ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

大学の「選択と集中」と「競争原理」(その2)

2012年07月22日 | 高等教育

  さて、昨日のブログでは、大学の「選択と集中」と「競争原理」について、総合科学技術会議の第3回「基礎研究および人材育成部会」での資料をもとにお話をしました。今日は、「選択と集中」の影響を、論文数のデータで見てみたいと思います。

 その前に「通りすがり」さんのコメントを取り上げましょう。

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企業の研究力低下では? (通りすがり)

2012-07-01 18:48:05

  データが足りないので正確なところは分かりませんが、文部科学省のデータを見る限りでは、大学の論文数は増えている一方で企業の論文数が減っているようです(下記URL図9)。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa201001/detail/1296363.htm

  2000年以降といえば大手企業が軒並み企業研究所を閉鎖し、あるいは研究所といいながら基礎研究から製品開発に重点を移した時期に重なります。国内の学会はどこも企業会員が減少して経営難に陥っていますので、日本の論文数減少の主たる原因は民間企業ではないでしょうか。それが10年後の今日、自動車や家電などの主力輸出分野で日本製品が国際的な競争に勝てなくなっていることにもつながっているように思います。

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「通りすがり」さんのご覧になったグラフは次のものですね。

 

図9 我が国における組織別論文数、トップ10%及びトップ1%論文数の推移(分数カウント)

  これは文科省の科学技術政策研究所の阪さんたちのデータなのですが、「通りすがり」さんのおっしゃる通り、企業部門の論文数が減っていますね。私も、これが日本製品の国際競争力が低下した一つの理由かもしれないと思っています。企業の研究開発費も最近減っており、やはり、イノベーションに資源を投入しないと、国際競争には勝てないということでしょう。

 そして、「通りすがり」さんのおっしゃる通り、日本の論文数の停滞~減少の理由の一つは、企業の論文産生の減少であると思います。

 企業部門の研究開発力が低下して、なおかつ公的な研究開発力も低下するようだと、日本のイノベーションの国際競争力の低下は救いようがなくなると思っています。このグラフでは企業部門の論文数の減少をを補うように、政府部門、つまり、研究所を中心とした機関の論文数が増えていますね。両方合わせると、ちょうど打ち消し合って、±0になるかもしれません。

 このグラフでもう一つわかることは、論文数の大半を大学部門が占めていることです。つまり大学部門の研究機能が、日本全体の論文数に大きく影響することを意味します。この大学部門の論文数が停滞していることも、世界からどんどん水をあけられている原因だと思われます。つまり、企業部門の論文数の減少とともに、大学部門の論文数の停滞が、日本の論文数の停滞~減少を来して、世界から水をあけられている大きな理由であると考えます。

 下の図は、同じく科学技術政策研究所のデータで、日本全体の論文数のうち、各部門がどの程度のシェアを占めているかを示したものです。大学部門の中でも、国立大学は日本全体の50%以上の論文を産生しており、非常に大きな貢献をしていることがわかります。しかし、わずかにシェアを減らしている傾向が感じられます。一方私立大学はシェアを少し増やしているようです。 

 国立大学といっても、旧帝大のような大規模大学と地方大学とでは、ずいぶんと違う可能性があるので、国立大学をグループに分けて論文数を検討したのが下の図です。

 

 この分析には、トムソン・ロイター社のInCitesという素人にも簡単に分析が可能なデータベースのセットを使いました。このグラフを見る上で注意する点を以下に書いておきます。まず、論文数産生の比較的多い大学しか対象になっていないので、すべての大学のデータではありません。国立大学は68大学、公立大学は13大学、私立大学は80大学の分析です。また、各大学グループ間で共著論文があると、それを重複して合計しています。ただし、大まかな傾向を判断することはできると考えています。

 共著論文は次第に増える傾向にあり、おおよその重複率は、2000年頃で7~14%程度、2010年頃で10~20%程度と推測しています。つまり、このグラフの値は少ししゃっぴいて考える必要があり、このグラフで“停滞”を示している場合、実際は“減少”している可能性が高いと考えられます。

 国立大学をTop7, Next7, Other53に分けましたが、これは、2010年の論文数で多い順に7大学、8大学と区切ったものです。Top7は旧帝大です。Other53には地方大学が多いわけです。

 それにしても、旧帝大の論文数はすごいものがありますね。でも、研究費も論文数以上に旧帝大に集中されていますから、当然と言えば当然かもしれません。研究費あたりの論文数は地方大学の方が高いというデータがあります。

 論文数の増減についてこのグラフから一見してわかることは、私立大学の論文が増え続けていることです。国立大学と公立大学は停滞をしていますが、地方国立大学は旧帝大に比べて、少し早い時期から停滞しているように感じられますね

 このようなそれぞれの大学群の最近の論文数の変化をより見やすくするために、1999-2001年の論文数を1として、グラフに示してみました。

 

 このグラフで、私立大学は論文数を増やし続けているのに対して、公立大学は2004年以降減少傾向にあります。地方国立大学を中心とした群では、2004年の少し前から、他の群に比べて増加率が低く、2004年以降は停滞しています。旧帝大やそれにつづく2番手の国立大学は、増え続けてはいますが2004年頃から増加率が小さくなっています。

 先ほどの注意書きに書きましたように、このグラフでの“停滞”は、実際は減少している可能性があります。また、最近のブログで書かせていただいたように、これらの論文数は、あくまでデータベースに収載された論文数であり、実際の論文数とは乖離があることも常に念頭に置かなければなりません。各データベースが収載学術誌を増やしている状況においては、実際の論文数が増えていなくても、データベースの論文数は増えるという可能性があります。

 さて、このような大学群別の論文数の増減の違いをどのように説明すればいいでしょうか?以下は私の考える推理と仮説です。

 まず、2004年頃に私立大学に起こらずに国立大学に起こったことは何でしょうか?

 言わずと知れた国立大学法人化ですね。あるいは国立大学法人化そのものでなくても、法人化と同時になされた国立大学に対する各種の政策。

 たとえば、基盤的運営費交付金の削減。これは主として教職員の人件費と位置付けられており、各国立大学では大なり小なり正規の教員の数を減らしました。一方私立大学では、私学助成金の削減も途中からなされるようになりましたが、大学の予算に占める私学助成金の割合は、国立大学の予算に占める運営費交付金の割合に比べるとはるかに小さいので、同じ1%の削減がなされた場合でも、それが、正規の教員の削減に至ることは、少なくとも今まではなかったのではないかと推測されます。(経営の苦しい地方の私立大学では、研究どころではなく、私学助成に関係なく教員の削減もなされていると思いますが・・・)

 また、法人化に伴って、基盤的運営費交付金の削減とともに、競争的運営費交付金が設けられ、それに対する申請や報告作業の増、あるいは、大学認証評価に加えて中期目標・計画および年度計画の策定と法人評価に対応する作業、あるいは、教育改革や社会貢献活動の増などから、教員の運営業務や教育・社会貢献活動に割く時間が増え、研究時間が減少した可能性があります。

 地方大学が上位の大学に比べて論文数の停滞が早く、そして強く起こったことの理由としては、まず、2000年前後からの上位大学だけの大学院重点化と、教員定員削減の影響を受け始め、法人化後の教員削減や運営業務・教育業務等の増の負荷に対して、もともと余力が小さいことから特任教員等で埋め合わせることが不十分にしかできなかったこと。また、競争的資金も主として“実績”のある上位大学がその多くを獲得して、地方大学はわずかしか獲得できないこと、外部資金にも圧倒的な差があることなどから、上位大学との格差がさらに拡大したことが考えられます。

 科学技術政策研究所のレポートでは、FTE教員数、つまり(研究者数×研究時間)は、法人化前後で旧帝大ではわずかしか減っていないのに、地方大学では大きく減っていることが報告されていますが、このような仮説を支持する根拠の一つであると思われます。

 公立大学の論文数が減少したことも、財政の苦しい地方公共団体で大学の予算を相当額削減したことが、影響を与えたのではないかと考えています。

 他にもいろいろと理由が考えられると思いますが、主要な理由として、私は以上のようなことを考えています。地方国立大学や公立大学の教員ががんばらなかったから論文数が減ったということでは、断じてないと明言しておきます。

 また、私が、論文数の減少を運営費交付金の削減によって説明すると、私立大学の皆さんは、たいへん心証を害されるようです。論文数が減少しているから運営費交付金を削減するべきではないと私が主張していると受け取られ、「論文数が減っていない私立大学の助成金は減らされ続けていいのか?私学よりもはるかに多額の運営費交付金を交付されながら、いったいどういうつもりだ!!」ということなのでしょう。

 ただ、私は、起こっている現象をできるだけ客観的に説明しようとしているだけです。このままの体制で運営費交付金が減らされつづけたら、国立大学の論文数はさらに停滞あるいは減少することになります。

 私学助成も運営費交付金も、両方とも減らされないのが、いちばん良いに決まっています。

 また、地方国立大学の論文数が、上位大学よりも停滞していることから、予算を配分する担当者は、「では、実績のある上位大学にもっと予算をつけよう。」と考える可能性があります。

 これこそ、前回のブログでお話したように、「選択と集中」政策によって、地方国立大学と上位大学の格差を拡大させ、それを成果指標で評価して、さらに「選択と集中」をして、いっそう格差を拡大させる、ということです。果たして、それが、日本全体の国際競争力を高めることになるのかどうか?

 でも、それでは、地方大学に予算を多く配分して、上位大学の予算を減らせば良いかと問われると、上位大学も論文数が停滞しかかっているわけですから、そういうわけにもいかないでしょうね。ただ、研究費あたりの論文数は地方大学の方が多いので、日本全体の論文数は増える計算にはなります。

 結局、研究費総額を減らしつつ、その配分をいろいろといじくっても、国際競争力を高めることはできない、というのが私の結論です。海外で論文数の増えているところは、それなりに研究費総額を増やしています。また、英米では、この前のリーマンショックの結果、大学予算が削減されたのですが、授業料を上げるという措置をとって、研究費を守ったわけです。(それが良いかどうかは別にして・・・)

 しかし、研究費総額を確保しないことにはどうしようもないと委員会で発言すると、みなさん、しらーとなって無視されます。この前の「基礎研究及び人材育成部会」でもそうでした。

(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

 

 

 

 

コメント (3)
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大学の「選択と集中」と「競争原理」(その1)

2012年07月20日 | 高等教育

 総合科学技術会議「基礎研究および人材育成部会」で資料として出されたエルゼビア社の学術論文数のグラフ

http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/innovation/jinzai/1kai/siryo-sanko-2.pdf

で、日本の論文数のカーブが異常に低下していることをめぐってブログを書いたところ、皆さんからたくさんの貴重なご意見をいただきましたね。

  一つの論文数のデータの解釈においても、いろいろと注意しなければならない背景があり、また、人によって受け取り方が大きく違うことを改めて感じさせられました。

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Unknown (MD)

2012-07-14 18:12:04

昨今、論文誌ビジネスにも金融業界と同様の構造的なバブルと虚構性が指摘されています。
先生方には論文数ビジネスに安易に乗って虚学に興ずるよりも、学術が本当に社会に貢献するにはどうすればよいか、もっと中身のある議論を期待したいと思います。

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 Unkown(MD)さんのご指摘のように、最近確かに「論文数ビジネス」という面があることを私も感じます。一方で、研究力や学術の競争力を定量化する手段としては、他にあまり良い方法がないので、論文数を一つの指標として使わざるを得ないと面もあると思います。気をつけておかねばならないことは、「論文数」が目的化すると、弊害がでてくるということです。あくまで、研究力や学術の競争力を想定する一つの指標にすぎない、ということであり、常にそのことを念頭において分析し、Unknownさんのご指摘のように、学術が本当に社会に貢献するにはどうすればよいか、中身のある議論をするべきだと思います。

 ただ、私の個人的な印象としては、「論文数」は研究力、あるいは特に大学の「疲弊度」をモニターするための、けっこう“鋭敏な”指標かもしれないと感じているところです。

  さて、事実認識のお話でずいぶんと時間をとってしまい、なかなか対策まで議論がたどりつけないのですが、今日は、7月18日に開催された第3回「基礎研究及び人材育成部会」の内容を若干ご紹介するとともに、「選択と集中」と「競争原理」に関係したことがらを取り上げてみたいと思います。

 この会議の資料は、下のサイトから見ることができます。

http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/innovation/jinzai/index.html

 議事録はまだ公開されていませんが、「配布資料」をクリックしていただくと、当日のおよその内容がお分かりになるかもしれません。その資料3の「基礎研究及び人材育成の強化(検討資料)」というのが、この日、委員から意見を聞いて文言を修正し、上位の委員会に提出するたたき台のペーパーでした。

 下に、資料3がこの部会の委員の意見によって文言修正されたペーパーをお示しします。大きな変更は許されず、あくまで文言修正だけなので、基本的にはウェブ上で公開されている資料3とほとんど同じ内容です。

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基礎研究及び人材育成の強化

1.危機的な現状

基礎研究と人材育成は、科学技術イノベーションを支える基盤であるが、近年、論文生産の国際比較分析等において、我が国の基礎研究の国際的な地位の低下を強く危惧させる傾向が見られており、また大学等における若手研究者のポストの減少は、今後の我が国の科学技術の活力の減退を深刻に懸念させる状況となっている。

  このような危機的な現状にあって、国家戦略としての長期的視野に基づき、基礎研究と人材育成の抜本的な強化を図ることが必要である。

 

2.政策課題

基礎研究・人材育成に関して取り組むべき政策課題は多いが、現状においては、我が国の基礎研究の国際的な地位低下を食い止め、競争力の回復を図ることが最優先に掲げられる。またそのためにも、若手研究者をはじめとする人材の育成・活用に関わる取組を強化すべきである。

 

3.重点的取組み

基礎研究と人材育成の強化を図る上で、限られた資源を有効に活用し、持続的に成果を挙げるために、相互の競争を促しつつ、大学等が本来持つ力を最大限に引き出すアプローチを取ることが重要である。また成果の検証に関しては、客観的に検証可能で国際的に意味を持つ指標によって行うことが重要である。

こうした観点の下に講じられるべき主要な取組として、以下の3つを掲げる。

・国際的な水準で教育研究活動を展開する力を有する大学等を対象とした重点的な強化を図るため、世界トップレベルの研究拠点大学等の強化と、国際的な水準で研究活動を展開する大学群の厚みの増大に取り組む。

・効果的・効率的な研究を可能にするための研究資金の在り方の見直しを行う。

・若手研究者のポストの確保を図るとともに、産業界を含め社会全体で多様な人材の育成・活用を図る取組を強化する。

 

4.取組みにおいて留意すべき視点

・研究力強化に関しては、各大学等自らのイニシアチブが尊重されること。大学等に対する支援は、あくまで自律的な改革を促すための呼水であること

・各大学等においては、内部の部局間や世代間の資源配分の見直しに自ら積極的に取り組むこと

・大学等に対する支援は、ある程度範囲を絞った中で力のある大学間の競争を促すとともに、客観的に検証可能でかつ国際的に意味を持つ指標に照らして、成果を出すことのできる大学等が持続的に支援されること

・大学改革推進のための大学資金の改善については、部分的な最適化ではなく、将来を見据えたグランドデザインの下で、国全体のレベルで最大の成果が発揮されることを目指して見直しを行うこと

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 このペーパーが、どのように、あるいはどの程度政策に反映されるのか、よくわからない面があるので、責任のあるお答えはできないのですが、この文中の「各大学等においては、内部の部局間や世代間の資源配分の見直しに自ら積極的に取り組むこと」という部分は、下の“アカデミア脱落者”さんからのご意見に沿ったものになっていますでしょうかね。


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脱落者からの意見ですが (アカデミア脱落者)

・・・・前半略・・・・

  国として競争力を取り戻すためには,既得権を廃止して,若くても能力のある人材を優遇するような制度にしなければならないでしょうね.若手をPD職で雇用するなら,上の世代は「最低でもPD以上の成果を出さない限り雇用する価値が無い」という認識を常識にしなければならないと思います.が,そういう基準でクビにするような制度が実現できるかといえば,制度を決める側の連中がそんな自分の首を締めるような制度を作るわけはないですよね…

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  また、この文中の「客観的に検証可能でかつ国際的に意味を持つ指標に照らして、成果を出すことのできる大学等が持続的に支援されること」と明記されたことからすると、“台湾の大学のPI”さん、“米国州立大学Tenured”さんからのご意見に沿った内容かもしれませんね。

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論文数を大学内でちゃんと評価すべきでは (台湾の大学のPIです(日本人))

2012-06-29 07:05:05

台湾では国立大学も私立大学も研究中心の大学では、大学ごとにさだめる一定の質のジャーナルに論文を掲載すると、ボーナスがでます。また、大学内の研究所やセクションごとに論文業績や獲得外部資金を毎年集計して、大学内の予算配分に反映していると思います。このような仕組みも有効かもしれません。この仕組みによって、ひとりひとりは、テニュア審査や昇進に必要最低限の論文数を超えて、論文を書き続けるモチベーションを持ちやすいのではないでしょうか。

 

 

Elsevier =英文査読付学術誌で勝負、理系はよいが、文系は? (米国州立大学Tenured)

2012-07-13 10:40:24

これは素晴らしい問題提起だと思います。 
Elsevierですので、当然英文査読付学術誌でのカウントデータだと思います。 日本の場合、多くの「理系」の研究者は英文で論文を投稿し世界と勝負するのが当たり前の世界だと思いますが、問題はいわゆる「文系」学部にどの程度、世界と勝負するビジネスモデルで育成された研究者がいるかだと思います。 米国博士課程はいまや、韓国中国台湾の学生で圧倒されており、既にテニュアトラックにも大量の若手研究者を送り込んでいます。そして優秀なのは当地でポジションを取り、一部は本国に帰り、そこから凄い生産性で論文を投稿します。韓国は定量化された点数制でテニュアを決定する制度があります(文系学部です)が、欧米のトップ誌は配点が高いですし、中国からの教員は論文掲載毎に大学から現金貰えるので、英文誌投稿が最も重要と言っています。 日本の文系学部、例外もあるでしょうが、世界と勝負する基本ルールである英文査読付論文勝負で戦っている研究者そのものが少ないように見えますが、如何でしょうか。 日本の大学で勤務した事無いので、無知はお許し下さい。

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 ここまでは

「世代間の資源の配分の見直しによる若手ポストの確保」

「客観的に検証可能でかつ国際的に意味を持つ指標に照らして評価」

ということで、これらのこと自体に、私は意義を唱えるものではありません。ただし、地方大学の学長経験者としては、心配しなければいけないことが大いにあるのです。

  この会議の中で、横浜国立大学の藤江幸一教授が、最後のほうでおっしゃった一言が印象に残っています。この部会で示された政策の案について、小規模大学(あるいは地方大学)の者にとっては、やる気が湧いてこない内容であるというような主旨を、謙虚におっしゃいました。(正確な文言は、後日公開される議事録を見てください。)

  地方国立大学に長く身を置いた私としても、藤江先生のお気持ちは、痛いほどよく分かりました。各種資料の中に、小規模あるいは地方大学の研究者を元気づけるような政策は、少なくとも正面には書かれていませんからね。(付け加えるような文言としては若干書かれているかもしれませんが・・・)

  先のブログへいただいたコメントにも地方大学の研究環境の厳しさを書かれたものがありましたね。

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配分に問題 (卒業生)

2012-06-28 09:55:42

  旧帝大から地方大学に転勤になったとたん、研究の内容に変更がないにも関わらす、急激に科研費の採択率が下がるのは周知の事実です。ポストドクの採用にも同じような傾斜があります。研究内容ではなく、その場所によって配分に傾斜があるようでは、地方大学の研究室が研究意欲を失い、必然的に論文数が減少するのは当然です。


  自然科学の研究は、何も研究費の多寡でのみその生産性が左右されるものではありませんが、ある程度の研究費がなければアイディアだけでは論文は書けません。科研費の配分の傾斜をなくすことと、事後成果の検証が厳密に行われることが必要でしょう。

  大学が法人化されたことによって、ともすればすぐ成果が出やすくまた説明しやすい応用分野への研究が重要視され、基礎科学分野が軽視されます。この傾向は日本の将来の科学技術の発展に大きな禍根を残すことになるのではと危惧します。

 

選択と集中の弊害 (地方国立大の助教)

2012-07-08 11:21:02

  論文数の低下をもたらした原因の一つは、研究費の選択と集中により、国内の科学研究の裾野が狭まったことにあると考えます。やみくもに研究費の大型化を目指すのではなく、少ない研究費で良い成果を出した研究者を評価する仕組みが必要ではないでしょうか?

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  実は、資料3には

「研究力の強化を図る上で、限られた資源を有効に活用し、持続的に成果を挙げるために、選択と集中によって相互の競争を促しつつ、大学等が本来持つ力を最大限に引き出すアプローチを取ることが重要である。」

という文章が書かれていました。私は、「選択と集中によって相互の競争を促しつつ」という表現はおかしいという意見を述べました。

 「選択と集中」というのは、人為的に勝ち負けを決めることですから、それによって相互の「競争」を促すことはできませんからね。「競争」というのは所与の条件を同一にして競わせることで競争になるのであり、選択と集中をして片方に肩入れをして競争しろと言われても、競争にならないわけです。むしろ「選択と集中」と「競争原理」は相矛盾することがらであると思います。

  なお、「選択と集中により国際競争力を高める。」というような表現なら、意味は理解できます。(賛成するか反対するかは別にして)

 結局、私の意見を採用していただいて、「選択と集中」という言葉は削除となりました。

  大学間の「競争原理」や「選択と集中」、そして運営費交付金の「傾斜配分」という文言は、国立大学法人化に伴って、つまり小泉政権で新自由主義が唱えられていたころから盛んに使われ始めたわけですが、政権が代わっても連綿として継続されている基調であるということでしょう。

  国立大学法人化の際に掲げられた「競争原理」なるものは、所与の条件を公平にした上での競争ではなく、もともと「選択と集中」によって資源配分を不公平にした上での「競争」であり、そして、その結果、成果指標によって評価をして、さらに「選択と集中」をしようということだったと感じられます。これでは、地方大学がいくらがんばっても望みはなく、地方大学にやる気を出せという方が、無理という感じもしますね。

  平成19年に、財政制度等審議会が、科学研究費の取得額に応じて、運営費交付金を傾斜配分するという資料を出した時には、当時三重大学長だった私は、緊急記者会見を行い、地方大学の地域におけるかけがえのない存在意義を訴えました。この試算によると三重大学をはじめ多くの地方大学では運営費交付金が半減するということでしたからね。そして、三重県知事や津市長がすぐに動いて下さり、近畿知事会、そして全国知事会の反対決議にまでいきました。この時、骨太の方針の原案では、「運営費交付金の大胆な傾斜配分」、というような文言が書かれていましたが、直前に「適切な配分」という表現に変わったということがあります。

  また、この時は、経済財政諮問会議の八代議員に、研究費あたりの論文数を計算すると、地方大学の方が上位大学よりも多いというデータをお示しして、ある面では研究効率の良い地方大学こそ、むしろ重点化するべきではないか、とご理解を求めたことがあります。コメントをいただいた“地方国立大の助教”さんと同じ発想ですね。当時の八代議員には、説得力のある論理だと理解を示していただきました。

  今回のペーパーに記載されている「客観的に検証可能でかつ国際的に意味を持つ指標」に、ぜひとも「研究費あたりの論文数」を入れてほしいですね。

  私は「選択と集中」や「競争原理」そのものを否定するものではありませんが、これらは、一歩間違えると逆効果となる「両刃の剣」であって、日本全体の国際競争力をいっそう低下させてしまうリスクがあると思っています。  

  今、いくつかの政府関係の委員会に出席すると、東大の国際ランキングが低下していることをなんとかしないといけない、というご意見が頻繁に出てくるようになりました。こういう時に、私は次のような意見を言わせていただいています。

  「私自身も旧帝大の卒業生であり、たしかに、旧帝大をはじめとした大規模大学にはぜひとも頑張って欲しい。しかし、それを実現するために「選択と集中」政策によって、地方大学の交付金を大きく削っていっそう弱体化させてしまった時に、日本全体としての国際競争力が果たして高まるのかどうか?」

  今回の検討資料3の最後に書いてある、「大学改革推進のための大学資金の改善については、部分的な最適化ではなく、将来を見据えたグランドデザインの下で、国全体のレベルで最大の成果が発揮されることを目指して見直しを行うこと」という文言の意味するところが、私の発言と同じような主旨であれば幸いだと思っています。

  さて、今回のペーパーは、総体としては小規模あるいは地方大学の者にとって、やる気が湧いてこないものかもしれませんが、若干、希望を抱くことができるかもしれないという表現もあります。

  主要な3つの取り組みの一つに「世界トップレベルの研究拠点大学等の強化と、国際的な水準で研究活動を展開する大学群の厚みの増大に取り組む」とあります。この「大学群の厚みの増大」に、いくつかの地方大学が重点化群に入ることができるかもしれない、という期待を抱かせます。

 ただし、いったいいくつくらいの大学が想定されているのかわかりません。予算が厳しいことからすると、旧帝大につづくわずかの大学かもしれませんね。

 今回のペーパーから「選択と集中」という文言は消していただきましたが、大学を「選択と集中」したいという国の中の潮流は、非常に根強いものであると改めて感じました。

 私は、せっかくの資産である地方大学を、国際競争力アップの面でも、また、地域振興の面でも、その潜在力を生かす方法は、いろいろとあるのではないかと思っています。むしろ、やる気のある地方大学をちょっとだけ支援してやるのが、効率的・効果的かもしれませんよ。

(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)


 

 

 

 

 

 

 

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1つのデータには全く逆の受け取り方がある(その2)

2012年07月10日 | 医療

 前回のブログでは一つのデータに対してまったく逆の受け取り方があることをお話しましたね。

 きょうのブログでは、tribute-2x2さんのコメントに対して、順次私の受け取り方をお話していきましょう。

まず、

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『…、1980 年代世界第4 位であった日本は2000 年にかけて上昇し、世界第2 位にまで上った。その後中国の論文数シェアの増加に米・英・独・日・仏とシェアを食われ、下降基調となっている。…』(p.28)

と、単に中国の論文数の爆発で、相対的に先進国の論文数シェアが下がって見えるだけ、ではありませんか?

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P288の図というのは下の図のことですね。

 

 tribute-2x2さんのご指摘のように中国の論文数の爆発で、相対的に論文数のシェアが下がっているのはその通りですね。数年前に、科学技術政策研究所が日本の論文の国際シェアが低下していることを報道発表した時、ある海外の有名な研究者も、中国などの新興国の論文数の急増によりシェアが低下するのは当然であり、心配するにあたらない、というコメントを出していました。

 しかし、このp28の図を見ると、日本がシェアを失っているカーブは、他の先進国に比べて急峻であることは、誰の目にも明らかではないでしょうか?

 tribute-2x2さんの引用しておられる科学技術政策研究所の「まとめ」の③、④のすぐ上には①、②があり、ここには、以下のように書かれています。

たとえば「特に、2000年代の増加率は世界平均を大きく下回っている。」と書かれているように、科学技術政策研究所の受け取り方も、事態の重大さを表現しているものと思います。

 次のtribute-2x2さんのコメント

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『図表 11 主要国の論文数の変化(件)』(p.10)を見れば、日本も含めて、論文数は単調増加しています。その上昇率が、中国があまりに大きいために、シェアが相対的に下がっているだけで、それは、日本に限らない、ということです。

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についてですが、図表11を下にお示しをいたします。ご指摘の通り、日本も含めて、論文数は単調増加しています。しかし、ここからが受け取り方の違いになるわけですが、まず、このグラフは圧倒的に論文数の多いアメリカと同じスケールで表示してあるので、他の国のカーブの変化が小さくてわかりにくくなっています。これを、アメリカを別のスケールで表現して、他の国の論文数をフルスケールで表示すれば、日本の論文数の増加率が他の諸国に比較して低いことが明らかになると思います。

 

 次のtribute-2x2さんのコメント

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『図表 57 特定ジャーナル分析_SCIENCE』(p.54)や『図表 60 特定ジャーナル分析_CELL』(p.57)では、日本のシェアの減少は食い止められ微増傾向を維持できています。

図表57、図表60を見るかぎり、確かに日本のシェアの減少は食い止められ、微増傾向を示しています。

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 tribute-2x2さんのご指摘のように、確かにScience誌では、日本はシェアを維持していると思います。でもNature誌については、日本がシェアを減らしていることはtribute-2x2さんもお認めになりますよね。これを、日本はNature誌のシェア失っているがScience誌では維持しているので日本の研究力は問題ない、と受け取るのか、Science誌でシェアを維持しているものの、Nature誌でシェアを失っているのは問題である、と受け取るのか、これはデータの受け取り方が、人によって異なる例ですね。私はもちろん後者の受け取り方をしています。

 

 ただ、特定ジャーナル誌の論文分析は、ごく一部の特定ジャーナルだけが増えたか減ったかということでは、日本の研究力の動向について断定的なことは言えず、さらに学術誌を増やして、総合的に判断する必要があると思います。

 なお、Cell誌のデータについては、掲載論文数が少ないので、これでもってシェアを「微増」と判断することはできないというのが私の受け取り方です。

 

 

 下の図は、PubMedという公開されているデータベースを使って、私がカウントしたCell誌に掲載された日本の論文数です。Journal Articleという検索で行いましたので、原著論文以外に、レビューや短論文なども含まれており、科学技術政策研究所の阪さんたちのデータとは若干異なるものと思います。

 

 

 これを見ると、そもそも掲載論文数が少なく、ずいぶんと増減しています。これでは、何とも判断できませんね。

 

 ついでに、ScienceについてもPubMedでカウントした論文数をお示ししておきます。

 


 Cell誌と違って、これくらい論文数があると、傾向が読み取れます。Scienceについては日本は論文数を維持しており、科学技術政策研究所の資料のまとめの記載と同様に、フランスと互角のポジションにつけていますね。ただし、フランスの人口は約6千5百万人ですから、日本の約半分です。日本は、人口が半分のフランスと互角のポジションということになります。これを良くやっていると受けとるのか、そうではないと受け取るのか、意見が分かれそうですね。私の受け取り方は、もちろん後者の方です。

 それにしても、私も臨床研究に携わってきた身ですが、日本の臨床医学の国際競争力のなさには大きな危機感を覚えます。New England Journal of Medicine とLancetという最も有名な臨床医学の学術誌への日本の掲載論文はもともと少ない上に、さらに減少傾向にあります。そして、中国にも抜かれてしまいました。日本の研究費の中で医学研究が占める比率が高いということから、研究費をもっと他の分野に回すべきではないかという意見もあるようですが、そんなことをしたら、医学研究の状況はますますひどくなって、国が重点化しようとしているライフイノベーションなんて、とうてい実現できないでしょうね。そして、研究費を確保するだけではなく、抜本的に臨床研究システムを大改革しないと、どうしようもないかもしれません。

 

(次回のその3につづく)

(このブログは豊田の個人的な感想の述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

 

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1つのデータには全く逆の受け取り方がある(その1)

2012年07月08日 | 医療

 さて、学術文献データベースの読み方についてお話をしてきましたが、皆さんからいただいたたくさんの有意義なコメントを本文でもご紹介して、いわゆる“熟議”なるものを進めていかないといけませんね。一つ一つのコメントが本質的なものばかりで、順番に紹介してくだけでも、けっこう時間がかかるかもしれませんが、でも、どのコメントもたいへん重要なことをおっしゃっていますので、できるだけ順次ご紹介していくことにしましょう。

 なお、私の力量ではお答えすることが難しいコメントもありますので、そのような場合には、読者のみなさんにお助けいただくことにしましょう。

 Tribute-2×2さんからは、論文数の分析について、貴重なコメントをいただいています。たいへんありがとうございます。

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どの雑誌がカウントされて、どの雑誌の論文数が増えたのか (tribute-2x2)

2012-07-01 14:03:08

  国別の傾向比較をするにしても、その差が生まれたのはどの雑誌の論文数なのか、収録雑誌の分野別比率の変化なのか、というのを確認しなければ、対策になりません。
  情報工学なのか、薬学なのか、応用物理なのか、精密合成なのか、無機化学なのか。
  これらを全部「自然科学」で括っての議論は雑すぎますし、医学臨床などのフィールドの人にしてみれば、あまりに統計的裏づけがなく、不明瞭なデータの上に推論を設ける砂上の楼閣になりかねません。
「つぶやき」「ぼやき」には足りても、論証とは受け止められず、何の具体的方策への展開も起こらないでしょう。

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  分野ごとの論文数の分析をする必要があるというご意見は、まったくその通りです。

 実は私の専門は臨床医学なので、最初は臨床医学の論文数の分析をしていたのです。論文数の動きからみると、日本の臨床医学のデータベースにおける論文数は停滞して、海外との差が広がり、また、論文の“質”についても、著名誌への採用論文数が激減するなど、たいへんな心配するべきことが起こっているかも知れないと感じたわけです。

  次に基礎的医学分野について調べてみると、質については維持またはわずかに上昇しているようですが、数については停滞~減少し、臨床医学と同じように海外諸国との差が広がっていました。

 当初は、医学分野は他の分野に見られない特殊な要素に左右される面があるので、医学分野に限った現象だろうと考えていたのですが、他の分野も調べてみると、伸びている分野もあるのですが、医学分野と同じように、停滞~減少傾向を示している分野がいくつか見つかりました。

 それが、時代の流れによって、研究分野のはやりやすたれで起こっていることならば、まったく心配はいらないのですが、どうも、そうばかりとは言い切れず、医学分野で起こったことが、他の分野にも、じわじわと起こりつつあるのではないか、と心配をしているところです。

 なお、コメントのご指摘のように、研究分野をどのように分けるのかということによって、論文数の結果が左右されます。いくつかの分け方が提唱されているわけですが、科学技術政策研究所も私も、とりあえずトムソン・ロイター社のEssential Science Indicatorsという、22分野に分ける分け方を使って分析をしています。コメントにある「精密化学」なのか「無機化学」なのか、ということを調べるためには、Essential Science Indicatorsではできず、たとえばトムソン・ロイター社ならば、Web of Scienceの249分野などの分類を使って分析する必要があります。

 下の図は、トムソン・ロイター社のEssential Science Indicatorsの22分野を説明したものです。ここで、私はBiology & Biochemistry, Molecular Biology & Genetics, Microbiology, Neuroscience & Behavior, Immunologyの5つの分野を合わせた領域を、一応「基礎的医学」と名付けて分析をしていますが、この基礎的医学とClinical Medicine(臨床医学)を合わせた、“医学領域”は、日本の論文数の中で、約4割も占めていることに注意する必要があります。

 

つまり、“医学領域”での論文数の変化は、全体の論文数により大きく影響を与えうる、ということに注意する必要があります。

 

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元レポート全般からの結論との差異 (tribute-2x2)

2012-07-04 04:16:57

  文部科学省 科学技術政策研究所 科学技術基盤調査研究室『[調査資料-204] 科学研究のベンチマーキング2011-論文分析でみる世界の研究活動の変化と日本の状況-』を見れば、

  『…、1980 年代世界第4 位であった日本は2000 年にかけて上昇し、世界第2 位にまで上った。その後中国の論文数シェアの増加に米・英・独・日・仏とシェアを食われ、下降基調となっている。…』(p.28)

  と、単に中国の論文数の爆発で、相対的に先進国の論文数シェアが下がって見えるだけ、ではありませんか?

  『図表 11 主要国の論文数の変化(件)』(p.10)を見れば、日本も含めて、論文数は単調増加しています。その上昇率が、中国があまりに大きいために、シェアが相対的に下がっているだけで、それは、日本に限らない、ということです。

  『図表 57 特定ジャーナル分析_SCIENCE』(p.54)や『図表 60 特定ジャーナル分析_CELL』(p.57)では、日本のシェアの減少は食い止められ微増傾向を維持できています。

  『図表 64 各分野の主要国の相対被引用度の推移』(p.61)でも、微小な増減があるのみで、1985年から2010年での大きな変動はみられません。

  以上は、『5.まとめ』の『(3) 個 別指標に見る主要国の研究活動の状況』の○3○4にある分析の通りです。

  失礼ながら、我田引水のための恣意的な特定データのみの引用提示であれば、「結論ありきのストーリー」であり、論に耐えません。フェアなレポートの価値を貶めることのないようお願いいたします。

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  コメントでご指摘の科学技術政策研究所の調査資料204の”『5.まとめ』の『(3) 個 別指標に見る主要国の研究活動の状況』の○3○4にある分析“というのは、下の文章のことですね。

 

  科学技術政策研究所の阪さんたちのデータは私がもっとも信頼をしているデータであり、私のブログでもさかんに引用させていただいています。自分では、今まで上記の阪さんたちの記載と矛盾することはお話ししていないはずと思っており、むしろ、阪さんたちのデータを少しでも多くの人に知って欲しいと思って引用してきました。でも、「フェアなレポートの価値を貶める」というように受け止められるということは、私の表現のいきすぎや至らないところがあったのかも知れません。

 ただ、一つ付け加えさせていただくとすると、データを見た時の受け取り方は、人によって千差万別ということです。同じデータを見ても、まったく正反対の受け取り方がありえます。

  たとえば、降水確率30%を低いと受け取る人がいるかもしれませんし、高いと受けとる人もいるかもしれません。

 さらにもう一つ、仮にデータの受け取り方が同じであっても、それに対する価値判断や行動も千差万別ということで、180℃違うことがあり得ます。

 そして、往々にして、利害関係者は、自分の主張に都合の良いデータだけを根拠にしようとしますよね。

 私自身は、大阪大学の出身であると同時に地方大学も経験し、旧帝大にも頑張ってほしいと思うと同時に、どなたかがコメントで書いておられたように地方大学のつらい状況を経験しており、ほっておけば「選択と集中」政策によってどんどんと地方大学の研究環境が悪くなるので、なんとか地方大学の存在意義を客観的データとしてお示しして、国民の皆様のご理解がえられないだろうか、という思いがあります。そういう意味では、私のブログは、バイアスがかかっていると受け取られるかもしれません。しかし、極力国民にとって何が利益になるのか、という観点から、できるだけフェアな分析を心がけようと思います。

 財務省は現時点ではお金を削ることが重要な仕事ですから、お金を削るための根拠になるデータを示そうとすると思いますし、一方各省庁は、財務省に対して予算をつけていただくための根拠になるデータを示そうとすると思います。そして、同じデータに対する受け取り方や価値判断も、おそらく両省でずいぶん異なる可能性があると思います。

 たとえば、私が今までのブログでお示しているような地方大学の論文数が減少しているというデータを示した場合に、仮に財務省に、それを事実として同じ認識をしていただいたとしても、「それでは地方大学の研究力回復のために予算をつけてあげよう。」と言っていただけるのか、あるいは、「実績があがっていないから、地方大学の予算をもっと削減しよう。」とおっしゃるのか、180度違う政策のどちらになるかわかりません。

 もし、後者になれば、私が一生懸命地方大学の現状をご理解いただこうと論文数の分析をした意図と真逆の結果になるわけです。その意味では、一歩間違えれば、最悪の結果になるかもしれないという大きなリスクを抱えつつ、論文数の分析をしていることになります。もし、そうなった場合は、私に期待をされていた多くの地方大学の皆さん、たいへん申し訳ありません。

 (その2に続く)

 (このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

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学術文献データベースの読み方(つづきのつづき)

2012年07月03日 | 科学

 「あまりにも異常な日本の論文数のカーブ」に対しては、皆さんから貴重なコメントをたくさんいただいていますが、「学術文献データベースの読み方」についてお話をしているので、なかなか、本論に入っていけませんね。でも、“論文数”なるもののデータの解釈について、ある程度の共通理解がないと、妥当な原因の分析や対策の考察までたどり着けませんので、もう少しだけご辛抱をお願いいたします。

 エルゼビア社のデータベースによる「あまりにも異常な日本の論文数のカーブ」をめぐって、学術文献データバースの読み方についてお話してきましたが、今までの考察を簡単にまとめておきます。

1)データそのものに何らかのミスや間違いのある可能性(今回のエルゼビアのカーブについては「基礎研究・人材育成部会」の担当者に再確認をしていただく)

2)実際の論文数とデータベースの論文数には乖離があること。

(ア)  収載する学術誌(特に新興国の学術誌)を急激に増加させること等がデータベース論文数に影響する可能性を念頭におくこと(データベースの“くせ”の問題)

(イ)  データベースの1年ごとの論文数は“くせ”等によってけっこう変動することがあるので、中期的なトレンドを読み取る方が適切

(ウ)  1つのデータベースだけではなく、複数のデータベースによる分析を併用することが大切

3)国際共著論文の比率が、論文数の分析に際し無視できない程度に増えつつあること

(ア)  整数カウント法と分数カウント法があること。(分数カウント法は専門の研究者でないと困難)

(イ)  国際共著論文の方が、被引用数が多くなる傾向があること

4)研究力を判断する際には、論文数だけではなく、質(?)も加味できる指標の方が望ましいこと、

5)研究力の国際競争力を判断する際には、国際シェアで表現する方が望ましいこと

 4)と5)については、あまり詳しくご説明をしなかったので、きょう若干追加させていただくことにします。

 質(?)も加味した論文数の指標としては、たとえば、「Top10%論文数」と呼ばれている指標があります。これは、被引用数が上から数えて10%以内に入る論文の数、つまり注目度の高い論文がいくつあるか、ということを示しています。先のブログでご紹介した文科省科学技術政策研究所の阪さんのレポート(調査資料204など)では、「Top10%論文数」の分析も行われています。

 注目度(被引用数)の高い論文の方が、イノベーションとのリンケージが良いことは、先のブログでもお話しましたね。

 もし、学術論文をイノベーションと関連づけて、日本が海外にイノベーション(またはイノベーションから生まれた製品やサービス)を売って、海外から資源などを買うということを研究活動の重要な意義の一つと仮定するならば、海外との相対的な競争力が問題となります。つまり、日本が質の高い学術論文(そのうちの一部がイノベーションにつながる)を多少増やしたとしても、海外諸国が日本よりも質の高い学術論文をさらに多く増やして、イノベーションにつなげた場合、日本のイノベーションを海外で売ることは困難となります。

 このような考えからは、論文数の指標としては論文の絶対数というよりも、海外に比較して、何パーセントのシェアを占めているか、という指標、あるいは相対的なランクの方が重要になります。しかも、イノベーションとのリンケージの良好な、注目度(質?)の高い論文数のシェアが大切ということですね。

 阪さんたちの調査資料204から、トムソン・ロイター社のデータベースを用いて分析した、論文数の国際シェアのグラフを下に引用します。http://www.nistep.go.jp/achiev/results01.html

 

 このグラフを見ると、中国などの新興国の論文数の急増により、先進国の国際シェアは当然のことながら下がることになりますが、日本の下がり方のカーブが、他の先進国に比較して、あまりにも急峻ですね。しかも、英、独、仏の欧州諸国は、Top10%補正論文数の方は維持をするか、むしろシェアを増やしているのに対して、日本はどんどんと低下しています。

 日本の論文数が減っても“質”が維持できればいいではないか、というご意見もあったと思いますが、ほんとうに残念ながら、日本の現状は“数”についても”質“についても、国際シェアを急速に低下させていると考えられます。

 なお、各分野の中でも、化学、工学、臨床医学、基礎生命科学などの分野が、論文数やTop10%論文数の停滞または減少を示しており、苦戦をしているようです。また、研究機関別では、最も大きく論文産生に貢献している国立大学が停滞しているとの結果です。

 エルゼビア社のデータベースの論文数のカーブは“あまりにも異常”を感じさせるものでしたが、トムソン・ロイター社のデータベースによる国際シェアのカーブも、それに負けず劣らず、“異常”を感じさせるものではないでしょうか?

 さて、それでは、日本はどれくらいの国際シェアを維持すればいいのでしょうか?

 中国などの人口の多い国が学術論文数を増やしてくれば、国当たりの論文数あるいは質?の高い論文数が抜かれることは当然であり、また、日本のシェアが小さくなっても当然なのですが、やはり、1億2千万人(将来は8000万人くらいになると言われていますが)の日本人を食べさせていけるだけのイノベーションに結びつく論文数を維持したいですよね。

 そのためには、資源の少ない国は、人口あたりのイノベーション数を資源国よりも何倍か多く保つ必要があると思います。といっても何倍あればいいのか、ということまではよくわからないのですが・・・。

 とりあえずは、たとえばドイツという国と同レベルの生活がしたいということであれば、ドイツをベンチマークして、目標にするということが一つの方法かもしれません。ドイツは人口が約8千万人と日本の将来の規模と同じくらいであり、また、技術立国としての伝統も良く似ているので、日本としてはベンチマークしやすい国ではないかと思います。

 「人口あたりのイノベーション数」に対応する学術論文の指標としては「人口あたりのTop10%論文数」などが候補になりうるのではないかと思います。そして、先進国の人口あたりのTop10%論文数を計算したのが、以前のブログでもお示しした下の図です。


 日本は実に21番目です。ドイツに追いつこうと思ったら、今の3倍も質?の高い論文を増やさねばなりません。シンガポールなんて夢のまた夢。19番目の台湾でさえ、人口あたりにすると日本の1.5倍の質?の高い論文を産生していますからね。

 日本がまずベンチマークするべき相手はドイツはとても手が届かず、台湾かもしれません。でも、台湾を目指すとはいっても、今の日本の研究力を1.5倍にすることは、大学の予算を削り続けている現在の日本の政策では至難のわざですね。そして、仮に日本が1.5倍にした頃には、台湾はもっと上にいっていると思います。

 今のままの政策が続けば、ドイツや台湾に追いつくどころが、さらに順位が下がっていることでしょう。

 台湾のことが出てきたので、台湾にいらっしゃるPI(研究室主宰者)の方からのコメントをご紹介しておきましょう。

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論文数を大学内でちゃんと評価すべきでは (台湾の大学のPIです(日本人))

 

2012-06-29 07:05:05

 

 台湾では国立大学も私立大学も研究中心の大学では、大学ごとにさだめる一定の質のジャーナルに論文を掲載すると、ボーナスがでます。また、大学内の研究所やセクションごとに論文業績や獲得外部資金を毎年集計して、大学内の予算配分に反映していると思います。このような仕組みも有効かもしれません。この仕組みによって、ひとりひとりは、テニュア審査や昇進に必要最低限の論文数を超えて、論文を書き続けるモチベーションを持ちやすいのではないでしょうか。

 ところで、日本国内に職がなく、海外でPIやポスドクをする日本人の業績は、上の集計では日本には反映されていないですよね。


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 私も3月に台湾の大学にいってきましたが、大学によってやり方に差があるとは思いますが、”台湾の大学のPI”さんがおっしゃる通りのインセンティブシステムを実行している大学がありました。

 以前のブログでお示ししましたように、台湾は、人口あたりにすると日本の政府支出研究費の1.5倍投資しており、それにぴったり一致する1.5倍の質の高い論文数を産生しており、なお急速に増加しています。

 日本は、台湾の研究費だけではなく、このような、質の高い論文を産生するシステムも学ぶべきではないかと思います。

 ”台湾の大学のPI"さんへ。もし、よろしければ直接ご連絡をとりたいので、よろしくお願いします。

 なお、「日本国内に職がなく、海外でPIやポスドクをする日本人の業績は、上の集計では日本には反映されていないですよね。」というご質問ですが、論文の所属にJapanの記載がなければ、残念ながら日本には反映されませんね。


(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)




 

 


 

 

 

 


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学術文献データベースの読み方(つづき)

2012年07月01日 | 科学

 エルゼビア社のデータベースによる「あまりにも異常な日本の論文数のカーブ」に関連して、学術文献データベースの読み方について、データベースの“くせ”も含めて私の意見をお話しましたが、今日はその追加をしておきます。

 ツイッター上やコメントでもご指摘をいただいたのですが、エルゼビア社のデータベースによる日本の論文数のデータについて、データそのものについての何かのミスや間違いがあることも、可能性としてあげておく必要がありますね。この点については、部会の担当者にエルゼビア社に確認をしていただく必要があると思います。

 前回のブログでは、データベースの論文数は収載した学術誌の論文数なので、実際の論文数の間には乖離があること、そして、収載する学術誌の選択や増やし方によって、各データベースの“くせ”が生じると思われることをお話しましたね。

 前回のグラフ上から、エルゼビア社とトムソン・ロイター社で、論文数は、約1.5倍エルゼビア社の方が多く、トムソン・ロイター社の方が、学術誌を精選していると考えられることをお話しました。

 もう一つ、グラフ上から読み取れる違いとして、1996~2002年ころの横這いに見える時期から、2010年までの増加率を計算すると、トムソン・ロイター社の方が約1.2倍の増加に対して、エルゼビア社の方は、約1.5倍も増えています。つまり、エルゼビア社は、この7~8年、トムソン・ロイター社よりも急速に収載学術誌の数を増やしていることがわかります。これが、コメントでいただいた、エルゼビア社による論文数が2003年以降に飛び跳ねるように増加して見える理由と考えられます。ただし、前回も申しましたようにどちらが実際の論文数の増加のカーブに近いのかは、不明です。

 トムソン・ロイター社は、収載学術誌を精選しており、ある程度の論文の質(?)を反映した論文数ということになると思います。質(?)の高い論文数は、イノベーションとのリンケージの確率が高いこともあり、研究力を推測する指標としては、ひょっとしたら実際の論文数よりも、トムソン・ロイター社などの選択されたデータベースによる論文数の方が適しているという考え方もありかも知れません。研究力は論文の数だけではなく、論文の質(?)にも関係しますからね。

 ここで、論文の質(?)または注目度について、もう少しだけ説明をしておきます。まず、トムソン・ロイター社のデータベースで、相対インパクトという指標があります。これは、世界中の論文(もちろんトムソン・ロイター社のデータベースに収められた論文だけですが)の被引用数の平均を1として、各国や各研究機関の平均被引用数を示したものです。たとえば、相対インパクトが1.5ならば、被引用数が世界平均の1.5倍あるということで、注目度が高いことを意味します。

 下の図は、前回の論文数のデータと同じ国の相対インパクトを示したものです。

 

 

 多くのヨーロッパ諸国では相対インパクトが急速に上昇しており、オランダ、英国、ドイツは、最近まで圧倒的に強かった米国も追い抜いています。日本は0.8から徐々に上昇し、ようやく最近1.0、つまり世界の平均に達しましたが、欧米諸国にかなりの差をつけられています。

 中国、韓国、ブラジルなどの新興国は、0.8程度まで上がってきましたが、この1年急に低下しています。

 このようなカーブをどう読めばいいでしょうか?

 まず、ヨーロッパ諸国の相対インパクトの急上昇についてですが、一つは、もちろん、各国の努力により、実際に注目度が上がったことが考えられます。ヨーロッパ諸国の国際共著論文の比率が約50%と、日本の2倍程度高いことを前回のブログで書きましたが、実は、文科省科学技術政策研究所の阪彩香さんたちの研究で、国際共著論文の方が、そうでない論文よりも注目度が高くなる傾向にあることがわかっています。ヨーロッパ諸国の論文の注目度の上昇は、国際的な共同研究を増やしたことにも関係していると思われます。

 日本の相対インパクトは0.8から1.0に上昇しましたが、これを、果たして、日本の論文の質や注目度の上昇と喜んでいいのかどうか?上がったといっても、まだ世界の平均ですからね。そして、欧米諸国が軒並み急上昇しているカーブに比べると、ずいぶんと差をつけられています。

 新興国のカーブが0.8程度まで上がって、この1年急に低下したことについては、経年的な観察をしないで軽々な判断はできませんが、ひょっとしたら、トムソン・ロイター社が、新興国の学術誌の収載を急に増やしたことが理由かもしれません(確認はしていません)。理論的には、もし、新興国の研究者が多く投稿し、被引用数の少ない論文の多い学術誌がデータベースに収載されると、その国の被引用数の平均値は下がりますからね。

 思考実験ですが、新興国の研究が台頭してくる初期の段階、つまり、新興国の学術誌がデータベースにどんどん収載されて増えつつある状況を考えてみましょう。先進国の研究者は、まだ、新興国の研究者の論文をあまり引用していません。新興国の研究者は、初期の段階では、実績のある先進国の研究者の論文を数多く引用せざるをえません。このような新興国の学術誌収載により、先進国の研究者の被引用数は増え、また、被引用数の少ない新興国の論文が増えるので、先進国の相対インパクトは“自然”に上がることになります。

 これは、あくまで空想であり、確認をしているわけではありませんが、私の言いたいことは、理論的には新興国が台頭してくる時期には、先進国の相対インパクトは上昇しやすいと想像されますが、そういう状況の中で、日本の相対インパクトが0.8から1.0に上昇しても、まったく喜べないのではないか、ということです。

 以前のブログでもお示ししていますが、日本の論文の質(?)を考えさせられるデータを再掲しておきましょう。ただし、これは臨床医学分野だけのデータです。パブメド(PubMed)というアメリカ政府機関が提供している医学関係だけの学術文献データベースがあり、ウェブ上で公開されていますので、これを用いて豊田と北大病院内科の西村正治教授が分析したものです。パブメドが選んだ著名な臨床医学誌119誌の掲載論文を参照することができるサービスを用いて分析しました。

 

 そうすると、2003年頃から日本の論文が激減していることがわかりますね。臨床医学だけの分析ですが、有名な学術誌に日本の論文が急速に掲載されなくなっていることがわかります。これは、日本の臨床医学の論文の質、あるいは質の高い論文数の相対的低下を意味するものと考えています。

(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

 

 

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