ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

選択と集中の罠(その5)

2012年12月12日 | 高等教育

 前回まで、大学や研究機関における「選択と集中政策の罠」について、データにもとづいてお話してきましたね。適切な「選択と集中」自体は有効な戦略であると思っていますが、不適切に使われると逆効果とになるというお話でした。何でもかんでも「バラマキ」はダメで「選択と集中」をしさえすれば効果があがると勘違いして、日本全体の研究力やイノベーション力の国際競争力を低下させてしまうような誤った政策が決定されることに大きな危惧を抱いています。

 さて、それでは、どうすれば良いのか?ということになりますね。これは、いろんな考え方や議論があると思いますが、僕なりの考えをお話していきたいと思います。ただし、あくまで豊田個人の私的な感想であり、ブレーンストーミングであって、豊田が所属する機関の見解ではありません。くれぐれも誤解のないようにお願いをしたいと思います。

 それから「選択と集中」という言葉について、今までお話しましたように、本来の意味の「選択と集中」つまり、この言葉の産みの親であるGE社が他社と勝負ができる事業に資源を集中したことや、あるいは山中先生のiPS細胞の研究に日本国が集中投資をしたように、国際競争で勝負ができそうな“強み”に戦略として資源を集中する「選択と集中」と、量的な指標、たとえば、大学あたりの注目度の高い論文数で下位グループを切り捨てる「選択と集中」とは、似て非なるものなので、それを区別することにしたいと思います。

 とりあえず、本来の「選択と集中」を「iPS細胞型選択と集中」と呼び、そうでない後者を「疑似選択と集中」とよぶことにしましょうかね。両者の見分け方は、「疑似選択と集中」では、切り捨てられる集団をひとまとめにした場合に、切り捨てられる側から選択される側に変化する場合ですね。たとえば、地方大学を10大学くらいバーチャルに統合して、その注目度の高い論文数が、上位の大学の論文数を超えるようなことがあれば、選択と集中される立場が逆転するかもしれません。こういう場合が起こりうる選択と集中は「疑似選択と集中」ということになります。

 下のスライドにお示ししましたように、僕は一国の研究力は、「研究者数」×「研究時間」×「研究費(研究環境)」×「研究者の能力」に比例すると考えています。「研究者数」×「研究時間」が、今までのブログでも説明しましたように「FTE教員数」と呼ばれているものです。大学の教員は、国の統計では一応研究者としてカウントされているのですが、研究だけではなく教育やその他の仕事もしているので、実効的な「研究者数」は、教員数に研究時間をかけた値を使わなければならないという考えですね。今回の日本の論文数の停滞は、研究費の停滞も大きな要因ですが、FTE教員数の減少も大きな要因であることが示されています。

 もちろん「研究者の能力」という要素も重要な要素です。これには、各教員の能力を目利きする(評価する)システムや、インセンティブ制度を考える必要があると思います。

 基盤的運営費交付金や科研費の一部は、どちらかというと、種蒔きのための研究費であり、ある程度広く種をまいて芽が出てきたところで目利きをして、有望と思われる研究プロジェクトや研究者に戦略的に資源を投入します。これが常套手段ですね。この「種蒔き」(“バラマキ”と勘違いされて削減される対象になりやすい)と「目利き」と「選択と集中」という一連の流れをシステマティックにバランスよくやる仕組みが大切だと感じます。

 インセンティブにもいろいろとありますが、高い研究能力を持ち、優れた研究成果を出した研究者には、人事的処遇(准教授や教授への昇任など)、給与面での処遇(基本給や成果給など)、研究費や研究環境の処遇などがあり、今までもそれなりに行われてきました。少なくとも僕の所属していた医学部の教授選考では年功序列という考えはなく、下の者が上の者を差し置いて教授に選ばれることは普通に見られることです。私も41歳の時に、目上の人を差し置いて、三重大学の産婦人科の教授にならせていただいたのです。

 最近では、国の財政難とも関連して、研究者の能力の評価とインセンティブ制度をさらに厳しく、ドラスティックにやるべきであるという意見がたいへん強いわけです。そのためには、各大学の学長はもっとリーダーシップを発揮して、研究能力のある教員を評価・選抜して、限られた研究費や大学予算を、そういう有能な研究者に集中させ、そして、学部・学科・専攻という組織単位においても評価に基づいた資源配分をするべきである、という意見が、僕の参加している総合科学技術会議の「基礎研究・人材育成部会」でも、強く主張されています。

 ただし、「選択と集中」をしすぎて、あるいは「不適切な選択と集中」をして、その大学全体の研究のパフォーマンスや競争力が低下すれば、逆効果ということになりますね。あくまで、大学全体の研究面での国際競争力が最大化するような「種蒔き」と「選択と集中」のバランスを探らなければなりません。

 このような各教員の能力を目利きするシステムやインセンティブ制度も重要なのですが、以下ではFTE教員数および研究費の確保という観点を中心に対策を考えてみました。

 大学のFTE教員数が、特に余力の小さい大学で減少していることをお話しましたが、これ以上FTE教員数を減らさないようにするための、大学にとって最も影響の小さい政策は、国立大学ならば運営費交付金、私学ならば私学助成金を削減しないということです。

 しかし、国の財政がひっ迫し、社会保障費の伸びを抑えるところまで議論されていることから、社会保障費などの国民の生活に直接大きな影響を与える他の重要な予算を削ってまで運営費交付金を確保する必要があるということを、根拠をもって国民に理解していただく必要があります。

 でも、現状では、これは極めて難しいことではないかと僕には感じられ、何らかの形で運営費交付金の削減が継続されるのではないかと思っています。

 さて、運営費交付金は一括りにされていますが、僕は、大きく研究費の部分と教育費の部分に分けることができるのではないかと考えています。総務省の研究費の計算は、この運営費交付金を全額研究費として計上していますが、OECDでは研究費と教育費を案分して、研究費の部分だけを日本の研究費として計上して、国際比較をしていますね。

 お金に色はついていないのですが、運営費交付金は主として常勤教員の人件費等をカバーしています。教員は主として教育活動と研究活動をしており、二つを一体的に活動していることも多く、厳密には分けられない面もあるのですが、教育時間と研究時間をある程度分けて計算することができます。FTE教員数というのは〔教員数×研究時間〕のことでしたね。教員人件費についても、教育時間と研究時間で案分して、一応教育人件費と研究人件費に分けることができます。(大学院の場合は、教育と研究の切り分けがいっそう難しくなりますが・・・)

 実は国立大学附属病院では、すでに教員人件費をタイムスタディー等によって診療活動と教育・研究活動に案分して計上し、病院の会計には診療活動分の人件費を、そして、医学部の会計には教育・研究活動分の人件費を、正式の決算報告に載せているんです。例えば国から承継した借金が多く、かつ交付金が大幅に削減され、たくさん稼がなければならない病院では、教員の活動が診療活動にシフトして研究時間が少なくなり、論文数が減っているのですが、こういう大学病院では附属病院の教員人件費は多く計上され、その分、医学部の教員人件費は少なく計上されています。このような実例があることから、病院以外の学部おいても、教育時間と研究時間に分けて教員人件費を案分して計上することは、技術的には不可能なことではないと思います。

 そして、たとえ運営費交付金が削減されようとも、この研究人件費(つまりFTE教員数)を確保することができれば、研究機能はそれほど低下しないはずです。ただし、その分教育人件費にしわ寄せが行くことになりますけどね・・・。

 現在の実態は、運営費交付金が削減されると、教員数が削減され、全体の教育負担は変わらないので、残された教員の教育負担が増えて研究時間が減少し、つまりFTE教員数が減少して、論文数が減るという悪循環が起こっていることは、以前のブログで書きました。

 この運営費交付金の研究費部分だけでも何とか確保できないか、というのがブレーンストーミングで浮かんだ最初のアイデアで、運営費交付金という呼称がまずければ、研究費部分だけ別の呼称をつけてもらってもいいのかなと思ったりします。

 でも、あまりぱっとしないアイデアかもしれませんね。

 仮に運営費交付金の約半額が研究費部分とし、現在年約1%削減されているところが、研究費部分が削減されないとなると、全体では0.5%の削減となって、その分大学としては助かるのではないか、という甘い魂胆だったのですが、もし財務省から、研究費部分は削減しないが、では教育費部分を2%削減するよ、と言われてしまったら、同じことになってしまいますね。

 もっとも、運営費交付金全額を研究費として位置づけたとしても、日本の政府支出研究費(人口あたり)が台湾の政府支出研究費には追いつかないという話を以前のブログで書きました。総務省は運営費交付金を全額研究費として計上しているわけですから、ほんとうは運営費交付金と呼ばずに、研究費と呼称して、研究やイノベーションで世界と戦うために研究費全額確保ということにしてほしいんですけどね。

 それと、ちょっと心配なんですが、今、運営費交付金は5%削減されるのではないかという噂が流れているんです(根拠は全くありません)。万が一そんなことが起こると、国立大学の X day がすぐに来てしまうことになりかねませんね。これは、日本の研究面での国際競争力や地域再生に、甚大な影響を及ぼすことになるかもしれません。

 運営費交付金が引き続き削減される場合には、国立大学は何らかの大きな痛みを伴うトレードオフをしなければなりません。英米の大学はリーマンショックの時に予算が削減されたのですが、すぐに学生納付金を上げることで研究機能を守りましたね。学生のデモも起こりましたが、果たしで日本でもそういうことが可能なんでしょうかね?

 (このブログは豊田個人の勝手な感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)

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