カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

大西亭

2012年12月29日 | 大阪
「形而上的、男の料理」

原価というリスクを顧みず、己の良かれと思うものを己の能力のまま、食べる人のことなどおよそ想いも遣らずに作った料理、所謂、男の料理というのは其の程度のものであるだろう、少なくとも素人の場合。

そしてしかし、この大西亭にて提供される料理というのはおよそ其のような類のものではない手の込み様ではあるものの、それでも其れらは、イメージ、男の料理だったのである。

其れが顕著であったメインの料理、当初、いったい其れが何なのか、素材も味もおよそ想像も付かないと思わされた其の一品、切り分けてみると其れはパン生地に包まれた極太のソーセージであった訳であるが、勿論のこと其の調理に大雑把であるというような印象などおよそなく、全体を俯瞰してみればむしろ和風のテイストさえ感じさせる風味を漂わせ、ある種の繊細な一面さえ其処に存在する、微妙に凝った其のひと皿なのである。

では、何がいったい其処に男の料理というものを感じさせるのか、其れはきっと、何より人に驚きを与えたいという作り手の思惑、其のようなものが、そこはかとなく其の料理全体に現れているから、きっと其れ故なのだろう。

大西亭フレンチ / 野田駅(阪神)野田阪神駅海老江駅

昼総合点★★★★ 4.0


レストラン ピカタ

2012年12月23日 | 京都
「ベーコン・バナナ・ピザ。」

巷で偶に聞くフルーツ・ピザなるものには然程興味が湧かない。

其れが何故なのかと言えば、ピザの上でそのままの形を残したフルーツというのは、所詮見たまま果物の風味であるに過ぎず、それではちょっと料理であるとは呼べない、其処に味覚的なマジックが現れているとはちょっと思えない、其れは言わばおやつの類であって、たとえ其れによって腹が満たされたところで、きちんと食事したという満足感を味わうことはきっと出来ないことだろう、単純にそのように思われるからである。

だがしかし、食材にフルーツを用いた此の店で提供されるピザ、其れは、そのような上辺だけ艶やかなものなどではまったくないと、一見してわかるのだ。

何なら其れは、あえて言われなければ果物であるとはわからない地味な姿で、其のくらいピザという存在に馴染んだバナナやレモン、其の外見、其の風味というのは、正統派の具材そのものと不思議と一体化し、しっくりと馴染んだ、しかしやはり其れなりの個性を発揮しているという、此れはそんな未知のピザなのである。

其の果物以外の何ものでもない風味、そして存在感というのが、予てからの期待を裏切らない、しかし予想すら出来ない不思議な味覚であったのは、とてもとても喜ばしい。

明らかなバナナの甘い香りを漂わせ、少々癖のあるチーズと一体化した其の風味というのは、決して下手物でも何でもなく、未知の味覚を説明するのは本当に難しいことではあるものの、初見であってさえ其の味は決して悪くない、そして何より、およそ他では経験したこともない。

其の味覚についてあれこれと考えを巡らせつつ、着々と次々に口中へと運んでしまい、其の塩気の利いた生地の旨さも相俟って、あまりにもすんなりと抵抗なく胃袋に収まってしまう。

そして其の後、記憶を辿ってみると、よくよく見れば其処にバナナの欠片が確かに存在していたのではあるけれど、一見して何の違和感も感じさせない其の外見、其れ故なのか、既に其の味覚を思い出すのはちょっと困難なのが実際で、やはりもう一度食べてみなければと、ふとした時に思わされてしまうのだ。

レストランピカタイタリアン / 茶山駅元田中駅一乗寺駅
昼総合点★★★★ 4.0


グリル 椥

2012年12月19日 | 京都
「大粒で、とろとろ。」

さて、常に大粒で、いつもとろとろなのかといえば、其れは実際のところどのようであるのか、何しろ初めて訪れた店なので、ちょっとわからないのではあるけれど、とりあえず、その日に戴くことの出来た牡蠣フライによって抱かされた何よりの印象というのは、そのように惜しみなく賛辞を送るに不足のない大きさと食感、そして食後の満足感でありました。

風味も強く、これぞまさにと思わされたその牡蠣フライの質というのが、やはりそれでも時期や産地に大きく左右されるものであるのか否か、食べて美味しければ其れで良いというのが言うまでもなく究極の命題であるが故、あえて其処は料理人にあれこれ問わず、その目利き、その腕に全てを任せておきたいところではありましょう。

実際メニュウを眺めてみて、洋食屋である此の店で先ず戴くべきは、何をおいてもビフカツであると心に決め、そして実行したのではありますが、結果的には旬のものである牡蠣によって、より大きな感銘を受けた、其れが事実でありました。

そして、其れは其れで、むしろ良かったのではないだろうかと、その時期だけの一期一会に再度の期待を強く抱かされた、そんな日でありました。

グリル 椥洋食 / 椥辻駅
昼総合点★★★★ 4.0


そば四百年家

2012年12月13日 | 京都
「あたたかい蕎麦を、あたたかいつゆで。」

この辺りではまだ大きな古民家が改築されつつその風情を当然のように残しているのだ。

昔ながらの土間が在るそのままの造り、其処から一段上がる高い天井の広い座敷には、異様に広く大きな、机であるとも言えない高さの、しかし机でしかない物体が、其れはまるで滋賀県における琵琶湖のようにその面積のおよそほとんどを占めていると言っていい、イメージ上では。

其れがどのような類の様式に従ったものなのか、もしくはまるきり独自の形式なのか、いずれにせよ、其処にはある種の様式美というものが既に確固と存在している。

そしてその白く眩しく真新しいセイロをぱかりと開けると、玉手箱のようにもうもうと立ち昇る白い湯気によって視界は遮られ、あまりに新鮮でむせ返るような樹木の香りに惑わされ、その一時、その箱の中を窺い知ることはまるで出来ない、大袈裟でなく。

玉のようにこんもり丸く盛られたその蒸し蕎麦は、長らくもうもうと立ち昇る湯気に包まれ、その熱気が冷めて鎮まり、その後やっとその姿を現す、これはそういう仕組みのイベントなのだ。

蒸し蕎麦などと言うと、如何にも珍しい食べ物であるかのような先入観を抱かされるのではあるけれど、実際その蕎麦はこれぞスタンダードであると言っていい、其れ程に在るべき姿、そして在るべき風味の蕎麦なのである。

其れは其のつけ汁に関してさえも然りであり、其れも実は珍しいことに温かい汁であるということが、しかし気にならない、それくらいに好い意味でおかしな癖がない、とてもきれいな出汁なのだ。

其の諸条件ひとつひとつを鑑みれば、如何にも特別な蕎麦であるかのようでいて、実際に戴いている其の時には其の特別さを微塵も感じさせない。

其処に感じられるのは、只ひたすらに真っ当な蕎麦でしかない、其れもまた稀有なことではあるだろう。

そば四百年家そば(蕎麦) / 綾部市その他)
昼総合点★★★★ 4.0


スクニッツォ・ダ・シゲオ

2012年12月08日 | 大阪
「悠々、自適。」

こと客商売の場においては、どうやらケロッとした接遇が好みのタイプなのだと此処最近になって漸く気付いたような、そんな次第である。

勿論のこと威圧的な待遇など論外ではあるものの、かといって逆にあまりにも下手に出られたりしてしまうと、其処はきっとぞんざいなまでの態度で以って客としての立場を演じ切るるのが、実はその場の処遇として現実相応しくさえあったりもするのではあろうけれど、そのように面倒な薄っぺらい芝居染みたやり取りにわざわざ付き合うような類の優しさは持ち合わせておらず、もちろんその気もなく、実は其れはそんな自分で在りたくないという身も蓋もないひたすらに自分本位でしかない我侭がとことんの本音でしかないのではあるけれど、結局はそんな低姿勢に負けることのないようにと同じ土俵にまで降り、同じくらいにこうべを垂れて、場合によっては客としての立場を弁えない人物だと興醒めした商売人が鼻白む、そんなことも少なくないこの世間での在り様の中、程好くケロッとした接客に出会えたその時程に心穏やかに和める瞬間というのも実際そうはない。

本日は予約で満席です、との看板越しにちょっと覗いてみて、行けますか?あ、いいですよ、と、気軽にそんな返事がもらえたのは勿論幸運なことではあるけれど、もし其れが無理だったところで平謝りされてこちらが気まずい思いをさせられるような惨状は、きっとこの店ではなかったことだろうと思わせられる、そんなケロッとした様子、その調子、その風情だけで、此処は彼のひとり舞台なのであって、彼は誰に気兼ねすることもなく、だからその客も誰にも気兼ねする必要もない、きっと此処はそんな和やかな空間で、おそらくは在るがままに美味しく食事を全うすることができる処なのだろうと、その期待が膨らむ。

途切れることなく引き合いがあるからといって狭いスペースに無理に客を詰め込むようなことはせず、むしろ自分のペースで仕事が出来ない程に混むようならば、逆に営業時間を短縮し、その客数すら削ってしまう、あまりにも在るがまま、臨機応変で融通の利いたそんな在り方、其れを理想と呼ばずして何と言えばいいのだろう。

客が多いから時間を延ばす、求められるから従業員を増やす、そんなことはこの店、そしてこのシェフの在り方としては本末転倒なのがおそらくは真実で、何事も欲張らず、ひとりで出来る分だけ、ひとりでやりたいようにやる、其れこそが、何事によらずそうあるべき人としての在り方に違いない、たぶんきっと。

スクニッツォ・ダ・シゲオピザ / 天神橋筋六丁目駅中崎町駅中津駅(大阪市営)
夜総合点★★★★ 4.0


ダン ル シエル

2012年12月05日 | 大阪
「ひとり、戦う。」

陽も落ちた夕刻、再び前を通りかかると、既に開店予定の時刻は過ぎているであろうその店内に、しかし明りは灯っていない。

その日の昼間、覗いてみると、意外にもめずらしく、この人気店ですんなりと昼食を摂れそうな、そんなタイミングだったようで、それではと入店し、しかしその後は次々と表の列に連なる客の姿が、メニュウ看板の仕舞われてしまうまで途切れることのなかった、そんな風景とはおよそかけ離れた、その夜の静けさ。

当店のディナー・システムというのが、いくら完全予約制であるとはいえ、ひとりの客もいない、その陰気としか言い様のない風情は、昼間の賑わいを思うとやはり寂しいものだ。

今は薄暗い店内の奥、独りその厨房で明日のランチ、その仕込みを黙々とこなしているのであろうシェフの心持ち、それは決して晴れやかなものではないだろう。

その本領を発揮する場である筈のディナー、その営業時間帯に明日の昼に提供することになる25食程度×850円の下拵えをする。

実際そのランチにおける味わいの濃さ、そして塩の利き具合、その辺りに現れている何事かに、その料理人の内心抱く自信、そして言い様のない鬱憤を感じてしまう、それは果たして気のせいなのだろうか。

毎日々々サービス価格で提供されているそのメニュウ、同じ調理の繰り返しで、きっと本当に作りたいと思っている料理、やりたい仕事とはかけ離れた作業をその料理人は日々強いられていることだろう。

思うに、このままでいい筈はない。

一度訪れただけでそんなことを言うのもおこがましいのではあるけれど、だがあえて言いたい、このシェフは世間との戦い方をそろそろ考え直すべき時だと思う。

いつか、その努力が報われますように。

ダン ル シエルフレンチ / 大阪城北詰駅大阪ビジネスパーク駅天満橋駅
昼総合点★★★★ 4.0


ビストロ ダ アンジュ

2012年12月02日 | 大阪
「愛され続ける、其の理由。」

安易な話、ただ受け入れて貰いたいというだけなら、徹底的に自分を殺してその人に尽くせば、其れで大概は事足りてしまう、其れが実際である。

ひたすら自分の為に何かをしてくれるというような稀有な人物を、其れでもあえて距離を置いて遠ざけようという人など世の中にはおよそおらず、だがしかし、そう言いながらも追々自己を押し付けようとする気配が感じられるような場合には、やはり徐々にその親切が少々疎ましく感じられてくることになる、其れがよくある成り行きであり、其れは人情であり、例えばその末に痴情のもつれがあったりもするのだろう。

で、其れがいったい何の話なのかといえば、そういう押し付けがましい自己というものをおよそ感じさせない、其れがこのアンジュという老舗ビストロであったという話なのである。

其れは、その料理に限らず、店内に漂う雰囲気に限らず、店員の接遇に限らず、其処に在る何もかもに気に障るようなところがおよそない、この店の長い歴史を思えば、其の不在にちょっと気味が悪くなる、其れくらいに、在って然りである筈の押し付けがましさがまるで感じられないのである。

手間隙かかった凝った料理、その風味というのは、口に運んで実際咀嚼してみると意外な程にストンとしていて、勿論ある面においては充分に満足させられはするのだけれど、其れでも何処か心の片隅では拍子抜けさせられてしまっているような自分を確かに感じる。

繁華街の地下にある穴蔵のようなその店内には、多くは若い女性がみっしりと詰め込まれ、立って手洗いに行く隙間すらないその席で、しかし、ゆっくりじっくりと料理を味わい、其れらしく、大人しく会話を交わしている、そんな風情である。

そんな彼女らの肥えた舌に見合うクオリティはしっかりと内包しつつ、しかしその料理とはおよそ関係のない会話を微塵も邪魔するようなことはない、そんな味わい、勿論彼女らは其れこそを求め、行列を厭わず足繁く此処に通うのであろうけれども、長い長い年月、只ひたすらにどのような自己をも主張せず、これらの料理が彼女らの味覚に尽くしてきたのであろうことに思いを馳せると、正直、何だか少し寂しい、そんなような気がするのは、その日その時、偶々自分が数少ない男性客であったから、もしかすると其のせいだったのだろうか。

ビストロ ダ アンジュフレンチ / 大阪難波駅心斎橋駅なんば駅(大阪市営)
昼総合点★★★★ 4.0