歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

橿原市・植山古墳 墓域の周囲に高さ2mの柵が100m続く柱列を確認

2009年09月18日 | Weblog
 橿原市教委が18日、推古天皇と息子の竹田皇子が一時的に埋葬された合葬墓とされ「植山古墳」(東西約40m、南北約30mの方墳、6世紀末~7世紀前半)で、墓域の周囲に設けた塀跡とみられる柱列の延長が約100mに達することが分かったと発表した。
 史跡公園整備に伴い調査したところ、平成13年に続いて、新旧2時期の柱列を新たに発見した。古い柱列は、前回見つかった「へ」の字形の列からさらに南東に約30m延び、総延長は約100mになった。新しい柱列は、前回とは別の場所で南北約4.3m、東西約10mのL字形で見つかった。
 柱列には新旧2つの時期があり、新しい柱列は見つかった土器片などから藤原京期(7世紀末)とほぼ特定した。藤原京の開発域が古墳のすぐ北側に迫っていることから、市教委は「藤原京整備に伴い、墓域を守る塀をリニューアルしたのでは」としている。 柱穴はいずれも直径約30cmで、深さは最大約80cm。間を板などでふさいで高さ2mほどの板塀にしたとみられる。
 植山古墳は、東西約40m、南北約30mの長方形墳。竹田皇子が死亡した6世紀末ごろに造営され、628年に死亡した推古天皇を合葬。7世紀中ごろ、大阪府太子町の山田高塚古墳に改葬されたと想定され、市教委は「改葬で空になった後も塀を造り直して立ち入りを制限するなど、重要な空間と認識され続けたことが分かる」としている。現地説明会は行われない。
[参考:共同通信、産経新聞]
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京都府南丹市・大谷口遺跡 5世紀前半のかまど跡2基が見つかる

2009年09月18日 | Weblog
 府埋蔵文化財調査研究センターが17日、同市八木町諸畑の大谷口遺跡で、古墳時代中期(5世紀前半)のかまど跡2基が見つかったと発表した。同遺跡の東約500mの諸畑遺跡と、西約800mの室橋遺跡でも、同時代のかまど跡が見つかっており、当時の近畿地方で最先端の調理技術を持つ集団が、亀岡盆地に住んでいたことを改めて確認できたとする。
 かまど跡は、幅約1.5m、奥行き約1.8mと、幅約60cm、奥行き約80cmの2基で、いずれも5世紀前半の竪穴住居跡で見つかった。大きいかまど跡は、中央には火にかけた土器を支える石が設置され、周りから土師器の一種「布留式土器」の甕や高坏が見つかった。
 朝鮮半島から伝来したかまどの技術は、近畿地方には5世紀前半に伝わったとされ、当時としては河内や大和地方と並ぶ最先端の設備。畿内との密接な交流や、有力者の存在がうかがえる。
 大谷口遺跡ではこのほか、縄文時代の土坑、弥生時代後期の土坑と竪穴式住居跡1基、古墳時代中期の竪穴式住居跡4基と掘立柱建物跡1棟、奈良時代の竪穴式住居跡1基、平安時代から鎌倉時代にかけての掘立柱建物跡4棟以上を検出した。
 19日(土)午後2時から現地説明会が行われる。
[参考:京都新聞、京都府埋蔵文化財調査研究センターHP]



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愛媛県新居浜市 本郷遺跡 平安時代の役所の関連施設掘立柱建物跡と火葬墓が出土

2009年09月18日 | Weblog
 県埋蔵文化財調査センターが17日、同市本郷の本郷遺跡から出土した、平安時代(9~10世紀)に建てられたとみられる掘立柱建物跡と「火葬墓」を公開した。
 県道建設工事に伴い、同センターが8月から調査。掘立柱建物の柱跡は約100か所あり、方形や円形で縦、横0.7~1mと大型で、新旧の大型の建物が同じ場所で建て替えられた跡があり、役所の関連施設だった可能性が高いとする。新居浜市内の遺跡で役所の関連施設跡が見つかるのは初めて。
 このほか、僧や貴族ら身分の高い者を火葬した際に骨のかけらなどを埋めたとみられる「火葬墓」も見つかったことから、新居浜、西条市の一帯に存在していた神野郡か、同郡新居郷の役所の関連施設とみている。
 現地説明会は19日午後1時から行われる。
[参考:読売新聞]
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羽曳野市・庭鳥塚古墳 南河内初ののこぎり(鉄片)が出土

2009年09月18日 | Weblog
羽曳野市・庭鳥塚古墳 南河内初ののこぎり(鉄片)が出土
 同市教委が17日、平成17年に「庭鳥塚古墳」(同市東阪田)で見つかった板状の鉄片6枚はのこぎりであることが分かったと発表した。
 のこぎりの出土例は全国でも21例しか報告されておらず、南河内地方では初めて。市教委は「被葬者は新しい工具をいち早く入手できる立場だった」と分析している。
 鉄片は、17年の発掘調査で、木棺の周りに埋められていた副葬品とともに見つかった。鉄片は腐食が進んでおり、発見時は鉄剣の一部と考えられていた。その後の調査で、復元したところ全長約25cm、幅約3cmとなり、剣の一部とされていた鉄片の刃部分に厚みがなく、両端に柄が付いていたことをうかがわせる木の破片が残っており、ノコギリと判断した。
 鉄片は10月10日~12月13日、近つ飛鳥博物館(河南町)の企画展「河内平野の集落と古墳」で展示される。
[参考:産経新聞、読売新聞]

過去のニュース・情報
 2005.9.1 羽曳野市・庭鳥塚古墳 4世紀後半の古墳発見、三角縁神獣鏡・筒型銅器など出土
 羽曳野市教委が31日、庭鳥塚古墳(4世紀後半、全長約50mの前方後方墳)で、未盗掘の埋葬施設から中国製とみられる三角縁四神四獣鏡が見つかったと発表した。邪馬台国の女王・卑弥呼が死んだ直後の3世紀半ばに作られた古いタイプの三角縁神獣鏡という。静岡県磐田市の新豊院山D2号墳で見つかった鏡と同型だった。
 三角縁神獣鏡は、邪馬台国やヤマト政権が権威付けのため有力首長に配布したとの説があり、被葬者は早くからヤマト政権と結び付きを持ち、政権の軍事の一端を担った首長だった可能性が高いとする。
 後方部にある埋葬施設は箱型木棺(コウヤマキ製)を粘土で覆った粘土槨で、木棺は腐ってなくなっていたが、棺内とみられる場所から直径21・5cmの三角縁四神四獣鏡1枚と鉄剣1本と鉄器が発掘された。 
 棺外からは、東側でヤリ先1本、銅鏃13本、鉄鏃35本、筒形銅器1点、西側で鉄刀1振、銅鏃6本、鉄鏃14本、筒型銅器1点、鉄斧2点が出土した。多数の武器類が出土していることから、被葬者は武人的性格の強い首長とみられる。
 周辺には4世紀末以降の天皇陵級の古墳が集まる「古市古墳群」があり、同古墳群の形成を解明する上で重要な資料となりそうだ。
 9月3日に現地説明会が開催される。
[参考:共同通信、毎日新聞、朝日新聞、羽曳野市教育委員会HP]
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