歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

甲州市・大善寺 山梨県指定文化財の役行者倚像を解体調査し修復へ

2011年05月19日 | Weblog
真言宗智山派 柏尾山大善寺(だいぜんじ) (山梨県甲州市勝沼町勝沼3559)
 寺伝では養老2年(718)の創建、 開基は行基 とする。
 柏尾山出土の康和5年(1103年)在銘経筒には、それを埋めるまでの経緯が刻まれており、在庁官人として甲府盆地東部の東郡地域で勢力を持った古代豪族である三枝氏の氏寺であったなどが書かれている。

 大善寺は、所蔵する県指定文化財の役行者倚像(えんのぎょうしゃきぞう)を修復する。 大善寺の藤切り祭りは役行者(役小角=えんのおづぬ)が大蛇を退治して地域の人々を救ったという故事が起源と言われている。
 役行者倚像は高さ約120cmで、ヒノキ材を使った寄せ木造り。作者は不明だが、鎌倉時代に作られたとされ、元禄13年(1700)に建立した行者堂に安置されている。 今回、解体して内部を調べるほか、繫ぎ目の鎹(かすがい)を交換。左手に持っている巻物や両手足の欠損部などを修復する。 修理期間は来年3月までとなっている。
 本堂(薬師堂)が国宝のほか、3点が国指定重要文化財になっている。 役行者倚像は県指定文化財であるが、新たな発見を期待する。
[参考:山梨日日新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城県美浦村・信太入子ノ台遺跡 平安時代初期の猿投窯製灰釉陶器の蓋付き骨壺を発掘

2011年05月19日 | Weblog
 美浦村教育委員会は18日、信太入子ノ台遺跡(しだいりこのだいいせき、同村信太)から、蓋付きの灰釉(かいゆう)陶器と須恵器の蔵骨器(骨壺)が無傷で発掘されたと発表した。
 同遺跡は、縄文時代から奈良、平安時代にかけての遺跡で、これまでに「志太」と書かれた墨書土器などが発掘されている。
 無傷で発掘された灰釉陶器は、高さ22cm、最大直径28cm。猿投(さなげ)窯跡群(愛知県豊田市)で平安時代初期(9世紀初め)に焼かれたものとみられる。40歳前後の男性とみられる焼骨が1体分入っていた。
 須恵器の蔵骨器は、高さ22cm、最大直径24.5cm。奈良時代(8世紀中頃)に登り窯を用いて焼かれたもので産地は不明。これにも蓋があったが、別に造られた物だった。蓋には墨で「大伴」の文字が書かれていた。
 今回の灰釉陶器と須恵器の蔵骨器を含む出土遺物は、22日から9月25日まで、同村文化財センター(同村土浦)で開かれる企画展「信太の古代」で展示される。
[参考:茨城新聞、産経新聞、美浦村文化財センターHP]

過去の関連ニュース・情報
 2010.4.22信太入子ノ台遺跡 「佛」「冨」「志太」などと書かれた墨書土器が出土
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県たつの市・布勢駅家 868年の播磨国地震の痕跡

2011年05月19日 | Weblog
 貞観地震は平安時代前期の貞観11年(869)に発生。この前年に播磨国地震が起きた。
 当時の「日本三代実録」の記述などから、寺院などが全て倒壊したと推測されている。
  「播磨國言う。地大いに震動す。諸郡の官舍、諸定額寺の堂塔、みなことごとく頽倒す。」
 実際、たつの市揖西町小犬丸にある古代山陽道の遺跡「布勢駅家」では、1988年の調査で、屋根ごと地面にひっくり返ったような瓦が大量に出土し、播磨国地震で倒壊した官舎の痕跡だと推定されている。
 断層の掘削調査から、震源地は姫路市安富町付近で、地震の規模はM7だったと推定されている。
[参考:神戸新聞]

古代における地震の痕跡・影響は、本ブログからもある程度みれる。
 地震の痕跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする