「よろしく、パエリア。」
唐突に友人が、スペインに行くと言い出した。
しかも、移住を視野に入れ、とりあえず近々、視察に行くのだという。
驚いたカゲロウは、何か出来ることはないかと思い、とりあえず、パエリアを食べてみることにした。
これまでは、映画でしか知らない、そんなスペインをリアルで感じるには、脈絡がないようでいて、実はそこそこに妥当な方法であるとも思える。
最近、パエリアのひとり鍋を、ランチで始めた御店があるとの情報が、いきなりの渡航告白に面食らった彼を、闇雲にパエリアに向かって強く後押しした、それも事実であろう。
もう何十回と知れず、度々往復している寺町通り、だが、その建物の一角の、気付かなかった細い通路の奥の奥に、その御店はあった。
この辺り、外観的な造りは、京町屋風でも何でもない物件であっても、土地の間取りは同じように、鰻の寝床的であるのは何故であろうか、京都市役所横の洋食屋、アローンと似通った状況、似通った中庭まである不思議。
おそらくは、この近辺の建物の設計士が、嘗ては一手に同一人物だったのであろう。
と、程なくやって来た前菜は、彩り豊か、しかし、ことごとく冷製であるのは、やはり、メインのパエリアが出来上がるまでの、時間稼ぎに丁度いいから、そういう事情なのは、多くの御店の定番である。
セット中、スープ、もしくは、グラスワインを選べるのは、選択肢として幅があり、とても親切なシステムだ。
ただ、おそらくは、安価なスペイン・ワインなのであろう、その渋さが、残念ながらカゲロウの口には合わない。
そしてメインのパエリアは、季節料理の蛍烏賊、そして定番の鶏と兎肉、別々の種類を、ふたりで選んでみた。
蛍烏賊というのも、あまり戴く機会のない食材で、普段、味わうことのない、それなりに特殊な風味であるのは勿論であるが、何より兎肉、その風味のクセ、あまりのジビエっぷりに至っては、ふたりして少々驚きを禁じえない。
それは勿論、それなりの専門店としては、誉められるべき良いことであって、その特色、その風味を、あえて日本人の好みに合わせたりはしない、そこにこそ、スペイン料理店としての矜持があるというものである。
これまで幾らか異国の料理に馴染んできた、そんなつもりのふたりにあって、それでも少々たじろぐ、ジビエとしての兎肉、パエリアという、食材を雑多に煮込んだイメージの料理、その味を、食材同士の風味が絡み合い、程好く中和されたものと甘く見ていた、そうなのかもしれない。
そう感じ出すと、当然のこと、東洋風のお粥とはまた違う、別の調理法を施された米の煮方、そこにまで違和感を感じてくるのが人間の成り行きである。
良くも悪くも馴染みのない、スペイン料理の持つこの違和感を、この御店に来る他の客たちは、大して違和感としては感じていないのであろうか。
本来は在るべき矜持と、幾らかの勇気を持って提供されているのであろう、これらの特徴ある料理は、御店の持つバルとしての雰囲気に紛れてしまい、その違和感を、酔いと共に、曖昧に享受されてしまっているのではないか。
カゲロウの脳裏に、そのような、色んな方面に対して、かなり失礼であるとさえ言い得る、無粋な考えが過ぎる。
そう、世間というものは、食べること、それだけのために料理店に来る人間ばかりでは、勿論ない。
呑む為、もしくは、喋る為、そして、時間潰し、それはそれで、一定の需要があるのが、実情である。
そんな客にも場所を提供し、あまつさえ、あわよくば、本格的な料理で啓蒙することが出来る、その実際に、意味がない訳ではない。
もしかすると、その為には、このジビエを使ったパエリアくらいに、強く違和感の湧く料理であることの方が、より適している、そうとさえ、言い得るのではなかろうか。
親しみが湧くには、少々時間が要りそうな、そんな異国の料理を戴きながら、カゲロウは、遠からず遠くの地に行ってしまうという友人の行く末に、想いを馳せる。
友人を、よろしく、パエリア。
唐突に友人が、スペインに行くと言い出した。
しかも、移住を視野に入れ、とりあえず近々、視察に行くのだという。
驚いたカゲロウは、何か出来ることはないかと思い、とりあえず、パエリアを食べてみることにした。
これまでは、映画でしか知らない、そんなスペインをリアルで感じるには、脈絡がないようでいて、実はそこそこに妥当な方法であるとも思える。
最近、パエリアのひとり鍋を、ランチで始めた御店があるとの情報が、いきなりの渡航告白に面食らった彼を、闇雲にパエリアに向かって強く後押しした、それも事実であろう。
もう何十回と知れず、度々往復している寺町通り、だが、その建物の一角の、気付かなかった細い通路の奥の奥に、その御店はあった。
この辺り、外観的な造りは、京町屋風でも何でもない物件であっても、土地の間取りは同じように、鰻の寝床的であるのは何故であろうか、京都市役所横の洋食屋、アローンと似通った状況、似通った中庭まである不思議。
おそらくは、この近辺の建物の設計士が、嘗ては一手に同一人物だったのであろう。
と、程なくやって来た前菜は、彩り豊か、しかし、ことごとく冷製であるのは、やはり、メインのパエリアが出来上がるまでの、時間稼ぎに丁度いいから、そういう事情なのは、多くの御店の定番である。
セット中、スープ、もしくは、グラスワインを選べるのは、選択肢として幅があり、とても親切なシステムだ。
ただ、おそらくは、安価なスペイン・ワインなのであろう、その渋さが、残念ながらカゲロウの口には合わない。
そしてメインのパエリアは、季節料理の蛍烏賊、そして定番の鶏と兎肉、別々の種類を、ふたりで選んでみた。
蛍烏賊というのも、あまり戴く機会のない食材で、普段、味わうことのない、それなりに特殊な風味であるのは勿論であるが、何より兎肉、その風味のクセ、あまりのジビエっぷりに至っては、ふたりして少々驚きを禁じえない。
それは勿論、それなりの専門店としては、誉められるべき良いことであって、その特色、その風味を、あえて日本人の好みに合わせたりはしない、そこにこそ、スペイン料理店としての矜持があるというものである。
これまで幾らか異国の料理に馴染んできた、そんなつもりのふたりにあって、それでも少々たじろぐ、ジビエとしての兎肉、パエリアという、食材を雑多に煮込んだイメージの料理、その味を、食材同士の風味が絡み合い、程好く中和されたものと甘く見ていた、そうなのかもしれない。
そう感じ出すと、当然のこと、東洋風のお粥とはまた違う、別の調理法を施された米の煮方、そこにまで違和感を感じてくるのが人間の成り行きである。
良くも悪くも馴染みのない、スペイン料理の持つこの違和感を、この御店に来る他の客たちは、大して違和感としては感じていないのであろうか。
本来は在るべき矜持と、幾らかの勇気を持って提供されているのであろう、これらの特徴ある料理は、御店の持つバルとしての雰囲気に紛れてしまい、その違和感を、酔いと共に、曖昧に享受されてしまっているのではないか。
カゲロウの脳裏に、そのような、色んな方面に対して、かなり失礼であるとさえ言い得る、無粋な考えが過ぎる。
そう、世間というものは、食べること、それだけのために料理店に来る人間ばかりでは、勿論ない。
呑む為、もしくは、喋る為、そして、時間潰し、それはそれで、一定の需要があるのが、実情である。
そんな客にも場所を提供し、あまつさえ、あわよくば、本格的な料理で啓蒙することが出来る、その実際に、意味がない訳ではない。
もしかすると、その為には、このジビエを使ったパエリアくらいに、強く違和感の湧く料理であることの方が、より適している、そうとさえ、言い得るのではなかろうか。
親しみが湧くには、少々時間が要りそうな、そんな異国の料理を戴きながら、カゲロウは、遠からず遠くの地に行ってしまうという友人の行く末に、想いを馳せる。
友人を、よろしく、パエリア。