水際の護岸は殆どが丸太材を横たえての始末だが場所によっては列杭で手当てしたい箇所もあるものの杭の確保が大変になる。購入すれば形状の揃った杭が手に入るけれど支出が馬鹿にならない。すべて手作り調達するとなると材の準備が難問だし加工も手間を要する事になる。
購入した杭の残りも10本ほどあるからそれを使用すれば手間なしだったものの不揃いで構わない使用箇所だからかねて用意していた伐採材からまずは杭を作ったのだった。
この日、雨上がりでスリップが怖いから移動を伴う作業は取り止めまずは杭作りに精を出してみた。雨上がりの林内、湿度も高くやぶ蚊の襲来も半端ではなく蚊取り線香は用をなさなかった。結局は数が増えた折々で作業を中断して「モグラたたき」ならぬ「やぶ蚊叩き」に精魂傾ける羽目になった。杭作りで移動を伴わないチェーンソー作業でも猛暑日を記録したこの日の雨上がりの林内は半端なく杭作り作業で汗が滴って来る。蚊よけに首に巻いたタオルも絞れば汗が滴る有様になった。
それでも目分量で3カ所分の杭作りを終えて早速近いところから始末した。最初はトンボ池の一画。ここは冬季も日照がありヒキガエルの産卵好適地なので上陸し易い様に草の斜面にしていたのだが卵塊やオタマジャクシを覗きたくて集団で入り込む結果、植生はズタズタ泥濘化されるばかりが続きロープを張っても効き目はなくシモツケを列植したけれどこれは会員に坊主刈りされ消滅。苦肉の策でアズマネザサの束を積んで防いだのだが、これでは上陸場所にはなり難いし腐食すれば元の木阿弥だ。
それで今回、護岸用に丸太を積んでその上部にミソハギの群落で防御する事にしたのだった。杭打ちをし丸太を1本据えたけれど重ねる丸太が無い。まずは来春までに設えれば良い場所だから孟宗竹を重ねお茶を濁そう。
二カ所目は流路脇に植えたキジョランのある水際の防護である。増水すると蔓元近くまで流れが来て「根洗い」こそ生じないけれど流路脇が侵食される。これでは根張りを確保したい土壌範囲が狭くなるばかりなので水際線に列杭を設え冠水を防ぎつつ盛り土して根張りの体積を増やしたいのだ。
このキジョラン、今冬にはアサギマダラの幼虫を越冬させてくれた蔓なのだが葉数が足りず個体は引っ越しさせて無事に羽化できたのだった。現在の姿は「蔓だけの葉無し」で小生の「つるっぱげで歯無し」の小生に何となく似ている。まあ、同病相憐れむでは無いのだが健全に活かすための手当ては野草と言えども必要である。
この「野草と言えど手当てする」必要と価値を理解する人はほんの数人に過ぎず「雑草が勝手に繁っている」程度の認識が現実なのだ。名句に「夏草や兵どもの夢の跡」があるが小生としては「夏草や雑兵どもの勝手場所」と詠む。つい先日、あまりにも続く猛暑日に辟易し動物園と水族館に行って見たのだが里山保全や生態系涵養等々の作業は屋外作業であるもののバックヤードでの作業に似ている。園内の展示物がより生き生きと本来の姿を現してくれる様な気遣いやおもてなしが必至なのだ。
これはフイールドでも同様で作業人は主体ではなくあくまで客体である。こんなイロハも自覚せず気遣いも樹使いも出来ぬ傷塊するだけの顛末がなんと多い事か。自然界の遷移は当たり前でこれに相応した維持管理が必須なはずなのだが坊主刈り一辺倒では環境破壊の固定化でしかなく、それすら自覚せず農地や宅地並みの行為、里山では暴力行為に等しい事すら自覚しえないのは噴飯ものである。そもそも「水と植生が全ての基盤」すら意識されていない破壊行為とは異なり水による浸食防護策は杭や丸太、玉石など幾つかの手当てが可能なものの「坊主刈り命」の侵食破壊の大勢にはほとほと打つ手がない。