カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

プッチーロ

2013年05月26日 | 京都
「其処にある、距離。」

一応はダイエットを心掛けている、其の筈なのに、日々旨いものを捜し求め、其の眼を爛々と光らせているという、矛盾した自己を身内に抱える婦女子であったり、医者に親身に止められるまでもなく、もう既に栄養価の高い濃い食べ物を其の胃に受け付けなくなってしまった気の毒な年配層であるというのなら兎も角、やはり、本格的なイタリアンを味わいたいという欲深い願望と共に此の料理店を訪れる客というのは、あえて何かを犠牲にしたとしても、其の自虐的と言って過言ではない刺激を、其の日、其の時、重々に覚悟の上で、其の場処に、勇み、馳せ参じるものなのではないかと思うのだ。

無謀とも言い得る其の気負いさえ上回る、そんな何かを求め、あえて打ちのめされんが為にやって来たと言って過言ではない者にとって其の味は、実際のところ、おそらくは過度の気遣いによって角の取れてしまったかのような印象を受けざるを得ない、失われた原初的インパクト、其の不在を感じさせられる調理であったのが、少々拍子抜けさせられたと正直言えなくもない、そんな風味であった。

其のパスタは、此れまでに出会った中でも指折りの濃厚さと旨みに満ちた、上出来のソースであった、其れだけに、其の足りないと感じさせられる何かが、やはり其処にあって欲しいと願わずにはいられない、其れさえあれば、当初の望み通り、其の味わいに打ちのめされることが出来たのにと、残念でならない。

そして、あと一歩足りない其の何かというのは、言うまでもなく、単純に塩のもたらす辛さであり、各人が自由に使うことの出来るこだわりの岩塩を各テーブルにひとつづつ置く、其れだけのことで十分に補える率直な味わいである。

勿論のこと其処に拘りがあるからこそ、卓上に客任せの調味料を置くことなく、成り行き、提供された其の味付け其のままで其の料理を食べ切るしかない、そんな企みなのではあろうけれども、顔馴染みに対する贔屓であるとか、あるいは、調理の振れであるとか、そんな無責任な批判など怖れることなく、日々、其処に置かれた調味料の減り具合で以って、訪れる客の味覚と、基本的調理、其の味付けとの距離感を測るというような、ある面リスクさえ抱えることになる、そんなスリリングな関係こそを、其れでも前向きに受容する器量を常々見せて行ければ、いつか其の内、遠くない未来には、実は妥協でしかない優しさでも、単に自己満足に過ぎない厳しさでもなく、自ずと無意識に、此の料理店を訪れる客も其の大きさと深さを感じさせられ、打ちのめされることになる、そんな日が来るに違いない。

プッチーロイタリアン / 四条大宮駅大宮駅丹波口駅
昼総合点★★★★ 4.0


コーヒーハウス マキ

2013年05月17日 | 京都
「安らぎの、裏の顔。」

裏と表と、どちらがいいか、此れまでは、表の顔すら気にもかけず、ただ通り過ぎるだけだったのだから、其処には選択の余地などまるでなく、特に入ってみたいと思うようなことも正直なかったのだけれど、だが実は、この店の入口、もしくは出口というのは、一見、其れが表に思える河原町側だけではなく、裏側然とした加茂川沿いにもこっそりと存在したのだ。

加茂川を臨む其の出入り口というのは、何となく、しかし必然的に裏口扱いではあるのだろう、だが実際は、色々な面において其方側の方が使い勝手が好く、尚且つ、ちょっと秘密の扉であるかのような感じがしないでもなく、そこはかとなく、心躍る、そんな雰囲気がなくもない、但し、面しているのは南向き一方通行の小路なのではあるけれど。

先ず、具体的に、其処には狭いながらも駐車場がある、常々車で移動する者にとって、其れは非常に助かるのではあるけれど、実は四台停めることのできる内の二台分は、どうしても二重駐車になってしまう、其れがちょっと難儀ではある、だが勿論のこと、駐車場がないよりは随分といい、其れは言うまでもない。

取り立てて重厚であるというような印象ではなく、かといって流行りのカフェのような明るさ、其れ故の軽薄さというものも漂ってはいない、如何にも実直な其の店内で、そんな印象と同じく、如何にも在るがまま、揺るぎなく自然体の珈琲と、合わせて虫養いに何かを戴き、過不足なく満足して其の場を後にする。

そしてもし、駐車場で自分の車が奥に詰まってしまっているようなことがあったとしても、あえて店内に戻り、寛ぐドライバーに声を掛けて其の車を除けてもらうようなことはせず、加茂川を眺めるベンチに、気長にのんびり腰掛けて待てばよい、思いもかけず、其の日の休憩時間が少し伸びたと、いつも、自然と鷹揚に喜べるような、そんな人間になれるといいなと、川縁で初夏の風に吹かれていると、思うことができるものなのだ。

コーヒーハウス マキ喫茶店 / 出町柳駅今出川駅
昼総合点★★★☆☆ 3.5


セ・デュール

2013年05月11日 | 京都
「己を、試される。」

其の仕業を周りの人がどのように感じるのか、そんなことより何よりも、先ずは、驚かせたい、そして、あわよくば其のことで喜んでもらえたならば、其れはまさに、しめたものだと思うのが、無邪気な子供心、其の一面ではある、だが、いい大人は素直にそうは思えない、相手に好意的に受け取られるかどうか、言うまでもなく其れが第一で、勿論のこと、嫌われたり、馬鹿にされたりしたくはない、自分は勿論、其の所業によって身内までもが世間に舐められてしまうようなことになるかも知れない言動、例えば、お洒落のつもりでちょっと髭を伸ばして出社しようものなら、其れだけのことで傲慢だと思われかねない、例えば、誰もが気になってはいながらも、其の落とし処の見当がつかないような話題を、あえて自ら率先して持ち出すようなことは避けるなど、そのような些細なことを、意識するまでもなく嫌忌し、己という存在から遠ざけ、実は心底、怖れている、多かれ少なかれ社会人とはそういうものである。

だが、そんな常識などものともせず、例えば、己の作った料理に、ナイフやスプーンを突き刺した上で提供することによって受けを狙い、其の内容や分量さえ行き当たりばったりに決められているのではないかと思えるような自由な店というのも、広い世の中なくはない、其れは、此処に至って事実であった。

その場において予告された通り、和風のどんぶり鉢にて提供されたパエリアと称する料理は、風味に関しては、此れがパエリアというものだと言われれば、そうなのかも知れないとあえて思えなくはないものの、実際のところ、到底、所謂パエリアと区分されるものに見えるような代物ではない。

しかし其れでも、厚焼き卵のような覆いの下には、海老に椎茸、サーモンの切り身などがゴロゴロと内包され、具はたっぷり、ボリュームはこれでもかというくらいに十二分で、お出汁的風味の染み出した創作料理風の味もそこそこであるとなれば、其の内容に関しては、頸を傾げつつも黙して満足する外ない、あとは、料理のど真ん中にスプーンが突き刺さっている其のことを、人それぞれ、各々がどのように受け取るか、其れ次第である。

そんな在り方に対し、お愛想でちょっと笑う素振りはしたとしても、実は内心面白くない、実際、己の求めている風情とは程遠いと感じる人がいたとしても勿論おかしいことではない、いや、むしろ、其れは注意されて然るべきことだと思う、其の感覚こそ、大人らしさというものであるのかも知れない、己の思い描く価値観の範疇において、こういう料理店が世の中にあってもいいものなのかどうなのか、実のところ、此の店の遣り方ではなく、此処を訪れた其の人こそが、其の辺りの度量を試されている、此処はそんな場であるのかも知れない。

セ・デュール (西洋各国料理(その他) / 烏丸駅烏丸御池駅四条駅(京都市営)
昼総合点★★★☆☆ 3.5