カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

吉向

2013年09月30日 | 兵庫
「いつの日か。」

其の日、暢気にも予約を取るでもなく、通りすがりにぶらりと寄って、席を確保してもらえたというだけでも運が良かったと言うべきなのかも知れない、とても好感の持てる人柄の此の店の給仕の女性に、コースの食材が切れてしまったので日替わりしか提供できないけれど其れでもよいかと問われ、其れでもまったくかまわない、まさか此の機を逃すまいと、およそカウンターのみと言ってよい造りの其の店内にて席の用意が整うまで少々待たせて戴いたのであった。

程なく席に着き、始まった900円の日替わりランチの提供は、其れでも或る程度はコース仕立てのような内容で、きっちりとひと手間かけられた其の内容に、流石、人気の程は伊達ではないと納得するばかりであった。

そしてやって来たメインの料理は、鮭の切り身、其の焼き上がり具合というのは、やはり此の店の一番の売りである鉄板焼き、其の特色を存分に活かしたものであったのか、どうなのか、実は当日あてがわれたのが、偶々唯一のテーブル席であった故、正直なところよくわからない、もちろん充分に美味しかったのではあるけれど。

其れなりに意匠を凝らした艶やかな器に、程々に華やかさを感じさせる其の盛り付け、其れだけで、感じさせられる旨さには実際以上の何かが加味されるのは勿論のことではあるけれど、其れでもやはり、魚は魚、正直なところ、せっかくの鉄板焼きなのだから、存分に肉料理が味わいたかった。

コースの場合は、肉、魚、共に堪能することが出来るということであるらしい、だが、日替わりで肉料理が提供されるかどうかは其の日の運次第であるということのようである、好い店の料理というのは、より高価なメニュウから品切れとなって行く、其れは当然のことであり、何度も訪れて己の運を試してみたいと思うのではあるけれど、此の店の人気ぶりを鑑みるにつけ、果たして其れはいつのこととなるのであろうか。

吉向鉄板焼き / 三宮駅(神戸市営)三宮駅(阪急)元町駅(JR)
昼総合点★★★★ 4.0


龍のひげ

2013年09月19日 | 京都
「未知との、遭遇。」

上質な白ワインと日本酒の爽やかな風味というのは、とてもよく似通っている、そう感じられるのと同じように、実は、好い物であると感じられる料理の風味、其の多くはおよそ世界共通であると言っていい、様々な地域的特色、そして軋轢があってさえ、そう信じるべきだと個人的には考え、思い、願う。

国境などというものが、何処まで行っても只ひたすら思惑にまみれた人為的なものでしかないように、当然のこと、能力として根源的には人の味覚に大した差異などない、状況と経験に僅かの違いはあれども、人類が人類である以上、皆がわかり合える素地というものを万人が持ち合わせていない筈がない、其れこそが、基本的には差別のない、平等な人の見方である。

幾分か回りくどい話ではあるけれど、故に、何であれ、其のような見識をあえて体現しようとする根源的な姿に、勿論のこと否定的であるべきではない。

とりあえず、フレンチと京懐石の融合と銘打ってはあるものの、既に此れらの料理は其のどちらでもない、素材を丹念に裏漉しし、其の風味を掛け合わせ、原形をも留めぬ其の外見、味の予測がつかない其の料理を前にして何を想うか其れは人それぞれではあるけれど、個人的には、安易ながら、宇宙食という言葉を連想させられた、しかも其れというのは、味わう為の料理として、あまりにレベルの高い流動食である、人類がこの先、宇宙に進出することになった暁に、此のような宇宙食を日々戴くことが出来るのなら、其の未来というのは、どんなに素晴らしい食生活であることだろうか。

と、其のような妄想は兎も角、此処最近、評判の本格フランス料理店に行って戴いたコース料理というものに、何処か満足行っていない己に気付かされた身としては、当初から何品来ても、凝った繊細な前菜ばかりのように感じられる此のコースというのは、一品毎に小さな驚きと納得、其の連続と、結果的に大きな満足を久方振りに与えてくれるものであった。

ただ、そう言ってしまうと、融通の利かない生粋のフレンチ賛美家などには、コースに緩急がないなどと窘められてしまいそうではあるけれど、其処は最後にいきなり釜飯が供されるという反則技によって、無理矢理に丸め込まれ、否応なく満足させられてしまうという其の仕組みがまた面白い。

国境や枠組みに囚われることなく、自由な心持ちでいることが、何より大切なことなのだと内心静かに心得ている人ならば、先入観なく、此の異形の料理を在るがままに楽しみ、其処に軽やかな小気味好さを感じ取ることが出来ることだろう、其れもまた、決して主流ではない者の、ひとつの特権と言っていいものなのである。

龍のひげ京料理 / 京都市役所前駅三条駅三条京阪駅
夜総合点★★★★ 4.5


ル・プチメック

2013年09月14日 | 京都
「始まりであり、終わりである。」

広くはない其の店内には、其れでも数席のイート・イン・スペースが用意され、喉を潤す数種の飲み物も提供されている、一応そんなシステムが此の店にもあるにはあるのだけれど、だからといって、あえて時間を都合して、其の場で所謂カフェというものを堪能してみたところで、戴くパンの風味に何か変化があるという訳でもなく、其の点では、むしろ持ち帰った後じっくり味わった方が、飽きる程に咀嚼して、より詳細に其の風味を楽しむことが出来る、そんな実際はおそらく間違いのないところであるだろう。

ただ、何らか具体的、物質的に得るものがあるという訳ではない、其れにもかかわらず、ひとつの記念として、まるで宗教的な何事かの如く、其の場所、其れ自体を楽しむ、其れだけのことにすら、ちょっとした感慨を覚える、其れ程に、此のプチメックのパンやスイーツには、他では決して得ることの出来ない値打ちがある、人の味覚はそれぞれであり、己にとって意味のある要素を何処に見出だすことが出来るか、其れさえも各々ではある故、あえて各商品の詳細には触れずにおくものの、あらゆる店において、あらゆるパンを食べれば食べる程に、此のプチメックが其の頂点であるとの確信は、其の都度強まって行くばかりなのである。

フランス的パン屋、所謂ブーランジュリーを名乗る店であれば、何処であっても同じく其れなりの品質、其れなりのハードなパンが提供されるのだろうと思われがちではあるけれど、所謂世間という軽率で軽弾みなものの、およそ大まかな認識というのは、常にあらゆる物事の真実とは程遠く、あえて此処で言い切ってしまわなければならないのは、此の店のパンの揺るぎない存在、其れというのは、先ず他と比較して特殊であり、意識的に様々なパンを食べ続けている者にとっては、尚更に特別なのであり、おそらく此れまでの日本におけるパン屋の歴史上、非常に重要であり、稀有である、絶対という存在などあり得ないとしてさえも、其れでも完成されていると言わずにおれない、其れこそが事実である。

既に数店舗を展開している当店ではあるけれど、実は此の本店でしか提供されていない商品というのも、数種、もしくはそれ以上に存在する、其のようで、やはり当然のこと、結局は其れらの商品というのが、此の店のポリシー、其の根幹を現している、つまり、唸らされ、感心させられる旨さであるという実際は言うまでもない。

こと遠方から訪問するにあたり、本店に関しては週末営業のみであるという困難はあるものの、其れでもやはり、何を措いても何度も味わうべき此のパンを、一食して誉めちぎるのは結構なことではあるけれども、其れだけで味わい尽くしたと思い込むのは早計であり、ましてや貶めてしまうなどというのは戴けない判断である、やはり、繰り返し飽きる程に咀嚼して、やっと味わいが見えて来る、むしろ其れこそが、パンのパンたる醍醐味である実際に関しては、あえて言の葉をくどくどと重ねるまでもない。

ル・プチメックカフェ / 今出川駅鞍馬口駅北野白梅町駅
夜総合点★★★★★ 5.0
昼総合点★★★★★ 5.0


イノダコーヒ 本店

2013年09月04日 | 京都
「コレデ、イイノダ。」

此の、せせこましい京極繁華街、一方通行の網目の真っ只中に在りながら、其れでもしっかりと専用駐車場が在るというところに、重鎮の重鎮たる趣がある、駐車場、其れ如きの件でそう言い切ってしまっていいものなのかと思われがちではあるのかも知れないけれど、其の建物、其の存在の其処此処に在る、期待を裏切らない、其れどころか少なからず予想を裏切るであろう其の佇まいによって、そんな前言も更に強固な事実と成る、訪れる者は、先ず其の店先で少したじろぎ、一歩足を踏み入れて、ちょっと混乱し、翻弄されつつある己の感性、其処に俄かに喜びを見出だすこととなるであろう。

先ず通される、開けたラウンジのさらに奥、夢見る乙女の眠りの中、まるで少女漫画の世界のような様式美に満ち満ちた其の部屋には、やはりお姫様のような衣装を身に纏う異形の者ばかりが犇いているのかといえば、そうでもなく、草臥れた風情の常連客も勿論のこと遠慮なく寛いでいる、むしろ煙草を嗜まぬ者は、否応なく其の部屋へと導かれる、そのような仕組みな訳である。

一概に派手がましいばかりとは言い切れない、厳かで非現実的なお姫様空間から一旦離れ、ちょっと心持ちを落ち着けようと、気持ち薄暗いように感じられる、奇妙に中途半端な幅の廊下を渡り、石畳を踏み締めながらお手洗いに行く途中、ふと何か耳に届いた、其のような気がして振り向くと、壁に沿って幾つかの鳥篭が吊り下げられ、其の中の鸚鵡、もしくは大きなインコが、あらぬ方向に頸を傾げているではないか、ただでさえ脈絡のない此の光景に、頸を傾げたくなるのは実際こちらの方なのに。

其の頸も傾げたままに用を済ませ、あえて鳥篭の存在を無視しつつ席へと戻ってみると、注文を済ませ、期待していたものとは、ちょっと違う、思わずそう思わせられる代物がテーブルに置かれている、白く透明感のある粉が隅々までたっぷりと振り掛けられた其の四角い食べ物は、なるほど此れも、概念的にはフレンチ・トーストと言えるのかも知れない、だがやはり、此れまで他では見たことのないフレンチ・トーストで、以前に戴いたことのある、銀食器に装われたケチャップ風味べっとりのスパゲッティといい、やはり此の店の料理というのは、其の装いからして一筋縄では行かない、其のようである。

不条理な漫画のような其の世界の中で、あまり経験することのない、ざりざりとした砂糖そのものの食感にて其のフレンチ・トーストを咀嚼する、其れはまた、食べることに関するひとつの根源的な欲求を、あえて満たさんが為のラジカルな在り様である、そうであるのかも知れない、だが実生活的な面から案ずるに、このように大量の砂糖を直に口にしてしまっていて、行く行く身体は大丈夫なのだろうか、いや、一般的な食塩、化学物質である塩化ナトリウムとは違い、砂糖というのは、あくまでサトウキビが原料なのであるから、先ず自然の一部として大丈夫な筈である、などと自らに言い聞かせ、傾いだ頸は其のままに、しかし結局は其の全てを腹に納めてしまうのであった。

イノダコーヒ 本店コーヒー専門店 / 烏丸御池駅烏丸駅京都市役所前駅
昼総合点★★★☆☆ 3.5