歴歩

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京都府大山崎町 1989年に「山崎院跡」から出土した銅塊が東大寺・大仏鋳造に使用した成分と同じ

2011年05月13日 | Weblog
 京都府大山崎町教委は12日、行基(668~749)が建てた大山崎町の「山崎院跡」で出土した銅塊の組成が、奈良・東大寺の大仏鋳造に使われた長登(ながのぼり)銅山跡(山口県美祢(みね)市)の銅と酷似していることが分かったと発表した。
 行基は大仏造立に尽力した功績で大僧正に任命されており、大仏完成後、余った銅の一部が褒賞として山崎院に下賜されたのではないかと推測している。
 1989年に同町大山崎竜光で行われた発掘調査で、山崎院跡に隣接した9世紀前半の側溝跡から6枚の円盤状の銅塊、最大径が19・5~22・5cm、厚さ1・9~2・6cm、重さは1480~2680g、が整然と重なりほぼ完全形で発見された。
 昨年、このうち1枚の成分分析を奈良文化財研究所に委託したところ、長登銅山跡の銅に多く含まれるコバルトや錫を検出。鉛同位体比の分布も、同銅山跡がある長門地方の銅に近い結果が出た。
 大仏造立の詔は聖武天皇が743年に発し、開眼供養は752年に執り行われた。
 「行基年譜」によると、山崎院は行基が建てた49院の一つで731年に建立された。太宰府(現福岡県)と奈良を結ぶ山陽道に面し、跡地からは平城宮と同文様の瓦、寄進者の人名が刻まれた約180枚の「文字瓦」や土製仏像、壁画片も出土している。
[参考:時事通信、共同通信、京都新聞]

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