ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

MVPものがたり

2010年02月26日 | 科学
この2週間、ストレスフルな仕事の準備に加えて、風邪を引いたのか、多少の寒気と胸がムカムカして体調がどうもすぐれず、しばらくブログの更新ができませんでしたが、その仕事も一段落し、やっと気分もよくなって、久しぶりの更新です。

今日2月26日(土)は伊勢市の三重県営サンアリーナで「みえメディカルバレーフォーラム2010」が開かれました。今回は「食と健康~美し国からの提言」というテーマで、2日間にわたって、とってもバラエティーに富む楽しいプログラムが組まれました。明日の27日(日)には、超売れっ子の茂木健一郎さんの講演も予定されていますよ。

今日のプログラムの一つに、鈴鹿医療科学大学・三重大学合同講演会があり、鈴大と三重大の先生4人が「食と健康をめぐる問題点」というテーマで講演。

トップバッターは鈴大の医療栄養学科長の長村洋一さんで、「健康食品をめぐる問題点」について、今、さまざまな健康食品が宣伝されていますが、有効性に問題があったり、看板に偽りがあるものがたいへん多いことを、実例をあげてお話しされました。これは、ぜひとも多くの皆さんに知っておいていただきたいお話でしたね。

次は、栄養士さんのお話で、三重大病院栄養指導管理室長の岩田加寿子さんが「メタボは食から、チェンジ生活習慣」、そして鈴大医療栄養学科講師の野呂昌子さんが「健康を考える食事メニューのポイント」とタイトルで、バランスの良い食事をとることの大切さや、その秘訣をお話されました。

最後は、三重大医学研究科教授の西村訓弘さんが、「食への高付加価値への挑戦―健康という切り口から」というタイトルで、農業の新しいビジネスモデルを作ろうとする試みのお話。ゼブラフィッシュ(メダカ程度の小魚)にえさを過剰に与えて肥満にし、それにトマトを食べさせて脂肪肝を防ぐという驚くべき実験も紹介されましたよ。

私の出番はこの講演会の最後の挨拶と、その後開催された交流会での中締めの挨拶。

みえメディカルバレープロジェクト(MVP)は、2002年から始まった医療・健康・福祉産業の振興を目的とした三重県の産学官民連携プロジェクトで、もう8年もの歴史を重ねてきたんですね。当時三重県には、クリスタルバレー構想などがあり、シャープや東芝など電子関係の大企業の工場誘致が行われました。一方MVPの方は、地域の中小企業のイノベーション力を高めようとする産学官民連携の試みでした。大企業誘致のような華々しさはありませんが、しかし、地道なねばり強いネットワーク構築によって、この地域の医療・健康・福祉関係の中小企業のイノベーション力は着実に向上したと感じています。最近では、統合医療をテーマにして地域興しのプロジェクトを進めようとしています。

先の事業仕分け等で、国の産業クラスター政策の予算が削られることになり、全国のさまざまな産学官連携の取り組みで資金を獲得できなくなることは、たいへん残念なことです。しかし、MVPはもともと三重県独自の予算でこつこつと実績を積み重ね、また、三重大も、当初は文科省の知財本部整備事業から外されて、自己努力で産学官連携を進めてきたので、国からの予算の終了によって消滅するようなしろものではありません。最初、国からの予算が獲得できずに悔しい思いをしたことが、逆境に負けない強い産学官連携ネットワーク構築に結びついたのではないかと思っています。

また、民主党政権は医療産業の振興や統合医療の推進、そして、農林業などの振興に力を入れるとしており、これは、MVPにとっては、まさに、ぴったりと一致するテーマなんですね。産業クラスター予算は廃止されても、このような予算が増えるのであれば、それを獲得できるチャンスは逆に増えるかもしれません。その意味では、これからがMVPにとって正念場といっていいでしょう。

ところで、中部地区全体のバイオ関係の産学官連携を推進しているNPO法人「バイオものづくり中部」の理事長を4月からお引き受けすることとなり、4月28日には、私が名古屋で講演をすることになっているのですが、まだ、まったく準備をしていません。今日お会いをしたバイオものつくり中部の方から、講演のタイトルを教えてほしいと言われてしまいました。

“MVPものがたり”なんていうタイトルはどうかな、と思った次第なのですが、なんのこっちゃわからんと言われてもこまるし・・・。もう少し考えてみようかな。
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感動をありがとう。村林浩代さんと谷友博さんたちのリサイタル

2010年02月16日 | 日記
2月14日(日)の午後は津市文化振興事業の郷土シリーズとして「村林浩代ソプラノリサイタル」が津市のリージョンプラザで開かれました。私はこのリサイタルの実行委員会の委員長だったので、朝からリハーサルも見せていただき、開場の時は入り口に立ってお客さんをお出迎え。私の知り合いの方々や、私の後任の三重大産婦人科教授の佐川典正さんや、准教授の杉山隆さんをはじめ、三重大の先生や学生さん、そして私が副学長をしている鈴鹿医療科学大学の先生のお顔も拝見しました。

村林浩代さんは、私が若い頃から行きつけの津市内の老舗フランス料理店“入栄軒”(いりえけん)の若奥さんです。 先代の奥様(浩代さんの義母)もたいへん明るい方ですが、浩代さんもお義母様におとらず、底抜けに明るく活動的な方です。浩代さんは、名古屋音楽大学音楽学部声楽科を卒業後、三重新音楽家協会に所属し、この地域で音楽活動を続けられ、現在、久居東中学校の音楽教師を務められています。その実力のほどは、全日本ソリストコンクール3回入賞、第6回フランス音楽コンクール入選、一昨年には東海地区代表になって、第9回大阪国際音楽コンクール声楽部門に入選されたことからもわかります。

今回、三重大の研究担当理事・副学長で、実行委員会の委員である鈴木宏治さんから頼まれて、私が実行委員長ということになってしまったんです。鈴木さんも入栄軒の大ファンなんです。鈴木さんは今回のリサイタルに、合唱団の一員として出演されたんですよ。

浩代さんの歌声は、佐川教授が昨年四日市で主催された学会(日本糖尿病妊娠学会)の懇親会でもご披露していただきました。佐川さんも入栄軒のファンなんです。私どもにとって、身近なところに、こんなすばらしい歌手がいたんですね。

今回のスペシャルゲストは、浩代さんが師事している谷 友博さん。谷さんは武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科を卒業後、ミラノ音楽院に学ばれ、第68回日本音楽コンクール第1位、第35回日伊声楽コンコルソ第1位、第4回ピストイア・コンクール・オペラ部門第1位という錚々たる実績をあげられた日本を代表するバリトン歌手で、現在、藤原歌劇団に所属され、武蔵野音楽大学と東京芸術大学で教鞭をとっておられます。

浩代さんは地元の三雲中学校で、音楽の先生だった谷さんのお母様に音楽の世界へ導かれ、また、谷さんのお父様にはピアノを習われ、谷家とは切っても切れない関係なんです。

第一部は浩代さんの本格的な歌曲。第二部は谷さんも加わり、迫力のある歌声を聞かせていただきました。息の合ったデュエットも良かったですね。谷さんと浩代さんたちの楽しいトーク、そして、極めつけは、誰でも知っている歌劇「カルメン」のさわりの部分。小柴信之さんが指導しておられる合唱団「うたおに」と鈴木宏治さんたちの有志合唱団の皆さんに花を添えていただきました。

600席ある開場はほぼ満席で、体を乗り出して聞いている人もいましたし、涙を流して感激している人もいました。私どもに“無理やり”切符を買わされた、クラッシックな歌曲やオペラにはあまり興味のなさそうな人達も、後で“どうだった?”と聞いてみると、みなさん異口同音に“よかったよ”“とってもすばらしかった”という返事が返ってきました。

近所の子供たちにピアノを教えている私の家内に聞くと、普段はなかなか手厳しい評価をする彼女から “大成功ね”という返事が返ってきました。

リサイタル終了後は、リハーサル室で関係者の打ち上げ会。浩代さんと谷さんといっしょに写真におさまりました。浩代さんのご主人さん(とってもおいしい料理を食べさせてくれる“入栄軒”のシェフ)にも料理を手伝っていただきました。浩代さんが活動できるのも、ご主人さんのご理解によるところが大きいと思います。

今回、初めて実行委員長なるものを経験させていただきましたが(実際は何も働いていないのですが)、一つのプロジェクトを成功させるためには、多くの裏方の皆さんの献身的なボランティアのご協力があって初めて可能になることを改めて実感しました。浩代さん、谷さん、合唱団のみなさん、実行委員の皆さん、裏方で支えていただいた多くの皆さん、すばらしい感動をありがとう。

それにしても、津市や三重県は“文化”に恵まれた地域だと感じます。今回もお手頃の値段で身近に本物の芸術に触れることができました。これは、自治体が文化行政に力を入れていることと、岡田文化財団の存在が大きいのではないかと思っています。三重県総合文化センターの指定管理者で、私が理事長を務めている三重県文化振興事業団にも支援をいただいています。そのおかげで、この地域の人々は、お手頃の値段で、本物の芸術に触れることができるんですね。せっかくの機会を大いに利用しないと損ですよ。

話のおまけですが、3月6~7日(土日)に歌劇“ドンジョバンニ”が県立総合文化センターで開催され、6日に谷友博さんが主演されるんです。“うたおに”の皆さんも出演されますよ。

谷さんに、“女たらしのドンジョバンニ役をやると、谷さんのイメージが悪くなるのでは?”という質問をしてみたら、“ドンジョバンニは、最後の地獄に堕ちる迫真のシーンに意味があるんですよ”という返事が返ってきました。

3月6日の谷さんの迫真の歌声が楽しみですね。

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クラフォード賞受賞者が憂う我が国の基礎医学研究力の低下

2010年02月06日 | 科学
豊田流の授業経営学のお話を少しだけ休憩して、昨年クラフォード賞を受賞された、大阪大学大学院医学系研究科長(医学部長)の平野俊夫さんとお会いする機会があったので、忘れないうちに書きとどめておきましょう。

1月30日(土)、愛知、岐阜、三重の大学や基幹病院に勤める阪大医学部出身者の懇親会が名古屋であり、私も顔を出しました。今回は、たいへんお忙しい中、平野さんがお越しになり、“胡蝶の夢”と題して、昨年クラフォード賞という世界的に権威ある賞を受賞されるに至った経緯を、素人にもたいへんわかりやすくお話しされました。

クラフォード賞は、ホルガー・クラフォード(人工腎臓の発明者)と妻のアンナ=グレタ・クラフォードによって1982年に設立された賞で、ノーベル賞と同じくスウェーデン王立科学アカデミーが顕彰に関わり、ノーベル賞が扱わない科学領域である天文学・数学、地球科学、生物科学(環境や進化の分野)、そして3年に1度程度は関節炎についての研究者が表彰されています。

昨年、平野さんと、前医学部長である岸本忠三さんがいっしょに、関節炎の分野の研究で、日本人として初めて受賞されました。平野さんは1972年に阪大のご卒業ですので、私の4年先輩にあたりますね。

平野さんを有名にした研究はインターロイキン6と呼ばれる免疫細胞に作用するタンパク質の遺伝子の単離ですね。1978年に羽曳野病院に赴任された時に結核患者さんの胸水中に、Bリンパ球に作用して抗体産生を促す物質が多量に含まれていることを見つけ、その後阪大の細胞工学センターに移られて、たいへんな苦労の末に8年がかりで遺伝子の単離に成功されました。失敗を重ねてもうだめだと思った末の最後のトライが成功し、その結果を、国際学会へ行く途中の飛行機の中や会議に出席せずに急いで論文にまとめて投稿され、1986年のNature誌に掲載されました。不思議なもので、ちょうど同じ頃に、同じ物質の遺伝子の単離が他の研究者により複数発表され、もし1週間論文を書くのが遅かったら、自分たちの業績になっていなかっただろうとおっしゃっていました。ほんとうにドラマチックでスリリングな話ですね。

このような、インターロイキンやサイトカインとか呼ばれる、免疫細胞に作用する物質は、今ではたくさん発見されています。その中で、今回平野さんたちが受賞された理由は、その後のご研究で、インターロイキン6が、難病の自己免疫疾患の一つである関節リウマチの発症に関係していることを発見され、また、インターロイキン6受容体に対する抗体が、関節リウマチに効果があることが判明したからです。

平野さんのように関連病院に赴任された時に、忙しい診療現場の中から研究テーマを見つけられたというのは、ほんとうにすばらしいことだと思います。大発見には偶然や幸運もつきものなのですが、その裏には、高い志と、どんな逆境にも負けない粘り強い努力があるんですね。

プレゼンの最後には、ご自身の肺癌の組織写真を見せていただきました。定期検診の単純X線写真で、あやしい影が見つかり精査をした方が良いと言われてCTをとったところ、別のところに肺癌が偶然発見されて手術をされたとのことです。その時の命を救ってくれた阪大病院の医師や医療従事者の方々に感謝をし、恩返しの気持ちで医学研究科長(医学部長)を引き受けられたとのことでした。

平野先生のクラフォード賞受賞に、改めておめでとうと言わせていただきます。そして、できれば、ノーベル賞の受賞につながるといいですね。

さて、ここまではたいへん明るい話なのですが、ここから一転して暗い話になります。プレゼンの後の食事会で、平野先生は、大阪大学ですら医学部出身者が基礎研究に携わろうとしなくなったことを嘆いておられました。私も、日本医師会雑誌の今年の1月号に我が国の医学研究論文数が臨床医学も基礎医学も激減していること、そして、その中でも地方大学の論文数減少が著しいことを書きましたが、旧帝大でも平野さんのおっしゃるような状況が生じているとは・・・。これはなんとかしないと大変なことになるということで意見が一致しました。

以前の私のブログで書いたように、同じ事を、iPS細胞で有名な山中伸弥さんもおっしゃっていましたね。

今まで“聖域”であった科学技術研究費のムダを省いて3%削減した、などと事業仕分けで政府が自慢しているような状況ではありませんね。資源の少ない我が国が生きていこうと思えば、科学技術で世界と戦うしかなく、このままでは10年後に大きなしっぺ返しがくると思います。

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”人気取り”の授業を目指そう(授業経営学その4)

2010年02月02日 | 高等教育
さて、今までの“授業経営学”のブログで、顧客(学生と学生を受け入れる社会)を第一に考え、毎回のアンケートとフィードバックを行い、考えさせる授業をすることの大切さをご説明しました。

今では、学生による授業評価は多くの大学で実施され、鈴鹿医療科学大学でも全教員に対して半期毎に実施されているんですが、このようなことは、昔は、あたり前のことではありませんでした。

私が三重大の教授をしていた頃、授業評価を学部で行うべきであると提案したところ、“学生の人気取りになってはいけない”、という反対意見を言われたことがあります。

この背景には、学生たちは自分たちを甘やかす教員を高く評価する恐れがあり、学生による評価はあてにならない、あるいは、教育の目的である修学達成度は学生の“人気”とは関係がなく、むしろ逆に学生から嫌がられても、厳しく指導する先生の方が、学生をしっかりと教育してくれる、という考えがあると思われます。

さて、皆さんはどのようにお考えになるでしょうか?

私の答えは、今までのブログに書いたことからも推測いただけると思いますが、学生による授業評価は十分に信頼できるものであり、むしろ、各教員は学生の“人気取り”の授業を目指すべきである、というものです。

まず、学生による授業評価は、私の経験からは、集団でみれば十分に信頼できると思います。ただし、すべての学生が信頼できる評価をするのか、と問われると“否”ということになります。たとえば、大半の学生が5か4をつけているのに、必ずといっていいほど1~2人、“1”という最低点をつける学生がいますね。教員も「これだけ一生懸命やっているのに、どうして“1”をつけるんだ、ふざけやがって!!」と腹が立つことになります。

こういうふざけた回答を嫌がって、アンケートは無記名ではなく記名にするべきだと主張する先生もおられます。しかし、記名だとふざけた回答は出てこないが、本音を引き出しにくいということがあるので、私は、アンケートは無記名でとるべきと考えます。ふざけた回答は、読めばわかるので無視すればいいだけの話ですね。

私の経験からは、大半の学生はまじめに、また的確に授業を評価しており、集団としての授業評価の点数はきわめて鋭敏に反応する信頼できる指標です。学生を甘やかせて点数が上がるようなことは、絶対にありえませんね。

さて、冒頭のグラフにお示ししたデータは、昨年の前期の「救急医学概論」の授業で、3つの異なる学科の2年生をいっしょに講義した時の、私の授業評価(つまり学生満足度)の点数と、確認テスト(つまり修学達成度)の点数を示したものです。実は、3つの学科には1年生で医学をほとんど学んでいない学科と、ある程度学んでいる学科という違いがあったんです。同じ事をしゃべっても、医学を多少なりとも学んでいた集団は理解度が高く、ほとんど学んでいなかった集団は理解度が低いという差が生じます。

果たして、私に対する学生の授業評価、つまり、“人気”(学生満足度)と、確認テストの点数(つまり修学達成度)が、見事に相関をしたのです。これは、学生の修学状況に応じたわかりやすい授業をして理解度・満足度の高かった集団は、修学達成度も高かったことを示していると考えます。反省点としては、医学をほとんど学んでいなかった学科には、もっと、修学達成度に応じた理解しやすい講義をしてやるべきだったんですね。次期の講義では、ぜひとも改善をしたいと思っています。

というわけで、学生の修学達成度を高めようと思えば、学生の理解度・満足度を高める“人気取り”の授業を目指すべきであるということになります。

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