カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

末廣

2011年05月26日 | 京都
「鰻の寝床の穴子のお寿司。」

穴子寿司というと、当然、穴子が主役であるような、
それは、勿論のことなのだけれど、
実際、この押し寿司の酢飯は、絶妙のやさしさを内包している。

刺激とは無縁の、ほのかなほのかな酢の風味、
頬張る直前の香りにのみ、感じられる、
その存在は、おそらく千鳥酢なのであろう、
強い酸味以上に、むしろ戴く者の心に、深く深く印象付けられる。
湿り気が多い訳でもない、にもかかわらず、型崩れすることのない、
米粒同士が、かなり密着した、まさに、これ、箱寿司といった、その出来栄え。
一旦、型に嵌め込まれ、切れ味も鋭く、光った包丁で、
職人の手によって、すっぱりと切り分けられ、出来上がる。
調理の過程が眼に浮かぶような、手造りの美しさが、そこにはある。

そして穴子は、これもまた、やさしい。
ほのかな酢飯の風味、それと共存するかのように、
同じくほのかな、しかし、はっきりとした輪郭を持ったタレの風味、
そして、穴子独特の微かな微かな泥臭さ、
それ故の、穴子寿司としての個性は、存分に発揮されている。
それこそが、穴子を戴く、負の魅力と言っていい。
何もかもを、良きことのように言う必要はない、
微かに匂う、その悪魔的な要素にこそ、人は惹きつけられ、
それ故の、深み、そしてその稀有な価値を見い出すのだ。

例えばこれを、気候が許すならば、晴れた鴨川沿いに持ち出して、
のんびり河原で戴けるならば、その長閑さは、何にも変え難い記憶として、
おそらく死ぬまで、その記憶の中に残ることであろう。

例えばこれを、手土産に、病床のお見舞いになど持って行ったものならば、
この穴子寿司のやさしさ、奥深さが、その人のやさしさ、奥深さと勘違いされ、
実際以上に感謝されてしまいそうな、そんな風情の押し寿司。

購入後、カフェにでも寄るつもりが、
どういう成り行きか、持ち帰るつもりの穴子寿司で、
車中、腹を満たしてしまった。
思いも寄らぬ速さで腹中に収まり、姿を消した、
これも、穴子寿司の持つ、魔力なのであろうか。


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