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茨城県美浦村・信太入子ノ台遺跡 平安時代初期の猿投窯製灰釉陶器の蓋付き骨壺を発掘

2011年05月19日 | Weblog
 美浦村教育委員会は18日、信太入子ノ台遺跡(しだいりこのだいいせき、同村信太)から、蓋付きの灰釉(かいゆう)陶器と須恵器の蔵骨器(骨壺)が無傷で発掘されたと発表した。
 同遺跡は、縄文時代から奈良、平安時代にかけての遺跡で、これまでに「志太」と書かれた墨書土器などが発掘されている。
 無傷で発掘された灰釉陶器は、高さ22cm、最大直径28cm。猿投(さなげ)窯跡群(愛知県豊田市)で平安時代初期(9世紀初め)に焼かれたものとみられる。40歳前後の男性とみられる焼骨が1体分入っていた。
 須恵器の蔵骨器は、高さ22cm、最大直径24.5cm。奈良時代(8世紀中頃)に登り窯を用いて焼かれたもので産地は不明。これにも蓋があったが、別に造られた物だった。蓋には墨で「大伴」の文字が書かれていた。
 今回の灰釉陶器と須恵器の蔵骨器を含む出土遺物は、22日から9月25日まで、同村文化財センター(同村土浦)で開かれる企画展「信太の古代」で展示される。
[参考:茨城新聞、産経新聞、美浦村文化財センターHP]

過去の関連ニュース・情報
 2010.4.22信太入子ノ台遺跡 「佛」「冨」「志太」などと書かれた墨書土器が出土

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