カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

雪ノ下 京都本店

2014年03月30日 | 京都
「フォトジェニック。」

昨今は、とかく「軽い」ことが評価され、持て囃される風潮のようである。と、おそらくは、いつの時代も其のような傾向を善しとしない、偏屈な者は世を嘆いていたのであろうと、少なからず思われるのではあるけれど、其れでもやはり、其の「軽さ」というものが、所謂「若さ」に由来するものだと、そこはかとなく感じられてしまうからには、あえて、やはり、「昨今は」と、ぼやかざるを得ない。もう若くはない者としては、其れを時代のせいだと感じざるを得ない訳である。

其の評判のパンケーキというのは、確かに見栄えがする。分厚い生地の上に大粒の苺、さらには真っ白なホイップ・クリーム。そして、説得力のある、生真面目な売り文句にて、此れがそうです。と、説き伏せられれば、やはり其れは特別なものに違いないと思わない訳には行かない、此れぞまさに、期待感というべきものなのだろう。

そして実際に戴いてみた其のパンケーキというのは、あまりにも軽い、ふわふわの食感である。

確かに嵩はあるのだけれど、其の生地の密度というのは、此れまでになく希薄であって、其れは其れで、そういった面こそ特殊であると言い得るのだろう。ただ、質の高い濃厚な甘さ、そして、程好い食べ応えを期待していたという向きには、結果、少々食い足りないであろうこと請け合いで、あえて其の実際を良く言ってみたとするならば、直前の昼食にて満腹の状態になっていてさえ、此の分厚く嵩の高いパンケーキは、意外と其の胃袋の隙間に無理なく収めてしまうことも可能である。其れ程に、存在が「軽い」のである。だがしかし、其のお代はといえば、軽めのランチ一食分と言って、そう過言ではない。名は体を現す。此のパンケーキは、其の店名のように、とても儚い食べ物ではある。

取り立てて、じっくりと腰を据えられるような設えではなく、さらには変則的な土禁システムであることなど、何かと注文の多い此の料理店、あえて言うのなら、条件的には、やはり観光旅行時の連食などには、もってこいなのではないだろうか。

雪ノ下 京都本店パンケーキ / 二条城前駅烏丸御池駅大宮駅
昼総合点★★★☆☆ 3.5


絹延橋うどん研究所

2014年03月14日 | 兵庫
「根菜、プラス、うどん。」

結果的に、うどんを食べに来たというよりは、野菜を食べに来た、しかも、其の多くは根菜で、いつになく歯応えのある其の代物を、漬物として、揚げ物にして、そして焼き野菜で、バリバリボリボリと、際限なく噛んでいた、其のような印象ばかりが後に残る食事であったことに、今になっても致命的な不満を抱いているという訳ではないのだけれど、其れでもやはり、正直、此処に来たことは、当然うどん其のものがメインだと早とちりしてしまった、己の見込み違いだったと言わざるを得ない、其れが実際であった。

ほぼ完全に、所謂うどん屋の概念とはかけ離れた外観のお洒落な店舗、そして、一見すると讃岐地方を思わせる雰囲気の、セルフ形式による配膳そのものも、実は、おおらかさや大雑把なニュアンスなど其処にはなく、むしろ経営的な謀を感じさせる、ちょっとした分かり辛さ、其の企みの影を拭い切れない印象ではある。

うどん其のものに関しては、傾向として、硬いものとも軟らかいものともつかず、かといって、まったく特徴がないのかといえばそうでもなく、どうやら微妙に二層構造のようなものを口中にて感じさせる、当店独特のものであり、やはり其れは、緻密な計算によって形成された代物であろうことを、そこはかとなく感じさせるものである。

休日の昼時、まちまちの時間帯に、おもむろに訪れる客層は様々で、老若男女、家族連れなど多彩ではあるものの、やはりちょっとばかり目立つのは、どのような場においても傍若無人に己の健康志向をアピールせんとする風情の、年配の夫婦連れであるように感じられる、其れはやはり、如何にもヘルシーであることを体現しようとする、此の店の根菜料理を、あえてと求めてのことなのだろう。

およそ肉気の食材を取り入れることもなく、あらゆる世代に、何処まで満足の行く食事を提供出来るものなのか、様々な在り方、其の要素を渾然一体にとミックスした此の店舗で、さらなる研究を続けてもらいたいものである。

絹延橋うどん研究所うどん / 絹延橋駅

昼総合点★★★☆☆ 3.5


多来多来 本店

2014年03月02日 | 京都
「時、満つる時。」

此のような公けの場において、あえて妙なことを述べるようではあるけれど、誰しもが、好きだ何だと絶賛するものに対して常々抱かされる思いというのは、先ず反射的な反感であり、そして実際のところ、当たり障りなく、無難でしかない其の中身に、やはりがっかり失望させられてしまう予想通りの残念な結果でしかないことが多かった。そう、此れまでは。

だがしかし、其の様なバイアスのかかった斜め目線すら軽々と凌駕してしまう、本当に好い店というのも、世間には実際に存在する、其れがまさに此の店だったのである。

昔からの馴染みであるという、ただ其れだけの理由によるものではなく、本心から此の上なしと長らく贔屓にしていた、素晴らしく美味しい焼肉屋が嘗て在り、予告もなく、突然に其処が閉店してしまってから、もう一年近くになる。

そもそも焼肉という食べ物とは、まだ最後まで調理され切ってはいない生肉を供されるという、字義通りの生々しい関係性が在るからだろうか、何処か其処に、他のジャンルの料理を提供する店とはちょっと違う類の親近感、信頼感を求めてしまう、そんな嫌いは、きっと誰しも無きにしも非ずであろう。

当然のことながら、生肉であること其れ故に、事前の仕込みや飾り付け、提供間際の火入れによる誤魔化しなどは、およそ効果など発揮出来ず、大袈裟に誠実さ云々などと言い立てずとも、一見して其の素材、そして店の姿勢の正直さというものが、如実に其処には現われる。

そして正直に述べるなら、所謂繁華街に在るそこそこ評判の焼肉屋において、心底満足させられたような憶えなどおよそなく、ただ愛想と元気がいいだけで、本当に良いものを提供しようという気概を感じたことも、其の様な処ではおよそない。

だが、だからといって、今はもうない、嘗ての贔屓の店に心情的に義理立てなどして、此処以外の焼肉は此の先もう要らないなどと言い切れる程の潔さは残念ながら未だ身に付いてはおらず、折を見ては、あらゆる面においてわだかまりなくお付き合い出来る、新たな出会いを求め、多くはない心当たりを、ぽつりぽつりと打診してみてはいた、此処一年、其の様な侘しい身の上であった。

そして、あまりの人気振りに、少々腰が引けていたというのが正直なところであった此の店を、いよいよ予約を取ってまで訪問するにあたり、あえて冷静に、重々に公平な判断を心掛け臨んだところ、意外にもすんなりと、自然と馴染んだ心持ちにさせてくれた、其れが不思議なくらいであった。

清潔感漂う、今時の造りの程好く明るい店舗、駐車場は広く、入店しても無駄に元気な掛け声など浴びせられることはない。意外にしっとりとした雰囲気漂う其の空間ではあるけれど、だからといって気負わされるようなところも、遠慮させられるようなところもおよそない。其処に特化した個性はないながらも、其の佇まいに悪いところなどおよそ見当たらず、だが、物足りないと思わせるようなところも不思議とないのである。

其れはきっと、眼には映らぬ其の空気、何より、日々良いものを提供しているという自負、そして今日も、間違いのないものを提供出来るという自信によって、其の空間が隙間なく満たされているからなのだろう。

心身共に此の上なく満たされて、さらに何度か通い詰め、此の先いつ寄っても此方の期待と信頼を裏切ることなく、たとえ何か失敗や行き違いがあったとしても、其れでも其処に誠意だけは垣間見える、此の店がいつもそう感じさせてくれたなら、きっと末永く、最期の時まで付き合って行くことが出来るような、そんな期待を抱かさせてくれる、おそらく今日、長らく捜し求めていた其の店に、また巡り合うことが出来たのだろうと、仄かに思う。

多来多来 本店焼肉 / 淀駅伊勢田駅向島駅
夜総合点★★★★ 4.5