さて、昨日のブログでは、大学の「選択と集中」と「競争原理」について、総合科学技術会議の第3回「基礎研究および人材育成部会」での資料をもとにお話をしました。今日は、「選択と集中」の影響を、論文数のデータで見てみたいと思います。
その前に「通りすがり」さんのコメントを取り上げましょう。
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企業の研究力低下では? (通りすがり)
2012-07-01 18:48:05
データが足りないので正確なところは分かりませんが、文部科学省のデータを見る限りでは、大学の論文数は増えている一方で企業の論文数が減っているようです(下記URL図9)。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa201001/detail/1296363.htm
2000年以降といえば大手企業が軒並み企業研究所を閉鎖し、あるいは研究所といいながら基礎研究から製品開発に重点を移した時期に重なります。国内の学会はどこも企業会員が減少して経営難に陥っていますので、日本の論文数減少の主たる原因は民間企業ではないでしょうか。それが10年後の今日、自動車や家電などの主力輸出分野で日本製品が国際的な競争に勝てなくなっていることにもつながっているように思います。
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「通りすがり」さんのご覧になったグラフは次のものですね。
図9 我が国における組織別論文数、トップ10%及びトップ1%論文数の推移(分数カウント)
これは文科省の科学技術政策研究所の阪さんたちのデータなのですが、「通りすがり」さんのおっしゃる通り、企業部門の論文数が減っていますね。私も、これが日本製品の国際競争力が低下した一つの理由かもしれないと思っています。企業の研究開発費も最近減っており、やはり、イノベーションに資源を投入しないと、国際競争には勝てないということでしょう。
そして、「通りすがり」さんのおっしゃる通り、日本の論文数の停滞~減少の理由の一つは、企業の論文産生の減少であると思います。
企業部門の研究開発力が低下して、なおかつ公的な研究開発力も低下するようだと、日本のイノベーションの国際競争力の低下は救いようがなくなると思っています。このグラフでは企業部門の論文数の減少をを補うように、政府部門、つまり、研究所を中心とした機関の論文数が増えていますね。両方合わせると、ちょうど打ち消し合って、±0になるかもしれません。
このグラフでもう一つわかることは、論文数の大半を大学部門が占めていることです。つまり大学部門の研究機能が、日本全体の論文数に大きく影響することを意味します。この大学部門の論文数が停滞していることも、世界からどんどん水をあけられている原因だと思われます。つまり、企業部門の論文数の減少とともに、大学部門の論文数の停滞が、日本の論文数の停滞~減少を来して、世界から水をあけられている大きな理由であると考えます。
下の図は、同じく科学技術政策研究所のデータで、日本全体の論文数のうち、各部門がどの程度のシェアを占めているかを示したものです。大学部門の中でも、国立大学は日本全体の50%以上の論文を産生しており、非常に大きな貢献をしていることがわかります。しかし、わずかにシェアを減らしている傾向が感じられます。一方私立大学はシェアを少し増やしているようです。
国立大学といっても、旧帝大のような大規模大学と地方大学とでは、ずいぶんと違う可能性があるので、国立大学をグループに分けて論文数を検討したのが下の図です。
この分析には、トムソン・ロイター社のInCitesという素人にも簡単に分析が可能なデータベースのセットを使いました。このグラフを見る上で注意する点を以下に書いておきます。まず、論文数産生の比較的多い大学しか対象になっていないので、すべての大学のデータではありません。国立大学は68大学、公立大学は13大学、私立大学は80大学の分析です。また、各大学グループ間で共著論文があると、それを重複して合計しています。ただし、大まかな傾向を判断することはできると考えています。
共著論文は次第に増える傾向にあり、おおよその重複率は、2000年頃で7~14%程度、2010年頃で10~20%程度と推測しています。つまり、このグラフの値は少ししゃっぴいて考える必要があり、このグラフで“停滞”を示している場合、実際は“減少”している可能性が高いと考えられます。
国立大学をTop7, Next7, Other53に分けましたが、これは、2010年の論文数で多い順に7大学、8大学と区切ったものです。Top7は旧帝大です。Other53には地方大学が多いわけです。
それにしても、旧帝大の論文数はすごいものがありますね。でも、研究費も論文数以上に旧帝大に集中されていますから、当然と言えば当然かもしれません。研究費あたりの論文数は地方大学の方が高いというデータがあります。
論文数の増減についてこのグラフから一見してわかることは、私立大学の論文が増え続けていることです。国立大学と公立大学は停滞をしていますが、地方国立大学は旧帝大に比べて、少し早い時期から停滞しているように感じられますね
このようなそれぞれの大学群の最近の論文数の変化をより見やすくするために、1999-2001年の論文数を1として、グラフに示してみました。
このグラフで、私立大学は論文数を増やし続けているのに対して、公立大学は2004年以降減少傾向にあります。地方国立大学を中心とした群では、2004年の少し前から、他の群に比べて増加率が低く、2004年以降は停滞しています。旧帝大やそれにつづく2番手の国立大学は、増え続けてはいますが2004年頃から増加率が小さくなっています。
先ほどの注意書きに書きましたように、このグラフでの“停滞”は、実際は減少している可能性があります。また、最近のブログで書かせていただいたように、これらの論文数は、あくまでデータベースに収載された論文数であり、実際の論文数とは乖離があることも常に念頭に置かなければなりません。各データベースが収載学術誌を増やしている状況においては、実際の論文数が増えていなくても、データベースの論文数は増えるという可能性があります。
さて、このような大学群別の論文数の増減の違いをどのように説明すればいいでしょうか?以下は私の考える推理と仮説です。
まず、2004年頃に私立大学に起こらずに国立大学に起こったことは何でしょうか?
言わずと知れた国立大学法人化ですね。あるいは国立大学法人化そのものでなくても、法人化と同時になされた国立大学に対する各種の政策。
たとえば、基盤的運営費交付金の削減。これは主として教職員の人件費と位置付けられており、各国立大学では大なり小なり正規の教員の数を減らしました。一方私立大学では、私学助成金の削減も途中からなされるようになりましたが、大学の予算に占める私学助成金の割合は、国立大学の予算に占める運営費交付金の割合に比べるとはるかに小さいので、同じ1%の削減がなされた場合でも、それが、正規の教員の削減に至ることは、少なくとも今まではなかったのではないかと推測されます。(経営の苦しい地方の私立大学では、研究どころではなく、私学助成に関係なく教員の削減もなされていると思いますが・・・)
また、法人化に伴って、基盤的運営費交付金の削減とともに、競争的運営費交付金が設けられ、それに対する申請や報告作業の増、あるいは、大学認証評価に加えて中期目標・計画および年度計画の策定と法人評価に対応する作業、あるいは、教育改革や社会貢献活動の増などから、教員の運営業務や教育・社会貢献活動に割く時間が増え、研究時間が減少した可能性があります。
地方大学が上位の大学に比べて論文数の停滞が早く、そして強く起こったことの理由としては、まず、2000年前後からの上位大学だけの大学院重点化と、教員定員削減の影響を受け始め、法人化後の教員削減や運営業務・教育業務等の増の負荷に対して、もともと余力が小さいことから特任教員等で埋め合わせることが不十分にしかできなかったこと。また、競争的資金も主として“実績”のある上位大学がその多くを獲得して、地方大学はわずかしか獲得できないこと、外部資金にも圧倒的な差があることなどから、上位大学との格差がさらに拡大したことが考えられます。
科学技術政策研究所のレポートでは、FTE教員数、つまり(研究者数×研究時間)は、法人化前後で旧帝大ではわずかしか減っていないのに、地方大学では大きく減っていることが報告されていますが、このような仮説を支持する根拠の一つであると思われます。
公立大学の論文数が減少したことも、財政の苦しい地方公共団体で大学の予算を相当額削減したことが、影響を与えたのではないかと考えています。
他にもいろいろと理由が考えられると思いますが、主要な理由として、私は以上のようなことを考えています。地方国立大学や公立大学の教員ががんばらなかったから論文数が減ったということでは、断じてないと明言しておきます。
また、私が、論文数の減少を運営費交付金の削減によって説明すると、私立大学の皆さんは、たいへん心証を害されるようです。論文数が減少しているから運営費交付金を削減するべきではないと私が主張していると受け取られ、「論文数が減っていない私立大学の助成金は減らされ続けていいのか?私学よりもはるかに多額の運営費交付金を交付されながら、いったいどういうつもりだ!!」ということなのでしょう。
ただ、私は、起こっている現象をできるだけ客観的に説明しようとしているだけです。このままの体制で運営費交付金が減らされつづけたら、国立大学の論文数はさらに停滞あるいは減少することになります。
私学助成も運営費交付金も、両方とも減らされないのが、いちばん良いに決まっています。
また、地方国立大学の論文数が、上位大学よりも停滞していることから、予算を配分する担当者は、「では、実績のある上位大学にもっと予算をつけよう。」と考える可能性があります。
これこそ、前回のブログでお話したように、「選択と集中」政策によって、地方国立大学と上位大学の格差を拡大させ、それを成果指標で評価して、さらに「選択と集中」をして、いっそう格差を拡大させる、ということです。果たして、それが、日本全体の国際競争力を高めることになるのかどうか?
でも、それでは、地方大学に予算を多く配分して、上位大学の予算を減らせば良いかと問われると、上位大学も論文数が停滞しかかっているわけですから、そういうわけにもいかないでしょうね。ただ、研究費あたりの論文数は地方大学の方が多いので、日本全体の論文数は増える計算にはなります。
結局、研究費総額を減らしつつ、その配分をいろいろといじくっても、国際競争力を高めることはできない、というのが私の結論です。海外で論文数の増えているところは、それなりに研究費総額を増やしています。また、英米では、この前のリーマンショックの結果、大学予算が削減されたのですが、授業料を上げるという措置をとって、研究費を守ったわけです。(それが良いかどうかは別にして・・・)
しかし、研究費総額を確保しないことにはどうしようもないと委員会で発言すると、みなさん、しらーとなって無視されます。この前の「基礎研究及び人材育成部会」でもそうでした。
(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)