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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

モリアオガエル産卵

2021-05-19 | 小父のお隣さん
 上の池コナラの樹上にモリアオガエルの卵塊が見えた。周囲では今期初の卵塊なのだがニュース記事などでは近隣の地域から10日も前から産卵を報じている。フイールドの産卵は他地域に先駆けて行われるという事も無いので例年通りの産卵なのだろうが水見回りする身としてはついつい下を見ないで見上げてしまう時期でもある。下を見ればたまにはシュレーゲルアオガエルの卵塊はあるものの大きく立派な卵塊に目が行く。
 水中には既にヒキガエルのオタマジャクシは居らず単独で泳いでいるのはニホンアカガエルなのかアマガエルなのか判別は出来ない。ヌマガエルもツチガエルも水際に飛び出すけれど浮遊卵は久しく見ていない。

刈り払いの季節はストレスの季節

2021-05-19 | 感じるままの回り道
 ようやく刈り払いに入れた。既に日当たり良好、野草の花畑は全面刈り払いされていて砂漠状態になっている。誘導してきた長い年月、選択的に刈り続ける必要のある食料と住処を提供するべきエリアが失われてしまった。昨年も一昨年も刈り払い開始時には伝えた事柄なのだが「草は伸びたら刈るものだ」と言う認識には勝てない。刈り払う労力があるなら被害を与えず全面刈り払いOKのエリアもあるものの目につかない場所なので食指も伸びないのだろうと推察している。
 そちらの区域を刈り払えば「育林」に寄与するに間違いないけれど「やったぜ気持ちいい‼」となるには「雑草繁茂の場所」を根絶した満足感が必要で麻薬みたいなもんなのだろう。農地や公園ではない保全活動しているエリアなので「選択的放置こそ」が環境向上になるし支障が無いのを敢て砂漠化で環境破壊に邁進する。

 それはともかく今回の林床の刈り払いは全面刈り払いでも許容範囲なのだが、ヒヨドリソウ、ミツバ、カモヅルやどうしても名前が出ず図鑑でも出せなかった食草等々は刈り残した。だもんで作業後を眺めてみても「すっきり」とは言い難い虎刈り林床だけれどタイワンアザミやヤマフジ、ヤブジラミなどの忌避草本は刈り払ってある。
 作業や活動で何時も思う事なのだが共通理解やビジョンが共有出来ない以上、会友から「まるで正反対の事をやっている」などと言われる現実になってしまうのである。刈り払いは雑草なんで「全草刈り払い」一色で、他の選択肢など毛頭ありえないのが摺り込まれた農耕民族の境地と言え、食料と住処を提供させる野草の花畑を出現させるなんて取り組みはネイティブな位置にしかありえないのが現実である。まあ、「変わりもんの範疇」でしかないのだろうな。

 「環境保全」と一口で言えても保全の中身は多様でその上、動植物や環境との相互関係は動的で、いきおい作業者には俯瞰的・総合的等々の思慮分滅が求められよう。その先にはビジョンも無くてはならない。そう考えると保全活動や環境教育に携わるそれぞれはそれなりの学習は必須だろう。しかしながら現実は「活動に入る」意思のレベルだけのようにしか見えないのが大半、そんなところではないかと常日頃感じる現実である。

 破壊と寄与、このバランスで寄与が勝ってくれれば多少はストレス緩和に役立つものの現実は厳しく学ぶことは強要出来ぬ。度々伝えれば角が立つ。自分に置き換えても配慮しつつの刈り払でさえ一木一草「あーあ、やっちまったぁー!」は無くならんのだ。

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