をいただきました。彼は31歳の若さで株式会社浅井農園を経営し、インドやベトナムへ海外展開し、新しいトマトの開発を三重大学と共同研究しているとのこと。

まさに、私が翻訳したドン小西の生きざま、”Metamorphosis, International enterprise & Evolution"を地でいっているではないですか!!

http://www.genkibitorelay.com/articles/genkibitorelay/103.html

彼も西村訓弘先生に大いに刺激されたということです。

三重で生まれた地域イノベーション学研究科と地域イノベーション学会。小さな一歩かもしれませんが、三重という地域が、閉塞感に覆われた日本を元気にしてくれる起爆剤になるような予感が大いに膨らんだ一日でした。









 

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けっこう手ごたえがあったドン小西との対談(その3)

2011年12月04日 | 地域イノベーション

 さて、ドン小西との対談も、いよいよ佳境に入ってきました。

 前回までに、ドンと私との対談の中で、「地域固有の”粋”を磨け」「淘汰される前に変身⇒国際展開⇒進化せよ!」というメッセージを投げかけました。この次は、司会者の誘導で、教育についての対談へ。掛け声だけでは、物事は変わりませんからね。遠回りであっても、教育から変えていかないと変わりません。

 ドン小西も名古屋学芸大学の講師をし、教育については非常に熱心ですし、また、私ももちろん教育者としてずっとやってきたわけですから、教育について語らないわけにはいきません。

 今回の東日本大震災で、ドンは被災地に出向き、学校の生徒に授業を受け持ったとのことです。彼が被災地の生徒たちに伝えたかったことは、「無から有を創る」こと。被災により、何もかも無くなったと嘆くだけでなく、何もない状態からどうしたら食べていけるのか、他人から支援を得るにしても、どのように訴えたら支援が得られるのか、彼自身が無から有を創ってきた人間なので、ゼロから生きる方法を子供たちに伝えたかったとのこと。ドンは、そのために、学生たちとけっこう緊張感のある授業をしたということです。

 そして、三重大学と関連して、彼が東京の桜美林大学の学生と三重大の学生のコラボで、三重の観光を現場で実際に体験して観光学を学習するプランを提案しました。これは、非常に具体的な提案ですね。やはり、理念的な掛け声だけではなく、具体的な改善策を提案して初めて、この種の講演会や学会の意義があるのだと思います。


 この桜美林大学と三重大の学生の交流プランは、まだ、案の段階ですが、うまくいけば来年早々にも実現するかもしれません。

 さて、次は例によってDr. Toyodaによる”翻訳”ですね。


 私はドンがやろうとしている教育を、「相互啓発教育による、マネジメント、イノベーション、および創業精神に富む人材の育成」(Mutually Inspiring Education of Management, Innovation & Entrepreneurship)と”翻訳”させていただきました。「無から有を創る教育」の方が、一言で本質を言い表していて、わかりやすいかもしれませんけどね・・・。

 実は、相互啓発教育による Management, Innovation & Entrepreneurshipの涵養は、まさに、私が学長の時に今回の地域イノベーション学会の会長である西村訓弘先生といっしょに創った大学院「地域イノベーション学研究科」の理念なんです。この大学院は、大学と地域との間の相互啓発教育によって、このMIE3つのを涵養することを目指しています。地域企業のやる気のある幹部が多数入学し、大学の先生方と学生(地域企業の幹部を含む)、あるいは学生間でお互いに啓発しあえる、今までにない交流の”場”が形成されつつあると感じています。

 私は、このようなManagement, Innovation & Entrepreneurshipの3つを相互に啓発することのできる教育の場を、小中学校や高校、あるいは学部教育、生涯教育へ、あるいは地域教育や産学官民連携の場へ、ドンドン広げていくべきであると思っています。

 そして、このMIE教育を三重県全体へ、そして日本全体へ広げていくことが、今回創設された「地域イノベーション学会」の目的ということになると思います。


 ドンが今回何度も繰り返した言葉は「僕は言ったことは必ず実行する人間です。」とうこと。私も、最後に、何事も実行して初めて意味があり、この学会は、掛け声だけではなく、実行する学会にしようではないか、ということを申し上げました。

対談の締めは、司会者による対談のまとめ。「三つのMIEで三重を世界に売り込め!」ということを、二人のメッセージとして伝えていただきました。ブログの読者の皆さんも、もうお気づきになっておられると思いますが、対談でお伝えしたかった3つのテーマを私が”翻訳”した頭文字が、すべてMIEになっていますね。これはドン小西流の美学である”粋”にならった、Dr. Toyoda流の”粋”のつもりなんです。

 

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けっこう手ごたえがあったドン小西との対談(その2)

2011年12月04日 | 地域イノベーション

第一回地域イノベーション学会でのドン小西と私の対談のつづきです。

前回ではドン小西の美学である「粋」(いき)について、私の学会向けの”翻訳”としては、「地域固有の”粋”を磨け」(Make sharp Intrinsic Excellency)としたことをお話しましたね。

次は司会者の誘導で、三重県人をもっと積極的な県民に変えるにはどうすればいいのかという話の流れから、ドン小西の激動の人生の話へ。

彼の著書「逆境が男の”器”を磨く」のスライドを投影しつつ、ドンに激動の人生を自由にしゃべってもらいました。

ドンは、理工系の大学からファッション系の専門学校へ。いったんはアパレル・メーカーに就職するが、31歳の若さで独立し、フィッチェ・ウオーモというブランドを創る。余った布切れをつぎはぎして創ったファッションが受け、一躍ファッション界の寵児へ。そして、ニューヨーク、ロンドンという世界のファッションの中心へ、ドンドンと海外展開(下のスライドの赤字の部分)をしていく。

一時は高級外車を6台も乗り回し羽振りの頂点へ。しかし、気が付いたら大きな借金を抱えて、事業は挫折。

その困難の中で、あるテレビ局の番組での辛口ファッションチェックが受けて「ドン小西」が誕生する。そして、借金を返して、現在、教育活動や公的活動を含めて第二の挑戦をつづけている。

さて、引き続いて、Dr. Toyodaによる地域イノベーション学会向けの”翻訳”ですね。

彼の人生の中で、私は、まず彼の"Metamorphosis"に着目しました。Metamorphosisは生物学的に短期間に自らの形を大きく変えるという意味で、日本語では"変態"と訳されます。昆虫の幼虫⇒さなぎ⇒成虫への変化や、オタマジャクシがカエルに変わる変化などを指します。でも、日本語の”変態”には、このような学問的な意味以外にabnormalという意味でも使われているので、私は”変身”と訳すことにしました。


上の写真の左端は、三重大学付属中学校の時の卒業アルバムを私の家の隅から探し出してきて、自分で撮ったものなんですよ。この写真を見ていただければ、Metamorphosisがイメージできますよね。


彼の人生を私になりに整理をしてみると、まずMetamorphosis(変身)がなされ、International enterprise(国際展開)がなされ、困難に出会った時には、先ほどのMetamorphosisとともに、Evolution(進化)することにより乗り切って、さらにEvolution(進化)し続けている。

Don Konishiによる鳩山元首相に対する辛口ファッショチェックは、世界的なメディアであるCNNによって”Japan’s prime minister under fire for fashion choices"(ファッションの選択で砲火を浴びる日本の首相)という見出して、世界に紹介されました。最初の国際事業展開に挫折したドン小西ですが、次には辛口ファッションチェックの技に徹することで、再度世界から注目されるようになったということですね。

今、日本の、そして世界の経済状況に閉塞感が漂い、TPP参加問題をはじめとして、さらなる自由化、国際化の流れの中で、日本に何を選択するかが迫られています。

このような状況で、日本人が旧来の制度を保守し、日本の中に閉じこもっていても、淘汰されるだけではないのでしょうか?ドン小西の人生は、たとえリスクを伴っても、淘汰される前に変身⇒国際展開⇒進化するべきであるということを教えてくれています。(Metamorphosis, International Enterprise & Evoluton)

”コラボ産学官”という信金が中心になっている産学官民金連携組織があるのですが、私はその顧問をやっています。昨年、青森支部にお邪魔した時に、メンバーの零細企業の方々が、研究会の後の2次会で本音のトークをして、異業種のビジネスマッチングが積極的に行われているとお聞きし、その2次会とやらに陪席させていただきました。ちょうど私の隣に座った方に、何をやっておられるのか聞いたところ、10数個の農家を束ねて農業生産法人をつくり、ブドウを栽培して、海外に輸出しているという。そして、他の醸造技術を持っている零細企業とコラボして、今度はブドウのビールを創ろうとしている、とのことでした。

果たして、ブドウのビールが成功するかどうかはわかりませんが、この事例などは、まさに、農業生産法人という生産形態の変身⇒ブドウ事業の国際展開⇒ブドウビールという新製品の開発という進化、を地でいっていますね。

そういえば、国立大学も2004年に”法人化”という経営形態の変身がありました。三重大学も”地域に根ざし、世界に誇れる独自性”というミッションを掲げて、様々な改革を行い、現在私の後任の内田学長のもとで、更に進化中です。

どのように三重大学が変わったのかということは、私のブログ本「ある地方大学のつぼやき」に書かれていますよ。(申し訳ありませんが、このブログ本は、現時点では市販されておらず、希望される方に個人的に差し上げています。)

次回につづく。




 

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けっこう手ごたえがあったドン小西との対談

2011年12月02日 | 地域イノベーション

先週の土曜日(11月26日)の「地域イノベーション学会」でのドン小西との対談の結果を報告しておかないといけませんね。

会場には約120人が集まり、学会の事務局としては思っていたよりも多数の人が集まったようです。

自分で言うのは何だけど、ドン小西との対談はけっこううまくいったと思います。

どうしてそんなことが言えるかというと、講演が済んだ後の皆さんの反応から、だいたい成功したかどうかは感じ取れるものだからです。当然のことですが、良くなかったと正直に言っていただけることはまずなく、通常はお世辞を言われるものですが、話しがもう一つだった時には、何となくしらじらしい周囲の雰囲気を感じるものです。今回は、終わった後で、皆さんから非常にポジティブな良い感触を得ました。政治家さんが選挙運動の時に感じる「手ごたえ」というものでしょうね。

前回のブログでは、私が対談のシナリオを書いて、ドンの了承を得たことをお話しましたね。ドンにしゃべってもらって、その後で、私がそれを”翻訳”する形にしたことなど。

それではどんなふうな対談になったのか、順次お話をしていきましょう。対談は、下の写真のように、正面にスライドを投影し、司会者が向かって左端に、ドンと私は右端に並んで座るという配置で行われました。

最初のタイトルを書いたスライドです。このスライドを投影しつつ、三重県の問題点について、まずドンが、そして次に私がしゃべりました。ドンは、三重県観光大使をしていた経験から、委員会でいろんなアドバイスをしても、何も実行されないことなど、ドンらしい表現で辛口コメント。ついで私は、60歳になって東京へ単身赴任となり、東京の人に三重から出てきたと言った時に、三重県でどこにあるの、と聞かれて愕然としたことをお話しました。

一通り、三重の問題点が出た次は、司会者の誘導で、ドンの美学である「粋(いき)」について、ドンの発言を引き出しました。その時のバックのスライドは下のスライドです。スライドの操作は、実は私が壇上でコンピュータを操作して行いました。シナリオを創った張本人が自らスライドを操作するのが、いちばん的確にできますからね。


ドンが「粋」についてしゃべったあと、いよいよ私の翻訳ですね。ドンの「粋」を「地域イノベーション学会」に適用できるように翻訳すると、「Make sharp Intrinsic Excellence」(地域固有の”粋”を磨け)ということになるのではないか。

その1例として、三重県明和町の斎(いつき)の舞を取り上げました。


実は私は、三重県人でありながら、地元にこのような美しい舞があることをついぞ知りませんでした。この舞の美しさを見出していただいたのは、群馬大学医学部の清水宣明先生。このように三重県の外の人が、地元の人が気が付かなかった秀逸さを見つけ出してくれることもけっこうあるのではないでしょうか。

(次回につづく)

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