豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に招いた際の光景を描いた一対の屏風が新潟県上越市で見つかり、市立総合博物館で12日、一般公開が始まった。
「御所参内・聚楽第行幸図屏風」(各高さ1.56m、幅3.58m)は、右に天皇が乗った輿(こし)の行列が聚楽第に向かう様子が、左に秀吉の牛車の列が聚楽第から御所に向かう様子が、それぞれ描かれている。一面に金箔が施され、人物や風景が丁寧に描かれている。
聚楽第は、秀吉が現在の京都市上京区周辺に築いた豪邸で、「聚楽第行幸」(1588年)によって自らの威勢を天下に示したとされる。しかし、建物は完成からわずか8年で解体された。
同館によると、聚楽第を描いた屏風は3例確認されているが、秀吉の御所参内と行幸の光景がそろったものが発見されたのは初めて。
秀吉の死後、慶長年間(1596~1615)初期に制作されたとみられ、上越市の個人が所蔵し、昨年11月、同館に鑑定を依頼した。狩野博幸同志社大教授(日本近世美術史)の鑑定で、左下に聚楽第の南門が描かれていることなどが分かった。重要文化財級の作品との評価も得たという。
公開は10月4日まで。
[参考:毎日新聞、読売新聞、新潟日報]
「御所参内・聚楽第行幸図屏風」(各高さ1.56m、幅3.58m)は、右に天皇が乗った輿(こし)の行列が聚楽第に向かう様子が、左に秀吉の牛車の列が聚楽第から御所に向かう様子が、それぞれ描かれている。一面に金箔が施され、人物や風景が丁寧に描かれている。
聚楽第は、秀吉が現在の京都市上京区周辺に築いた豪邸で、「聚楽第行幸」(1588年)によって自らの威勢を天下に示したとされる。しかし、建物は完成からわずか8年で解体された。
同館によると、聚楽第を描いた屏風は3例確認されているが、秀吉の御所参内と行幸の光景がそろったものが発見されたのは初めて。
秀吉の死後、慶長年間(1596~1615)初期に制作されたとみられ、上越市の個人が所蔵し、昨年11月、同館に鑑定を依頼した。狩野博幸同志社大教授(日本近世美術史)の鑑定で、左下に聚楽第の南門が描かれていることなどが分かった。重要文化財級の作品との評価も得たという。
公開は10月4日まで。
[参考:毎日新聞、読売新聞、新潟日報]