カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

ムッシュふらいぱん

2012年07月27日 | 京都
「世間へと、歩み寄る。」

思うようにやってみた自分の仕事が認められることと、認めてもらわんが為にあえて為された仕事、その両者の間には、多くの他者に評価され、同じく結果を出したとしても、とてもとても大きな断絶が存在し、そしてカゲロウは、その後者の類の仕事というのが実は大嫌いである。

その仕事振りというものは、どのような類の仕事であれ一見すればおおよそ直感的にわかるもので、後者の結果というのは、いつもいつもありきたりな大衆寄りでしかないのが殆どのことである。

その大衆性を以って非難されるようなことなど、世間的にはあってはならないことであるというような正論に対し、言い訳染みた異論を述べるつもりなど勿論ないのではあるけれど、それでも好きになれないものは仕方がない、直感的に好きだと感じられないものを無理に好きになろうと努力するような時間が惜しい、それくらいに人生というのは誰にとっても短過ぎる、それが現実というものなのだ。

兎も角、この店の料理というのは、明らかに前者の香りがプンプンする、つまり、己が良かれと思う料理を、思う存分に世間に提供してみせて、商売なんぼ、そういう心意気のようなものを、その商品そのものが発散している、そこが先ず好ましいのである。

そのハンバーグからは肉汁が溢れ出すというのではなく、オムライスの卵がふわりとろりとしているというのでもない。
味わいに奥行きがあるというのではなく、重層的というのでもない、料理そのものにしっかりがっちり厚みがあるとでもいうのだろうか、勿論のことそのボリュームを以ってそのように述べているのでもない。
重要なのは流行り廃りや表面的なことなどではなく、時流に合わせて客に媚びること以上に大事な何かが確かにあるということを、この店の料理は表現している、そう感じさせられるのである。

ありきたりな喫茶店からの延長線上、その惰性で提供されがちな緩い料理、それが所謂大衆的洋食であるという現実、そういう面というのも、世の中、無きにしも非ず、そしてこの、ふらいぱんという緩い店名に、先ずはそういう先入観を個人的には抱かせられたという実際も、無きにしも非ずというのが正直なところではある。

だがおそらくは、どうしても、料理に関しては譲れない、そう、だから、世間へのせめてもの歩み寄り、それこそが、この、ふらいぱんという緩い命名、その由来だったのではなかろうかと、また別の面で譲らぬ美意識を体現する、このバーそのものの体裁を持った洋食店で舌鼓を打ちつつ、カゲロウは邪推するのであった。

ムッシュふらいぱん洋食 / 小野駅椥辻駅
夜総合点★★★★ 4.0


山の家 はせがわ

2012年07月21日 | 京都
「京見の、峠。」

その昔、名高い天狗や怖ろしい鬼、そして、タイヤを軋らす悪名高い走り屋などが跋扈したという京見峠(現在の道路には減速帯が敷かれてイマス)、周山街道が拓けるまでは、この峠こそが鯖街道であったという、由緒正しくも、何処かおどろおどろしさ漂う、そんな風情のこの峠。

だがしかし、今現在、当然のこと此処は地元の住民にとっての生活道路であり、通りすがりにとっても便利な裏道である。
十何年もの間、年に何度かこの薄暗く狭い峠道を通る機会というのが、個人的にはちょくちょくあって、頂上付近にあるその店の看板を知らなかったという訳では勿論なかったが、其処に足を踏み入れるのは、何故かこれが初めてのことだった。

奥まったその建物は、通りすがりの道路からは視界に入らず、その全貌は眼に見えず、鬱蒼とした樹木に覆われたその雰囲気は、ちょっと人を寄せ付けない、そんな風情がなくもない。

ところが、機会を得て訪れてみたその店内というのは、実際のところ思った以上に広く明るく、しかも、寂れても草臥れてもいない、ちょっと驚く、それ程に理想的なレジャー空間ですらある。
ずらりと並んだ木製のテーブル、その半数にはBBQ用のコンロが設置されているようで、しかも、戸外でもあり屋内でもあるといえるその設えというのが、非常に開放的で、その風情というのは、此処を訪れた誰しものBBQ魂を、これでもかと揺さぶること請け合いである。

そして実は、これまで道路沿いにあるその店の看板の文字すら、しっかりと確認してはいなかったのであるが、この店というのは、あのハンバーグで有名な北大路にあるはせがわの姉妹店であるという。

つまり、その雰囲気だけでなく料理内容に関しても、程々には間違いないという折り紙付きであり、ナルホド、確かに、見覚えのあるハンバーグ、そしてその味である。
ボリュームは充分、お値段もそこそこで、更にこの環境というのは、実際その本店以上に得るものも多い、事実そう感じるのではあるものの、しかしやはり、それでもその存在を知らぬ人にとっては、あらゆる面で非常に距離を感じさせる、そんな店であることも、実際間違いなく事実であることだろう。

山の家 はせがわハンバーグ / 京都市北区その他)
昼総合点★★★★ 4.0


麩嘉

2012年07月15日 | 京都
「あなたが静かなひとならば。」

どっしりとした風格のある町屋の玄関の、少々コミカルなお多福の暖簾をくぐって中に足を踏み入れると、ひやりとした石畳の土間があり、その一段上に床の間があって、その座敷、もしくは向かい側にある縁側のような椅子に腰掛けることが出来るのではあるけれど、そんな腰掛け以外には、飲食店としての調度というものが其処にはまったく存在しない。

それもそのはず、此処は手土産にする商品の受け渡し、その為の場処でしかなく、そもそもこの場は何かを食べるために設えられているという訳ではない、それはごく一般的な、むかしの家庭の床の間と同じことで、其処に一歩足を踏み入れれば、その了見は即座にわかる、むしろ、それを察することが出来ないほうが、どうかしている。

ただ、あなたが物静かで、奥床しく、無理なく客人として歓迎されるようなひとならば、一通りの歓待は、そんな場処にもあるかも知れない、一杯のお茶とともに、その手土産の品を、ちょっとその場で戴くことも出来るかも知れない。

甘味処の饅頭とは、ちょっと違う、その麩饅頭。
餅は餅屋、という言葉が、ふと脳裏に浮かぶ、此処は餅屋ではなく、あくまで麩を専門に取り扱う御店なのだ。
つるりとした表面の麩は、包まれた薄味の餡とはあくまで一体化せず、口中においてもやはり麩でしかない、そんな存在感を保っている、これは饅頭であって饅頭でない、そんな印象、此処はやはり甘味処ではないのだ。

ほっこりした心持ちを抱かせるに足る店構えではあるけれど、それでもそれは、あくまで風情であって、此処には飲食店としてのシステムはなく、そのサービスは、あくまで心遣いでしかない。
だから、たとえ客という立場であろうとも、あつかましく、何やかやを要求していいというようなことでは、決してない。

他の幾らかの御店のように、時として、都合によっては、その申し入れを断られる、そんなことすらあるのかも知れない。
だがしかし、もしそんな不仕合わせがあったとしても、それを不満に思うのは、心得違いであるに違いない。

自分の身になって思えば、最低限、失礼にはならない、それ以上には、あえて歓迎などしたくない、実際そんな客だって、世の中幾らでも居るのだから。

麩嘉和菓子 / 丸太町駅(京都市営)二条城前駅


サルティンバンコ

2012年07月07日 | 京都
「同じ流れの、澱みと変化。」

なるほど、そんな雰囲気を予想してはいたのではあるが、此処は、近々移転先の店舗が御所の南にオープンするという、出町柳のあの有名イタリアンの、おおよそ完成を見た形を体現する、そんな風情、そして料理であった。

評価の程は抜群なれど、何処か其処彼処に甘さを感じさせた先の店というのは、如何にたった独りで調理場を回しているという事情があるとはいえ、何処となく、初めての訪問であってさえ、正直、マンネリズムを感じさせるものではであった。

だがしかし、それと比較して、この店舗は同じ流れ、同じ雰囲気のイタリアンでありながらも、全く何処にもそれがない、そのように感じさせられる。

そのオープン以来、様々の変化を試みてきたのだろう、何もかもが計算されつくし、それらが客に不満を抱かせることなく、そんな全てが然も当然であるかの如くに落ち着きを見せ、その風景に馴染んでいる。

何かと追加料金の発生する仕組みのランチ、その価格設定でさえ、結果、食後は不満を感じさせられるようなこともない、むしろ、注文した以上に何かをプラスしなかった、そのことに、多少の悔いを感じさせる、そんな料理の内容であり、行き届いたサーブである。

随分と以前からこの店の存在を知りつつも、何故か足の向くことのなかったその訳というのは、おそらくはその安定してしまったイメージに対し、何処か詰まらなさを予感していたから、そういうことなのだろうけれど、それでもそんな先入観というのは、やはり先入観でしかなく、実際に訪れてみれば、その完成度と新鮮さに感心させられることしきりで、良いものはやはり良い、そして、その良い訳というのは、きっと其処に、澱みのようなものを感じさせない清涼感のようなものがあったからに外ならない。

サルティンバンコイタリアン / 烏丸御池駅丸太町駅(京都市営)二条城前駅
昼総合点★★★★ 4.0