歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

松江市・一の谷古墳 古墳から石の枕を置いた埋葬施設が発見される

2009年09月16日 | Weblog
 島根県埋蔵文化財センターは15日、一の谷古墳(松江市下東川津町)から、埋葬された人の頭を置く枕石がある埋葬施設を発見したと発表した。墓坑が中心より東に偏っているのも特徴。
 古墳時代中期(5世紀後半)の方墳で、一辺18m、高さ2m。本来、中心に配置されるべき墓坑(3.2m×0.6m)が東へ約1・5m寄った位置で掘り出された。箱形木棺を納めたとみられ、直径10cm程度の自然石製の枕石が2つ並べられていた。自然石の枕石は県内で10例目となる。木棺の傍らには、鉄鏃14本が副葬されていた。
 中心に墓坑が無いことなどから、本来葬られるべき人物が埋葬されず、その下位にあたる人物だけが葬られた可能性があるとみる。古墳の中央に配置されていない墓坑が発見されたのは県内初。
 並行して調べていた、北西500mにある平安時代の集落「古屋敷II遺跡」と併せて、19日午前10時から現地説明会が開かれる。
[参考:2009.9.16中国新聞、2009.9.18毎日新聞、島根県教育庁埋蔵文化財調査センターHP]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚市・長尾山古墳 埋葬儀礼用?土師器片を発見、大和政権の結びつきを示す?

2009年09月16日 | Weblog
 発掘調査を行っている同市教委と大阪大考古学研究室は15日、同市山手台東の長尾山古墳(4世紀初頭)で木棺が納められていた後円部の頂上部分で、葬送儀礼に使われたとみられる土師器片が多数見つかったと発表した。大和政権の初期古墳でも見つかっているが、県南東部から大阪府北西部にかけての猪名川流域では初めて。被葬者と大和政権との結びつきを示す資料となる。
 後円部の頂上には、棺を設置するために掘られた8~5mの穴の跡があった。その中心部分には木棺が朽ちて土が落ち込んだとみられるくぼみ(長さ3.3m、幅60cm)があり、土の中から、こぶし大ほどの大量の石とともに約50点の土師器のかけらが見つかった。
 古墳の周囲の斜面部分からは、石が敷き詰められた跡が見つかっており、長い年月のうちに、石が流出したらしい。土師器は丸底の壺とみられ、同研究室では埋葬が終わった後に、飲食を伴う儀礼を行った跡とみている。
 葬送儀礼の形跡は、古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)の大型前方後円墳が集中する奈良県桜井、天理両市で見つかっている。
 現地説明会は19日午前10時30分から行われる。
[参考:読売新聞]

過去のニュース・情報
 2008.9.19 宝塚市・長尾山古墳 摂津地域最古の埴輪列が出土
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国・京畿金浦で3世紀の馬韓勢力墳墓を大量に発掘し、鉄器類、鉄製武器類などが多数出土

2009年09月16日 | Weblog
 京畿金浦の漢江流域で3世紀頃の馬韓(마한)勢力の墳墓群が大量に発掘された。
埋蔵文化財専門調査機関の漢江文化財研究院は16日、漢江下流に隣接した海抜65mの丘陵頂上部にある金浦市雲陽洞発掘調査現場で青銅器時代住居址3基と原三国~三国時代の墳墓17基、統一新羅~高麗時代の石槨4基などを確認したことを明らかにした。
 原三国~三国時代墳墓は3世紀始め~後半代のことで、墓周辺を方形あるいは円形の溝で囲まれている。
 この周溝墓(주구묘)は主に忠清湖南地域で確認された馬韓の墓形態で、最近仁川東陽洞金浦鶴雲里などの地でも発掘された。
 墓と共に土器類と鉄器類、装身具など遺物も出土したが、特に環頭大刀(환두대도)などの鉄剣など鉄製武器類が多く、金製装身具は現在まで国内で類例のない最も早い時期の金製品だという。
 また長さ120cmの鉄剣と水晶玉などを見ると、この遺跡の周溝墓は、当時楽浪など周辺地域との交易で重要な役割をした支配階層の墓であるようだ。馬韓の墓は金剛流域や栄山江流域で主に出てきたし、仁川と金浦など漢江下流側から1-2基が出てきたことはあるが10基以上大量発掘されたことは今回が初めてであり、土器類と鉄器類など楽浪と嶺南から持ち込まれた遺物が出土して、この地域と違った地域と多様な交流をしたという事実が明らかになったとする。
[参考:2009.9.16聨合ニュース]
(注1) ソウルから東北東方向に約30km、漢江の南側に位置する。

これまでの出土品より100年遡る、金製イヤリングと推定される金製装身具が出土
 全3点が確認された金製装身具は反円錘形(長さ2.5㎝)であり、上部の狭い側を切り取って巻き上げたのが特徴である。
 これまでに確認された最も古い時期のイヤリング、百済・石村洞古墳出土品(4世紀)と新羅・慶州月城路古墳出土品(4世紀末)、より100年以上古いイヤリングが出土した模様としている。中国東北方の金製イヤリングと類似しているという。
 出土品としては、ほかにも水晶玉、玉類などがある。
[参考:2009.9.17ソウル新聞ほか]

キーワード:雲陽洞遺跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする