カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

そばんち

2013年10月27日 | 兵庫
「噛みしめたい。」

とかく其の香りと喉ごしばかりが、問われ、語られる、蕎麦というものには広くそういうところがあるけれど、そんなことは大きなお世話で、噛みしめてこそ其の旨さの堪能できる蕎麦というのも、実際ある、其れを此の蕎麦屋で確信させられた。

蕎麦というのは手軽でなくてはならないなどと、どのような早とちりの人物が言い出したのか、其れこそがむしろ偏屈な固定観念であり、蕎麦という存在を特別に大袈裟に考え過ぎている、或るひとつ理想形、在り得ぬ幻想だけに其の可能性を閉じ込めんとしてしまっている、そして更に、おそらく其れは誰にとっても傍迷惑でしかない、きっとお節介でしかない。

蕎麦というもののあらゆる可能性を試みたかのような、そんなカラフルな此れ等の品々に、奇を衒った華やかさばかりを追う色物の風情を想うなという方が、ちょっと無理な話ではあるけれど、実際ひとつとして単なる実験のみに終わってしまっている、其のような残念な蕎麦は、此の蕎麦屋には一品もない、蕎麦をマニアだけの玩具にしたような類の蕎麦も此処にはない、最低限であり全てである、美味しさというものを無視した代物は、実は此処にはないのである。

多く誤解を受けかねない、此の蕎麦屋の奇妙なシステムに、おそらく誰よりも懐疑的であったのは、何を隠そう自分自身であった、其のような成り行きで、今は只、其の美味しさを噛みしめていたい、世間では、とかく喉ごしを問われるばかり、そんな風潮の蕎麦という存在ではあるけれど。

そばんちそば(蕎麦) / 市島駅
昼総合点★★★★ 4.5


そば茶屋極楽坊

2013年10月22日 | 長野
「知って、いる。」

人の好みに左右されてしまう、其の程度で揺らいでしまうような美味しさというのは、やはり大したものとは言えず、勿論のこと絶対的なものであろう筈もありません、そして、水を切らず、ぼっち盛りにて供される、其れが此の地、戸隠蕎麦の特徴ではあるけれど、其れは実際、蕎麦そのものの美味しさとは、全くとは言わずとも、およそ関係はない、当然のことながら。

当たり前の話、此処、戸隠の中にも、美味しい蕎麦と、取るに足らない蕎麦があることでしょう、そして、蕎麦打ちに際し、気候も水も、およそ適しているとは言い難い、そんな都会の蕎麦屋にも、美味しい蕎麦屋と、そうでない蕎麦屋がある、現実それは間違いのないことのように存じます。

瑞々しく、透明感のある此の蕎麦に似た蕎麦を、京都の片田舎で戴いた其の覚えを、此の食感、此の風味によって呼び起こされた、其れは気のせいではありますまい、遠路遥々夜通しかけて足を延ばした其の感慨によってさえ左右されることのない、以前、味わった覚えのある其の美味しさに、あえて此処で出会えたことに、むしろ意外な喜びを感じ、此れこそが絶対的な美味しさに抱かされる類の安堵感なのではあるまいか、己の好みを己の意識し得る範疇にのみ縛ってしまうことなく、あらゆる場面において心を開いて戴くことが出来たなら、いつだって其れが本当の美味しさだと気づくことが出来るのではないかと、遠路遥々やって来た、此処、戸隠にて思わず苦笑させられたのは、思いがけず、とても感慨深いことでありました。

そば茶屋極楽坊そば(蕎麦) / 長野市その他)
昼総合点★★★★ 4.5


うずら家

2013年10月18日 | 長野
「夜通し、想う。」

其の夜、普段通りの日常的な業務をすっかりこなし、心置きなく京都南インターから名神高速の流れに紛れることができたのは、やっと23時を過ぎてからのことだった、とはいえ其れは、無謀ながらも予定通りの時刻なのであって、初めての戸隠蕎麦を味わわんが為に、日の出の頃合いに長野ICを降りようと企むには、むしろまだ早いと言えなくもない、実際そんな出発時間なのである。

其の目論見はまんまと叶い、目的の其の蕎麦屋が店頭に用意する当日予約の用紙に記帳することができたのは、朝一番の6時を少し回った頃だっただろうか、だがしかし、ガラス張りの其の店内では既に多くの店員が忙しく立ち働いており、開店前のひとつのパフォーマンスとして、しばし其の場で蕎麦打ちを眺めているということもできる、そんな仕組みの店舗構造なのだ此の店は。

待つ間、戸隠神社の奥社までゆっくりと歩みつつ其の蕎麦を想い、蕎麦屋の開店時間である10時半に扉の前まで戻ってくる、すると、店主が執り行う、一種、儀式のような開店の挨拶の後、いよいよ店内へと招き入れられ、早速に給仕の女性たちのてきぱきとした礼儀正しい歓待を受けることとなる。

蕎麦切りは兎も角、蕎麦掻きというものの在るべき姿というものが、今ひとつイメージできないでいる故、あえてまたひとつ所望してはみたものの、正直、此処においてさえ、まだ得心には至らない、だがやはり、其の蕎麦切りは非の打ちようもなく、まさに此れが蕎麦というもののスタンダードなのですよと諭されている、其のような気にさえさせられる、そんな優等生的な食感であり、風味であった。

避暑というのでも紅葉というのでもない、オフ・シーズン、しかも平日であったからなのか、事前に覚悟していた程の混みようではなかったものの、其れでも客足は途絶えることなく、記帳の為の空欄は徐々に埋まって行き、ガラス張りの厨房ではじゃんじゃんと蕎麦や天麩羅が調理され、お運びの女性陣によって、てきぱきと客の待ち受ける其の座席へと運ばれて行く、其の高度にシステム化された客あしらいの手際の良さに、只々感心させられるばかりなのか、勿論のこと文句のつけようはないけれど、其れでも其処から、何か一抹の寂しさや、そこはかとない虚しさのようなものを感じてしまうのか、其れはまた、其の蕎麦の旨さとは別の話ではあるのだろうけれども。

うずら家そば(蕎麦) / 長野市その他)
昼総合点★★★★ 4.0