歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

上越市・聚楽第行幸図屏風 一般公開が始まる(10月4日まで)

2009年09月13日 | Weblog
 豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に招いた際の光景を描いた一対の屏風が新潟県上越市で見つかり、市立総合博物館で12日、一般公開が始まった。
 「御所参内・聚楽第行幸図屏風」(各高さ1.56m、幅3.58m)は、右に天皇が乗った輿(こし)の行列が聚楽第に向かう様子が、左に秀吉の牛車の列が聚楽第から御所に向かう様子が、それぞれ描かれている。一面に金箔が施され、人物や風景が丁寧に描かれている。
 聚楽第は、秀吉が現在の京都市上京区周辺に築いた豪邸で、「聚楽第行幸」(1588年)によって自らの威勢を天下に示したとされる。しかし、建物は完成からわずか8年で解体された。
 同館によると、聚楽第を描いた屏風は3例確認されているが、秀吉の御所参内と行幸の光景がそろったものが発見されたのは初めて。
 秀吉の死後、慶長年間(1596~1615)初期に制作されたとみられ、上越市の個人が所蔵し、昨年11月、同館に鑑定を依頼した。狩野博幸同志社大教授(日本近世美術史)の鑑定で、左下に聚楽第の南門が描かれていることなどが分かった。重要文化財級の作品との評価も得たという。
公開は10月4日まで。
[参考:毎日新聞、読売新聞、新潟日報]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県上毛町・ハカノ本遺跡 奈良~平安の居館跡などを確認

2009年09月13日 | Weblog
 県教委は11日、昨年12月からで実施していたハカノ本遺跡(築上郡上毛町緒方)の第2次調査で、計28棟の建物跡を発掘し、うち西側部分から8-10世紀の奈良から平安時代の郡衙の長官で郡司か地元有力者の居館(屋敷)跡など15棟を確認したと発表した。
 同町では、同遺跡から北に1.9km離れた大ノ瀬下大坪遺跡が郡衙と推定されている。今回確認した遺跡が郡司の居館だった場合、半径約3km圏内に、官道跡、寺院跡(垂水廃寺)、瓦を製造した瓦窯跡など郡衙を構成する全要素が発見されたことになるという。
 縦58m、幅28mの柵で囲われた敷地の中央に、縦4.8m、幅5.8mの庇を持った4面庇建物が配置され、左右には対称的に細長い副屋があった。当時の公的建造物に用いられる配置法という。屋敷の周り2カ所に目隠し塀のほか、土器、瓶などの破片が約100点が見つかっており、郡司の居館とみられるという。
 このほか、鎌倉時代の武士か豪農とみられる住居跡を発掘。溝からは表に馬、裏に牛が描かれた絵馬も見つかった。
 13日午後2時から現地説明会が行われる。
[参考:西日本新聞、毎日新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする