市教委は4日、同市鯰田の井手ケ浦窯跡で、須恵器を焼いた6世紀後半(古墳時代後期)のものとみられる登り窯跡3基と窯跡の内外から約100点の須恵器とが見つかったと発表した。これで確認された登り窯跡は計13基となった。さらに底の接地面が広い「平底壺(ひらぞこつぼ)」と呼ばれる土器が、窯跡としては全国で初めて出土した。
井手ケ浦窯跡は、遠賀川右岸の丘陵地にあり、1970年代から調査を開始。今回の調査は県道の整備工事に伴い昨年8月から実施した。
見つかった3基の登り窯跡は、いずれも丘陵の斜面に沿ってトンネル状に掘り抜いた構造で、入り口の高さは約1・2m、幅約2m。薪を燃やした麓側の燃焼部から、丘陵の上側にある排煙口までの長さは約10mで、トンネル内に須恵器を並べて焼いたとみられる。
3基のうち1基の内部からは、70点を超える須恵器の食器も見つかった。日常生活で使われたとみられる皿とふたのセットのほか、小さな壺など。焼き上げた後、何らかの理由で窯の天井が崩れ、埋まった可能性が大きいという。大半が完成した状態という。
また、平底壺は、窯の近くにある灰や失敗作の捨て場から出土した。形が歪んでおり、失敗作として捨てられたらしい。祭祀用とみられ、大分県日田市の朝日天神山古墳群の周濠など古墳からの出土例は複数あるという。
窯跡近くには、ほぼ同時代の川島古墳群があり、市教委は「川島古墳の被葬者が治めた豪族と、須恵器を作った集団は何らかのつながりがあったとみられる」としている。
7日午後1時半から現地説明会が行われる。問合せは、市教委文化財保護課へ。
[参考: 読売新聞、西日本新聞]
2008.2.22ニュースより
県教委は、飯塚市鯰田の井手ヶ浦窯跡で、6世紀中頃(古墳時代後期)とみられる遠賀川流域では最古の登り窯跡4基が出土したことを発表した。1984年の同窯跡の発掘調査では、6世紀後半~7世紀初めの窯跡6基が見つかっており、さらに遠賀川流域では、それと同時代とみられる鞍手町の古門窯跡と岡垣町の野間窯跡群で出土した窯跡が見つかっている。 新たに出土した4基は「地下式登り窯《と呼ばれる構造で、入り口付近に燃料の薪を燃やす「燃焼部《、丘陵の上側に「排煙口《がそれぞれ設けられていた。(トンネルの入り口の高さ1・1m、幅1~1・2m、長さ10・7~13・9m) 須恵器は生活雑器や祭事用として使われたとみられ、窯跡周辺から大量の土器片も出土した。県教委は、土器片をつなぎ合わせた須恵器の形は、近くの川島古墳群で見つかった須恵器と特徴が似ており、窯を使った集団と、川島古墳群を築造した集団には何らかのつながりがあったはずとしている。
[参考:2008.2.22 読売新聞、西日本新聞]