「其処にある、距離。」
一応はダイエットを心掛けている、其の筈なのに、日々旨いものを捜し求め、其の眼を爛々と光らせているという、矛盾した自己を身内に抱える婦女子であったり、医者に親身に止められるまでもなく、もう既に栄養価の高い濃い食べ物を其の胃に受け付けなくなってしまった気の毒な年配層であるというのなら兎も角、やはり、本格的なイタリアンを味わいたいという欲深い願望と共に此の料理店を訪れる客というのは、あえて何かを犠牲にしたとしても、其の自虐的と言って過言ではない刺激を、其の日、其の時、重々に覚悟の上で、其の場処に、勇み、馳せ参じるものなのではないかと思うのだ。
無謀とも言い得る其の気負いさえ上回る、そんな何かを求め、あえて打ちのめされんが為にやって来たと言って過言ではない者にとって其の味は、実際のところ、おそらくは過度の気遣いによって角の取れてしまったかのような印象を受けざるを得ない、失われた原初的インパクト、其の不在を感じさせられる調理であったのが、少々拍子抜けさせられたと正直言えなくもない、そんな風味であった。
其のパスタは、此れまでに出会った中でも指折りの濃厚さと旨みに満ちた、上出来のソースであった、其れだけに、其の足りないと感じさせられる何かが、やはり其処にあって欲しいと願わずにはいられない、其れさえあれば、当初の望み通り、其の味わいに打ちのめされることが出来たのにと、残念でならない。
そして、あと一歩足りない其の何かというのは、言うまでもなく、単純に塩のもたらす辛さであり、各人が自由に使うことの出来るこだわりの岩塩を各テーブルにひとつづつ置く、其れだけのことで十分に補える率直な味わいである。
勿論のこと其処に拘りがあるからこそ、卓上に客任せの調味料を置くことなく、成り行き、提供された其の味付け其のままで其の料理を食べ切るしかない、そんな企みなのではあろうけれども、顔馴染みに対する贔屓であるとか、あるいは、調理の振れであるとか、そんな無責任な批判など怖れることなく、日々、其処に置かれた調味料の減り具合で以って、訪れる客の味覚と、基本的調理、其の味付けとの距離感を測るというような、ある面リスクさえ抱えることになる、そんなスリリングな関係こそを、其れでも前向きに受容する器量を常々見せて行ければ、いつか其の内、遠くない未来には、実は妥協でしかない優しさでも、単に自己満足に過ぎない厳しさでもなく、自ずと無意識に、此の料理店を訪れる客も其の大きさと深さを感じさせられ、打ちのめされることになる、そんな日が来るに違いない。
一応はダイエットを心掛けている、其の筈なのに、日々旨いものを捜し求め、其の眼を爛々と光らせているという、矛盾した自己を身内に抱える婦女子であったり、医者に親身に止められるまでもなく、もう既に栄養価の高い濃い食べ物を其の胃に受け付けなくなってしまった気の毒な年配層であるというのなら兎も角、やはり、本格的なイタリアンを味わいたいという欲深い願望と共に此の料理店を訪れる客というのは、あえて何かを犠牲にしたとしても、其の自虐的と言って過言ではない刺激を、其の日、其の時、重々に覚悟の上で、其の場処に、勇み、馳せ参じるものなのではないかと思うのだ。
無謀とも言い得る其の気負いさえ上回る、そんな何かを求め、あえて打ちのめされんが為にやって来たと言って過言ではない者にとって其の味は、実際のところ、おそらくは過度の気遣いによって角の取れてしまったかのような印象を受けざるを得ない、失われた原初的インパクト、其の不在を感じさせられる調理であったのが、少々拍子抜けさせられたと正直言えなくもない、そんな風味であった。
其のパスタは、此れまでに出会った中でも指折りの濃厚さと旨みに満ちた、上出来のソースであった、其れだけに、其の足りないと感じさせられる何かが、やはり其処にあって欲しいと願わずにはいられない、其れさえあれば、当初の望み通り、其の味わいに打ちのめされることが出来たのにと、残念でならない。
そして、あと一歩足りない其の何かというのは、言うまでもなく、単純に塩のもたらす辛さであり、各人が自由に使うことの出来るこだわりの岩塩を各テーブルにひとつづつ置く、其れだけのことで十分に補える率直な味わいである。
勿論のこと其処に拘りがあるからこそ、卓上に客任せの調味料を置くことなく、成り行き、提供された其の味付け其のままで其の料理を食べ切るしかない、そんな企みなのではあろうけれども、顔馴染みに対する贔屓であるとか、あるいは、調理の振れであるとか、そんな無責任な批判など怖れることなく、日々、其処に置かれた調味料の減り具合で以って、訪れる客の味覚と、基本的調理、其の味付けとの距離感を測るというような、ある面リスクさえ抱えることになる、そんなスリリングな関係こそを、其れでも前向きに受容する器量を常々見せて行ければ、いつか其の内、遠くない未来には、実は妥協でしかない優しさでも、単に自己満足に過ぎない厳しさでもなく、自ずと無意識に、此の料理店を訪れる客も其の大きさと深さを感じさせられ、打ちのめされることになる、そんな日が来るに違いない。