大分県臼杵市教委は20日、同市野津町にある広原西遺跡「下藤地区共有墓地」(360㎡)で、江戸時代にキリスト教が禁止されるまでに造られたキリスト教徒の墓が、日本で初めて墓石と地下の部分が一緒に完全な形で発掘されたと発表した。
遺跡は、去年の12月から発掘調査が進められ、これまでに30cm四方の石を長方形に並べたりした墓石37基と、遺体を埋葬した墓の地下の部分が同時に完全な形で見つかった。石組み遺構は4~5列に整然と並び、キリシタン墓の墓穴が見つかっている東京・八重洲北口遺跡などと共通しているという。
敷地の一角に礼拝堂と見られる建物の跡が見つかったことや、石が加工された年代を調べた結果などから、16世紀後半から17世紀はじめにかけてのキリスト教徒の墓とみられている。
野津町は、キリシタン大名の大友宗麟の居城のあった臼杵荘の隣りにある。
[参考:毎日新聞、NHK大分放送]
遺跡は、去年の12月から発掘調査が進められ、これまでに30cm四方の石を長方形に並べたりした墓石37基と、遺体を埋葬した墓の地下の部分が同時に完全な形で見つかった。石組み遺構は4~5列に整然と並び、キリシタン墓の墓穴が見つかっている東京・八重洲北口遺跡などと共通しているという。
敷地の一角に礼拝堂と見られる建物の跡が見つかったことや、石が加工された年代を調べた結果などから、16世紀後半から17世紀はじめにかけてのキリスト教徒の墓とみられている。
野津町は、キリシタン大名の大友宗麟の居城のあった臼杵荘の隣りにある。
[参考:毎日新聞、NHK大分放送]