
池中央の小島の葦をノコギリ鎌で地際から刈り取りつつ内部に入った時、目の前に巣があったのだ。直径は25cm程度の浅い形状で細かい羽毛がびっしりと敷かれている。大きさから何年も前に見たことのあるカルガモかと思ったのだが、その時の巣には羽毛は無かったように記憶している。
卵もないし巣の外側に卵殻もなく、地上部を見たところで進入路になっているような形跡もなかった。上空から飛び込むにしろ飛び立つにしろ羽ばたきする空間のない葦とセイタカアワダチソウとミソハギが密集した部位である。当然のごとく小生には判別できる対象ではない。
それにしても今期の巣であることは間違いなく、巣立ち後の空巣にも思えないし産卵前に営巣放棄したのが一番ぴったりした。というのもあの竹破砕機の轟音がこだまするエリアだったからだ。まあ、真実は不明だけれど現在進行形でなければ空巣を確認したうえで標本に活かせるだろう。
しかしなんだなあと思わざるを得ないのは本来の意味用語として使った単語が、どうもあんまり座りが良くない。良くない印象の方に焦点が言ってしまうのはなんでだろう。この場合、空巣に接近ししめしめ、いいえ、しげしげと観察していた小生に起因するのか判るはずも無し。
それはともかく神仏と祖霊に「誓って」言っておかねばならないのは、小生空巣を狙おうと思った事は一度も無い…。