語弊を怖れず言うのなら、割合に愉しげな雰囲気すら漂う、漫画的な程に、面白く読めてしまう作品である。
勿論、作者本人は、共産党の活動員として国家により拷問を受け、結果、死亡したのだから、小説を読むまでもなく、誰しもが、この作品をシリアスに受け取るのは、当然のことであり、その内容も、全く真剣ではある。
だが、その活動の在り方、その未来に関して、著者は出来得る限りに楽観的であり、困難ながらも前向きな姿勢が活き活きと描かれているのが、特に「党生活者」の実際である。
要するに、読む前に抱いている先入観では、苦しいばかりの内容のように思っていた物語が、実際には、希望の光が射す、そのような傾向の心象風景が描かれている作品であるという訳である。
実際、古今東西、世界は一部の裕福層が、遠回しに全てを支配しているのが現実で、つまり、金持ちを目指す人間は、絶対にそれらの支配階級に辿り着くことはない、金を儲ければ儲ける程に、それでも庶民の出は、そういう意味では下層の人間でしかないと思い知らされるのが、世の中の仕組みな訳である。
要するに、自由を得て、幸せになろうと思うのであれば、そのような拝金主義を否定し、個人的な自分だけの喜びを、庶民は見つけるしかない訳であるが、それすら脅かされる世の中というのが、あえて具体的に言えば、テロリズムさえ許される、そのような状況な訳で、今現在、世界はそのような結末に向かいつつある、そんな世相であると、充分に言える状況であろう。
その流れを止める方法というのは、実際わかり切っていて、今現在の裕福層が、富の再配分をするしか、道はない。
法的に所得に制限を設け、累進課税を強化し、一定以上の財産の所有を、個人にも企業にも許さない。
それが世界的に徹底されれば、世の中の貧困層が、劇的に減少するのは明らかである。
ただ、問題は、そのような法案を作る人間、議員、官僚自身が、金持ち、もしくは、金持ちの手先でしかない現実で、例えば、小林多喜二が、小説家として、この腐った世の中を、皆が同等の所得を得られる、そんな平等な社会に変えたいと思うのであれば、根本的には、力を持った人間、裕福層の人間の性根を、人が汗して働いた結果を横取りする、搾取は恥ずかしいことなのだと、心底わからせる、魂を根本から揺さぶるような作品を目指し、書き上げるべきであっただろう。
故に彼は、作家としての資質を十二分に持ちつつも、実際、小説家というよりは、むしろ、活動家であったと、言える。
勿論、作者本人は、共産党の活動員として国家により拷問を受け、結果、死亡したのだから、小説を読むまでもなく、誰しもが、この作品をシリアスに受け取るのは、当然のことであり、その内容も、全く真剣ではある。
だが、その活動の在り方、その未来に関して、著者は出来得る限りに楽観的であり、困難ながらも前向きな姿勢が活き活きと描かれているのが、特に「党生活者」の実際である。
要するに、読む前に抱いている先入観では、苦しいばかりの内容のように思っていた物語が、実際には、希望の光が射す、そのような傾向の心象風景が描かれている作品であるという訳である。
実際、古今東西、世界は一部の裕福層が、遠回しに全てを支配しているのが現実で、つまり、金持ちを目指す人間は、絶対にそれらの支配階級に辿り着くことはない、金を儲ければ儲ける程に、それでも庶民の出は、そういう意味では下層の人間でしかないと思い知らされるのが、世の中の仕組みな訳である。
要するに、自由を得て、幸せになろうと思うのであれば、そのような拝金主義を否定し、個人的な自分だけの喜びを、庶民は見つけるしかない訳であるが、それすら脅かされる世の中というのが、あえて具体的に言えば、テロリズムさえ許される、そのような状況な訳で、今現在、世界はそのような結末に向かいつつある、そんな世相であると、充分に言える状況であろう。
その流れを止める方法というのは、実際わかり切っていて、今現在の裕福層が、富の再配分をするしか、道はない。
法的に所得に制限を設け、累進課税を強化し、一定以上の財産の所有を、個人にも企業にも許さない。
それが世界的に徹底されれば、世の中の貧困層が、劇的に減少するのは明らかである。
ただ、問題は、そのような法案を作る人間、議員、官僚自身が、金持ち、もしくは、金持ちの手先でしかない現実で、例えば、小林多喜二が、小説家として、この腐った世の中を、皆が同等の所得を得られる、そんな平等な社会に変えたいと思うのであれば、根本的には、力を持った人間、裕福層の人間の性根を、人が汗して働いた結果を横取りする、搾取は恥ずかしいことなのだと、心底わからせる、魂を根本から揺さぶるような作品を目指し、書き上げるべきであっただろう。
故に彼は、作家としての資質を十二分に持ちつつも、実際、小説家というよりは、むしろ、活動家であったと、言える。