歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

亀山市・鈴鹿関 西城壁が全長700m以上の規模

2009年02月15日 | Weblog
 古代の関所「律令三関(さんかん)」の一つで、亀山市にある鈴鹿関の西城壁は全長700m以上の規模で日本最大の関であったったことが市教委の発掘調査で分かった。
 西城壁の遺構はこれまで、同市関町新所の「観音山」の裾で確認されていた。市教委が新たに先月から、観音山の南約500mにある「城山」西側の約170㎡を調べたところ、同様に土塁状になっている遺構が見つかった。
 観音山の遺構の北端と城山の南端を結ぶと700m以上になる。三関のうち、既に発掘調査された不破関(岐阜県関ケ原町)は約500m四方の規模で、鈴鹿関の方が大きいことが実証されたという。
 また、西城壁は「築地(ついじ)塀」という瓦葺の壮大な土塀だったとみられており、今回の調査地点からも大量の丸瓦や平瓦が出土。築地塀を造る際に柱で足場を組んでいた跡も見つかった。築地塀の底部の幅は2・1mと推定。築地塀の規模は底部の幅によって決められていたとされ、10世紀前半の「延喜式」の規定をさかのぼって当てはめると、高さは4mを超えていたとみられる。
 【鈴鹿関】古代の法律「律令」に基づき、都から東国へ延びる幹線道に設置された関所の一つ。不破関(岐阜県関ケ原町)、愛発関(福井県)と合わせ「律令三関」と呼ばれる。文献では「日本書紀」の壬申の乱(672年)の記述に「鈴鹿関司」が登場するのが初めて。789年、ほかの二関とともに制度上廃止された。
[参考:中日新聞]
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奈良市・平城京 播磨国の平城京事務所跡か 8世紀後半の瓦が出土

2009年02月15日 | Weblog
 奈良市埋蔵文化財調査センターの調査で14日、平城京跡で播磨国の役所など公的施設だけに使われた8世紀後半の瓦が出土、地方政府の「平城京事務所」に当たる「調邸」跡の可能性の高いことが分かった。
 地方政府の出先機関の存在を裏付ける遺物が平城京跡で見つかったのは初めて。調邸は、朝廷に納める税のうち特産物の「調」を保管、運搬人の宿泊所としても使われたとされ、都での活動の実態を解明する貴重な史料になりそうだ。
 瓦はJR奈良駅の南西約500mで奈良時代の「平城京左京五条四坊」に当たる場所から出土。うち軒丸瓦の文様の蓮華文と、軒平瓦の唐草文が、播磨国の国府や国分寺にしか用いられていない瓦の文様と一致した。
 70点余りの平瓦などの製法も、播磨産と同じだった。一緒に見つかった土器にも、円形のつまみの形などに播磨産とみられる特徴があった。播磨産とみられる瓦は過去に近くで行った調査でも出土しており、瓦は播磨から大量に都に運ばれて使われたと考えられるという。
 同センターは「播磨は海沿いなので、水運を利用して瓦などを平城京まで運んだのではないか」としている。今後、調邸にかかわる建物跡や木簡、墨書土器などの遺物がないか調査する予定。
 東大寺に伝わる奈良時代の文献には、寺が相模国(現神奈川県)の調邸の場所を譲ってほしいと申し出たやりとりが残っている。
瓦は3月2日から同市大安寺西の同センターで展示する予定。
[参考:産経新聞、中国新聞、共同通信]
播磨国の平城京事務所か 8世紀後半、瓦出土(共同通信) - goo ニュース
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