以下の小論は金正恩の母親を軸にした人民軍上層部が金正恩を支援している、と伝えている、人民軍には改革中堅集団はいないのか?
北朝鮮“崩壊”危機!“三男vs長男”骨肉の権力闘争
2011.12.20
正男氏が長男として正統性を主張する日がくるのか(共同)【拡大】
北朝鮮の金正日総書記の死去を受け、後継者となる三男の金正恩氏(28)は、朝鮮人民軍を背景にした体制固めを模索するとみられる。ただ、若い正恩氏が権力を完全掌握できるかは未知数で、複数の専門家は「国内の改革派や、カギを握る中国が、長男の金正男氏(40)を担ぐ可能性は否定できない」と警鐘を鳴らす。金独裁王朝で、骨肉の権力闘争が勃発するのか。
「後継体制がしっかり固まるかどうかは極めて不確定だ。権力闘争の激化、内紛、難民などの流出、国内が混乱する可能性も否定できない」
民主党の前原誠司政調会長は19日、北朝鮮情勢に懸念を示した。北朝鮮は、正恩氏を国家葬儀委員会の序列1位と発表するなど、同氏による安定政権を早期に図りたいようだが、前原氏は楽観視していないのだ。
正恩氏は、母が金総書記の3番目の夫人で、在日朝鮮人の舞踏家だった故高英姫氏。スイスに留学後、北朝鮮の軍エリート養成機関である金日成軍事総合大学で学び、軍との関係を深めた。英語とドイツ語に堪能とされる。金総書記の義弟、張成沢氏ら、金総書記が進めた軍優先の「先軍政治」を継続させたい勢力が補佐し、国政を運営するとみられる。
しかし、拉致被害者を支援している「救う会」の西岡力会長は「スムーズに権力掌握はできないだろう」と話し、理由を解説した。
「2つの反正恩勢力がある。まず朝鮮労働党と軍の内部に『改革・開放が必要だ』と考えている勢力がある。金総書記は核開発など軍事優先の政治で、経済を疲弊させ、多くの国民を餓死させた。この路線を続けることに、軍幹部の中にも疑問視する声がある。中国も『改革』をしきりに求めてきた。両者は、正男氏を担ぐべきカードとして温存している」
正男氏は、金総書記と2番目の妻、故成恵琳氏の間に生まれた。2001年5月、偽造パスポートを使って日本に不法入国しようとし、成田空港で拘束、強制送還されたこともある。英語、中国語を操り、ITにも明るい。韓国メディアによれば、中国共産党高級幹部の子弟グループ「太子党」と親密な関係を持っているという。中国の次期国家主席とされる習近平副主席も太子党である。
昨年10月には、北京でテレビ朝日のインタビューに応じ、「3代世襲には反対だ」と正恩氏後継に異議を唱えた。また、中国側が北朝鮮側に対し、「金正男に手を出すな」「われわれの領内では絶対に許さない」と警告したという報道もある。権力闘争の火種はくすぶっているのだ。
西岡氏は「正男氏の安否や発言が、今後のバロメーターだ」と話した。
北朝鮮に詳しい山梨学院大の宮塚利雄教授(朝鮮近現代経済史)も「北朝鮮は中国を無視できない。中国が『正恩氏が軍と党を統制できない』と判断すれば、将来的に、正男氏が出てくる大どんでん返しもあり得る。ただ、中国は来年、トップが交代する。来年1月末に喪が明けるまでは、事態を静観するのでは」と話した。
軍事評論家の神浦元彰氏は「正恩氏が暗殺されない限りは安定する」としたうえで、「後継争いは当初、正男氏を支持した朝鮮労働党と、軍が支持した金総書記の次男、正哲氏(30)による対立だった。そこに、金総書記が『ケンカするな』と仲裁に乗り出し、正恩氏に決めて、帝王学を授けてきた。ただ、万が一、正恩氏が暗殺されることにでもなれば、正男氏と正哲氏の政争が再発する」と話している。
金 正哲(キム・ジョンチョル、1981年9月25日[1] - )は、北朝鮮の最高指導者金正日の次男。母は大阪鶴橋生まれの在日朝鮮人二世で、帰国した高英姫。同母弟に金正恩、同母妹に金ヨジュンがいる。また、異母兄 金正男(母:成恵琳)がいる
1996年頃にスイスのインターナショナルスクールに「Pak Cheol」(パク・チョル)という名前で留学していたことが確認されている。スクール内ではバスケットボールを好んでいたとの証言がある。1998年に卒業を前にして突如帰国した。
2007年には金日成軍事大学で軍事学を修め、金正日の軍視察に同行していたと報じられた。
人物 [編集]
2006年6月、ドイツを旅行中の様子をフジテレビによって報道された。この旅行は何らかの治療のためだとの観測があった。尚、この旅行中、エリック・クラプトンのコンサートに4日間全て訪れている。その際取材しようとしたら「Why?」の一点張りだった。関係筋[誰?]によると彼は興味の無いことや人間には、英語では「Why?」日本語では「なんか意味あるんですか?」といって、あしらうのが得意らしい。
2011年2月14日には、シンガポールのライブハウスで、エリック・クラプトンのライブを鑑賞しに来た際の彼の映像が韓国のKBSで公開された[2]。正哲は耳にはピアスをし、着ていた服は黒のTシャツというラフな姿であった。また、韓国のマスコミが正哲への直撃取材を試みた際、韓国マスコミのカメラマンと、同じく正哲の取材をしていたテレビ朝日のカメラマンが数人の正哲の関係者に悪態をつかれた上、暴行された。正哲は取材に何も答えることなく去っていった[3]。
前述の通り、大のエリック・クラプトンのファンで、ピョンヤンで公演できないかを打診するよう要望したほどである。身辺保障の覚書が交わされるほどまで進展したものの、クラプトン側が「独裁体制で公演した初の有名ミュージシャン」になるのを嫌がり取り消された[4]。