歴歩

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米子市・博労町遺跡 奈良時代の役所か 大型掘立柱建物跡が出土

2009年02月07日 | Weblog
 市教育文化事業団埋蔵文化財調査室は6日、同市博労町の博労町遺跡から奈良時代の役所跡とみられる大型掘立柱建物跡が見つかり、身分の高い人物が使った腰帯具や墨書土器片など多数の遺物が出土したと発表した。
 平安時代に書かれた地誌「和名抄」に登場する奈良時代の「半生郷(はにゅうのさと)」の中心部の可能性があるという。現在の米子市一帯と重なる「半生郷」の可能性を示す遺構が見つかったのは初めてという。
 大型掘立柱建物跡は14個の柱穴が縦11m、横4・4mの長方形に並び、大きさから役所跡とみられる。近くに倉庫跡とみられる柱穴が縦5m、横4mの四角形に並んでいる。ほかに11点の瓦片も見つかった。これらを囲んだと見られる区画溝(幅3m、深さ1・5m)の一部も長さ約40mにわたり見つかった。この区域が特別な区画だったことを示すとみられる。
 腰帯具は青銅製4点、石製1点の計5点が見つかった。青銅製の一つは縦3・5cm、横3・2cm、石製は4cm四方。役人が使っていた腰帯に付けるもので、現在のバックルに当たる。「息」「太」などと墨で書かれた墨書土器片約20点も見つかった。
 同遺跡は県立米子工業高グラウンドにあり、調査面積は約7500㎡。今月13日で調査が終了する。
 現地説明会は11日午前10時から開催される。問合せは発掘現場事務所(0859・22・7209)へ。
[参考:毎日新聞]
前出・2008.4.4
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宇都宮市・笹塚古墳 墓域総長が県内最大の前方後円墳と確認

2009年02月07日 | Weblog
 東谷町の前方後円墳「笹塚古墳」の外堤で囲まれた墓域の総長が、外堤の位置が正確に確認されたため、従来の190mから少なくとも210mあり、県内の前方後円墳としては最大であることが市教委の調査で分かった。
 外堤の一部に、墓坑または祭壇とみられる長方形の石積み(長さ5m、幅2.0-2.5m)が見つかった。外堤から直角に突き出すように位置し、20-30cmの石が三層に積まれている。地層などの分析から古墳の付属物であることは間違いないが、ほかの出土品がなく、目的ははっきりしない。祭祀関係施設の可能性が高いが県内では類例がなく、規模判明と同時に新たな疑問点が浮上したとする。
 今回の調査では前方部の外側などを発掘し、従来の外堤想定ラインの外側に盛り土や敷石が見つかった。これまで、県内の前方後円墳では琵琶塚古墳(小山市=198.9m)が最長とされてきた。なお、墳丘の全長では吾妻古墳(壬生町=127m)が最長で、笹塚古墳は約100m。
[参考:下野新聞、2008.12.13吾妻古墳]
備考
2007年1月 
 笹塚古墳の発掘調査で、二重周溝と三段築成を確認。県内の大型古墳で二重周溝が確認されたのは3例目で、その中では最も古い(5C中頃)という。
 その2例とは、ともに小山市にある琵琶塚古墳と摩利支天塚古墳。[参考:朝日新聞]
2007年12月
 笹塚古墳は、周溝まで含めた総長が190mを超え、琵琶塚古墳、摩利支天塚古墳に匹敵する規模であることが分かった。葺石があり平坦面に埴輪が樹立するなど、典型的な畿内型大型墳墓であることから、中央との結び付きが強い首長の墓と考えられるという。[参考:下野新聞]
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