歴歩

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奈良市・薬師寺 金堂西側横に大量の瓦が埋もれて出土

2011年05月28日 | Weblog
 今朝の読売新聞で、「奈良市の薬師寺の金堂西側で、奈良時代を中心とした大量の瓦が出土した。」と報じていた。
 地下0・8mから幅6m以上、深さ0・3mの穴が見つかり、膨大な瓦が折り重なって埋められていた。
 薬師寺は710年の平城遷都に伴い、718年に藤原京(橿原市)から現在地に移建されたとされており、大半はこの時期の瓦で、前身の本薬師寺(橿原市)や平安時代のものとみられる瓦もあった。
 瓦に焼けた痕がないことから、文安2年(1445)の大風で金堂が倒れた際に落ちた瓦で、後片付けを急いで近くに埋めたとみているとしている。 現場は既に埋められている。

 2008年3月25日~6月8日まで東京国立博物館で開催された「国宝 薬師寺展」で購入した図録には、
 天禄四年(973) 2月の食堂から出た火災により、講堂、三面僧坊、回廊、経蔵、鐘楼、中門、南大門などが焼失するも、金堂と東西両塔は何を逃れた。(日本紀略)、「薬師寺縁起」)
 永祚元年(989) 8月、大風で金堂上層倒壊す。(「薬師寺縁起」)
 文安二年(1445) 大風により、金堂、南大門など倒る。(薬師寺濫觴私考「東大寺堂方方年中行事記」)
 享禄元年(1528) 9月、兵火のため、金堂・講堂・中門・西塔など焼失(「薬師寺年記」)
と記載されている。

 今回、瓦に焼けた痕がないことから、文安2年(1445)の大風による倒壊としているが、永祚元年(989)の大風でも倒壊した記録が残っている。
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