ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

加速する大学の2極化と地方大学(その5)ー政策決定者へ

2013年03月31日 | 高等教育

 さて、国立大学財務・経営センターの理事長の任期の最後の日のブログになりました。前回は、今までの基盤的運営費交付金の削減および競争的資金による選択と集中政策に加えて、大学改革実行プランが実行された場合、いったい地方国立大学がどうするべきなのか、僕の考えをお話しましたね。かなり過激なことを言ってしまったかもしれません。しかし、僕が心配しているのは、大学によって差があるとは思いますが、概して地方国立大学の学長さんたちの危機感が、あまり感じられないということです。

 去る3月8日に国立大学協会(国大協)総会が東京の学士会館であり、僕も関係機関の代表として陪席をさせていただきました。学長さんたちの自由な意見交換の際に、何人かの学長さんが、国家公務員の給与削減に際して、非公務員型の国立大学法人職員にも給与削減が要請されたことについて、問題視する意見をおっしゃっいました。

 僕も、特に大学病院において自己収入によって給与を賄っている職員についても、給与削減の対象とされたことについては、いささか疑問に感じざるをえない面があります。市場との競争の中で不足しがちな看護師等の職員を確保しなければならない大学病院で、杓子定規の強制的な給与削減をして経営が成り立つはずがありませんからね。

 ただ、公開の会議の場で、報道機関の記者が聞いている前で、また、すでに給与が削減されて文句も言わずにじっと我慢している役人の皆さんが傍聴している前で、給与の話を持ち出したのは、学長の会議としては、あまり、良い印象を与えなかったのではないかと思いました。後で、総会を傍聴していた知り合いの新聞記者に感想を聞いたら、案の定「国立大学のおかれているシビアな状況を考えたら、あんな低レベルの議論をする暇なんかないなずなのに・・・。学長たちの危機感がなさすぎる。」という、厳しい意見が返ってきました。

 国大協は、「大学改革実行プラン」に書かれている「大学ビジョンの策定」や「国立大学改革基本方針の提示」までに、自らの主張を国に申し入れをするようです。「大学改革実行プラン」が、「研究大学」への重点投資や基盤的経費のメリハリなど、「選択と集中」政策が中心であるのに対して、国大協は、大学の多様性の重要性を主張しようとしています。「研究大学」を選定するのではなく、すべての大学が研究機能と地域の中核となる機能COC(Center of Community)の両方を持つべきであるという主張です。 

 大学政策が決められる過程は、だいたい次の図のようなイメージではないかと思っているのですが、果たして、上記のような国大協の要望は国に聞き入れられるのでしょうか?

 僕は、なかなか難しいものがあるのではないかと思っています。

 まず、「18歳人口が減少しているのであるから国立大学の数やそれに対する予算を減らすべきである」という財務省の論理に対して、「教育」をレゾンデートルとしている大学は、明確に反論することは難しい。今まで、例えば基盤的運営費交付金の削減に反対の申し入れを続けてきましたが、一度も聞き入れられたことはありませんでしたからね。それと、数値的な根拠が示されていないことも弱い点ですね。「多様性」が重要であるということであれば、それを根拠をもって示さないことには財務省にはなかなか要望を聞いていただけません。

 

  前回、今回と大学に対して結構厳しいことを申し上げてきましたが、僕は国の高等教育の政策決定者に対してもたくさん申し上げたいことがあり、今までのブログで、論文数を巡って再三再四書いてきましたが、今日はそれを5つのことにまとめてみます。

1.日本国全体の数値目標を根拠に基づいて設定すること。

 たとえば、研究については「人口当たりの注目度の高い(トップ10%)論文の数の国際的順位を上げること」を目標にする。これは、高注目度論文ほど特許に結びつく可能性が高いことと、日本人がイノベーションによって物やサービスを海外と売り買いしようと思えば、イノベーションの「質」と「量」の両方で、相対的に海外諸国よりも上回っている必要があるからです。

 国際的順位としては、当面、人口当たりトップ10%論文が21位である日本は、日本の1.5倍の台湾(19位)に追いつくことを目標とするべきです。

 なお、産学連携や地域のイノベーションについても、数値目標を設定する必要があると思います。

2.手段は自己目的化させずに、あくまで、目標達成のための手段として使うこと。

 「選択と集中」しさえすればよいと思っている政策決定者がなんと多いことか!!「選択と集中」は目的ではなく、あくまで目標を達成するための手段です。

 僕は「選択と集中」も必要だと思いますが、「多様性」や「種蒔き」もイノベーションを起こすために必須であり、一定の規模が必要であると思います。そして、両者のバランスを取るとともに、「多様性」や「種蒔き」から、適切な目利きをして「選択と集中」をする一連のシステムを構築することが大切です。

 「選択と集中」と「多様性」や「種蒔き」のどのようなバランスが良いのか?これについては、「投じた研究費あたりの高注目度論文数」が参考になると思います。日本の大学の傾斜の急峻さは世界でも稀有であり、すでに最上位の大学よりも下位の大学の方が「投じた研究費あたりの高注目度論文数」が高くなっている可能性があります。

 また、未公開情報ですが、科学技術政策研究所の調査では、科研費の種目のうち、少額研究費を広く配分した基盤研究Cによって産生される高注目度論文数は、件数あたりでは少ないけれども、投じた科研費あたりでは、最も高い値を示しています。これは、「選択と集中」と「種蒔き」「多様性」のバランスを考える上で参考になるデータであると思われます。科研費の中でこれ以上「選択と集中」をして、高額少数の種目を増やしたら、高注目度論文数の生産性は低下すると考えられます。.

3.論文数は、投じたお金×研究者数×研究時間×研究者の能力に比例する。

 現在は、国の政策により国立大学の運営費交付金が削減され、そのために研究者数が減少し、研究時間が減って、一部の国立大学の論文数が減少し、日本の論文数が停滞する原因となっています。

 研究費の国際比較は難しい面をもっていますが、他の先進諸国が増加しているのに対して日本の研究費の伸びは停滞しており、日本の大学に投じられている研究費は他の先進諸国に比較して少ないのです。

4.研究費総額を確保しないことには海外諸国に勝てない。

 研究費は論文数と密接に関連するので、研究費総額を減らせば、当然、日本全体の論文数が減ります。研究費総額を減らしつつ選択と集中をすることによって論文数を増やそうという試みは成功しないと思われます。台湾に追いつくためには、人口当たりの研究費を台湾と同じレベルに増額する必要があります。つまり、現在の1.5倍に。

5.18歳人口の減少に応じて、国立大学の運営費交付金や私学助成金、あるいは国立大学の数を減らす場合には、研究機能が低下しないように減らすべきである。

 今、国立大学の運営費交付金が減らされ続けていますが、上にも述べたように、それはもろに研究機能の低下を招いています。つまり、研究費を減らしているのと同じことをやっています。これではいけません。

 18歳人口の減少に応じて国立大学数や学部・学科数を減らす場合、あるいは統合する場合には、その研究機能や産学連携機能が低下しないように減らすべきです。

 つまり、「研究費×研究者数×研究時間×研究者の能力」が低下しないように。

 そして高注目度論文数の生産性を高めるために、「選択と集中」とともに「種蒔き」「多様性」についても一定の規模を維持するべき。

 地方大学にも優秀な研究者が存在しており、その能力を最大限活用する仕組みを構築するべき。地方大学は、上位大学との間で人的ダイナミクスが働くので(つまり野球の2軍やサッカーのJ2のような役割)、上位大学の国際競争力向上のためにも必要なシステムです。

 果たして「大学改革事実行プラン」が、日本全体(地域も含めて)のイノベーションの国際競争力の向上をもたらすのかどうか、上記数値目標の達成を目安として注視する必要があると思います。もし、数値目標が達成できないということであれば、政策決定者は責任をとっていただきたいと思います。

 以上で、東京での3年間にわたる僕のブログの、一応の区切りをつけたいと思います。明日からは、独法の理事長という立場を離れますので、もっと気軽に発信ができるかもしれませんね。


 

 

 

 

 

 

 

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加速する大学の2極化と地方大学(その4)ーではどうすればよいのか?

2013年03月29日 | 高等教育

 さて、この3月で国立大学財務・経営センターの理事長の3年の任期を終え、4月からは地元三重県の鈴鹿医療科学大学に学長として戻ることになり、先日、文部科学省へ挨拶回りに行きました。

 そしたら、科学技術政策研究所長の桑原輝隆さんから、「この1か月ブログを更新していませんね。実は、毎週先生のブログをチェックしてるんですよ。」と言われてしまいました。前回のブログの日付を見てみると、2月12日となっており、これは、ずいぶんと日を空けてしまいましたね。

 実はこの間、財務・経営センターの私としての最後の仕事に睡眠時間が短くなるほど忙殺されていたのです。それは、財投機関として、国立大学病院の再開発に対する貸付に際しての審査基準の見直しをする作業でした。僕の任期が来る今年度内に目鼻をつけようと、自分の頭と体力をフル回転させて頑張っていたのです。

 大学病院の教育、研究、高度医療、地域医療への貢献という公的使命はあまりにも大きなものがあるので、民間金融機関のように、単に償還確実性だけを見る審査では不十分で、地域や国民が求める大学病院の公的使命をきちんと果たしていただくことを含めて審査をしないといけない、というのが僕の考えです。したがって、その審査基準は民間金融機関とは異なって当然であり、それでこそ公的な財投機関としての役割を果たせるわけです。

 後日、もし機会があれば、公的使命の達成も考慮に入れた独自の審査基準についてご紹介することとして、今日は、前回のブログの続きですね。今年度中に、僕としての最終的な結論をお話して、財務・経営センターの理事長としてのブログに一応の区切りをつけたいと思います。もっとも、このつぼやきブログは、鈴鹿医療科学大学の学長になっても続けるつもりですけどね。「ある地方大学元学長のつぼやき」というタイトルの「元学長」は、現役の学長にもどりますので、ちょっと言葉を変えないといけないですね。

 さて、過日3月22日に、僕が委員を務めている、科学技術政策研究所(NISTEP)の定点調査委員会のワークショップがありました。「大学の基礎研究状況をどう考えるか、これからどうすべきか」というテーマです。定点調査というのは、大学、研究機関、企業の一定の研究者を対象として、研究現場の主観的な実感をさまざまな角度から継時的に調査して、研究環境の動向をつかもうとする調査です。NISTEPの主任研究官の伊神正貫さんを中心とした膨大な調査で、景況を調べる日銀の短観の主旨とちょっと似ていますね。つまり、数値データとして出る前に、動向をつかむことができる。

 この調査では、予算や人が削減され、研究時間が圧迫されている研究者たちの苦悩が浮き彫りにされています。そして、実際にこのワークショップが行われた新霞が関ビルの会場に集まった大学や研究機関の研究者の方々から、研究現場の厳しい状況を踏まえた意見や質問がたくさん出ました。定点調査委員会の委員は、会場の前方に座り、会場に集まった皆さんからの質問にお答えをし、それぞれの意見を述べました。

 定点調査からも、また、会場に集まった研究者からも、多くの研究者が指摘をしたことは、基盤的研究費の削減と研究時間の減少が最も大きな問題であり、その確保が研究活動の活性化に欠かせないということでした。これは、地方大学だけではなく、旧帝大のような研究大学とされている大学の研究者も、まったく同じことを訴えています。この2つについては、僕が日本の論文数の停滞の要因として、以前から、一貫して主張してきたことがらですね。

 もちろん、旧帝大よりも地方大学の状況は厳しく、特に東大から、海外の研究機関で活躍され、日本の地方大学に赴任された先生が、研究予算の少なさ、研究時間の少なさなど、大学における研究環境の劣悪さを切実に訴えておられたのは印象的でしたね。旧帝大から優秀な先生が地方大学に赴任しても、その研究力が十分に発揮できずに感じる憤りや悲哀みたいなものを感じました。そういう私も、大阪大学という旧帝大から三重大学という地方大学に赴任した一人であるのですが・・・。

 大学によって異なりますが、ある大学では1年間に大学から一人の教員に配分される教育研究費は20~30万円にすぎず、これでは、コピー代や、学会へ出席する費用だけで消えてしまいますね。科研費などの競争的研究費をとろうにも、それまでの研究実績が大きく審査に左右するので、応募することに必要なベースとなる研究もできない。おまけに、教員の定員は減らされているので、教育や雑用の負担はどんどんと増え、研究時間が減っていきます。

 一方で競争的研究費は一部の研究者に集中化され、中には使い切れずに困っている(?)研究者もいる。

 「基盤的経費の削減+競争的研究費による選択と集中」というのは、この10年以上にわたって、国が一貫して大学に対して行なってきた基本的な政策でした。そのために、大学の2極化が効果的(?)に進んだことは、先のブログも含めて、何度もご説明してきましたね。そして、昨年出された「大学改革実行プラン」では、それまでの大学への基盤的経費の定率的な削減を、メリハリをつけた削減にすると記載されています。つまり、今後は基盤的経費すら「選択と集中」をするということであり、定点調査で明らかになった、現場の研究者の皆さんが改善を訴えておられる苦境は、改善するどころか、逆の方向へいっそう進んでいく可能性が高いということです。

 では、いったい大学はどうすればいいのか?

 定点調査委員会の委員の皆さんは、それぞれの意見を順番に述べていきましたが、僕は次のようにお話ししました。(実際にしゃべった文言と違うかもしれませんが・・・)

「僕は、種蒔きと選択と集中のバランスが大切であると考えているのですが、まことに残念ながら、政府の政策決定をする多くの方々は、とにかく選択と集中をしさえすればいいと思っています。科研費はバラマキであるので効果がないと言っている人もいるくらいです。最近の科学技術政策研究所の調査により、少ない研究費を多数の研究者に配分する基盤研究Cの方が、件数あたりのトップ1%論文数は少ないものの、投じた研究費あたりのトップ1%論文の数は多い、つまり注目度の高い論文の生産性が大きいという結果が出ており、これは、種蒔きと選択と集中のバランスの大切さを示している結果です。

 大学改革実行プランでは、一握りの研究大学は守られますが、残念ながら地方大学の状況はますます厳しくなると思われます。もう、教員の皆さんに平等に研究時間を確保することは困難となり、研究中心の先生と教育中心の先生とに分かれざるを得ないと思います。

 大学改革実行プランでは、学長が大学の中で、トップレベルと競争できる学科・専攻を選定し、選定した学科・専攻に学内の資源を集中化することが求められています。そして、国はそのような選択と集中をした大学に対して支援をすると書かれています。

 逆に、学内で選択と集中のできない大学は、国からの支援が受けられずに、どんどんとじり貧になり、専門学校化し、いずれXdayを迎えることになると思います。

 地方大学は、大学の一部に世界と競争できる部分を創るために、大胆な学内の再編成をするか、規模が小さくてそれができない地方大学は、近隣の大学と連携・統合して、その一部に世界と戦える部分を創るしか、生き残る道はないと思います。」

 このような僕の発言に、フロアから「具体的に学内で選択と集中をすることができるのか?各学部に配分している予算や人員に差をつけることは実際には難しいのではないか?」という質問をいただきました。

 僕は、以下のような主旨のことをお話しました。

 「既存の学部について選択と集中をするというのは、学長にとってもなかなか難しいと思います。具体的には、たとえば、独立大学院や、理研あるいは産総研のような仕組みの、学部教授会とはガバナンスが別枠の全学的な研究センター、あるいは産学連携センターを作ることが考えられます。研究力のある先生はそこで一定期間90%の時間を研究に専念していただく。そして、研究力がないということであれば、申し訳ないけれども学部に戻っていただいて、教育に専念をしていただく。そのような独立大学院や研究センターは全国的・国際的な公募をして、常に人事的な新陳代謝を図る。一大学でできなければ、連携・統合をして、複数の大学が共同してそのような独立大学院やセンターを創ることが考えられます。このような組織再編成や大学間の連携・統合は一刻でも早く実行する方が得策です。」

 さて、今年度は、残すところあと1日となってしまいました。4月2日に挙行される鈴鹿医療科学大学の入学式の式辞も考えないといけないんですけどね。明日もがんばって、今年度、つまり、財務・経営センターの理事長としての最後のブログを書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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