カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

情熱うどん伊和正

2018年01月01日 | 兵庫
「そういう、こと。」

それはつまり、こういうことなのであろうか。

席に着いて先ず迷うのは、メインである饂飩そのものの温冷いずれを戴くかに始まって、ボリュウム感に溢れたトッピングのバリエーション、そしてセット・メニュウの丼ぶり物の魅力、其の選択肢の多さである。
悩みに悩んで結局注文することになるのは、其の訪問が初回であるのならば、およそ基本的であろうと思えるメニュウに落ち着くのではあるけれど、其のお品書きに一旦眼を通してしまった以上、これはまた来なければいけないなという気にさせられること必至である。

ただ、其の饂飩そのものに強烈なインパクトがあったかどうかという点になると、そこは魅力あるトッピングによって饂飩本体の存在感が霞み気味であることを差し引いて考えてさえ、然程ではない。艶やかで美しく、喉越しの好い饂飩であるのは確かなのだけれど、其の喉越しの好さ故に、むしろ後々心に残らない。

では何故このようなカタチにて提供されるに至ったのか、其処のトコロを考察してみると、何のことはない、素饂飩だけでは客単価が上がらない、おそらくはそういうことなのであろう。故に程々の金子を支払うに満足たる内容を提供するということになれば、饂飩本体以外のモノにて其れを補う外はない。其の結果、むしろ、魅力あるトッピング、そしてセットの邪魔をしない、つまり、あえて強く個性を主張することはない饂飩を提供するというカタチと相成ったワケではあろうが、さて、其れでは本末転倒であるような気がしないでもないのではあるけれど・・。

情熱うどん伊和正うどん / 畦野駅山下駅笹部駅
昼総合点★★★★ 4.0


中島大祥堂 丹波本店

2017年10月10日 | 兵庫
「女性的、なるもの。」

ちらと見渡す限り、其処に男性の姿はない。客も給仕も、炎の見える熱い窯でピザを焼く料理人さえも、店内に存在する其のすべてが、まさに女性的なものばかり。楚々とした空気の中で立ち働く彼女らは、一種、森の小人たちのように感じられなくもない。健気に客に奉仕することを自らの喜びとし、其の勤勉さは絶え間なく、訪れた客が子連れと見るや、偽りのない笑顔で以て其の子らを迎え入れてくれる。

だが、其の雰囲気による先入観、そして一見した印象によって、かなりのヘルシー志向、つまり薄味であろうことを覚悟していた料理そのもののお味はといえば、意外にもしっかりとしたアクセントのある、不足のない味付け。所謂、線が細いばかりの女性の仕事かと思いきや、実は、実際的な田舎のお母さんがこしらえてくれた、ふくよかな旨みを内包した料理に感じられたのは、彼女らの幼子に接する柔和な笑顔によって、幾分かバイアスのかかった味わいであったのだろうか。

此処、兵庫の中部、柏原なる土地を、有体に僻地と呼ぶべきなのか、あえて地方都市と呼ぶべきなのか、其処のところは実際わからないのではあるけれど、少なくとも幾らか労して遠方から来るような者にとっては、むしろ好い意味での田舎であり続けてもらいたい、其のように感じた次第である。

中島大祥堂 丹波本店カフェ / 柏原駅

昼総合点★★★★ 4.0


モノイレ カフェ

2015年12月28日 | 兵庫
「あえて、言う。」

言うまでもなく、「非の打ち所がない」などという物言いというのは、或る一方的な見方によってしか出て来ようのない見識であって、実際には、誰にとっても「非の打ち所がない」などというものは、此の世の何処にも存在し得ない。
あえて言うならば、むしろ、其の「非の打ち所がない」と思わされてしまうような、そんなところこそ、まさに気にくわないというような、骨のある見識にこそ世の真実が見え隠れする、其のようにも思える今日この頃である。

其れはさておき、お洒落でありたいと望む子連れの奥様方にとっは、まさに、「非の打ち所がない」存在である此のカフェではあるものの、此処は、こと「食べること」に執着する者にとっては、むしろ物言いの頻発する食事処であることは、言うまでもない。

食事そのものが突出して美味である、もしくは比較的ボリュームがあるという訳ではなく、ひとり落ち着ける空間であるという訳でもない。グルメにとっても、いわゆるカフェ好きの人物にとっても、何のメリットもない此の店ではあるけれど、其れでも一時或る種の境遇に閉じ込められた、内心孤独な人たちにとっては、数少ない憩いの場と成り得るのが、此の特殊な、子連れを推奨する雰囲気の面白カフェなのである。

だから、あえて言うことが出来る。此のカフェには、むしろ其の存在価値があるのだ、と。

モノイレ カフェカフェ / 丹波大山駅
昼総合点★★★☆☆ 3.5


お食事処 みつおか

2015年08月08日 | 兵庫
「此の街の、素顔。」

それでも此の八月の猛暑を思えば、まだ心地好いとさえ言い得たのかも知れない七月の半ば、不意にひとり昼食をとる成り行きとなったこの馴染みのない街で、事前に某所にて多少の情報を仕入れていたとはいえ、其の店の居心地の好さというのは内心期待していた其れ以上のものであった。

ただでさえ狭い住宅街の細い路地、途中、道路工事などもあり、車中の冷房が効いていてさえ、心なしか熱気を感じさせるような過剰な陽気。そんな昼前、まだ馴染みの客の顔のひとつもない開店直後であるにもかかわらず、怪訝な顔のひとつもあっておかしくない其の状況で、ひとつの曇りもない愛想で以って初めての客を迎え入れる其の姿勢というのは、世の中何事であれ、そうであって然りとはいうものの、実際なかなか御目にかかれるものではない。

天ぷら定食などという、調理するに面倒であることが想像に難くない代物を注文したにもかかわらず、食べ終わって尚、ゆっくりしていってくださいと声がかけられたのには、さすがに恐縮であった。ボリュームのある揚げたての天ぷらは勿論のこと、その他の副菜も充実しており、甘辛く、思いの外といっていいくらいに充分な味付けで、期待通りに食べ応えもあり、しかもご飯のおかわりはどうかとまで訊ねてくれる。

意識に上る程に内心孤独を感じていたというようなこともないのだけれど、其れが商売であるとはいえ、知らない街で不意に此のような歓待を受けて、取り立てて気を引くようなものもないけれど、なんとなくこの街は好い処だなぁなどと思えてしまうのは、早合点ではあるのかも知れないけれど、こと此の料理屋においては、少なくとも事実なのである。

お食事処 みつおか定食・食堂 / 多田駅
昼総合点★★★★ 4.5


小西のパン

2014年11月16日 | 兵庫
「黄色い生地と、黒い豆。」

其処に幾許かの思い入れや個人的なこだわりがあるという訳ではなく、とりたてて胸に抱く密やかな思い出がある訳でもない。だがしかし、此れは何やら不思議と懐かしいと感じさせる、そんな黄色い生地の小ぶりなパンなのである。あえて世間の風潮には流されず、八方美人的に漂白されていない、其処がまた好感の持てるところ。

勿論のこと、殊に巷にアピールされるべきは、其の生地の其処此処に包み込まれた、大粒の黒豆、其の存在なのだろう。

そう、丹波篠山の名産といえば、ふんだんな黒豆、其の期待に違わず、大粒の黒豆が、型崩れせずしっかりと在るべき姿のまま、たっぷりと練り込まれたパンではある。だがしかし、とりたてて其の風味が生地と一体化しているというのではない分、其のパン生地と大きな黒豆が、あまり関係のない、別々のものとして口中にて存在している、其のような食感はどうにも否めない。だから駄目だというのではないけれど、ひとつのパンとして、両者が同居している意義を見出だすことは、果たして此処ではちょっと難しい。

だがむしろ、其のような状態であるからこそ、名産である黒豆を存分に味わうことが出来るのだという声も、勿論のこと、あるのだろう。だからこれは、パンという存在、其のひとつの作品というよりは、黒豆ありきであり、つまり、篠山の名産と呼ばれる此の黒豆、其の食材を使った多くの商品というのは、此のような在り方が、実は其のおおよそであるというところは、あえて否めない印象なのである。

小西のパンパン / 篠山口駅
昼総合点★★★☆☆ 3.5


大連

2014年09月07日 | 兵庫
「其の様に、在り続けること。」

真摯なオペラがBGMとして厳かに響く中、同時に其の店内では、大型のプラズマテレビで放送される野球中継の歓声が雑多に空気を濁している。

味は勿論のこと、店の造りも雰囲気も所謂大衆中華、其のものなのだろうと早合点していたのだけれど、実は、然程遠くない時期にリフォームされたのであろう其の店舗の外観というのは、小さいながらもお洒落なビストロ、もしくはバーといった骨格で、だがしかし、おそらくは先代の店舗から使われているのであろう庶民的な看板が取って付けたように店頭に掲げられている。

初夏の頃、平日の夜、もしかすると閉店間際だったからだろうか、其の店内に他の客の姿はなく、まさかプロフェッショナルとは言い難い、そんな老女と青年が、ぎこちなく不慣れに給仕を務めている。事前の知識がなければ、其の様々の奇妙な取り合わせに面食らい、最小限の注文品だけを急ぎ足で平らげ、早々に引き上げてしまっていた、其れが結果であったのかも知れない。

けれども評判通り、じっくりと戴いた其の焼き飯、天津版、そして空揚げは、まったくに満足の行く、真っ当な一品々々であった。蛇足ながらあえて言うのなら、此の店の代名詞である空揚げは、むしろ一般的な中華料理店の唐揚げの風情、其の方向性よりも、西洋風の風味と食感を仄かに湛えているように感じられる。

持ち帰りに追加した酢豚を手に、表に出て、もう一度建物とは不釣合いな其のテントと看板を見上げると、其れでも其れが、大衆中華で在り続けることの矜持、其の顕れに見えないこともないのだから、料理の美味しさ、其の力というのは、本当に不思議なものである。

大連中華料理 / 塚口駅(阪急)塚口駅(JR)
夜総合点★★★★ 4.0


人工衛星饅頭 大吉屋

2014年06月14日 | 兵庫
「買ったら其の場で、齧り付くべし。」

此れもまた、近頃巷で流行しているという、パンケーキの類のひとつである・・・そう言い得るのであろうか?いやいや、饅頭と謳っているのであるから、いくら外見がそのような風体であろうとも、此れは決してオシャレで流行りのパンケーキなどではない、そんなことは言われなくとも誰しもわかっている、中に餡子も入っている、そう、所謂、どら焼きの類なのであろう、だがしかし、人工衛星饅頭とは、ナンと大胆なネーミングであろうか、其の由来をあえて詮索する気にもならない程に、荒唐無稽な名前である、此処はやはり、いちいち其の意味を考えるような無粋なマネをするよりは、ワケわからん!と、一言だけ述べて、スルーする、其れが、関西人としての礼儀というものであろう、そして、わざわざ持ち帰った後、戴くのではなく、買って其の場で齧り付く、まさに其れこそが、唯一の正しい堪能法であるに違いない、だから、勿論、其の饅頭の写真など、撮っている暇はないのである・・・というのは、其のパンケーキ然とした、ほくほくのどら焼きを、迂闊にも撮りそびれてしまった者の言い訳に過ぎないのであろうか。

人工衛星饅頭 大吉屋和菓子 / 湊川駅湊川公園駅新開地駅

昼総合点★★★☆☆ 3.5


絹延橋うどん研究所

2014年03月14日 | 兵庫
「根菜、プラス、うどん。」

結果的に、うどんを食べに来たというよりは、野菜を食べに来た、しかも、其の多くは根菜で、いつになく歯応えのある其の代物を、漬物として、揚げ物にして、そして焼き野菜で、バリバリボリボリと、際限なく噛んでいた、其のような印象ばかりが後に残る食事であったことに、今になっても致命的な不満を抱いているという訳ではないのだけれど、其れでもやはり、正直、此処に来たことは、当然うどん其のものがメインだと早とちりしてしまった、己の見込み違いだったと言わざるを得ない、其れが実際であった。

ほぼ完全に、所謂うどん屋の概念とはかけ離れた外観のお洒落な店舗、そして、一見すると讃岐地方を思わせる雰囲気の、セルフ形式による配膳そのものも、実は、おおらかさや大雑把なニュアンスなど其処にはなく、むしろ経営的な謀を感じさせる、ちょっとした分かり辛さ、其の企みの影を拭い切れない印象ではある。

うどん其のものに関しては、傾向として、硬いものとも軟らかいものともつかず、かといって、まったく特徴がないのかといえばそうでもなく、どうやら微妙に二層構造のようなものを口中にて感じさせる、当店独特のものであり、やはり其れは、緻密な計算によって形成された代物であろうことを、そこはかとなく感じさせるものである。

休日の昼時、まちまちの時間帯に、おもむろに訪れる客層は様々で、老若男女、家族連れなど多彩ではあるものの、やはりちょっとばかり目立つのは、どのような場においても傍若無人に己の健康志向をアピールせんとする風情の、年配の夫婦連れであるように感じられる、其れはやはり、如何にもヘルシーであることを体現しようとする、此の店の根菜料理を、あえてと求めてのことなのだろう。

およそ肉気の食材を取り入れることもなく、あらゆる世代に、何処まで満足の行く食事を提供出来るものなのか、様々な在り方、其の要素を渾然一体にとミックスした此の店舗で、さらなる研究を続けてもらいたいものである。

絹延橋うどん研究所うどん / 絹延橋駅

昼総合点★★★☆☆ 3.5


レシピ

2014年01月19日 | 兵庫
「混じり気なし、の。」

坂の多い神戸北野の狭い路地、其の一角にある、急な階段を下りた閉じられた薄暗い空間に、其の二軒の店の扉はある。どちらも特に中の雰囲気が外から窺えるという訳でもなく、其の場所柄もあって、明るく開けた安心感を抱けるとは、ちょっと言い難い。

階段を下りた右側、手前にあるレシピの扉をくぐると、思いがけず、此れはバー其のもののような雰囲気である。随分と高く設定された座席に腰掛け、勿論のことテーブルとの位置関係は適切ではあるものの、足は直接床には届かない。だから正直、ちょっと落ち着かない。其れは、店内の照明が少々薄暗く、辺りが見通せないせいでもあるのだろう。

接客を担当する女性から受ける印象は、可もなく不可もなく、其れなりではあるのだろうけれども、テーブルの位置が床から高過ぎて、サーブする一皿々々が置き辛く、ちょっとこちらが気を使ってしまう、其のような気詰まりな瞬間が、無きにしも非ずである。

客を一段上に座らせ、先ずは機嫌をとるという其のスタイル、其のシステムはわからなくもないけれど、其れだけで、其の分、居心地が良くなる、そういう仕組みに乗せられる程に、無邪気にはなれない自分がいることを、むしろ其処から悟らされてしまう。

そんな在り方と比例して、随所に仕組みというものを意識させる其のフレンチは、とてもよく出来てはいるのだろうけれど、やはり正直、ちょっと肌に合わない。味に不足はないのだけれど、其の距離感に、何処か物足りなさを感じさせられてしまう、其のような結果となってしまった。

本来は、其の完成された美学を理解し、其の形式に浸ることを望む人こそ、この店を訪れるべき客なのであろう。此処にはもう、訪れる者がもたらす化学反応など、およそ起こる余地は残されてはいないのだ、きっと。

レシピフレンチ / 三宮駅(神戸市営)三ノ宮駅(JR)三宮駅(神戸新交通)
昼総合点★★★☆☆ 3.5


中華 こまめや

2014年01月04日 | 兵庫
「ハードボイルド・マーボードーフ。」

おそらくは、常連の客ばかりに取り囲まれている、およそアウェイであると言っていい其の状況で、ワレワレは、そうとは知らず術中に嵌り、顔面から噴き出す汗を拭っている。

どちらかと言わずとも、年配であると言っていい夫婦連れ、其のご婦人でさえ、ワレワレのテーブルに置かれている物と同じである筈のマーボードーフを、まったく平気な顔をして平らげておられる、此れはおかしい、そんな筈はない、この辛さは尋常ではない、もう間違いなく危険な部類の衝撃ではないか。

世間には、既にいい大人でありながらにして、辛い食べ物に鈍感であるというだけで、痛さに絶えられることを自慢げに誇る小学生のような人物も絶対数いるのではあるけれど、実際大方の人にとって、そんなことは何の自慢にもならない、己の味覚の鈍さを世に晒している、只、其れだけのことである。

当然のこと、ワレワレはそんな類の悪趣味とは無縁であるし、同じく眼前の老夫婦にしろ、其のような無謀な愚かさとは無縁であろうと思われるのである、然るに、やはり、其のマーボードーフと、此のマーボードーフの味付けというのは、別物であるとしか思えない、そうでなければ、此の花椒の効き具合に、正常な一般人的味覚が耐えられる訳はない、そう思える訳である。

どう見ても、初見であり、余所者であるワレワレは、或る意味やはり、道場破り的人物として、先ず認知されてしまったのであろう、そして、其のような輩に限って、あの店のマーボードーフは大して辛くなかった、期待外れだったと吹聴したりするものなのだ、確かに其れは、世間によくある、善くない話。

だが、ワレワレは、そんな輩とは違うのだ、只、美味しい中華料理が食べたかった、其れだけなのであって、何も極端な料理を味わいたかった訳ではない。

いやしかし、初めての訪問において、マーボードーフを注文する、其のこと自体が、云わば挑戦的行為であると取られてしまった、其のような成り行きであるのかも知れない、次回はもっと大人しく、穏やかな注文を、ワレワレは先ず心掛けるべきなのだろう、此のような苦難を課せられてさえ、再度、此の扉をくぐることを厭わない、其れに値する旨さを、此の店の料理は基本的に内包している、其れは充分に感じ取ることは出来たのだから。

中華 こまめや中華料理 / 伊丹駅(阪急)新伊丹駅
昼総合点★★★★ 4.0


モンドール

2013年12月11日 | 兵庫
「全方位性、軽食。」

砕けてしまわぬようにと、用心深くそろりと持ち上げ、ひと口、戴いてみると、パリパリ、ペキペキ、というような擬音を発する、其れ程に、極薄生地のピザである、此れは此れで、美味しい、そして、面白いものである。

漂う雰囲気や其の一風変わった外見のピザは勿論、もっと癖があるかと想像していたパスタでさえも、あまりに万人受けする、やさしい風味、そして風情であったのが、実のところ、むしろ意外であった。

其の料理の外観や食材を予め知り、他の店とはちょっと違う、風味に関しても絶妙に捻った独特のメニュウなのだろうと勝手に想像していた、其れは、単にそんな類の料理を期待していたこちらの思い込みであり、むしろ、一見して面白く、誰が食べてもそこそこに美味しいと思えるであろう料理を、万遍なく提供している此の店というのは、飲食店として至極真っ当である、其れは言うまでもない。

こうなれば、ひたすらに、パリパリ、ペキペキと其のピザを戴くより他はない、其処を楽しまずして、此処に来た甲斐があったとは言えぬ、きっとそうなのだろう。

モンドールピザ / 三宮駅(神戸市営)三宮駅(阪急)三ノ宮駅(JR)
昼総合点★★★☆☆ 3.5


順徳

2013年11月28日 | 兵庫
「ビーフシチュー丼、再び。」

此の店の御品書には、「牛シチュー丼」とある其のメニュウ、神戸の中華において稀になくはない品であると耳にしてはいたものの、以前一度だけ戴いたことのある、あの店以来、長らく其れを眼にすることはなく、此れが二度目の遭遇である、多分、おそらく、記憶が確かであるならば。

そして以前見た其の姿というのは、然程食欲をそそるビジュアルではなかったというのが正直なところではあるものの、今回の其れというのは、一見して見目麗しく、ビビッドに艶やか、そして斬新であるとさえ言い得る其の無造作な盛り付け具合である。

既に老舗と言っていい佇まいの此の御店ではあるものの、此処で提供される諸々の料理の在り方というのは、むしろ昨今話題の油そばや台湾まぜそばなどに見受けられる、そんな類の新鮮味を感じさせる潔い装いですらある。

温故知新というのとは其の意味合い的に多少の齟齬はあろうけれども、新しいものを追いかけるばかりでは出会うことの叶わない、意外な目新しさというのも、世の中、実は少なくはない、其のようである。

順徳広東料理 / 元町駅(阪神)元町駅(JR)旧居留地・大丸前駅
夜総合点★★★★ 4.5


そばんち

2013年10月27日 | 兵庫
「噛みしめたい。」

とかく其の香りと喉ごしばかりが、問われ、語られる、蕎麦というものには広くそういうところがあるけれど、そんなことは大きなお世話で、噛みしめてこそ其の旨さの堪能できる蕎麦というのも、実際ある、其れを此の蕎麦屋で確信させられた。

蕎麦というのは手軽でなくてはならないなどと、どのような早とちりの人物が言い出したのか、其れこそがむしろ偏屈な固定観念であり、蕎麦という存在を特別に大袈裟に考え過ぎている、或るひとつ理想形、在り得ぬ幻想だけに其の可能性を閉じ込めんとしてしまっている、そして更に、おそらく其れは誰にとっても傍迷惑でしかない、きっとお節介でしかない。

蕎麦というもののあらゆる可能性を試みたかのような、そんなカラフルな此れ等の品々に、奇を衒った華やかさばかりを追う色物の風情を想うなという方が、ちょっと無理な話ではあるけれど、実際ひとつとして単なる実験のみに終わってしまっている、其のような残念な蕎麦は、此の蕎麦屋には一品もない、蕎麦をマニアだけの玩具にしたような類の蕎麦も此処にはない、最低限であり全てである、美味しさというものを無視した代物は、実は此処にはないのである。

多く誤解を受けかねない、此の蕎麦屋の奇妙なシステムに、おそらく誰よりも懐疑的であったのは、何を隠そう自分自身であった、其のような成り行きで、今は只、其の美味しさを噛みしめていたい、世間では、とかく喉ごしを問われるばかり、そんな風潮の蕎麦という存在ではあるけれど。

そばんちそば(蕎麦) / 市島駅
昼総合点★★★★ 4.5


吉向

2013年09月30日 | 兵庫
「いつの日か。」

其の日、暢気にも予約を取るでもなく、通りすがりにぶらりと寄って、席を確保してもらえたというだけでも運が良かったと言うべきなのかも知れない、とても好感の持てる人柄の此の店の給仕の女性に、コースの食材が切れてしまったので日替わりしか提供できないけれど其れでもよいかと問われ、其れでもまったくかまわない、まさか此の機を逃すまいと、およそカウンターのみと言ってよい造りの其の店内にて席の用意が整うまで少々待たせて戴いたのであった。

程なく席に着き、始まった900円の日替わりランチの提供は、其れでも或る程度はコース仕立てのような内容で、きっちりとひと手間かけられた其の内容に、流石、人気の程は伊達ではないと納得するばかりであった。

そしてやって来たメインの料理は、鮭の切り身、其の焼き上がり具合というのは、やはり此の店の一番の売りである鉄板焼き、其の特色を存分に活かしたものであったのか、どうなのか、実は当日あてがわれたのが、偶々唯一のテーブル席であった故、正直なところよくわからない、もちろん充分に美味しかったのではあるけれど。

其れなりに意匠を凝らした艶やかな器に、程々に華やかさを感じさせる其の盛り付け、其れだけで、感じさせられる旨さには実際以上の何かが加味されるのは勿論のことではあるけれど、其れでもやはり、魚は魚、正直なところ、せっかくの鉄板焼きなのだから、存分に肉料理が味わいたかった。

コースの場合は、肉、魚、共に堪能することが出来るということであるらしい、だが、日替わりで肉料理が提供されるかどうかは其の日の運次第であるということのようである、好い店の料理というのは、より高価なメニュウから品切れとなって行く、其れは当然のことであり、何度も訪れて己の運を試してみたいと思うのではあるけれど、此の店の人気ぶりを鑑みるにつけ、果たして其れはいつのこととなるのであろうか。

吉向鉄板焼き / 三宮駅(神戸市営)三宮駅(阪急)元町駅(JR)
昼総合点★★★★ 4.0


北の椅子と

2013年06月19日 | 兵庫
「其の椅子の、座り心地。」

名前としては、当初とてもイレギュラーに感じられる、「北の椅子と」、どうやら其の店名の由来というのは、此の御店のブログ、「北の椅子と暮らす」を、何故なのか、端折ってしまったもののようである。

あえて、あらゆる意味合いで誤解のないように述べておくとするならば、此処で言う「北」というのは、あくまで北欧のことを指す、其のようで、つまり、此のカフェの特色というのは、店内に配置された北欧家具のデザイン、そして其の椅子の座り心地にある、そういうことなのであろうか。

訪れてみれば明らかなのであるけれど、カフェは実際、二階の一角に在り、其の大きな建築物のおおよそは、リペアする前の販売用北欧家具が所狭しと展示されている。

にもかかわらず、其のカフェ・スペースは、むしろ一般的所見から見ればかなりの広さで、リペア済みのヴィンテージ家具が実用的に其のまま流用され、あわよくばと、カフェに訪れた客に対し絶大な宣伝効果をもたらしている、そのような企みさえ垣間見えるかのようである。

もの珍しい形態のカフェにふらりと立ち寄り、其処で腰掛けた北欧の椅子に魅せられて、購入意欲をそそられること請け合いなのではあるけれど、気に入った其の家具が実際に手にすることが出来る状態になるのは、数週間後、すっかりリペアの済んだ後になる、此の商売は其のような気の長い仕組みのようである。

おそらくは、誰しもが其の間、待ちきれずに再び此処を訪れて、さらに気に入った北欧家具に出会うことになるのだろう、そんな機会があったなら、また其の時には、じっくりと此のカフェの食事も味わってみたいところである。

北の椅子とカフェ / 御崎公園駅和田岬駅兵庫駅
昼総合点★★★★ 4.0