カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

情熱うどん伊和正

2018年01月01日 | 兵庫
「そういう、こと。」

それはつまり、こういうことなのであろうか。

席に着いて先ず迷うのは、メインである饂飩そのものの温冷いずれを戴くかに始まって、ボリュウム感に溢れたトッピングのバリエーション、そしてセット・メニュウの丼ぶり物の魅力、其の選択肢の多さである。
悩みに悩んで結局注文することになるのは、其の訪問が初回であるのならば、およそ基本的であろうと思えるメニュウに落ち着くのではあるけれど、其のお品書きに一旦眼を通してしまった以上、これはまた来なければいけないなという気にさせられること必至である。

ただ、其の饂飩そのものに強烈なインパクトがあったかどうかという点になると、そこは魅力あるトッピングによって饂飩本体の存在感が霞み気味であることを差し引いて考えてさえ、然程ではない。艶やかで美しく、喉越しの好い饂飩であるのは確かなのだけれど、其の喉越しの好さ故に、むしろ後々心に残らない。

では何故このようなカタチにて提供されるに至ったのか、其処のトコロを考察してみると、何のことはない、素饂飩だけでは客単価が上がらない、おそらくはそういうことなのであろう。故に程々の金子を支払うに満足たる内容を提供するということになれば、饂飩本体以外のモノにて其れを補う外はない。其の結果、むしろ、魅力あるトッピング、そしてセットの邪魔をしない、つまり、あえて強く個性を主張することはない饂飩を提供するというカタチと相成ったワケではあろうが、さて、其れでは本末転倒であるような気がしないでもないのではあるけれど・・。

情熱うどん伊和正うどん / 畦野駅山下駅笹部駅
昼総合点★★★★ 4.0


中島大祥堂 丹波本店

2017年10月10日 | 兵庫
「女性的、なるもの。」

ちらと見渡す限り、其処に男性の姿はない。客も給仕も、炎の見える熱い窯でピザを焼く料理人さえも、店内に存在する其のすべてが、まさに女性的なものばかり。楚々とした空気の中で立ち働く彼女らは、一種、森の小人たちのように感じられなくもない。健気に客に奉仕することを自らの喜びとし、其の勤勉さは絶え間なく、訪れた客が子連れと見るや、偽りのない笑顔で以て其の子らを迎え入れてくれる。

だが、其の雰囲気による先入観、そして一見した印象によって、かなりのヘルシー志向、つまり薄味であろうことを覚悟していた料理そのもののお味はといえば、意外にもしっかりとしたアクセントのある、不足のない味付け。所謂、線が細いばかりの女性の仕事かと思いきや、実は、実際的な田舎のお母さんがこしらえてくれた、ふくよかな旨みを内包した料理に感じられたのは、彼女らの幼子に接する柔和な笑顔によって、幾分かバイアスのかかった味わいであったのだろうか。

此処、兵庫の中部、柏原なる土地を、有体に僻地と呼ぶべきなのか、あえて地方都市と呼ぶべきなのか、其処のところは実際わからないのではあるけれど、少なくとも幾らか労して遠方から来るような者にとっては、むしろ好い意味での田舎であり続けてもらいたい、其のように感じた次第である。

中島大祥堂 丹波本店カフェ / 柏原駅

昼総合点★★★★ 4.0


竹下

2017年08月29日 | 京都
「そぼろ。」

独房の中、というのはこんな感じなのだろうか。外観が土蔵だけに、まさに江戸時代の牢獄であるかの様。そんな不謹慎なことを連想させなくもない個室の小窓から差し込む外の光は、むしろ其の狭い室内の薄暗さを際立たせる。

周囲の喧騒、其の一音も通さぬ風情の厚い壁が不思議と安心感を抱かせる密室で戴く、すき焼きの小鍋は甘辛く、牛丼は幾分か辛め。ともに妥当な旨さながら、実際、深く印象に残るものではなかったのではあるけれど、あえて追加にと持ち帰った冷凍のハンバーグには、好い意味で少々驚かされた。

つなぎ少なめでありながら、そぼろ状。ひと口めには非常に薄味に感じられ、物足りないくらいの其の味付けではあるけれど、では、と思い、先ずは市販のケチャップをかけて戴いてみる、と、此れが旨い。では、こちらは?と、ソースをかけてみても、此れも旨い。塩胡椒でも旨いし、挙句は何もかけずに戴いてみても、先程より旨いと感じる。つまり、ひと口では気付くことができない、それ程に絶妙な按配で、下味がついているのである、そもそも。何と控えめ、且つ、充分なハンバーグであることか。

ただ其の事実というのは、むしろ持ち帰って後、外の世界にある、ありきたり様々の薬味で自由に戴いたことによってのみ、判明したことではある。

竹下焼肉 / 福知山駅

昼総合点★★★★ 4.0


あいつのラーメン かたぐるま

2017年07月09日 | 京都
「つけ麺、斯くあるべし。」

今がどうなのか、其れはわからない。だがしかし、だからといって其の後、其の店における其の手のメニュウがどのような内容になっているのか、件の店を再び訪れて確かめてみようなどと思うことはない。期待を裏切られたのなら、もう行かなければ其れでよい。其れで万事は解決している、そういうことなのだから。

数年前、普段は足を踏み入れることのない、とある大箱のラーメン・チェーン店にて、メニュウ表に「つけ麺」の文字を発見した時の驚き、そして、もしかすると、あわよくばとの期待は当然のことながら叶えられることはなかった。其処で提供されたのは、所謂一般的なラーメンの麵と汁を別皿に装い、ただ分けたというだけの代物。いよいよ関西圏で「つけ麺」が認知を得始めた当時でさえ、其のあまりにも付焼刃的な在り方は失笑モノとしか言いようがなく、勿論のこと、「つけ麺」としての在るべき美味しさなど欠片もない。ただ時流に乗ろうと浮ついているだけ、およそ何の認識もセンスもなく、経営システムの一環としてメニュウに付け加えられ、まだモノを知らない人間に対し、平然と偽りの「つけ麺」を提供していたというだけで、其処にはラーメン一般に対するせめてもの愛情もなく、ましてや執着など全く感じられない、其の代物。初めて食べた人間が、いきなり其の時点で「つけ麺」に対する興味を失ってしまったとしても全く構わないという、無責任を画にかいたような構図が、ありありと其処にはあった。
だから、やはり、商売優先でしかないチェーン店などというモノは、基本的には信用ならない輩が人任せに経営する金儲けの道具でしかないのだと、改めて思い知らされた。そんな嫌な気分を抱かされたものであった。

だがしかし、其れとは違う、顔の見える個人が経営する飲食店というのは、否応なく嘘がない。前提として、ラーメンというモノに対する姿勢がチェーン店とは違うのだ、当然のコト。
だから、数量限定で提供される此の店の「つけ麺」だって、見ただけでわかる。コレは美味いに違いない!と。

あいつのラーメン かたぐるまラーメン / 丹波口駅
昼総合点★★★★ 4.0


六盛 スフレ・カフェコーナー茶庭

2017年03月25日 | 京都
「キタイ/期待/気体」。


薄暗い洞窟のようだ、だが狭くはない、むしろ居心地の好い奥行きを感じさせる、そんな待合室の其処此処にて、深くソファに腰かけ息を潜める者の数は、ざっと二十はくだらない、おそらくはそれ以上だろう、なんとも妙な雰囲気で、むしろ此の穴蔵で寛ぐ其のことこそを目当てとして、わざわざ此の地を訪れたかのようでさえある。

年齢層はといえば、およそうら若く、男女の比率はといえば、やはり甘味を求める処の常にして、其のおよそが女性、男性はその連れ添いがほとんどであるかのように窺われる。

観光地を訪れた其のついで、そんなつもりで立ち寄った昨今話題の変わり種カフェ。

とはいえ、一休みせんがためだけのこんな場処でこんなに時間を取られ、足止めを食らってもよいものなのか、旅先では寸暇も惜しんであちこちを歩き回る習性のある己が質のことを鑑みると、このように悠長に寛ぐ彼らの状態を見るにつけ、他に観るべき処は此の京都にないのかと、正直やきもきしてしまうのではあるけれど、実は観光などというものは、あくせく足を棒にして歩き回るようなものではなく、むしろ本来、無駄に時間を持て余すくらいに余裕を持つべきものなのかも知れないと、思い直さないでもない。

果たして、各々が各々の思惑を抱きつつ、相当に長い時間待たされて、いよいよ提供されることとなったスフレなる代物はといえば、カップからはみ出して丸く膨れた、気球のような見栄えのケーキ、そしてやはり、気球のように中は空洞、其の真ん中に、意を決して、スプーンにてぽかりと穴を開けると、其処から湯気のように、其の瞬間まで抱いていた「キタイ/期待/気体」がふわりと漂って行ってしまった、其のような気がしないでもなかった。

六盛 スフレ・カフェコーナー茶庭洋菓子(その他) / 東山駅神宮丸太町駅三条京阪駅
昼総合点-