歴歩

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渋谷区広尾・瑞泉山祥雲寺 黒田継高室・圭光院、黒田治之室・瑶津院および黒田吉之の墓

2011年05月05日 | 瑞泉山祥雲寺
 筑前福岡藩黒田家の菩提寺(墓所)は、下記6ヶ所にある。 墓といっても、埋葬されたものでなく五輪塔、石塔、墓石だけの場合もある。 また、一人の墓が数ヶ所に建てられていたり、改葬や合葬も行われているため、詳しくは専門家の調査したものを調べて見るのがよい。
 6ヶ所の菩提寺(墓所)を設立順に並べると下記のとおりとなる。
■臨済宗大徳寺塔頭龍光院 (1608建立)
■臨済宗大徳寺派横岳山崇福寺(そうふくじ) (1612-1624にかけて中興再建) 福岡市博多区千代4丁目7−79
■臨済宗大徳寺派瑞泉山祥雲寺(しょううんじ、旧・興雲寺、1623建立)
■真言宗南岳山東長寺(とうちょうじ) (1623忠之藩主時代に帰依) 福岡市博多区御供所町6-1
■臨済宗大徳寺派佛陀山天真寺(てんしんじ) (1661建立) 東京都港区南麻布3丁目1−15
■青山霊園 東京都南青山2丁目32−2

上記6ヶ所に埋葬されている、筑前福岡藩主および世嗣の生存年、父親、埋葬場所、法号を下記に記す。ただし、埋葬場所は前述の通り不確かである。

筑前福岡藩黒田家
開祖 如水(孝高) 1546-1604 父・職隆 大徳寺塔頭龍光院、崇福寺 法号:龍光院如水圓清
初代 長政 1568-1623 父・如水 崇福寺、祥雲寺(旧・興雲寺)、 法号:興雲院古心道卜
二代 忠之 1602-1654 父・長政 東長寺 法号:高樹院傑春宗英
三代 光之 1628-1707 父・忠之 東長寺 法号:江竜院淳山宗真
四代 綱政 1659-1711 父・光之 崇福寺 法号:霊源院回山紹光
 世嗣 吉之 1682-1710 父・綱政 祥雲寺 法号:乾光院範雄道洪
五代 宣政 1685-1744 父・綱政 天真寺 法号:泰林院義山道勇
六代 継高 1703-1775 父・長清 崇福寺 法号:功崇院章山道善
 世嗣 重政 1734-1762 父・継高 崇福寺 法号:瑛光院瑞嶽紹鳳 (注:黒田家譜では1737年生まれ)
七代 治之 1753-1781 父・一橋徳川家宗尹の五男 崇福寺 法号:鳳陽院典山紹靖
八代 治高 1754-1782 父・多度津藩主京極高慶の七男 東長寺 法号:竜雲院徳巌道俊
九代 斉隆 1777-1795 父・一橋徳川家治済の三男 崇福寺 法号:敬徳院周山紹礼
十代 斉清 1795-1851 父・斉隆 天真寺 法号:乾竜院利山道見
十一代 長溥 1811-1887 父 薩摩藩主島津重豪の十三男 青山霊園
十二代 長知 1839-1902 父・伊勢津藩主藤堂高猷の三男 青山霊園
十三代 長成 1867-1939 父・長知 青山霊園
十四代 長禮 1889-1978 父・長成 青山霊園
十五代 長久 1919-2009 父・長禮 青山霊園

 今年の3月17日に記した、黒田重政室・菊姫(眞含院、1733-1808)の左右に並ぶ墓、第6代藩主・継高室圭光院と同7代藩主・治之室・瑶津院、さらに圭光院の実父・黒田吉之の墓があったので紹介してみる。


写真は、南を向いて後ろから、左から瑶津院、眞含院(菊姫)、圭光院(幸・こう)の墓が並んで建っている。 正面はすぐそばに塀があり、幅が狭い。なぜ、3人の室の墓が並んで建っているのか、いつ頃からなのかはまったくわからない。 それぞれに2つの石灯籠が立ち、墓と石灯籠を石の瑞垣で囲んでいる。その正面には手水鉢が置かれている。
 墓石には、それぞれ下記が刻まれている。
 ■安永戊戌七年(1778) 五月十七日    圭光院殿明心宗悟大姉
 ■文化五戊辰年(1808) 三月十七日    眞含院殿實高慈清大襌定尼
 ■文政三庚辰年(1820) 十一月二十四日 瑶津院殿瓊山妙瑩大襌定尼

写真は左が圭光院墓、右が瑶津院墓。
 継高(1703-1775)室: 黒田吉之女(黒田宣政の養女)・幸(圭光院、?-1778)
 重政(1734-1762)室: 薩摩藩主島津継豊女・菊姫(眞含院、1733-1808)
 治之(1753-1781)室: 榊原政永女・幸姫(瑶津院、?-1820)

 眞含院こと菊姫は6代藩主継高の世嗣・重政と結ばれ1男2女を生むが、長女・屋世(治之室)以外は夭折。継高は一橋徳川家・初代当主・徳川宗尹の五男・治之(1753-1781)を養嗣子に迎え屋世と結婚するが、屋世も11歳で死去した。重政自身も1762年に継高よりも早く亡くなってしまった。そのため、後継者問題で苦労した。 同じように治之も嗣子がないまま30歳で亡くなっている。 3人の室(女性)はともに長生きをしたが、後継者問題では苦しんだことであろう。


 さて、境内の墓地の秋月黒田藩の南隣に背の高い墓があり、「寶永七庚寅歳(1710) 七月初三日 乾光院殿中大夫前隅州刺史範雄道洪大居士」とあり、調べると圭光院の父・黒田吉之の墓とわかった。圭光院の墓を向いて(東向きに)建っているが、30mほど離れているだろうか。(上写真右側)
 また、黒田吉之の墓の左隣に五輪塔形の墓があり、かなり風化して見え難くなっているが、「寛永第五(1628)戊辰歳 七月廿六日 梅渓院殿天秀妙貞大禅定尼」と刻まれている。 松平忠良の娘で秀忠公の養女となって二代藩主・黒田忠之(1602-1654)に嫁いだ久姫の墓である。(上写真左側)

過去の関連情報
 瑞泉山祥雲寺

キーワード:浄岸院(竹姫)
コメント (13)
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