THINKING LIVE シンキングライブ

シンキングライブは経済情報サイト
矢野雅雄が運営しています。

モルガン、ロスチャの直接的なデータ不検索、モルガングレンフェル手掛り

2013年09月20日 15時52分26秒 | thinklive

*各財閥の連関は婚姻による血族の構築が基本、ソノ上に事業共同、出資協力などが加わる、

 *FRB設立のメンバーを見れば、ソノ出身がドイツ人が多いことは明瞭

【FRB設立のための秘密会議のメンバー】
ネルソン・オルドリッチ・・・共和党上院議員で院内幹事。全国通貨委員会委員長。J・P・モルガンの投資パートナー。ジョン・D・ロックフェラー・Jr.の義父。
エイブラハム・アンドリュー・・・連邦財務次官。通貨委員会特別補佐官。
フランク・ヴァンダーリップ・・・ナショナル・シティー・バンク・オブ・ニューヨーク頭取。ロックフェラーとクーン・ローブ商会(ロスチャイルド一族)を代表。
ヘンリー・デイヴィソン・・・J・P・モルガン商会の共同経営者。
チャールズ・ノートン・・・J・P・モルガンのファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨークの頭取。
ベンジャミン・ストロング・・・J・P・モルガンのバンカーズ・トラスト・カンパニー社長。のちにニューヨーク連邦宇準備銀行の初代総裁。
ポール・ウォーバーグ・・・ロスチャイルド代理人。クーンローブ商会の共同経営者。
このメンバーの中で、中央銀行の設立に関与したことがあったのは、ポール・ウォーバーグだけだったので、実務はほとんど彼一人で受け持ったということである。

~モルガン財閥~

* アメリカの大財閥モルガン家も、ロスチャイルド一族であった。
  「モルガン・グレンフェル」というマーチャント・バンクは、“ユダヤ人嫌いのモルガン”と、その“ユダヤ人ロスチャイルド”が合体した投資銀行だ。

*敵味方に分かれる味方同士と言う発想、第二次世界大戦も英仏戦争の発展形態、ナチスはロスチャイルド、ロックフェラー、モルガン、独鉄鋼財閥など支配的財閥の共同PJ、
 では、なぜ、犬猿の仲であるはずの両家が、パートナーとなったのか??
 「ロスチャイルド家は、重要な19世紀にアメリカへの投資に意欲的でなかった。そのため、ロックフェラーとモルガンに出し抜かれた」-このような俗説が氾濫しているが、それは、家計図を調べたことのない、投資エキスパートが陥り易い結論である。
 1837年、金融王ネイサンがこの世を去った翌年、ロスチャイルド家は、アメリカにエージェントを送り込んだ。誰あろう伝説の富豪;オーガスト・ベルモントであった。
 彼は、新天地アメリカに着くと、ロスチャイルド家の代理人を名乗りながら、そちこちで、女を物色し始めた。こうして、探し当てたのが、キャロライン・ペリーだった。このキャロラインこそ、浦賀までやって来たペリー提督の娘であった。
 ペリー一族も、ベルモントの「寝台戦法」を学んだ。かくして、ペリー提督の兄の曾孫;アリスが、ジョゼフ・グリューと結ばれた。グリューは、ボストンの上流社会に属する人物だ。

 オーガスト・ベルモント(-)キャロライン・ペリー ⇒ アリス・ペリー(-)ジョゼフ・グリュー…

 …このような関係となり、グリューは、ベルモント一族となった。
 その後、ジョゼフ・グリューは、太平洋戦争前に、アメリカ日本大使として、三井・三菱財閥を渡り歩き、軍人と交流を深めていった。その狙いが、中国大陸での石油利権であった。
 そして、このグリュー一家のジェーン・グリューが、当時全米一の富豪J・P・モルガンJrの妻となっていたのである。
 したがって、今日、アメリカの巨大財閥モルガン家は、消滅したという話が定説になっているが、しかし、彼らは、姿を変えて生きている。
 まぎれもなく、ロスチャイルド家の代理人オーガスト・ベルモントと閨閥をつくり、「モルガン・グレンフェル」のなかに融合している。 モルガン家は統一ドイツの象徴「ドイツ銀行」に入り込んでいる。
 第二次世界大戦中に、ロスチャイルドとモルガンの仲は、ファシズムの台頭によって引き裂かれたが、それも一瞬の出来事であった。現在でも、モルガン財閥のペン・セントラル鉄道の大株主は、ロスチャイルド財閥の「リオ・チント・ジンク社」である。
 フランス・モルガン商会の社長メイニアルの弟は、ロスチャイルド財閥の大手金属会社「ペナロヤ」の重役。ロスチャイルド家の大物J・ゴールドスミスが買収した、大手スーパーマーケットに投資しているのは、ほかならぬモルガン・スタンレーである。

*モルガン.スタンレーが三菱UFJの子会社となったことは、三菱がロスチャイルドグループの一員であることを告げる、

1989年、「ドイチェ・アセット・マネジメント・グループ」の前身となる「モルガン グレンフェル」は、1世紀を超える長い歴史と伝統を誇る「ドイツ銀行」と統合。人と技術の融合により、グローバルな資産運用グループとしての地位を確立しました。そして、さらに「バンカース・トラスト」、「チューリッヒ・スカダー」と統合することによって、その事業基盤を不動のものとしてきました。
 沿革:グローバル
1838年 ビーボディ リグス アンド カンパニー(マーチャントバンク)設立
1864年 J.S.モルガンが参画、J.S.モルガン アンド カンパニーとなる
1870年 ドイツ銀行設立
1910年 J.S.モルガン アンド カンパニーにエドワード・グレンフェルが参画、モルガン グレンフェル アンド カンパニーとなる
1989年 ドイツ銀行がモルガン グレンフェルを買収、同行の資産運用部門となる
2002年 ドイツ銀行がチューリッヒ・スカダー・インベストメンツを買収
http://www.damj.co.jp/JA/showpage.aspx?pageid=27

十六世紀、独フランクフルトに両替・金貸しをするユダヤ人が集結。そのひと り、モーゼス・ゴールドシュミット。
 十八世紀、アムシェル・モーゼスの息子、赤い楯を看板に掲げる。Rothschild、 独ロートシルト、仏ロチルド、英ロスチャイルド。初代、マイヤー・アムシェル・ ロスチャイルド。
 長男アムシェルは本家に、次男サロモンはウィーン、三男ネイサンはロンドン、 四男カールはナポリ、五男ヤコブ(後にジェームズ)はパリ。主要都市を押さえ て連携。

 1806、英ネイサン、破れた独ウィルヘルム九世の財産を預かり、英国で投資。  1815.6/18、ワーテルローの戦い、ウェリントン将軍の勝利。この前後、ロス チャイルド家、英仏戦争の軍資金の調達。
 ウェリントン勝利の密使を誰よりも早く受け取ったネイサン、だがロンドンに 流れたのはナポレオン勝利の誤報。英公債は大暴落、それを買い集めたネイサン。 翌日、ウェリントン勝利で暴騰。

 英ネイサン、リーヴァイ・コーエンと結婚。今ひとつのユダヤ財閥モンテフィ オーレ一族と同族になる。この一族はまた、モカッタ・ゴールドシュミットと姻 戚金融の中心地ロンドン。
 イングランド銀行、1694、創業。1744、紙幣発行。
 ロイズ銀行、1765、保険から創業。

イングランド銀行総裁との閨閥
 第一次ボーア戦争時のイングランド銀行総裁ヘンリー・グレンフェル、その妻 アリシア・アディーン。第二次ボーア戦争時のイングランド銀行総裁ヒュー・ス ミス、その妻コンスタンス・アディーン。
 アディーン姉妹の弟ヘンリー・アディーンの妻エリザベス、その兄エリオット・ ヨークはネイサンの孫アニー・ロスチャイルドと結婚。
 ロスチャイルド=ヨーク=アディーン=グレンフィル。

 エドワード・グレンフェル、ヘンリーの息子、アライアンス保険重役、イング ランド銀行理事を兼務、ビーフステーキクラブ会員、モルガン・グレンフェルを 創業。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿