カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

中村軒

2011年02月27日 | 京都
「手のひらのあたたかさ。」

桂離宮の向かい、一車線ながら、とても車通りの多い八条通りに面した店舗。
なのに、奥の座敷に上がり込むとその喧騒が、遠くから響いてくる心地好いざわめきのように聴こえるのだから、これは一風独特な感覚、それでいて体感してみれば、心のどこかが知っていると感じる、そう、あの感覚です。

気軽に覗ける、それでいて軽薄とは程遠い印象を受ける店頭の販売所。
その脇では、囲炉裏のある土間で軽く和菓子をいただくこともできますが、せっかくここまで足を運んだのであれば、やはり少し時間をとって、靴を脱ぎ、ぜひとも奥の座敷に上がり込みたいものです。
空気が流れるたびにカタカタと家が鳴く、その古い作り付け。
今はない、祖母の家がまだ建て増しされる前、ちょうどそのような具合で、個人的には懐かしさもひとしおなのではありますが、実際にそういう故郷を持っているという人でなくとも、田舎というのはこういうものなのだなと思わせる、情緒ある風情、ここにはそれがあります。

気取った高飛車な雰囲気とは程遠い、隙間だらけのこの建物。
しかしそれでいて、細部、特に床の間に、品を失わないための、最小限にして最大限の手間隙がかけられ、それは、今あるもので満足しつつ、それを大事にしていくという志のようなもの。
それこそが、京都の良いところ、つまり京都的良心であると教えてくれるのが、このお店の佇まいなのです。
まさにこういう場所こそが、本当に失われてはならない処なのであり、現代の成金主義的喧騒から一服人を逃れさせてくれる、ほっとした心持ちにさせてくれるという、稀有な場所であるのかもしれません。

ただ、その雰囲気もさることながら、それだけでは勿論なく、間違いなく、個人的に和菓子に対する認識を改めざるを得なくさせられた、和菓子の奥の深さを教えてくれたすごいお店、それが、ここなのです。

餡がどうだ餅がどうだと、和菓子の事だけ聞ければそれでよい。
そう思われる方もあるかもしれませんが、ひとりの人間が色々ある人生の中で、ここ中村軒の麦代餅が、どうしてそんなに美味しいと感じたのか、それは、例え話のようなものでしか説明の出来ないものであるということ、それは重々理解してもらわなければと、思います。
餅のことだけ端折って要領良く聞き、わかったような気になりたいという方は、以下の文は読まないほうがよいかもしれません。
興味のある方だけ読んでいただければと、心から思うのです。

市内ではないにしろ、生まれて此の方、長らく京都に住んでいるのにもかかわらず、こちらのお店を知ったのは、恥ずかしながら京都に縁もゆかりもお持ちでないであろう、北海道出身の方からのご紹介によってでした。
思いがけないトラブルから親しくなったその方は、食べ物の好み、嗜好性は各々であるものの、特に味覚にしっかりした基準をお持ちであったので、常々いくらかお店探しの指針にさせていただいていたのですが、傾向として、やはりレビューはやや辛め。
しかし勿論、それもまた人ひとりの意見であります。
おそらくは、酷評されたお店に使役されるサクラによる嫌がらせ、さらに、何かを勘違いしている愚か者が、レビューの論調にわざわざ反論するという愚行なども重なり、あるべき世間を知らぬそのような者を、笑う努力をしつつも戸惑う我々ふたりに対し、偶然にも居合わせた救いの女神のような方の助言もあり、それが縁で、より親密なやりとりを交わすことにもなったのでした。
そして、それ以後の話の中で、こちらのお店をご紹介いただいたと、そのような、災い転じて福となす経緯があったのです。

ところで個人的に、実生活でも北海道には浅からぬ縁があり、幼い頃からその海産物は勿論、生で食べるトウモロコシや、関西ではまずお目にかかれない野太いアスパラガス、その他諸々の特産品などが、途切れることなく我が家に送られてきたものでした。
しかし、そのようなものでも、日々毎日、食べ切れぬ物で食卓が埋められると、それはそれで、やはりトラウマとでも言うべきものとなるものなのです、人間というのは。
少なくとも子供の目に映る両親は、溢れるそれらを有難がるばかり。
大人と同じものを強制的に食わされるしかない立場の人間が、その手のものはもう見たくないと、子供心に思うのも無理からぬことなのです、実際。

しかして結果、第三者には贅沢としか見ることの出来ない、誰からも同情してもらえない心理的病を抱え込むこととなった子供が出来上がった、と言うと、大袈裟過ぎるでしょうか。
とある読み物に記されている通り、「すべての子供たちが胸裏に抱く最初にして最後にもなってしまうたった一つの目標とは、このような親には決してなるまいという単純な決意なのだ」とあるような、避けようのない心持ちの芽というのは、個人的には、既にこの頃に芽吹いていたのかもしれません。

それはともかく、とにかく食べることに興味が湧かず、かといってあまりに上等のものを舌が知ってしまっているが故に、中途半端に不味いものも食べられない。
明らかなその反動として、週末になると、比較的近所で雑貨屋を営む祖母の家に泊まりに行き、菓子パンやインスタント・ラーメンを貪るというような、本末転倒の食生活を送っていたのが、恥ずかしくも勿体ないながら、幼い頃の実情でありました。

そのような事情によって、遅蒔きながら本当に食べるものの有難味や面白味を意識するようになったのは、学校を出て、結婚し、親と離れて暮らして、それなりの食材で妻に料理を作ってもらい、一緒に食べ歩きをするようになってから、でしょうか。

夫婦で美味しいものを探し、それだけでは飽き足らず、ネットで情報収集し、そこで知り合った人と、顔を会わせないまでも、美味しいお店を教え合う。
この中村軒も、そういう縁がなければ、おそらく人生のもっともっと後になるまで、知ることはなかったのでしょう。

そのような一件のあった昨年末から、機会のある限り既に何度も寄せていただき、そこそこの種類のお菓子などいただいておりますが、美味しいものを少し欲しいという時に本当に重宝するお店というのが、ここなのです。

和菓子だけでなく、にゅうめんなどもあるのですが、正直、このお料理も、あらゆる麺が好きである身ながらも、ここぞと思うお店でならば食べてみたい、という程度にしか、興味の湧かない麺類でありましたし、おそらくは今後も、こちらでなければ、食べたいとは思わないことでしょう。

そして、和のお菓子です。
例えば、おぜんざい、申し訳程度の、いわゆる観光地で供されるものとは、一線を画します。
肌理の細かい、甘すぎない漉し餡は、たっぷりにもかかわらず、少しづつ、最後まで飲み干したいという欲求に駆られるもの。

きんつばは、個人的にこれまで抱いていた、甘ったるいばかりのもそもそした物体との印象とは打って変わって、半殺しの不思議と甘さを感じない小豆の粒が、誤解を覚悟で言うと、和菓子とおにぎりの間のような、それでいて中途半端さを感じない、絶妙のバランスで調和しています。

そして、持ち帰りでいただいた、生麩餅、要冷蔵ではあるのですが、これはもう、どうしても持ち帰れない状況であるのなら、その場でいただくこと、必食の品です。

ごく最近では葛切りをいただきましたが、あまりにも頭の中で抱くイメージ通りの爽やかさに、もし、これを味わうためには暑さが必要だというのならば、今があの蒸し暑い夏であれば、どれほど良かったであろうかと、想像せずにはいられませんでした。

そして何より、麦代餅です。
どのように説明すればよいのでしょう。
柔らか過ぎず、かと言って無骨ではない。
甘過ぎず、かと言って、物足りなくもない。
飾り気はないけれど、上品さは失わない。
粘りがあるというのではないけれど、簡単には断ち切ることが出来ない。

そう、これはまるで、おばあちゃんのようなお餅なのです。
そのむかし、雑貨屋を営んでいた祖母は、家事はもちろん、畑仕事も山仕事もこなす、本当に働き者の、どんな時にも頼れる、おおらかな人でした。
今から思えば、色気があるというのではないけれども、女性としての優しさ、そして、力強さを持ち合わせた人でもありました。

高校生の時、その祖母は、人が老いれば罹るに珍しくはない病を患い、何年も入院することになりました。
思えばその頃、ある意味、虚無に取り付かれたかのように何事にも無関心な自分であったが故、親に連れられ、そのお見舞いに行ったことというのは、数える程しかありませんでした。
生まれ落ちたその時から、あれほどたくさん可愛がってもらったその人に対し、今から思えば何と薄情なことであったかと苦々しく思うのですが、今更どうなるものでもありません。
そのまま家に帰ってくることもなく、現世にも帰らぬ人となったその時にも、人とは死ぬものであると、さほど感慨深いものはなかったように思いますが、ある夜、夢を見ました。

おそらくは、小学生の頃に修学旅行で行った伊勢神宮の境内のどこか、記憶の中では大きな一枚岩の石畳のある水辺で、その水面から祖母の乗った列車が、銀河鉄道さながらに夕焼けの空に舞っていくのを見送りながら、別れが悲しくて滂沱の涙を流している自分がいました。
しばらくしてすぐに、それが夢の中だと気付き、我に返って、どれほど枕が濡れているのだろうかと思いましたが、意外にも、涙はひと欠片も流れてはいませんでした。

まだ人間になりきれていないと言っていい人生の初期、現実にはまだしばらく、その無感動な日々が続くこととなったのでしたが、しかしそれでも、流されるべき涙は、いずれどこかで流されるものなのだということを、今思えばその時、おぼろげながらも心の片隅では感じていたのでしょう。

本場讃岐うどん さか栄

2011年02月23日 | 京都
「善きかな善きかな。」

釜玉というのは、卵かけご飯の饂飩版、そういう解釈で宜しいのでしょうか?
ともあれ、その美味しさを実感したのは、此処が初めてでした。

元来は、饂飩といえば、温かい出汁で戴くものという固定観念を抱きつつ、
出汁の無い饂飩など、カレーの無いカレーライスみたいなものだと、
冗談抜きで思っていたのは、嘘でも卑下でも何でもなく、
麺そのものに、旨い不味いは勿論あれど、
殊更に麺自体を活かす調理法、そのようなものに、
ここ最近まで、思い至る事もなかった、
それは、恥ずかしながらも、実際ではあります。

未だに、何もつけずに、麺だけで戴いても旨い、
そのように感じられる境地には、
残念ながら達していないというのが、現状ではありますが、
それでも幾分か、麺そのものの旨さに目覚めつつある、
饂飩、蕎麦、ラーメン、その他に関しても、微かな実感として。

そして、釜玉なるものの存在、
それを以前から知らなかった、そういう訳ではないけれど、
注文する気にはならなかった、その訳は、
外食で、わざわざ卵かけご飯を注文するという事が、
まずないのと同じ理由で、
せっかくお店で食べるなら、出汁に入った饂飩でなければ、
何だか損をしているような、そんな気になる、
漠然と、そのような気がしていたからでしょうか。

しかし、ひと度、その美味しさに目覚めたからには、
外食時に饂飩屋で、釜玉、その文字を見かけたならば、
それを注文しない訳にはいかず、
何なら家でも、饂飩は釜玉、それが望ましい、
卵かけご飯のように、生卵を麺に絡め、
茹でた饂飩の熱が通ってしまわないように、
素早く、休みなく、万遍なくかき混ぜ、
程好く生醤油を滴らせ、
時には薬味、いや、そのような厳かなものではなく、
ご飯用のふりかけを、思う存分、ふりかけふりかけ、
縦横無尽、自由奔放、傍若無人に、饂飩の旨さを噛み締めるのです、
善きかな善きかな。

花くじら 本店

2011年02月19日 | 大阪
「もひとつ、いかがです?」

ケッコウ、お腹いっぱいだった、そのはず、ナンデス。

それなのに、冬の隙間風がテントの裾から入って来て、それで丁度に思える、
そんな熱気の店内で、チビリチビリと大瓶のビールを減らしつつ、
どうでもいい話なんかをしていると、ついつい追加を注文してしまう、
そしてそれが、無理なくお腹に収まって行く、
それが、おでんの不思議なところ、ナンデス。

花くじらと言うからには、鯨のおでんが、ウリなんであろうこのお店、
だからといって、メニューが鯨肉に特化しているというワケでもなく、
モチロン他の、おでんダネも、当たり前のように旨い、旨い。

じゃあ、アレも食べてみようか、次、コレも、
自然とそうなってしまうコト、必然的で、
とりあえず、ひと通り食べてみないことには、終わらない。
そして、さらに、特に好みだったタネを、もう一度食べたくなるのだけれど、
フトコロは兎も角、その後の体調を考慮して、
その日は何とか切り上げた、そんな次第、ナンデス。

大阪で、おでんと言えば、花くじら。
以前から、轟くその名は知っていたけれど、
思いがけず、通りすがりに、初めてそのテントを見つけた時は、
こんな安普請のお店でも、おでんの旨さ、それだけで、
ここまで人に認められ、愛されるようになるものなのかと、
かなり意表を突かれたというのも事実で、
モチロンその意外性は、いずれ、是非、行ってみたい、
そう思わせる期待感を、倍化させるものでした。

テントの外で、空きが出るのを待つ人々、
流行り過ぎてて、お客を捌くのが大変そうではあるけれど、
店員さんの活気、それすら必要もないほどに、お客が勝手に盛り上がる、
このテント、そして、おでんには、そういうチカラがあるのでしょう。

人生のちょっとした煩い/グレイス・ペイリー

2011年02月19日 | 日記
結果的に、この作家、自国アメリカにおいては、非常に高い評価を受ける訳であるが、
この単行本に収められている短編小説、その数本というのは、
子育てにひと段落つき、家事をこなしつつ、キッチンのテーブルで、
時間を見て書き綴られた、いち主婦の作品な訳である。

勿論それは、片手間などではなく、個人的には全力で投球した作品に違いない。
だがしかし、実際、何の当てもなく、とりあえず書いてみた作品でもある。
結果、出来上がった、この作品群の読ませる内容、その力量に、
驚愕しないわけには行かない。

内容的には、非常に色濃く、作家のパーソナリティが作品に投影されているわけであるが、
当然、ただの体験談などではなく、日常会話を超えた会話が、作中でなされている、
そう思っていいのであろう。

起こる出来事は、何ら世界に大きな影響を与える訳でもない、個人的な出来事に過ぎない、
しかし、その些細なやり取りが、もし彼女の描く世界のように、ウィットに富んだものであるならば、
ワレワレの現実というのは、どれほど豊かなものになるであろうか。

別段、何かが達成されるという訳ではないにしろ、
彼女の小説、その世界は、そういう意味で、微かな希望でもあり、
何より、憧れるに足る、その程度には、
世界観的に充足している、そのような印象を受ける。

志津屋 本店

2011年02月16日 | 京都
「カルネの不思議。」

カルネ以上に、かたくて噛み応えのあるパンもある、
カルネ以上に、分厚く旨味のあるハムもある。

しかしながらに、当然のことながら、
この程好く噛み応えのあるパンと、この薄いハム、
この組み合わせでなければ、カルネはカルネではないし、
こうでなければ、どのような組み合わせを試みたところで、
カルネほどの旨さを実現する事は出来ないのでしょう、不思議なことに。

不思議に思い、独特の、渦巻く柄の、小麦色の丸いパンを、
ぱかっと開いてみる、と、ハム以外に挟まれているもの、
それは、少々のオニオン・スライス、それだけ、
あとは、薄くマーガリンが引かれているのでしょうか。

子供が冷蔵庫の有り合わせで、成り行き的に軽く作ってみた、
そんなような、禁欲的なまでの、このサンドウィッチ、
これが、奇跡的に、噛めば噛むほどに、旨味を増していきます。

程好く、しっとりとしていて、ひとつ食べ終えるその時まで、
飲み物の必要もない、そのくらいに、絶妙のバランスなのです。

京都のパンといえば、カルネ、そんなイメージ。

遠い昔、子供の頃、出掛けた家族が、志津屋に寄ると、
お土産で10個ほども、このカルネを買って帰って来るのが常であったのですが、
誰がこれだけの数を食べ切るんだろうかと、いつも思うのだけれど、
何日も持たずに、いつの間にかなくなっている、
そんな不思議なパン、それがカルネなのです。

志津屋に入ると、華やかな他のパンにも、
勿論、目移りはするし、
それはそれで、当然のように美味しいのではあるけれど、
結局、何度か通うと、
ひたすらにシンプルな惣菜パンである、
カルネばっかりを買っている自分に、ふと気付く、
それもまた、不思議なことですね。

死の棘/島尾 敏雄

2011年02月16日 | 日記
およそ10年間、作家である夫の浮気を知りつつ、献身的に尽くしてきた妻の心が、
ついに壊れゆく過程、もしくは壊れた末を描いた、意外にも世界的に評価を受ける、
日本の作家による物語である。

正直、ただ、あった事を描いただけのドキュメンタリー、
自らの汚点を記しただけの、私小説にしか見えない本作、
作家たるもの、その経験を肥やしにして、
それとはまた違った物語を紡いでいくのが、いよいよ本領なのではないかなどと、
思えなくもないのであるが、諸外国においてはこの作品、
ある種、ある面、男女関係の原型を詳細に描いた作品として、
かなり評価が高く、名作の誉れ高い。

だが、評価が高いから面白い作品なのかというと、それはまた別問題で、
やはり、読んでいて、しんどい事に間違いはなく、実際に心当たりなどなくとも、
その登場人物、つまり作家の心情が、どこか魂に微かに訴えてくる事、夥しく不快である。

現実に、世の中の出来事に照らし合わせてみれば、
本人的には、信じていたい、唯一の相手に裏切られるという、
生きる根本から耐え難い状況であるのは勿論なのであるが、
ただ、そんなよくある話の中でも、然程、残酷な仕打ちを、
この妻が受けているという訳ではないというのも、ひとつの事実で、
もっともっと酷い現実、浮気された上に、更に貢がされたり、
状況的に逆ギレして、暴力を振るわれたりという事例が、世の中には山程あって、
言うなれば、この、あらゆる意味でホドホドの状況、
それでも夫婦関係の再生を目指す、そのような描写であるからこそ、
多くの人間が、まだしも読むに絶え得る作品足り得るのであり、
その事が、本作が広く世界中で読まれる理由の、その一理なのではなかろうかと、
少々酷薄な考察ながらも、そこはかとなく思える次第ではある。

歓歓 (ほあんほあん)

2011年02月11日 | 京都
「踊る、削り節。」

歓迎するように、挑発するように、そして、嘲笑うかのように、
鰹の削り節が、踊る踊る、皿うどんの上。
ユラユラ、クネクネと、その怪しげなダンスが終わるまで、この皿に、手をつけてはいけない、
そんな呪文にかかり、凝固してしまう、それくらい、何だか嬉い。
しかし、そのダンスが終わるのを見届け、それから箸をつけるというのでは、
評判の美味しさが半減してしまう、それは言うまでもないこと、早速に戴きましょう。

具材は、炒めた中華麺に、諸々の野菜、帆立、生麩、そして、梅干などなど。
あっさりした餡を絡めて、もしくは、乾いたままの麺を、容赦なく、削り節共々、言葉通りに、踊り食う。
巨大と言って差し支えない、そんな大きなお皿に盛られた、中華でもなく饂飩でもない、
何故か京風と記されたその麺は、意外とスルスルと腹に収まって行く、そんな印象を受ける。
それが何を意味するのか、言うまでもなく、当然のように旨い、そういう事に他ならない。

その他、春巻き、唐揚げ、海老天、酢豚、それに、焼き飯を、可もなく不可もなくと言ってしまうのは、
あまりにも、それらの料理を凡庸に思われてしまわれかねない、そんな言い草で、
こちらのお料理、実際は、全て可であり、不可ではない。
万人受けするであろう、そのあっさりした味付けの数々は、
あらゆる世代の方々にお勧め出来るところ、間違いなく、
当日、夜の店内の、おおよそは親子連れと見受けられる、そんな客筋で、
多くの席が埋まっていた事、然もありなん。
普段は、可もなく不可もないお味の、大型チェーンにしか赴く事がないのであろうか、
家族の中の父親らしき御仁、こちらの春巻きを、ひと口、ウマッ!と小さく叫んでいた、
そんな事からも、こちらの料理の出来栄えが、わかろうかと言うもの。

ところでこちら、メニューに興味深い品物も多く、特にサメの仕入、調理に自信があるのか、
フカヒレ関係は勿論の事、フカトロ唐揚げ(ヨシキリサメのトロ肉!!)との見慣れない記述もあり、
その繁盛ぶりにもかかわらず、一般的なだけではない何かを秘めたる料理店である事、仄かに窺えて、
それもまた興味深し。

そして更に言うなれば、2人の女給さんの接客、この上なく、好し。
そんな接客を受ける、その為にだけでも、行ってみて、損はなし。

高い城の男/フィリップ・K・ディック

2011年02月11日 | 日記
この物語に関して概要を述べるのであれば、
やはり主には、第二次世界大戦の戦勝国と敗戦国が、
逆であった場合を描いた作品であると、そう言うべきなのであろう。

だがしかし、この物語の胆というのは、その興味深く魅力的な設定にも関わらず、
それぞれの登場人物の心理描写、それに尽きると言える。

世界がどう在ったとしても、そこに生きる個々人の心持ちというのは、
多かれ少なかれ、現実に生きるワレワレと、相通じるものがあり、
共感を抱かざるを得ない、悲しみ、苦しみ、そして、喜び、
それら、分かち合う事の出来る心境が、やはり存在するのである。

もし世界が、この物語のように、表面的には、逆の価値観で支配されていたとしたら、
もし自分の人生が、世間の容赦ない勝った負けたのせいで、逆の立場に立っていたとしたら、
自分はどう思い、どう行動するのだろうか、
そして、そんな仕組みから、どうすれば離脱する事が出来るのだろうか、
それを想像し、シュミレーションし、且つ、そんな立場の自分に共感できるか否か。

そしてそれは、空想上の極端な例え話だけでなく、日常的に自分は、
人の立場に立って、あらゆる物事を感じる努力をしているのであろうか、
フィクションを読む、特に、SFを読むという事は、楽しいから、面白いからという、
それだけの、気晴らし的な動機からだけではなく、
つまり、そういう事の訓練なのである、大袈裟に言うと。

コーヒーハウス ラポー

2011年02月05日 | 京都
「親密に、なってもいいかも。」

ラポー、変わったお名前ですね、こちら。
ちょっと気になったので、意味を調べてみましたよ。

ラポール【(フランス)rapport】
心理学で、人と人との間がなごやかな心の通い合った状態であること。
親密な信頼関係にあること。
心理療法や調査・検査などで、面接者と被面接者との関係についていう。

以上、この名前は、フランス語なんですね、
発音の表記が違うようでもありますが、良い感じなので、それで納得しておきましょう、
ラポーでも、ラポールでも、何ら困る事などないので構いません、
此処で人と待ち合わせさえしなければ、ですが。

ところで、店名のアタマに、コーヒーハウスとあるのですが、いやいや、軽く見てはいけません、
なんのなんの、素晴らしく手の込んだお料理を提供しておられますね、こちら。
ステーキではなく、もっと手の込んだお料理にすればよかったと、ちょっと後悔しましたよ、
どうしてもボリュームで料理を選んでしまう、己の貧乏性が恨めしいですね。

という感じで、名前はともあれ、センチュリー・ホテルのラウンジですからね、
ただ、同じくこのホテルにある、他の高級飲食店との兼ね合いで、
宿泊客に対する扱いとして、少々下位にランク付けられてるという事なんでしょうね。

でも正直、その料理というのは、ホテルの外にお店があれば、
充分に有名店としてやっていける内容を持っていると思いますよ、実際。
コーヒーハウスと聞いて、イメージする街中のお店で、これだけの料理を出すお店は、
この手のホテルの外部には、まずないでしょう、おそらく。

実は、以前このホテルの一階にあったケーキ屋さんの方に、主たる用があったのですが、
いつの間にか、なくなって、このコーヒーハウスである、ラポーと合併されてしまっていたようです。
なので、成り行き上、店前に、ケーキのショー・ケースがあります。
何だかついでにあるみたい、そんな風に思えるかもしれませんが、ここのケーキ、侮れません、
しかも、食事に付いてくるパンも絶品で、お替り自由、そして言うまでもないこの立地、利便性の高さ、
しかもしかも、ケーキの特売日まであるというではありませんか!
もうわざわざ岸辺まで出向かなくても、充分に満足できるケーキを見つけてしまった、
そんなような気にさえなってきます。

そして更には、本格的に食事する場所とは隔てられたカフェ・スペースは、
ホテル屋内の吹き抜けそのままの開放感、
ボンヤリと薄暗く、とても静かで、眼にも心持ちにも優しいのが、また良いですね。

稀に仕事でスーツなど着たついでに、ちょっと普段とは雰囲気の違う、
このような立地のお店で食事など戴いてみましたが、
色々と今後に活かせそうな収穫があった、そのように思いますよ、実際。