トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

夏草や…

2023-07-19 | 感じるままの回り道
               花イバラ我に爪立て悋気かな
                 
               ヤマユリの紅と香気で道を逸れ

               尿すらも汗と流れる刈り払い

               沢水に頭冷やせば夢心地

               極楽か沢水に浸く禿げ頭

               夏草やバッタバッタの宴中

泥水池3の漏水孔

2023-07-18 | 水辺環境の保全
 ここのところ真夏日と猛暑日が半々のような陽気でフイールドへ出かける勇気がない。さすがにそうばかり言ってはおれず曇天なのを心の拠りどころして久々の入域だ。何時もの通り水見回りから開始なのだが泥水池3だけ底が現われているではないか。この時点では断水かと思ったものの上流部は満水状態で送水も滞ってはいない。帰路、泥水池3に立ち入って漏水部を捜したところ通路からは見えにくいミソハギに囲まれた部分に漏水孔を見出した。

 漏水孔はテニスボールが入る程度の大きさで、これでは水が溜まる訳もない。早速スコップを用意して漏水部の周囲50cmほどを掘り下げてやる。孔は直下に降りているのではなく斜行しながら貫入していたので貫入方向に更に掘り下げた。深く掘り下げれば掘り下げる程、後々安定はしてくれるけれど実務上は40cm前後の掘り下げである。掘り下げた部分のトンネル部を踵で更に押し潰し掘り出した土塊を投入し鎮圧して一件落着だ。

 泥水池3からのオーバーフローは無いのにも関わらず下段の4と5は湛水している。恐らく漏水した水は4に流出しているのだろうが作業により濁った漏水を見つけようとしたが発見できなかった。まあ、それでも漏水孔を潰せたから当座は安心と言える。
 「マーフイの法則」通りなのかどうかは承知してはいないものの数日の休日で漏水は顕在化して来る。のんびりと休日を堪能したところで必ずしっぺ返しはやってくるのであった。そんなこんなで漏水は止めても老衰は止められない。曇天だったが蒸し暑くて草地も林内も濡れそぼっているし「これ幸い」とばかりカブトムシ1匹ゲットして帰宅だ。



 アシの株もとに漏水孔があった。アシ自体の高さは小さいが株立ちだから以前の抜根部からの萌芽なのだろう。アシの地下茎はカニやイモリなどの巣窟になり易く喰われたり枯れて分解されれば直に漏水トンネルを形成してしまう。今回の漏水部もアシの地下茎に添った生物的漏水トンネルの様に見えた。
 昔からアシは水田の漏水の元凶で嫌われ者であったけれど動力耕転が普通になった現在では地下茎の伸長など無理であるし、そもそも除草剤で育たない。まあ、アシが育つ水域はそれなりに自然を保っていると言えるかもしれない。葦原の効能も自然保護の観点から重要な環境なのだと理解されるようになってきたものの、このフイールドのような小水域では席巻力が強すぎて調和しないのである。

今日のトンボ「チョウトンボ初見」

2023-07-17 | 小父のお隣さん
 棚田部のミズアオイをネタにSさんとだべっている前にチョウトンボが飛来した。チョウトンボは毎期観察できる種でも無く繁殖種にならないかと好むと言われるヒシを里地の池から持ち込んではみたものの、その繁殖力の旺盛な事実はフイールドの環境にそぐわないと理解できて数年かけて抜去消滅させたのだった。
 大きな水域面積を誇る環境ならば他への影響は少ないだろうけれど箱庭程度の環境であるフイールドには水域全体を覆い尽くす様な性質のヒシは相応しくない植物であった。郷里の沼での様子ではアシの生えていない水面はことごとくヒシに覆われていた。稲刈りの昼休み、ヒシの実を齧るのが息抜きと言えば息抜きだった少年時代があった。

 それはともかく例年飛来するチョウトンボでは無いけれどやはり繁殖種となる事は期待しているのである。市街地の中心部方向へ3㎞ほどのところにある某企業のビオトープには繁殖しているのだけれどそこからの飛来種かどうかまでは不明だ。飛来した時には居続ける時間の長い上の池まで探しに立ち寄ったけれど視認できず撮影も出来なかったが初見である。

 

クワの樹の整枝剪定

2023-07-17 | 今日は真面目に
 植樹したのではないのだが1本は普通の果実でもう1本は大粒である。野生のクワは多くあるけれど小生の少年時代の桑畑の様に株立ちさせた低い樹形ではないので年々大きくなり果実へ手が届かなくなってきた。昔の様にジャムやジュースを作る意思などないものの季節の果実として数個は口に含みたい。そんな訳から残しているけれど大きくなる傾向が強くて既に点在するクワの樹は手が届かなくて採果が出来なくなった。

 それはそれとして駐車場近くの2本はおチビちゃんたちも摘まみたいだろうから低く仕立てたいのだが、そうは考えず「邪魔!」とばかり枝を掃うご仁もいるし、こういうご仁は選定の常識を持たないので注意しても危ない切り口で切除する。そういう事情もあり幼児が手の届くブッシュ仕立てには出来ず結局は大きくして枝を水平に伸ばす平盃仕立てにしているのだが樹の性質上、どうしても立ち枝が優勢になる。そんな事で結実が終わった後で立ち枝を切除して姿を保っている。

 今期も遅まきながら高枝切りで整枝剪定を行った。剪定してみれば切った枝の嵩張る事、嵩張る事。猛暑日の日中で片付ける元気もなく樹下に放置してこの日の選定は終わり。
 平盃状仕立てなので立ち枝を切除すれば樹間から空が覗けるようになった。これで実を取れる枝の先々まで日光が当たるようになったので来期も良い結実をしてくれるだろうと「採らぬ果実の数算用」する孤爺だったのだ。それにつけてもお夏は暑い!。気温と体温が同じだなんて呆ける要因でしかない。

      大果実樹の選定         普通果実樹の選定

塩の路ならぬ土嚢の路

2023-07-16 | 水辺環境の保全
 歴史的に「塩の路」だったり「鯖街道」とか言われる交通路はあったけれどさすがに「土嚢の路」はない。攻め込むのに「怒涛の路」はあったかもしれないがそれは一時の事だ。この日の「土嚢の路」も安全確保のためにネザサを刈り払い地表面を視認し易くした道である。崖下の崩壊土を土嚢袋に詰め二つ池の漏水防止作業に用いたのだが一輪車は使えず已む無く一袋づつ抱えて運び直下に放り落としてとりあえずの作業は済んだけれど土嚢の量が5袋ほど不足だった。

 そこでこの日5袋運ぶために前もって歩く道の刈り払いを行った。10メートルほどなので刈り払い機を用いる手間でも無く造林鎌でルートを露わにしたのだ。この事で足元が見えなくても安全に運べる。
 刈ってルートを明確にしない前回はネザサが覆っていて地表が見えず注意を怠れば土嚢と共に崖下に転落しかねなかった危ない足元だったのである。やはりリスクを少なくするためには手数を惜しんではならずたかだか3m程度の落差でも動きの鈍い高齢者、いいえ孤爺ともなれば死亡事故に直結しかねず更に悪くすれば寝たきりの可能性だったあるのだ。

 「塩の路」も「鯖街道」も命を繋ぐ生命線であったけれどたとえ10メートルの土嚢の路とは言えリスク管理には必要な始末なのである。結果、ともかく安全に土嚢5袋を現場に落し不足の箇所に押し込んだ。不格好のやっつけ仕事ではあるもののこの土嚢が無いとあるとでは増水時の越水侵食を防ぎきれない。オーバーフロー部の底抜け防止に2段構えの杭列と土嚢と丸太ダムで洗堀をも防げるからこの先、数年は安泰だろう。ヤレヤレである。


今日のトンボ「自宅でのミヤマアカネ」

2023-07-15 | 小父のお隣さん
 朝、出かけようと庭の池の横を通ろうとしたときに足元からトンボが飛び立って横の樹に止まった。一瞬はマユタテアカネかとも思ったのだが翅の中ほどに褐色帯がある。間違いなくミヤマアカネだった。小生が判別できる種は普段、身近に飛翔している種に限られるけれど年に数回程度しかお目に掛かれないミヤマアカネは翅の中ほどの褐色帯のお蔭で判別できるのだった。

 朝の時間の池の脇、昨季は羽化体を観ているから今回も恐らくではあるけれど庭の池で発生した個体と思われる。池の魚類はタナゴとドジョウだけだしタナゴの自然繁殖を意図してマツモの藻場も設えてあるからヤゴの生息には困らない環境だろう。昨季はタカネトンボも羽化しているしシオカラも含め数種が発生している池になった。もともとトンボ用の池ではないのだが産卵されても差し支えはない。

 産卵と言えば池のタナゴたち、今期は産卵管が全く見えてこないのだ。昨季は試験的に藻場を設え数匹ではあったが繁殖に成功して今期は大々的に自然繁殖をと意気込み試みたものの産卵管が出ない個体では産卵できない。すぐ上の兄も同じ群れから分けたタナゴの繁殖を試みていたのだがやはり産卵管が出ないと言う。
 その話を聞くまでは「蘇や豆乳ヨーグルトで作った白カビと青かびチーズを二枚貝とタナゴの両用餌として給餌していて「ホルモンの異常をきたしたか⁉」と案じていた時だったので「そうでは無かった」と判明したものの産卵管の出ない理由が判明しないのでは手の打ちようがない。連日の猛暑日で水温も上がり気味だから今期は早めに避暑を兼ね溜池に産卵母貝としている二枚貝を引っ越しさせる時期を早めても構わない状況になっている。
 産卵管の出ていない群れの中に高水温が苦手な二枚貝を置いて置くわけにもいかないから今期のタナゴの繁殖は絶望的というより事実上絶望と言えるだろう。

       

水際の防護杭

2023-07-14 | 感じるままの回り道
 水際の護岸は殆どが丸太材を横たえての始末だが場所によっては列杭で手当てしたい箇所もあるものの杭の確保が大変になる。購入すれば形状の揃った杭が手に入るけれど支出が馬鹿にならない。すべて手作り調達するとなると材の準備が難問だし加工も手間を要する事になる。
 購入した杭の残りも10本ほどあるからそれを使用すれば手間なしだったものの不揃いで構わない使用箇所だからかねて用意していた伐採材からまずは杭を作ったのだった。

 この日、雨上がりでスリップが怖いから移動を伴う作業は取り止めまずは杭作りに精を出してみた。雨上がりの林内、湿度も高くやぶ蚊の襲来も半端ではなく蚊取り線香は用をなさなかった。結局は数が増えた折々で作業を中断して「モグラたたき」ならぬ「やぶ蚊叩き」に精魂傾ける羽目になった。杭作りで移動を伴わないチェーンソー作業でも猛暑日を記録したこの日の雨上がりの林内は半端なく杭作り作業で汗が滴って来る。蚊よけに首に巻いたタオルも絞れば汗が滴る有様になった。

 それでも目分量で3カ所分の杭作りを終えて早速近いところから始末した。最初はトンボ池の一画。ここは冬季も日照がありヒキガエルの産卵好適地なので上陸し易い様に草の斜面にしていたのだが卵塊やオタマジャクシを覗きたくて集団で入り込む結果、植生はズタズタ泥濘化されるばかりが続きロープを張っても効き目はなくシモツケを列植したけれどこれは会員に坊主刈りされ消滅。苦肉の策でアズマネザサの束を積んで防いだのだが、これでは上陸場所にはなり難いし腐食すれば元の木阿弥だ。
 それで今回、護岸用に丸太を積んでその上部にミソハギの群落で防御する事にしたのだった。杭打ちをし丸太を1本据えたけれど重ねる丸太が無い。まずは来春までに設えれば良い場所だから孟宗竹を重ねお茶を濁そう。

 二カ所目は流路脇に植えたキジョランのある水際の防護である。増水すると蔓元近くまで流れが来て「根洗い」こそ生じないけれど流路脇が侵食される。これでは根張りを確保したい土壌範囲が狭くなるばかりなので水際線に列杭を設え冠水を防ぎつつ盛り土して根張りの体積を増やしたいのだ。
 このキジョラン、今冬にはアサギマダラの幼虫を越冬させてくれた蔓なのだが葉数が足りず個体は引っ越しさせて無事に羽化できたのだった。現在の姿は「蔓だけの葉無し」で小生の「つるっぱげで歯無し」の小生に何となく似ている。まあ、同病相憐れむでは無いのだが健全に活かすための手当ては野草と言えども必要である。

 この「野草と言えど手当てする」必要と価値を理解する人はほんの数人に過ぎず「雑草が勝手に繁っている」程度の認識が現実なのだ。名句に「夏草や兵どもの夢の跡」があるが小生としては「夏草や雑兵どもの勝手場所」と詠む。つい先日、あまりにも続く猛暑日に辟易し動物園と水族館に行って見たのだが里山保全や生態系涵養等々の作業は屋外作業であるもののバックヤードでの作業に似ている。園内の展示物がより生き生きと本来の姿を現してくれる様な気遣いやおもてなしが必至なのだ。

 これはフイールドでも同様で作業人は主体ではなくあくまで客体である。こんなイロハも自覚せず気遣いも樹使いも出来ぬ傷塊するだけの顛末がなんと多い事か。自然界の遷移は当たり前でこれに相応した維持管理が必須なはずなのだが坊主刈り一辺倒では環境破壊の固定化でしかなく、それすら自覚せず農地や宅地並みの行為、里山では暴力行為に等しい事すら自覚しえないのは噴飯ものである。そもそも「水と植生が全ての基盤」すら意識されていない破壊行為とは異なり水による浸食防護策は杭や丸太、玉石など幾つかの手当てが可能なものの「坊主刈り命」の侵食破壊の大勢にはほとほと打つ手がない。


今日のトンボ「マユタテアカネの羽化」

2023-07-13 | 小父のお隣さん
 エノキ林内に置いた大型のバッド水槽からマユタテアカネが羽化したところだった。成熟体の飛翔もちらほらと数を増やしてきたが羽化直後を観るのは稀なのだった。この大型水槽はタカネトンボの産卵場所として設えているのだが産卵は観測していても発生は確認できていない。
 バッド水槽は半畳ほどの面積でしかないのだが今期で3年目、シオカラトンボ、クロイトトンボ、マユタテアカネ、アジアイトトンボ、クロスジギンヤンマ、先日はルリボシヤンマの羽化を確認できた。設置して環境を整えれば遠からず期待に応えてくれているのが現実であるものの、努力してもなびいてくれない相手が存在するのは人生に重なる。まあ今更、思春期の頃をほじくり出しても無用の産物でしかないけれど回想療法にはなっているのかも・・・。

 さて馬鹿はさておき上記の様に数種のトンボが発生しているのだが産卵好適地は他にもあるから「そっちで・・・」と思うものの極楽トンボは「我関せず」なのであった。孤爺は「我閑です」だからこそなのだが虫に無視されると癇に障る。まあ、まだまだ修行不足で悟りには遠いのだった。だからこそ過ぎ去りし青春のマドンナを初観測のトンボに重ねてしまう様な横恋慕・妄想が出現するのかも知れん。もうよそうと思えども「忘れ得ずして忘却を誓う」孤爺であったナンチャラカンチャラ。

 気を取り直してもせっかくのチャンスはまたしてもピンボケとなって取り直しはきかないし数枚を撮影しておけば良いのだが「たかだかマユタテアカネ」の意固地をのぞかせたエコ爺なだけにフイルムカメラでも無いのに撮影をケチって結局は丹米どんなのであったわい。人生、生涯学びの場であり悔恨の場でもあった・・・。禿げる訳であるし盛金尽き果てそう…。

       

底抜けの補修

2023-07-12 | 水辺環境の保全
 第一沈泥分水池のオーバーフロー部下部から水抜けが続いており土嚢で止め、更に池の中側に杭列を設え底抜けに備えてきたのだが何時までも対症療法ではリスクが消えない。その解消のために先日の作業で作り置きした杭を運んで補修作業を開始する。まずはオーバーフロー部落ち口部の丸太を撤去して底抜け状態の確認である。

 丸太を1本外した場所には既にビール小瓶が通るくらいのトンネルが見える。漏水トンネルにもなるネズミかモグラの穴だろう。丸太を全て外すと堰にしてある梁材端面以外は全て空洞であって、このまま放置して増水時に底抜けでも生じさせたらそれこそ「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ!」になるところだった。「転ばぬ先の杖」ならぬ「底抜けする前の杭」が大事なのであった。

 杭列で底抜け発生を阻止してから土嚢を積みなおしたのだが、梁材の下部空間・間隙に土嚢を踏み込む必要もあり、そうすると土嚢が不足だ。このことは織り込み済みだったので車載のままの土嚢袋を取って返しとりあえず土嚢4袋を用意する。
 泥土で水切りされたものではおっつけ流亡間違いないから斜面の上方の崖下まで這い上がり砂層の崩落部で土嚢を設える。一輪車など無いし作業場所の直上まで抱えて移動し転がせて落した。土嚢たかだか4袋でしかないものの抱えて移動は楽ではない。木陰で直射日光は届かずとも気温は真夏日のこの日、泥水の分水路で作業していても涼しくは無いのだった。

 列杭打ちし土嚢を積み、落水侵食緩和の丸太材を並べてようやく一件落着だ。欲を言えば丸太材の下流側にも杭列を備えれば腐食物や砂泥が溜まり易く余計なトンネル生成動物を入らない様にしたいのだが理想形は優先順位は低いのが姥捨て山の自転車操業・水商売なのである。
 フイールドを維持するために自転車操業・水商売が存在するなんて小生以外は「知らぬ存ぜぬ」であろうが、大昔に「人知れず微笑まん」なんて本があったけれど小生的には「人知れず汗かかん」である。まあ、果敢に土嚢運びや杭打ちに挑んだものの知る人も無し低年金高齢孤爺であればとどのつまりは「腰が痛い、肩が痛い」に決まっておるお約束なのだ。
 「あなたの友達は?」と問われれば間髪を入れず「湿布!貼り膏薬!」とピンクハートの目ん玉で自信をもって断言できる今日この日だったわい・・・。

       

今日もコロッケ、明日もコロッケ、年がら年中コロッケ・コロッケ

2023-07-11 | 水辺環境の保全
 「モグラ叩きゲーム」と同じで「叩いても叩いても小舟の様に揺れて揺れて・・・」と自嘲したくなる漏水孔潰しなのだ。泥水池5のオーバーフロー部の漏水は基盤層に漏水ネットワークが存在するので顕在化した部分を潰してもおっつけ現れて来る事を繰り返している部分だ。オーバーフロー部の位置を変更する必要があるけれど放流部の段差が大きくなるので侵食されるとこれまた厄介だ。そんな事で掘り下げ踏み潰してお茶を濁す、いいえ、放流水を濁しているのだった。

 この日も護岸丸太下部に水が吸い込まれているしオーバーフロー部の堰に設えた梁材の横端面にも穴が見えている。梅雨時だし放置すれば堤の崩壊にもつながるので坪刈りを返上して漏水孔潰しを優先である。護岸丸太を取り除き漏水孔部を掘り下げてから埋め戻し鎮圧し護岸丸太を据えれば終了。
 作業時間としてはいくばくもないけれど優先しての作業となると後回しした作業の時間が不足する。結果的には小さな作業を集めて消化しその日は終えるのであった。

 翌日、オーバーフローから排水されていたけれどその落水は水路を流れず地下に消えていく。このまま地下漏水路に流し続けると堤の崩壊に繋がるのは承知なのだがなにぶんにも作業量が多い始末であるから夏場には手を出せない。毎冬、「やるべきか、やらざるべきか⁉」思案し悩みつつ幾星霜、今に至ってしまったわい。
 デジカメの電池容量が不足して撮影できず、急遽スマホで撮影した。そうなるとメールでPCに送らねばならないし画面も小生の好みではないのを使う羽目になる。スマホからダイレクトにPCに移す方法もあるけれど設定が面倒だ。まあ、メールで送るのも面倒くさいのは同じだけれど・・・。我が人生、面倒で出来ている。

  護岸丸太を外す ➡  掘り下げ再鎮圧 ➡  護岸丸太を据え整復復旧

今日のトンボ「二度目の記録はルリボシヤンマ繁殖!」

2023-07-10 | 小父のお隣さん
 通例の水見回りと言えど夏季はトンボの確認に関心がいく。先日、複数の識別できない抜け殻のあったバッド水槽に羽化体がいたのだが翅の展開は不十分の上、濁ってカビに侵されているかのように見える。腹部の模様が見慣れないし同定の知識も持たないし撮影だけ行って後々S先生に同定してもらうつもりでいたら折よくSさんが見えたので同定をお願いしておいた。
 翌朝、メールに「二度目の記録でルリボシヤンマでした」とあるではないか。貴重ともいえる二度目の記録が発生個体だったとは環境作りに精をだした甲斐があるというものだ。せっかくの発生個体なのだが既に飛翔できない翅であればいくばくも無く命の循環に組み込まれるはずである。
 とは言え、先日に同じバッド水槽で見た複数のヤゴの抜け殻が今日の個体と同様に見えたからあわよくば複数個体が発生した可能性もある。この抜け殻の同定結果で確認できるはずだ。

 この出会いに先立って三日月池で産卵個体を撮影したのだがヤブヤンマと思って観たものの体色からマルタンではないかと一旦は判断変更したがメスにしては茶系が少ないし翅の染め色も無い。腹部の茶色に注意が行くとギンヤンマに思えたのだがギンヤンマは連結産卵とある。
 そこで気が付いた「あれはルリボシヤンマではなかろうか⁉」と。まあ、撮影した写真は暗い場所でもあった事とウシノヒタイの隙間からの撮影でピントが合ってくれず結局はボケた写真になったのだが色合いは確認できる。この品質でもS先生なら同定してくれよう。
 更にその後、二つ池の沈泥分水部の壺の暗がりに産卵しようとしている個体がいて草付きの崖周辺を飛翔しているのでヤブヤンマかどうか分からなかった。しかしこの日、ルリボシヤンマの発生を確認できた事でルリボシの可能性も出て来た。姥捨て山は謎と夏草で満ちていたのだった。

 羽化したものの飛翔は叶わない

立夏なり

2023-07-09 | 感じるままの回り道
              明け早し眠れぬ耳は音を追う

              夏の朝窓を移した日差し射る

              外見るも暮れかぬ刻の夕餉なり

              梅雨冷えや穴涼しかり鼻毛刈る

              ミソハギを抜けば眩しき白根かな

二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「この暑いのにご苦労さん・・・」

2023-07-08 | 感じるままの回り道
 「羨ましくはないか⁉」と問われれば答えに詰まる小生ではあるけれどお陰様で脳血管や心臓血管が詰まる事は見られない現状なのだった。その上、しょうゆの実を常食するようになって特に小豆のしょうゆの実は便性が特に良好になるし詰まる気遣いは不要だ。だからこそ姥捨て山の孤老であっても生きながらえておるわい。
 そうはいっても現実は厳しく    家内は居ない
                  奥さん外さ(ん)
                  女房は逃亡
                  連れ合いつれない
                  妻などつまらん・・・のが現実であり実態である・・・。

 まあ、人生は辛抱の連続と言う事なのだが頭を冷やし話は変って、姥捨て山では生物諸氏に「産めや増やせよ!」と発破をかける事はしないけれど葉っぱを増やす事には傾注している小生である。何を隠そう「生物生産緑地」こそ「生物多様性」も「食物連鎖」も「種の持続性」等々、命に係わる課題を解決できる因子なのである。

 だからこそ「映倫」のマークこそ入れないけれど公明正大・赤裸々に現実を伝えるのであった。そんな中、今期の草刈りは中高刈りを7月と9月にし、低刈りを冬枯れした草地で春の萌えを促すために行う程度に変更したから梅雨半ばの現在、草地にバッタ類が多くみられる。
 しかし、困った事はバッタ類をみると「イナゴの佃煮」を想いだし食べたくなる。昨季、イナゴが大量に発生していると言う情報を元に意を決して袋まで用意し向かったけれど一匹も捕獲できず、結果として冷凍イナゴ1kgを購入したのだった。

 それはともかく草むらの中では「成せば生る為さねば生らぬ何事も」が現在進行形であった。小生は目を近づけて覗いたところで老眼に乱視であれば夏江みわだったか「全ておぼろ、後はおぼろ」であるのであって出歯亀にはなれるはずも無く、でもそのおかげでスジグロシロチョウの羽化を発見できたのだった。ああ、人生万事塞翁が馬・姥捨て万事孤老の癒し・・・ナンチャッテナンチャラホイホイ。ゴキブリホイ!。


今日の素労風努「三味一体で乗り切る夏を!」

2023-07-07 | 何よりの楽しみ
 先日、作ってみた「キムチ+米糀」が食べ尽きてしまった。ご飯のお供にもお茶のお供にもはてまたつまみ食いするにしても旨かったしもう一度作ってみるつもりだった。ところがいつも通りの顛末で「ビビビッ!」と点素降臨してしまいあえなく路線変更になってしまった。
 「キムチ+糀」のベースは変らないものの更に加える「シイタケと玉ねぎの塩漬け」で夏を乗り切るお惣菜に仕立てるつもりなのだった。

 玉ねぎはスタミナに霊験あらたかでシイタケも似た様なものだから玉ねぎは生のまま、シイタケは加熱してから3%の塩漬けにし水分を抜いてから加えてみたのだ。
 一晩、冷蔵庫で休ませ早速の試食。美味しい事は美味しいものの玉ねぎの風味が勝ってしまい予想とは異なる仕上がりになっている。それでもキムチの辛みは和らぎ副食でなくても小腹しのぎのつまみ食いにも出来てしまう口当たりになった。

 夏用のスタミナ惣菜としては役に立ちそうだしサラダに仕立てればそれはそれで食が進みそうだと思えるものの、度々スプーンを突っ込みつまみ食いして食い尽くす心配が出て来た。そんな手太楽ではお惣菜にならんではないか!。


今日のトンボ「ハグロトンボ初見」

2023-07-06 | 感じるままの回り道
 トンボ池横の斜面にハグロトンボがいた。今期初見ではあるが繁殖種とはならず里からの飛来種だ。だからと言ってぞんざいに撮影した訳でも無いのだが小生のタフカメラ、タフであるがゆえに繊細さを欠き今回も不鮮明な写真になった。背景が斜めになっているとピント調節が難しいのか合焦音がして焦点枠がモニターに現れても毎度同じ品質ではないのである。

 とは言え作業に携行するカメラである以上、撮影品質の良い機種にすれば塵や埃、はてまた沈などに見舞われる実績逞しいのであって「タフカメラ、総身に知恵が廻りかね…」であっても良しとしなければならぬ。人生は隠忍自重なのであった。お足の使い方も同様だけれど年金蚤孤爺では薄氷を踏む思いでお足を出さねばならない。
 この「薄氷を踏む」という次第で厳冬期にはスリップして棚田部に沈してしまい購入して1年にもならないカメラを水死させている。だからこそのタフカメラのだけれど生物描写には向かないのだった。

 かなり以前に兄から譲られたデジカメも鏡胴の出入りが悪くなり結局は使えずリサイクル待ちだったのだが「どうせ故障で使えないのだから…」と掃除機のノズルを鏡胴周りに吸い付かせ吸い付かせ、その上、少しばかり出るようになった時点で潤滑剤を使い、これを何度か繰り返したら復活したのだが、いつ何時に動かなくなるか分からないから作業には携行できない。結局は丹米どんなのであったけれど郷里の慣用句そのままに我が人生、無駄で出来ている。