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韓国・高敞鳳徳里古墳群1号墳 5世紀の百済金銅製履物出土

2009年09月28日 | Weblog
 全北高敞郡雅山面鳳徳里の丘陵の先端部に位置する鳳徳里古墳(고창 봉덕리 고분)は、1998年に発見され、昨年度に円光大・馬韓百済文化研究所により大型墳丘墓4基のうち1号墳に対する発掘調査がなされた。
 その成果としては、次のとおりであった。
① 1-2号墳は、隣り合わせに並び、自然丘陵を切断して墓として利用した特異な事例として国内で初めて確認された。
② 1号墳は、規模は長軸72m、短軸50m、高さ7m前後である。そして、横穴式石室墳をはじめとする埋葬主体施設が5ヶ所確認された。この時点での調査では、典型的な百済式墓様式に選ばれる横穴式石室墳が2ヶ所、破壊された石室墳が1ヶ所、そして小型石槨墓2基の合計5ヶ所の埋葬施設が確認され、一つの墳丘墓にいろいろな墓を作るいわゆる「アパート型墓」の一種であることが明らかになった。
③ 墳丘墓の中央に位置した3号石室墳は、身分や地位が最も高かった人が埋められたと推定され、その他の墓には彼の家族や子孫らが埋められたと推測される。
墓の大部分が盗掘されたが、3号石室墳(石室基準長さ3.1m、幅2.7m)の内部では無数の土器のかけらとともに、中央部で中国南朝時代青磁片が出土した。この青磁片は、最近風納土城未来村地区で発見されたものと同じ種類で、蓮華模様を入れた中国南朝時代劉宋(420-479)の典型的な青磁とみられる。これまでの百済領域での青磁は頻繁に出土するが、今回の高敞出土品はその中で最も南側に位置するという点が注目を引く。
④ 出土品から、この墓が5世紀中葉に築造されたと推定した。
[参考:2009.1.2聨合ニュース]

 今年度の調査は、円光大・馬韓百済文化研究所により6月から4ヶ月間、1号墳の発掘調査を行い、多くの成果が得られた。
① ひとつの墳丘墓に石室墳5基、甕棺墓2基を設けた5世紀頃のいわゆる「蜂の巣型古墳」として現れた。
 石室墳は4号墳が竪穴式石室であるが、他はすべて横穴式石室である。
② このうち、4号石室墳では、金銅製履物と中国製青磁などをはじめとする各種遺物が多量に出土した。
 ②-1. 金銅製履物は、足首部と側板2枚、底で構成されていて、これらは各々小さい釘を打ち込んで結合しており、側板と底は透彫で装飾されている。底にはスパイク形の鋲18個(注)を付けている。鋲の付着箇所には六葉形(육엽형)花模様が飾られた。底中央には龍1匹がおり、踵の部分には高句麗長川1号墳古墳壁画に見える力士像が透彫で装飾されている。余白の空間には鳳凰や他の吉祥鳥が彫られている。
 履物は足元側でやや斜めに横たわり発見された。右側履物内部には骨が残っており、左側履物では織物類跡が発見された。
 これまでに、百済履物は14点ほど出土しているが、もっとも保存状態がよいという。
(注) 金銅製履物には歩揺がないと思われる。鋲は踵からつま先にかけて、1,2,1,2,1,2,2,1,2,1,2,1個の配列で、1個の場合は真ん中に、2個の場合は左右に合計18個取り付けられている。首部が高さ2cm弱ほどあり、珍しい形状。
 ②-2 南壁中央で発見された小壺装飾有孔広口壺(소호장식유공광구호)は、小さい壺型土器を飾り、胴には小さい穴を貫通しており、口が外側に向かってラッパのように広がっている。韓国初出土という。日本の古墳時代を代表する須恵器系統土器に分類され、装飾壺(子持壺)と呼ばれる器種。器台(그릇받침器)とともに発見された。器台の下部には土製玉を入れた形で製作され、鈴と同じ効果があるため、祭儀儀式に使われた土器だったようだ。その下には銀製托盞があった。
 ②-3 中国製青磁と壺が、東南側隅に並んで置かれていた。5世紀中国南朝から輸入したと考えられる。胴体肩周囲4ヶ所に各々2個ずつ耳を飾った磁盤口壺(청자반구호)で、似たようなものあ武寧王陵で出土しているる。
 ②-4 北壁には盛矢具と鐙(子)をはじめとする馬具類と鉄製武器類が置かれ、足先側西側の短壁では蓋杯18点が発見された。
 ②-5 腕付近で、漆器で作った矢筒(화살통)と大刀2点、刀子が出土した。
   保存状態の良好な大刀の柄部装飾は圭頭(규두)と推測される。
 ②-6 中央頭位からは青銅製竹葉形頭装飾が発見された。片端は蕾形の装飾を付着するのに対して、もう一端は非常に細くなっており、頭や冠に挿したものとみられる。
 ②-7 頭と胸付近ではイヤリング2組と曲玉2点を始めとする多量の玉類が出土。夫婦と考えられる二人を合葬したらしい。
 ②-8 百済古墳中では最初に天井に瓦を載せた墓であるとわかった。
③ 3基の横穴式石室では、多量の瓦片が出土して、京畿以南の地域では初めて墓の上に瓦葺(와즙)建物が設置されていたと推定される。
④ 古墳の構造や4号墳で出土した南朝代の青磁年代から古墳の築造は5世紀初葉と修正した。
⑤ 出土品が、韓国国内だけでなく、中国そして日本(倭)の物が混じっており、海外との交易の広さがうかがえる。
[参考:2009.9.28 聨合ニュースほか]
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