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今日の筆洗

2017年12月15日 | Weblog

 開国以来のこの国の歩みを活写した全十巻の名著『日本の百年』の序章で、思想家・鶴見俊輔さんは「漂流」の歴史的意味を、こう記した▼<漂流者は自然の力によって国の外におびき出されると、それからはいやおうなしに、鎖国下に育てられた日本のこまごました習慣や礼儀作法から自由になり…海外の人たちと国を離れたはだかの人間として接触せざるをえなかった>▼幕府はそんな漂流者の存在すら隠そうとしたが、彼らの「自由」の体験が、旧弊にとらわれた社会からの目覚めを促す刺激となったというのだ▼今、日本海沿岸に流れ着いている漂流者はどうだろうか。政府によると、朝鮮半島から漂着・漂流したとみられる船は今年、過去五年で最多となった。四十人余は保護されたが、遺体が次々見つかっている▼背景にあるのは、北朝鮮の国策だろう。貧弱な船で荒海への出漁を強いる。名付けて「冬季漁獲戦闘」。戦闘だから犠牲者が出るのは当然ということか▼『日本の百年』には、こういう逸話も書かれている。日本に漂着した米国人の船乗りを、米軍艦が迎えに来た。身分にこだわる幕府の役人が「艦長は一番上から数えて何番目にいる人か」と尋ねると、船乗りは胸を張って答えた。「一番上に立つのは、人民である」。人民の命が使い捨てにされる「人民共和国」からの漂流者に、教えてあげたい話だ。


今日の筆洗

2017年12月14日 | Weblog

「雨の降る日は天気が悪い」と書けば、あたりまえだろうと叱られそうだが、その通り、あたりまえの話であることをたとえる昔からの慣用句。「犬が西むきゃ尾は東」に近いだろう▼なにも降るのは天気が悪いときとは限らぬ雨がある。「怪雨」。「あやしのあめ」と読む。魚、カエル、獣の毛など、本来、降ってくるはずもないものが降ってくる不思議な現象のことだそうで江戸時代の百科事典「和漢三才図会」の中にも記述がある。「みな怪しがりて怪雨と呼びき」▼獣の毛程度ならともかく、降ってきたのは米軍ヘリコプターの窓。しかも、子どもが間近にいた小学校の校庭とあれば、「怪雨」どころではなく、背筋も凍る「あやうしのあめ」である。沖縄県宜野湾市の小学校に、米海兵隊普天間飛行場所属の大型ヘリコプターの金属製窓枠が落下した▼危機の際には真っ先に守られるべき子どもたちが危険な目に遭う。絶対に許されない事故である▼窓が落ちた際、はねた小石で男児一人が軽いけがを負っているが、近くにいた子どもたちはどれほどの恐怖を感じただろう。もしもを想像したくない▼七日にも、米軍の別のヘリコプターが円筒状の物体を同じ市内の保育園に落下させている。沖縄の地には、アメリカ軍という「あめ」が降り続くのか。雨を止めなければならぬ。その危険な雨から身を守れる傘は、ない。


今日の筆洗

2017年12月13日 | Weblog

 空中都市008(ゼロゼロエイト)』と書き出したところで、どれほどの読者がご存じだろうかと心配になるが、辛抱していただきたい。NHKの人形劇(一九六九年放映開始)で「ひょっこりひょうたん島」の後番組である▼原作は、小松左京さん。今となっては「現在」の二十一世紀の未来都市を描いている▼超高層マンションでの生活、自動運転のエアカー、エアクッションカー、動く歩道、月旅行、人型ロボット、買い物はテレビ電話で。当時の子どもは科学の力で進歩した二十一世紀の未来都市に目を見張り、そんな時代が本当にやってくるのかと半分疑い半分信じた▼実際、小松さんの「008」での二十一世紀予想はかなり的中している。エアクッションカーもその一つ。現在でいうリニアモーターカーである。リニアという未来の響きに胸をときめかせた世代は、そのニュースにため息が出るだろう。JR東海が発注したリニア中央新幹線の関連工事をめぐる不正入札があったとされる事件である▼工事を請け負った大林組には、競合他社と受注調整をしていた疑いがかかる。JR東海の担当者がそれに協力し、大林組に工事費に関連する情報を流していた可能性も出ている▼事実とすれば、未来を乗せるリニア入札においても、相も変わらぬ人の欲にからんだ、やり口か。なんだか、あのころ、夢見た未来が傷つけられた気がする。


今日の筆洗

2017年12月12日 | Weblog

 建物内で非常口の場所を教えてくれるピクトグラムの標識といえば、世界でも使用される緑色の走っている人。暗闇でも目に飛び込んでくる色とデザインである▼海外では「ランニングマン」とのニックネームもあるが、もとは日本生まれ。一九八七年に国際標準化規格に組み込まれたというから今年で国際化三十年である。世界に貢献する日本人のお一人と言いたくなる▼図柄の「ランニングマン」はどこへ向かっているのか。その足元の影を見れば、光のある方向である。「あきらめるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」。その日本生まれの女性も、「光の方向へ向かって」と大声で教えようとしている。ノーベル平和賞の授賞式で、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の一員として演説した、サーロー節子さん(85)である▼十三歳のとき、広島で被爆した。演説の言葉は倒壊した建物の中で誰かが掛けてくれた励ましの言葉であり、そのまま、核兵器廃絶に向けた決意の言葉である▼われわれは核兵器使用という深刻な危険のある暗闇から「光の方向へ」と一刻も早く脱出しなければなるまい▼サーローさんの言葉や核兵器廃絶に向けたすべての取り組みこそ光である。まだ、かそけき光か。されど、その光を追いかける者が増えれば「非常口」はより明るく、照らされるだろう。急がねば。


今日の筆洗

2017年12月10日 | Weblog

 伝統曲芸の「太神楽(だいかぐら)」は江戸時代のお伊勢まいりと関係があるそうだ。伊勢に行きたくとも行けぬ人のために、伊勢の方から身分の低い神官が出向いて厄払いをしてくれる。伊勢を参拝したのと、同じ功徳があると信じられていたそうだ▼太神楽の「太」はお伊勢まいりにかわるものという意味で「代」。懐都合の寂しい人にはありがたかっただろう。この厄払いがやがて人をひきつけるため演芸、曲芸の色を強めていったそうだが、元来は信仰、信心と結び付いた寿(ことほ)ぎの芸である▼「おめでとうございます」。そう声を張り上げていたのは、おめでたき芸の起源とも関係があったのかもしれぬ。太神楽曲芸の海老一染之助さんが亡くなった。八十三歳▼撥(ばち)をくわえた真剣な顔、傘の上で升を回す緊張感、成功した後の底抜けに陽気な声。お正月のテレビの演芸番組といえば、染之助・染太郎の曲芸と先代三平さんの「お坊さんが二人でオショウ(和尚)がツー」が懐かしい世代もあるだろう▼曲芸で使っていた土瓶。実際に持ってみると、「常人では考えられない重量」と立川談志さんが書いている。重い土瓶を、くわえた撥の上で前後左右にと巧みに操る。鍛錬の人でもあったのだろう▼<お正月には凧(たこ)揚げてこまを回して遊びましょ>。正月風景から凧揚げやこま回しが消えて久しい。染之助・染太郎の至芸もまた遠くなる。

染之助・染太郎 太神楽