歴歩

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長浜市・横山城 2期にわたり築造確認 土塁は秀吉が改修補強か

2009年09月09日 | Weblog
 長浜市東部の中世の山城・横山城遺跡(同市石田町など)を調査している長浜市教委は9日、遺跡南側の主郭跡で確認されていた土塁が戦国時代に2度にわたって築造されていたことが分かったと発表した。
曲輪内から掘立柱建物の柱穴が初めて出土した。掘立柱建物の柱穴は、調査地東部の平たん部で15個見つかった。直径30~50cm。兵士が駐屯した簡素な小屋とは異なるため、城番の武将がいた建物とみられる。
 土塁は防御施設として設けられ、まず岩盤を削って幅約2m、高さ0・5m(現存部分)規模で築造。2層目は、そこに土を盛って幅約4m、高さ0・7mに改修。土塁内から16世紀初め以降の土師器などが出土した。
 横山城は、文献の記録から「信長が小谷城攻め(1573年)の前線基地として造った後、豊臣秀吉が賤ケ岳の戦い(1583年)に備えて改修補強した可能性があるとしている。
 現地説明会は12日午前10時から行われる。
[参考:京都新聞、びわ湖放送、共同通信]

 横山城は長浜市の東側、横山丘陵・臥竜山(標高312m)を中心に三方の尾根に配置配されている。
 築造時期不明 京極氏の支城として築かれたといわれる。
 永禄4年(1561) 浅井長政は、南近江守護の六角義賢と戦い佐和山城を落とした。浅井氏の近江南進の要として、横山城を築いて、浅井井演を城代とした。
 元亀元年(1570) 織田信長に反旗を翻した浅井長政は、信長との姉川の合戦に敗れる。信長は、横山城へ木下秀吉を城代として送る。
 天正元年(1573) 浅井氏滅亡によりこの城の役目も終わり、長浜築城を期に廃城となった。
[これまでの主な出土遺物]
 11世紀平安時代ごろの北宋銭「治平元寶(じへいげんぽう)」が16世紀の土師器とともに出土
 16世紀半ばの鎧具足の一部である小札(こざね)が出土
 16世紀後半のものと見られる刀の鞘の先端部にはめる金具「鐺(こじり)」が県内で初めて出土

過去のニュース・情報
2008.11.21 長浜市・横山城遺跡 戦国時代の痕跡出土
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つくば市・多気城 土塁は16世紀後半に佐竹氏が築いた可能性大

2009年09月09日 | Weblog
 同市教育委員会は8日、発掘調査している「多気(たけ)城」(同市北条)の城の堀や土塁は、16世紀後半に戦国大名の佐竹氏が築いた可能性が高いと発表した。
 多気城自体は、鎌倉時代に作られたとの記録もあるが、土塁などの建設は戦国時代とみられ、築いたのは佐竹氏でなく小田氏との説もある。
 堀などと同じ地層から出土した土鍋などを分析すると、年代は16世紀後半だった。佐竹氏は1569年に小田氏を放逐しており、土鍋などは佐竹氏のものとみられたという。調査では幅2~6mのV字形の堀や、両側に盛り土をした土塁、それらに囲まれた平らな曲輪4カ所も確認された。
 市教委は13日10時半~12時と、13時半~15時の2回現地説明会を行う。
[参考:毎日新聞、つくば市HP]

関連ニュースおよび情報
 2008.12.4つくば市・小田城跡 格子状の障子堀が県内初出土



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