富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

大学院の入試には、TOEFLの受験を義務づけよう!

2017年06月19日 | Weblog

中国語の検定教育に参与してきた立場からいうと、中国語検定協会が認定する級は、中国の大学・研究院に正式に入学する資格としては不適である。なぜか、日本語に訳したり、日本語を中国語の翻訳するという「なまけものの代行業」を請け負う通訳の育成である。だから、初心者は3級に合格すれば、そこからHSKに切り替えるように指導してきた。中国語は、中国語で言い換えて学ぶ。それが実用派の正統だ。

英語に関しては、TOEICにはビジネス英語という目的志向があり、4年制大学で実社会に就職する場合、最適の選択といえる。ただ、大学教育の現状を知るなら、大学院入試が、本当の「学識者」となる線引きラインである。大学院の英語の入試が、TOEFL必須とすれば、大学院の差別化ができる。さのため、教養教育の英語化TOEFLが必須要件である。中国語は、HSK対応が基本である。

本学は独自の工夫で大学院の英語入試をする、という大学院に限ると、英語教育のそもそもの主旨を間違えている。まして、日本の英検では、アメリカの大学への留学資格にはならない。国際化に力を入れている顔をして、未来の日本人の可能性を摘み取ることになってきた。


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地方自治体の首長の学力限界

2017年06月18日 | Weblog

TMA講師代表:学力限界ほど、リーダーの壁となりやすい。例えば、発田聡さんのTOEIC800点突破講座では、受講生から、shouldを使うよりも、had better to RV のほうが、上から目線ではなく、やさしい助言となるのではないか、という質問があった。しかし、外資系の人事部の経験が豊富な発田さんは、I think you should とか、I suppose you should の方が、命令口調を和らげるヘッジ表現となり、自分はhad better to不定詞を避けてきた、と人事の役員としての経験を語られた。なぜか、日本の英語教育界では、had better to RV のほうが、上から目線ではなく、やさしい助言と信じられてきたのか?それは、日本国には英語官僚がおり、どこかで英語の和製化が権威の力で生まれたことを意味している。「・・・した方が良い」と「するできだ」という訳された日本語の語感、それは漢文の読み方を英文解釈という不思議な作業に改めた伝統思考に縛られているからである。漢語の「可」は、「べし」と訓読され、そこに横すべりしてshouldが置き換えられる。「・・・した方が良い」は、丁寧な助言だから、「可=ベシ」よりは弱い、このような明治の学者の思い込みが、富山人の英語の壁に繋がっている。高岡高校で学んだ発田さんは、ついにTOEFLで高得点、シカゴ大学でMBAの学位を得る。富山離れを遂げられた。

実は、地方自治体の首長、地方議会の議員におかれては、英語に堪能である事例は少ない。小池百合子さんは、芦屋という阪神間で教育を受けている。その英語教育のルーツは、パルモア学院にあり、現在は、関西学院大学に発展している。阪神間の英語教師は、関西学院大学の英語教育の流れに属している。僕は、shouldは神の意思の代弁と教わった。I think you should・・・が、巧みなヘッジ表現だと理解できる。

富山県の英語は、東京大学英文科に起源する漢文の思考を英語に横滑りさせたものである。だから、東京大学の英語が内部革新されても、漢文の読解のルーツは残されている。僕は、パルモア学院で習ったのは、神の言葉としての英語の統語である。WillもShallも、常に神の意思にかなうかどうか考えよ、と。兵庫県庁、神戸新聞社、神戸市役所・・・関西学院大学の卒業生が多い。キリスト教の英語教育が生きてる町、それが神戸である。非常勤講師として、西宮の上ヶ原の教壇では、随分多くのことを学んだ。学生は、英語をスッキリとした神の言葉の統語として学んでいるからすごい。イングランド銀行の役割を離したら、翌週の講義には、ロンドンに行ってイングランド銀行の歴史のパンフレットをもってきてくれた学生がいた。小池百合子さんの行動力は、彼女だけではない、阪神間、それも阪急沿線の文化に根ざしている。タイトルを「地方自治体の首長の学力限界」としたのは、小池さんのルーツを紹介したいからだ。他意はない。しかも、小池新党には与しない。関西学院大学の上には、神戸大学という商学を基本とする経営学の伝統がある。僕は後者だから、小池新党の底割れも想定する。それが、「地方自治体の首長の学力限界」と題した第2の理由である。

 


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IoTに落とし穴がある

2017年06月18日 | Weblog

TMA講師代表:酷い流行、それはコンサルタント企業に依存するIoTの導入である。自社の人材が、コツコツと改善を積み上げないで、いきなりコンサルタント企業におまかせ、自社の現場でヒアリングしてもらい、工程が見える化してもらっただけで、最新の経営学による経営改善を行っていると錯覚することである。

IoTは、部分最適の部分技術でしかない。大事なのは、全体の最適化である。生産工程に課題を絞り込み、Aという製品の生産を省力化しても、Aという製品の市場での需要が減退期にある場合、大きな無駄への投資となる。日本は、バカの影として、モノづくり神話がある。日本の大学の工学部がバカにされるのは、部分最適を信仰することである。だから、ゴールドラットの全体最適の理論の入門書をある大学の学長に差し上げたが、なにも学習の成果がでない。工学部のお陰で、日本は立国している。しかし、全体最適を考える教育を受けていないので、部分最適に血道をあげる。

いまそこが流行だから、コンサルタント企業は、そこに力を入れて営業してくる。他人任せでIoTを取り込んでも、新たな変化が生じたら、自社の社員が主体的に推進した改善ではないから、取り込んだ部分がガン細胞に転じてくる。

仮に、自社のエンジニアが主体となり、部分最適としての工程の合理化が進んでも、市場のニーズの変化を含めたI0Tでないと、全体最適にはならない。技法としてではなく、思考法として、最低限、ゴールドラットの「ザ・ゴール」を読むことは必要だ。


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哀しい地方新聞の利用のされかた。

2017年06月17日 | Weblog

TMA講師の個人見解:

高齢者は、地方紙の共有の利用法が、2つあるという。「おくやみ」情報である。もう一つは、スーパーのチラシである。「おくやみ」情報のおかげで、僕は一度、死んでいます。同性同名のため、妻の知人から、おくやみの電話がかかってきた。逆にいえば、まだ、生きていますという情報にもなるが、哀しいのは、この欄に掲載される日が近づいてくる、という高齢者の心の揺れである。

スーパーのチラシは、さらに哀しい。家内は、クルマの運転の免許を更新し、さらに、チラシ研究に熱がこもる。我が家は、幸いなことにスーパーの競合地域である。選択肢は、広範囲にある。これが、買い物難民といわれる地区だと、スーパーのチラシは1店舗からの情報しかない。

でも、もっと哀しいのは、新聞の本紙が力を入れている記事には、女性は余り興味がないらしい。地域のこまごましたイベント情報など、まるで興味が湧かないらしい。狭い蟻の視界には、隣町の蟻の視界には全く関心がない。そういう情報には、主婦は反応しない。基層社会では、地区と地区の関係には、差別化と障壁化が生まれる。読まれない情報が満載され、カラー写真が互いに印象を潰しあう紙面は、親しまれない。

家内たち家族の行動を見ていると、TVに登場する人については、地区の隣人よりも詳しい個人情報を共有している。知らず知らず、クイズ番組に参加している。仮想の隣人が近く、実在の隣人は顔だけは知ってるが、その個性は知らない。

 


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地方新聞社の役割、民権か、民生か?

2017年06月17日 | Weblog

TMA講師代表のお勧め

人口減に直面し、地域の基層単位である小学校が統合し、足元が崩壊に近づいている。当然、新聞を購読しない世帯も増えている。大まかな情報と家族友人の情報は、SNSの速報性と秘匿性には及ばない、だから、広告の収入も激減している。北陸では、どの新聞が意味残れるかというよりも、新聞というメディア媒体が地方社会で生き残れるのか、限界集落という言葉があるが、限界地方紙という危機の直面している。

多くの方がご存知のように、日本の地方紙は、それぞれの土地の自由民権運動に根ざしている。「民権」発達のツールであり、世論誘導の装置である。この面で、全国紙のうち、新聞の体をなしてるのは、日本経済新聞だけである。読売も朝日も、相互にバトルを繰り返し、SNSに広告料の収入を奪われた。世論誘導において、大きなミスがあり、思い上がりが激しすぎる。

その点、地方紙の使命は、地域再生にあると考え、「民生」主義を大事にする、と考え、地方新聞社という経営組織の総合ロジスティクス・マネジメントに取り組んだところが、限界地方紙の壁を乗り越えられる。記者、広告、配送、さらに事業部が経営戦略を一体化し、全員が浮沈をかけた戦いに挑む時代である。自社の存続も、地方社会の民生主義に立脚したときに生まれる。新聞社は、戸別配達の仕組みがある。物流の世界でいう「ラスト・ワンマイル」の達人である。ここに織り込みチラシという民生の情報の伝達の経営資源が隠されている。「ラスト・ワンマイル」が、人手不足で崩壊し、YKKさんのファスナーが辺鄙な山村にある縫製工場に正確に届かなくなった、と物流担当者はいう。孫文は、彼の革命論にゴールは、県を単位とした民生に求めている。

日本は、今、国家指令型経済原理に一元化され、日本国債が全ての生命線となった。だから、日本経済新聞は唯一性を確保できる。民権だけを売りにする全国紙とその追随者は、地域の基層社会の崩壊が生む、新たな消費者のニーズをくみ取れない。地方経済新聞、つまり民生のためのサプライチェーン・ロジスティクス・マネジメントに長けた企業集体だけが生き残れる。消費を促すだけではない、地域価値の創造が望まれる。

 


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女子をおだてるにも程がある

2017年06月16日 | Weblog

TMA個人研究:日本の大学では、多くの女子学生の進学を受け入れ、男女共学が普通になった。「女子学生亡国論」は、まちがいであった。「女子学生建国論」が正しい。しかし、「女子」一般は、優秀ではない。学術研究の真髄は、研究主体の哲学の立ち位置にある。いいかえると形而上学にある。ここに透徹した思考が働くには、見えない壁がある。相対的にみると、ノーベル文学賞は女性の活躍が際立つが、科学の世界では、受賞者の男女比は、女性に厳しい。情感を超える直観力がいる。

孔子は、女性を蔑視した、という証拠はない。孔子は、女子をおだてないようにしただけである。孔子が重視したのは、格物致知への「思い」の純粋性である。男子が、女子をおだて育てる、というのは不遜である。人間としての全体最適は、そもそも女性の側にある。女子には、女子の指導者がいる。孔子は、そう考えている。だから、「詩経」の主役は、女子である。女子を敬している。

反対に、男子の人としての成長には、大きな壁がある。特に、日本男子は母性に弱い。母性に回帰する社会である。だが、子供を多数生んできた過去の母親は、適当に「子殺し」を平然とする。同時に、社会的に伸びるとみた子供は、自信をもって、家からたたき出す。

もともと父性の弱い日本では、孔子の父性の論理と信条は、抑制される。だからこそ、仕事のできる女子の出産、育児を国の宝として、きちんと陰から支えなくてはならない。言いたくないが、家庭の管理ができない女子は、社会的な仕事もできない。おだてても無理な女子も多い。もしかすると、日本の男子は、長い目で、子孫を残して欲しくない女子を選別しているのかも知れない。男女共学で、女子の楽屋裏を覗いているからね。


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なぜ国家指令型の経済原理の高度化が必要なのか。

2017年06月15日 | Weblog

日本は、第2次世界大戦後、自由主義のもと、国家がリードする指令型経済原理が後退し、企業を主体とする市場経済原理を主体とする国家となった。しかし、もう一つの経済原理である互恵型経済原理は、基層社会における家族や相互扶助の仕組みが崩壊し、健康保険、失業保険制度、国民年金制度など、国家が主導する指令型経済原理の枠組みに互恵型経済原理が取り込まれ、地域の共同社会にあった互恵型の相互支援の占める役割が大きく後退した。日本人は、基本、「お一人様」と「お一人様」とを結ぶ友人の単位であるSNSの形に解体され、地域の共同社会を維持し、活力を与える人材は、犠牲的な精神で臨むことになった。

つまり、互恵型経済原理は、家族や地域社会を媒介しないで。国家と個人との公的制度に置き換えられた。年金制度と健保に仕組みのおかげで、消費人口である高齢者層が増大し、生産人口である18歳から65歳の層が年々減少、さらに将来の生産人口となる未成年の人口が減少してきた。こうなると、日本は国家を唯一の互恵型の経済原理として機能させるために、企業や職能団体の内部の利益を守る互恵型経済原理を相対的に規制する必要が生まれた。そのために、一見、戦前のような国家主導の国家主義が、現実の問題として、必要悪として、客観的に求められるようになった。国家指令型 プラス 互恵型経済原理 > 企業の市場経済原理 という不等式にむけ、日本民族は自然的に生存を守るために自己防衛を始めているのである。その結果、企業は海外の活動拠点を移し、日本国への納税を最小化する方向に傾いた。反中国と、親中国とは、国家の立場と、企業の立場との揺れを意味している。

今後の活力は、出産、育児という大事を担いながら、子供の成長とともに社会的な生産人口として活躍する女性の働き易い環境を企業が準備しない限り、日本市場において企業そのものが陥没する恐れがある。さらに重要なのは、飽和状態にある日本の国内市場ではなく、インドから東、中国、ASEAN諸国の国民生活水準の向上に寄与できる生産労働の国際化である。

憲法改正も、テロ対策法も、戦前の事例や、部分現象から、拒否するのは、皮膚感覚の言論である。すでに、日本人は民族としての生存の戦略を模索する瀬戸際に来ている。好きでもない安倍晋三を支持するのは、民族生存の本能であり、能の理性判断である。


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富山県はアジアで最初の「都鄙一体型のアーバンコミュニティ」となる

2017年06月10日 | Weblog

富山県は、人口減の危機にさらされながらも、全国の都道府県において、県民総所得が第5位という輝かしい成果をあげた。これは、企業などが生み出した総所得と、個人の所得の総計を合わせた県民総所得を県民人口数で割った数字である。人口減により分母が縮小し、同時に、分子が拡大すると、必然、一人当たりの所得は統計のうえで上位にくる。第4位までは、太平洋ベルト地帯、総人口の減少が起きていない都道府県である。無論、出生率はいずれも減少している。が、富山には奇跡の船橋村の事例がある。

このような富山・船橋現象は、僕の住んでいる富山と岩瀬を結ぶライト・レール沿線でも、射水市でも、船橋村よりも広域的に起きている。ミニのミニ船橋村がある。これをどのように分析するのか、そこがプロの腕である。微視的にみていては、解析できない。

まず、旧来の都会と農村という、都鄙二分法の理論を棄てることである。船橋村は、今や、農業生産において経済が成立している農村コミュニティではない。農民の村ではない。IT革命により、テレポーテーションにより、製造業の郊外化が起こった。そのため、都会と農村との景観的な分割線が見つからなくなった。富山市でいえば、海辺から山に向かって車で走ると、笹津から八尾の線を超えて山岳部に入る。この間、製造業の拠点が散在し、物流の輸送機が多方向に交錯している。かっては、海の港への放射線状の輸送路に向かうベクトル、あるいは、鉄道の貨物駅に向けてのベクトルで説明できた。富山では、テレポーテーションにより、農業社会の時代は都会に集まっていた製造業のファクトリーが、高岡に観るように大型化、郊外化した。それにつれ、若い子育て世代は、比較的に地価の安い土地に職住接近した庭付き一戸建てのホームを建設するようになった。その90%近くが、地元業者がデザインし、アフターケアーするお洒落な外観の住宅群となった。昔の農家の建物が、逆に目立つようになった。

明らかに、富山は江戸時代の城下町、在郷町と農村という風景から、高速道路・高速鉄道が横断する「一日通勤圏」として、つまり、富山アーバン・コミュニティとして進化し、意外にも、互いに顔が見える農業社会の良さを残しながら、世界の最先端に通じる経済・文化のチャンネルと結節していている。これは、お隣の新潟では広すぎる、長野では分岐しすぎる、石川では、能登、加賀の2国、昔の越中国は、現代化することで一体としてよみがえった。地図をみて戴きたい、呉羽山を胴体に、飛たつ翼竜の形をして太平洋に向かっているのが分かる。


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「富山の優良企業はどこでしょうか?」続編

2017年06月09日 | Weblog

「トンボ飲料」さんは、やはり100年企業、100年以上の歴史ある老舗の飲料メーカーである。現社長の翠田章男さんの時代となり、飛躍的に現代の経営学の理論から導かれる仮説と検証を社員全体が共有する「社風」が確立された。特に、バランスという系列企業を立ち上げ、病院や介護施設へのゼリー使用の健康ケアー商品の伸びは目覚ましい。富山県のベスト経営者賞にあたる、富山大学の経営学科では、翠田社長の講義が年に1回、聞ける。富大の経済学部生の特権である。富山マネジメント・アカデミーの寄付講座のメンバーとして、最新のお話しを伺った。

続篇としては、困難に挑戦する意欲ある学生には、「トンボ飲料」は一押し、である。これから、もっと伸びる企業である。要点は、「富山新聞」2017.6.8、社会面に報道されている。


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富山大学都市デザイン学部の誕生に期待する!

2017年06月07日 | Weblog

富山マネジメント・アカデミーは、TOEIC800点講座を寄付するなど、富山大学の教学・研究の支援を行っている。それで、2018年4月に発足する新学部を紹介するパンフを大学の事務局から戴いた。評価は、AAA級である。まず、理工系の学部であることだ。中村は、文系は思想性が強いので、全て私学に移行するべきだ、格物致知の理系のみ国立でやるべきだとの持論がある。この度、文系学部が譲り、減資【学生定員削減】に踏み切り、待望の学部が、いよいよ学生募集に踏み切ることになった。

パンフを精査すると、富山学が上手く練られていて、感心した。ただし、歴史学者から言わせると、富山に「都市デザイン学部」が誕生した歴史意義は、当事者にも理解されていないので、ここで補足しておきたい。

第一に、アジア全域において、農業社会から工業化社会への緩やかな移行が行われた、そのなかで、地域のシステムが完全な農業社会であった富山【越中国】が、3世紀かけて、世界の最先端の都市化された地域へと大きく進化した最先端の事例にあたる。日本で、あるいはアジアで、最先端の地方創成に成功しつつある都市化の新しい姿がある。どうか、富山にきて、富山に学んでください。

富山県は、自動車交通と鉄道の発達と再建により、県全体が一日通勤圏として一体化できる交通システムを持ち、国際的な通関業務のできる空港と海港が機能している。さらに、県民一人あたりの総所得【企業が得た所得と個人所得の総和】が全国5位である。4位までは、太平洋ベルト地帯の広域都市圏であるから、純粋な農業社会から工業化された「都市としての富山」に成長した唯一の事例である。これは、同規模の農業地域圏全体が都市化した事例としては、アジアの最先端に当たる。シンガポール、香港は、イギリス資本の投下、台北は大陸資本の投下というような外からの資本投下を基礎としているが、富山は雪解け水を活用した水力発電が都市化のための資本の蓄積と循環を可能にした。

第二に、富山の都市化は、東京や大阪などの道筋をたどるのか?ここが大事なポイントである。自然との共生システムに依拠する、つまり、森林を大事に育てることで、都市生活の利便性と、豊かな自然のありのままの公園とに囲まれた人類理想の、自然に包まれた都市生活という夢に近づきつつある。あとは、この新たな国際都市にふさわしい人材の育成である。この富山のよさを誰もが英語で説明できる、そういう人材育成が大きな課題である。TOEIC570点以上の社会人が、土曜日、富山大学で学んでいる姿は、その未来を暗示している。


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