15日大阪府泉大津市であったシンポジウムで、光谷拓実・奈良文化財研究所客員研究員が昨年下田東2号墳で見つかった土器「須恵器」の製作年代が、同時に出土した木棺を「年輪年代測定法」で調査して判明した材木の伐採時期から、西暦449~450年代と特定されたことを報告した。
須恵器は、遺跡の年代判定の上で重要な基準で、木棺を通じて土器の年代が特定できたのは初めて。
木棺は昨年3月、同古墳の周溝から底板1枚(全長2・9m、最大幅65cm)が出土。最も外側の年輪が449年のものと判明。外側にさらに数年分の年輪があったと推定され、材木は450年代に伐採された可能性が高まった。
須恵器は、底板の下から出土。木棺と同時期の製作で被葬者に供えたとみられることから、449~450年代のものと判明した。
須恵器は、年代によって形式が変化し、古墳時代の年代を特定する基準資料だが、「5世紀後半」「6世紀初め」など漠然とした表現にとどまっているうえ、研究者によって数十年の開きがあり、年代の絞り込みは重要な研究課題となっている。
[参考:産経新聞、4/22下田東2号墳 木棺の底板がほぼ完全な状態で出土]
昨年、4月に木棺の底板が出土した時には、古墳の築造時期は5世紀後半とされていた。また、須恵器についてはほとんどの新聞が土器と記し、須恵器と記していたのは朝日新聞だけであった。しかも、2008年6月17日付朝日新聞の記事では、
「下田東2号墳でも蓋杯(ふたつき)が6点、見つかった。だが、普通は被葬者の頭部付近に置かれるのに、底板の真下に置かれ、食べ物が入っていた痕跡はなかった。」
と、記していた。
須恵器は、遺跡の年代判定の上で重要な基準で、木棺を通じて土器の年代が特定できたのは初めて。
木棺は昨年3月、同古墳の周溝から底板1枚(全長2・9m、最大幅65cm)が出土。最も外側の年輪が449年のものと判明。外側にさらに数年分の年輪があったと推定され、材木は450年代に伐採された可能性が高まった。
須恵器は、底板の下から出土。木棺と同時期の製作で被葬者に供えたとみられることから、449~450年代のものと判明した。
須恵器は、年代によって形式が変化し、古墳時代の年代を特定する基準資料だが、「5世紀後半」「6世紀初め」など漠然とした表現にとどまっているうえ、研究者によって数十年の開きがあり、年代の絞り込みは重要な研究課題となっている。
[参考:産経新聞、4/22下田東2号墳 木棺の底板がほぼ完全な状態で出土]
昨年、4月に木棺の底板が出土した時には、古墳の築造時期は5世紀後半とされていた。また、須恵器についてはほとんどの新聞が土器と記し、須恵器と記していたのは朝日新聞だけであった。しかも、2008年6月17日付朝日新聞の記事では、
「下田東2号墳でも蓋杯(ふたつき)が6点、見つかった。だが、普通は被葬者の頭部付近に置かれるのに、底板の真下に置かれ、食べ物が入っていた痕跡はなかった。」
と、記していた。