カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

ログハウス

2013年06月30日 | 京都
「簡にして、素。」

己の求めているものが其処に簡潔に凝縮されてさえいれば、むやみな華やかさや奇を衒った捻りなどあえて眼にすることなどなくとも、およそ人は満足できるものである。

むしろ、己の本当に求めていたもの、其の本質というのが何なのか、何とはなしに期待し、予想していた以上に虚飾を削ぎ落とされた其の質素な顕れによってあえて気付かされ、欲張り過ぎていた己に内心恥じ入ることになる、そのようなことも、時としてある、今回が実は其のような様相であった、此の、まつおえんげいという園芸店の一角にある小さなカフェで、こじんまりと提供された料理は、まさにそんな気のする食べ物であったのだ。

其の時、既にモーニング・セットの提供される時刻は少々過ぎてしまってはいたのだけれど、何となく、気分は未だモーニングであった故、気紛れに、普段はあまり注文することのない類の料理、オムレツ・セットなるものを注文してみたのであるけれど、其の質実さというのが、思いの外、秀逸であった。

カットした厚切りの食パンに、満遍なくきつね色の焦げ目をつけ、みじん切りの玉葱が少々ミックスされたプレーンなオムレツと、そして、生った其のままのレタスの形を思わせる瑞々しいサラダが、きっちりと隙間を埋めてワン・プレートに配置され、運ばれてくる、ただ其れだけのものではあるのだけれど、其れが何処か完成形というものを思わせる、そんな風情を、先ず視覚的に感じさせられるのだ。

其のオムレツには、愛嬌たっぷりに赤いケチャップで音符が描かれており、其の無邪気さというのが、作った人の如何にも素直な心根を現しているかのようで、たとえばそんな料理に、まだ何か足りないなどと文句の言いたくなるような人物など、果たして此の世にいるのだろうか、もしそんな卑しい心持ちがしたのなら、其れは勿論、問題は其の心の内にあるのだと己を省みるしかない、此の料理にも、此の店を取り囲む、周りで栽培された花や木にも、どのような他意も、おそらくありはしないのだから。

ログハウス喫茶店 / 洛西口駅上桂駅桂駅
昼総合点★★★★ 4.0


北の椅子と

2013年06月19日 | 兵庫
「其の椅子の、座り心地。」

名前としては、当初とてもイレギュラーに感じられる、「北の椅子と」、どうやら其の店名の由来というのは、此の御店のブログ、「北の椅子と暮らす」を、何故なのか、端折ってしまったもののようである。

あえて、あらゆる意味合いで誤解のないように述べておくとするならば、此処で言う「北」というのは、あくまで北欧のことを指す、其のようで、つまり、此のカフェの特色というのは、店内に配置された北欧家具のデザイン、そして其の椅子の座り心地にある、そういうことなのであろうか。

訪れてみれば明らかなのであるけれど、カフェは実際、二階の一角に在り、其の大きな建築物のおおよそは、リペアする前の販売用北欧家具が所狭しと展示されている。

にもかかわらず、其のカフェ・スペースは、むしろ一般的所見から見ればかなりの広さで、リペア済みのヴィンテージ家具が実用的に其のまま流用され、あわよくばと、カフェに訪れた客に対し絶大な宣伝効果をもたらしている、そのような企みさえ垣間見えるかのようである。

もの珍しい形態のカフェにふらりと立ち寄り、其処で腰掛けた北欧の椅子に魅せられて、購入意欲をそそられること請け合いなのではあるけれど、気に入った其の家具が実際に手にすることが出来る状態になるのは、数週間後、すっかりリペアの済んだ後になる、此の商売は其のような気の長い仕組みのようである。

おそらくは、誰しもが其の間、待ちきれずに再び此処を訪れて、さらに気に入った北欧家具に出会うことになるのだろう、そんな機会があったなら、また其の時には、じっくりと此のカフェの食事も味わってみたいところである。

北の椅子とカフェ / 御崎公園駅和田岬駅兵庫駅
昼総合点★★★★ 4.0


味沢

2013年06月13日 | 兵庫
「渾然、一体。」

上品なのは絶対的に良いことで、其れ故、下品であることは、言うまでもなく、論外に良くないことであるというような、単細胞的二元論を価値観として持つことは、むしろ其れこそ、間違いなく、誤りである、そう言って過言ではない、何によらず其処には例外など存在せず、其れは一概に断言出来得る真実である。

堅苦しいばかりの上品さ漂う高飛車な料理もあれば、心地好い下品さの匂い立つ料理というのも、世間には存在する、其れこそが間違いのない事実であり、現実である、そう、だから、此の味沢という店を、実際どのように感じるのか、其処こそが、其の人の抱く価値観の、正に問われるところなのである。

其の、ぼっかけうどんは、麺と出汁、そして、ぼっかけが、渾然一体となり、絶妙と言っていいバランスを醸している、麺を啜り、出汁を啜り、ぼっかけの欠片を、二、三個、口中へとかき込む、其の動作を自然と繰り返している其の内に、器はあっという間に空になる、其のカオスに分析などする余地は、先ずない、何を語るまでもなく、此の料理に満足出来ない人間など、此の世に居る筈もない、其処には、上品であるとか、下品であるとか、其のような小賢しい見識など、付け入る隙は微塵もない。

おそらく此れは、完璧という概念を、料理というカタチで奇跡的に体現した存在、其の、ひとつの現れなのだ。

味沢うどん / 和田岬駅御崎公園駅
昼総合点★★★★ 4.0


Est.Est

2013年06月05日 | 兵庫
「意外と仄かに、懐かしい。」

其れを優しさと取るか、おもねりと取るか、とても難しいところなのは、普段の人付き合いにしても同じことで、好意的に見れば其れは紛れもない優しさであり、しかし時には其の気遣いが疎ましく感じられてしまう、そんな時というのも、人間、気分次第でなくはない。

確固としたスタイルを、一応は保持している、其の事実を雰囲気として漂わせつつ、しかし其のパスタは、其れでも本来在るべき風味の一角を、とある思惑によって削り取ってしまった、其の跡が見え隠れするような、そんな印象を受けなくもない。

だからこそ、誰にとっても食べ易い、其れは勿論、事実ではあるのだろう、だが然し、それ故に、正直、物足りない、人に気に入られようとする其の気持ち、其れ以外の何をも感じることの出来ない料理、其処に一抹の投げ遣りな心持ちさえ、そこはかとなく感じてしまう、そんな難儀な客は、此の意外に無難としか言いようのない皿を、どのような顔で味わえばいいのだろう。

此の意外と仄かに懐かしい香りすら漂う料理から感じさせられるのは、やはりひたすらに気遣いばかりで、結局はお互いがどのような嗜好の持ち主であるのか、其の料理を食べる者、提供する者、いずれの顔も見えては来ない、其れはやはり寂しいことなのではないのだろうか、そんな虚ろな感慨も、ひとえに人影も疎らな夜のこと、高い天井の印象的な閉じた空間だったから、其れだけのことであったのだろうか。

Est.Estパスタ / みなと元町駅花隈駅元町駅(JR)
夜総合点★★★☆☆ 3.5