カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

グリル 小宝

2011年01月30日 | 京都
「夢は叶う、望む以上に。」

懐かしむ、そればかりではないのである。

不可解な事に、身に憶えのない、そんなお店であっても、懐かしい、そう感じる事が多々ある、それが、優れた洋食屋の特色なのである。
特に、建物が古びているという訳ではない、それでも、懐かしいと感じる何かを持っている、いや、何か、ではない、味を持っていれば、それが、ほとんど全て、そうなのかもしれない。
確かに、古風な洋食の数々ではあるが、懐かしさ、それだけには止まらない、微妙に好ましい風味、それが、小宝にはある、そんな気がする。
京都には、他にも数軒、そのような郷愁を感じさせてくれる洋食屋が、あるにはあるのだが、その中でも、この小宝というのは、あからさまに突出した風味というのではないのだけれど、素人では言葉にならない、微かに個性的な風味を持っている、そのように思える。

兎にも角にもな、その大きさに比例して、お値段もそれ相応である小宝の洋食、要するに、これは、数人で訪れて、シェアするのが前提、そういう料理なのではなかろうか。
提供する立場にあっては、少々提言し辛い事ではあるが、ハッキリ言えば、お一人さまを、それとなく拒否している、同じく別の言い方であれば、客単価の低い商売はしたくないという事にも取れる、そのような按排である。
勿論、その価格で、その一品を、独力で制覇出来る客ならば、提供する側としても、文句はない、そういう訳であろう、そしてしかし、それどころか、むしろ、それを望んでいる、そのようなフシもある、これらの料理の有り様を眺めると、一面そう思えなくもない。

来る日も来る日も、同じ料理を作り続け、提供し続ける側にとって、美味しく食べて喜んでもらえれば、それだけで幸せなどという、奇麗事だけでなく、何かひとつ、口には上せない楽しみのようなものがあるとすれば、選択の余地のない、並以上の大きさのその料理を、悶え苦しみながら食べる客に、独力でそれを平らげ、驚かせてもらいたい、そんなサディスティックな欲求が、どこか心の片隅にあったとて、何の非難の謂れがあろう事か。
実際のところ、そのような思いをぶつけているとしか思えない、そんな類の料理屋というのが、一定数存在するというのは、そう言われてみれば一軒くらい、誰しもの脳裏に思い浮かぶことであろうが、単なるそれらのお店と小宝が違うのは、やはりその洋食、一品一品の旨さである。

正直、最終的に、印象として料理の旨さを相殺してしまうその量で、思い返せば、ひたすら腹の膨れる洋食であったという思いの残るお店であろう事、あまりにもありがちな、小宝。
だがしかし、やはりその真髄というのは、当初の一口、二口めに、意外と言っては何ではあるが、仄かに繊細な風味を感じさせる、その料理、その質であり、その本来評価されるべき本質を、何事かによって相殺される事なく味わう、そのつもりなのであれば、必然、食べ過ぎない事、それは、かなり重要な案件なのである。

そう、当たり前でしかない事を、あえて言うのではあるが、此処、小宝というのは、大人から子供まで、一家一同で伺い、様々の洋食を注文し、分け合う、それが、ベスト、それが、お店にとっても、おそらくは望ましい客としての在り方である。
だが、もし、それでも故あって、一人で訪れ、いかに苦しかろうとも、腹がはちきれる程に、たらふく洋食を食べてみたい、そう思うのであれば、此処、小宝にてその夢は、望む以上に叶う事、請け合いである。

すてーきハウス しま田

2011年01月26日 | 京都
「この賭けに、負けはない。」

上等の、牛脂の欠片で炒められた人参の輪切り、これが先ず、旨い。
これまでは、人参が旨いなどと、特段に思ったことなどなかったように思うが、これ以降は、人参は、旨いものだと刷り込まれたかのように、あらゆる料理の中に人参を探すようになった、それくらいに旨い。
少しの塩で、その甘さが際立つ。

真冬の京都、その戸外の寒さ、底冷えがあるから、尚更に、料理にこもった鉄板の熱が身に沁みる、これぞ鉄板焼きの醍醐味である。
目の前の、程好く小さな鉄板で、手際良く仕上げられていく、焼きたて、炒めたてのインゲン、ジャガイモ、先の人参、それらが、皿に置かれて揃う間もなく、平らげてしまう、美味し過ぎて。
この状態で、皿の上に品数が揃うのを待つことなど、愚の骨頂のように思える、言うまでもなく、冷めてしまうのを余所目に、関係のない話をする事など、以ての外である。

そして、ひと休みのサラダ、漬物。
一席千五百円のステーキ・ランチでは、ここで本来、白いご飯が供されるのであるが、三百円の追加で、最後、ガーリック・ライスに変更できるとの事、そちらをお願いしたので、今回は、白いご飯はない。

いよいよ、妻と二人前の、ステーキ肉、その塊が、鉄板上に登場である。
その肉厚、ボリュームに惹き寄せられ、凝視してしまうが、これではイカンと、サラダなど頬張って、少し目を離したその隙に、手早く肉塊は裁断され、次に目にしたその時には、既に、大ぶりの細長い肉片へと変形している。
それを更に、ひと口大の肉塊に裁断、少々焼き目が付くくらいに丁寧に、鉄板の上で転がして行く。
ジュウジュウと、肉の焼ける音、そして香り、ガーリックの芳香と相まって、チンチンと、箸で皿を叩きたくなる程、焼き上がるのが待ち遠しい。
コロコロと、皿に盛られる肉塊は、今すぐ食べてと言わんばかり、何もかもが、準備万端である。
ホクホクと柔らかく、モリモリ、口に放り込む。
付け合せのガーリック、そして、塩と、様々の味付けで、その肉塊は、あっと言う間に、口中に消えてなくなる。
クライマックスが過ぎて、完全なる満足感に包まれるが、更に追加のガーリック・ライスである。

冷や飯に、溶いた卵を絡ませて、手早くニンニク・チップと共に鉄板で炒められ、こんもりお茶碗に装われたガーリック・ライスは、意外と淡い味わいの、ほっこりするお味、そして姿である。
赤出汁のお味噌汁、そして、先に出されたお漬物とも、これは良く合う、納得の風味、出来である。

更なるアンコールは、パイナップルのデザートで、これがまた、憎いまでに完璧な口直しと言える組み合わせ。
帰り際、更にクールミント・ガムまで戴けた。

老練、且つ、誠実そうなご主人と差し向かい、四人、乃至は、五人のみの、カウンター席。
掘り炬燵のような座り心地のその席で、自分の為だけに目の前で料理してくれるその感覚は、作る方も、食べる方も、真剣勝負、良い意味での緊張感、少しの距離感、故の親密感、そして、信頼感が存在する。

所謂、ステーキ・ハウスとは思えない、その外観、そして、驚くほど狭いスペースで、差し向かいとなるカウンター席、それは、何だか、色んな意味で、賭場のイメージを想起させる風情であるが、トランプや花札で、その賭け、真剣勝負に負けることはあっても、此処、しま田を選んだというその選択、初めて此処に寄せてもらうという、その賭けは、絶対に負けて悔やむことのない、そんな賭けである事、請け合いである。

プテカ・ラ・ランテルナ

2011年01月22日 | 大阪
「アラン・トゥーサンに、会いたい。」

その日、ホンモノを聴くために大阪を訪れた、そうであるからには、あらゆるモノ、あらゆる用件を、ホンモノで埋めてしまいたい、可能な限り、そう努めるのがスジである、そう思えた。
だからといって、此処、プテカ・ラ・ランテルナの料理人が、外国人である、それ即ち、その料理はホンモノである、そのように考えるのは、あまりにも短絡的である、その事に思い至らない訳ではないけれど、期待できる可能性、その確率は、まずまずのはず、そこから先は運次第、そう判断するのは、そう無謀な選択でもあるまい。

今夜の、アラン・トゥーサンのライブ。
アメリカ深南部、ある時期の、ニューオリンズ黒人音楽の立役者、彼自身に、世界的な知名度を持つヒット作というのはないものの、彼の仕事を知る者からの、彼に対する支持、それは、絶大である。
そんな彼が、度々日本を訪れ、そのピアノ・ブルーズを演奏しているなどとは、以前から知ってはいても、ちょっと想像がつかない、別世界の出来事のようである。
それは、料理で言うと、外国人シェフが、本国そのままの料理を、この日本の地で提供する事と同じく、非常な違和感、それ故の非日常性を以って、此処、日本に生まれ、此処、日本に住む者、その心に訴えかけ、迫り、驚きを与えてくれるであろう、そう期待させるものがある。

ただ、此処、プテカ・ラ・ランテルナに抱く、訪れる前の一抹の不安、それはやはり、大型商業施設、ブリーゼ・ブリーゼ隣の、一等地的この立地での、良くも悪くもの、客の多さ、その意見。
つまり世間によって、こなれてしまった、もしくは削られてしまったであろう事を予感させる、その風味。
つまり、日本に住む者にとっての、当たり障りのない食事、その調理法の卒のなさ。
そして、当たって欲しくない予想というのは、えてして当たってしまう、そういうものである。
それは勿論、万人受けする、良くも悪くもの、人当たりの良さであり、それこそが、より多くの人から求められる料理、そうであるのかもしれない。

だが、ホンモノとは、そういうモノなのであろうか?
その夜、アラン・トゥーサンは、フル・バンドで演奏した。
そこに予感した、一抹の不安、それは、あの微妙な音の、もしくは、さらに言えば、音のないそのニュアンスを、フル・バンドという形態で、果たして在るべき姿で表現する事が出来るのであろうかという、後に明らかになる杞憂であった。
だが事もなく、ホンモノである彼は、そのような杞憂モノともせずに、あらゆるスタイルのピアノを弾き切った。
バックの演奏、音圧がどうであれ、彼の絶妙のアレンジ、その空気は、潰れてしまうという事がない。
そうであるべき所では、他の楽器の音をほとんど無くし、ピアノのコード、そしてメロディを、微細に、そして、確かに、活かす。
何故、黒人の指先だけに、あのリズム、あのニュアンスが宿るのか、一度気付いてしまった者にとっては、認めざるを得ない、そのある種の厳然たる事実に、見惚れ、聴き惚れる。
それは、いくらか地味に見えたとしても、ハッキリしたビジョンを持つ者であるからこそ出来る、ワンマン・ショー、荒業である。
そして同日、此処、プテカ・ラ・ランテルナに、そのホンモノがあったのか?残念ながら、そうとは言い難い。

例えば、同じく南イタリアの料理を提供する料理店、オマッジオ、此処の料理は、良い意味で、容赦がない。
こちらは大人しげな風貌の、日本人のシェフであるが、料理のほうは、これが本場の味なのであろうと思わせる、ある面、豪快な、インパクトのある風味、そして外見である。
それは、日本人であるが故に、ある種、届きようのないモノに到達しようと、非常な冒険を試みている、その過程、そうであるのかもしれない。
おそらく、プテカ・ラ・ランテルナは、その逆で、異国である日本の食文化に合わせ、その地点まで、ある意味、降りてきてしまっている、そう感じるのは、日本人として、卑屈な事なのであろうか。

そう思うと、アラン・トゥーサンの、いかにもナチュラルな異邦人ぶり、ホンモノぶりは、驚きである。
その演奏は、聴く者に対するサービス、それは忘れることなく、しかし、媚びることはない。
今現在、自分の演奏したい曲だけを、自己満足的に演奏するのではなく、観客が聴きたいと思うであろう曲、且つ、自分も演奏したいと思う曲を、ランダムに、澱みなく、メドレーで奏でていく。
誰もが学生時代に耳にした憶えのある、クラシックの曲から、ファンク、ブルーズまで。
当時、彼が若かりし頃、最も影響を受けたという、プロフェッサー・ロングヘア、そのファンク・ピアノ・ブルーズは、もし、壊れている鍵盤があるのなら、それを使わず演奏しても、そのグルーヴに何の遜色ももたらさないという、驚異のピアノ演奏である。
その曲が、背筋の伸びるような古典音楽と、何の違和感もなく、今、アラン・トゥーサンによって、メドレーされる。
真骨頂のブルーズ・ファンクでは、まさに列車の進行を思わせる力強いリズムが、独特の和音によって徐々に怪しく濁り、翳り、戸惑い、悲しみに暮れた後、ふいに澱んだ空気が澄んで、夜の闇が晴れ渡り、月の光によって全てが許される、そのような情景が、何度も繰り返され、知らない土地、行った事もないはずの、アメリカ深南部、その空気が、辺りに充満する。

彼の演奏は、確信に満ちていて、例えば彼の仕事で最も評価されているであろう、ミーターズの面々、およそ、そのメンツで、今現在、構成されているバンド、ネヴィル・ブラザーズのライブ、そのメドレーでは明らかに在ったような、今現在の観客に対する媚などは、一切ない、それが潔く、心地良い。
そしてしかし、プテカ・ラ・ランテルナの、今、提供されている、このランチには、仄かにそれを感じてしまう。

お昼はホールを担当しているのであろう、陽気な、鼻歌の途切れない外国人シェフ。
厨房は、若い日本人風の2人が担当している。
ホールの女性は、シェフの奥さんであろうか、非常に親身な、お店と一心同体的な切実さが、その接客、振る舞いから感じられる、そのような気がする。
お店のオペレイションからすれば、おそらく妥当なランチ時のこの配置、成るべくして、自然とそう成ったであろう事は、想像に難くない。
だが、結局それは、結果論的に、ある種の期待を抱いて来た、初めての客を掴むという事に関し、裏目に出ている、その事は、否みようがない。

過剰な、ある意味、暴力的なまでの異国情緒、それを感じ、打ちのめされるであろう事を期待して、外国人シェフの居るという、此処、プテカ・ラ・ランテルナに来た者は、ちょっと肩透かしを食らった気分に陥る、そんな、当たり障りのない料理。
それは丁度、つい先日戴いたオマッジオの料理が、偶然にも、この本日のランチ・メニューと同じく、カジキマグロであった事から、さらに浮き彫りになってくる。
サラダに滴らせたバルサミコ、その量からも、その差は一目瞭然、口にしてみるまでもない。
それが、経費の削減によるものなのか、日本人の好みに合わせた結果なのか、おそらくは、一石二鳥のその手法は、本当にそのシェフ自身が、美味しいと思える料理、その在るべき姿なのか。
本当の自分を加減して人前に晒す事、それが、良かれと思う、それが心遣いであると、言えなくはないけれど、そういう犠牲的精神を内包した、そんな付き合いというのは、おそらく、少なからず自分自身を騙している。
無理をして、他者に合わせるその行為は、あらゆる意味、あらゆる面で、そうそう長続きするものではない、それが真実ではなかろうか。
日本に来たから、日本人に合わせるというのではなく、アラン・トゥーサンのように、自分自身を発揮する、その為に、表現者として何かを作っているのだと、自分自身が思える、そうであってこそ生まれる普遍性であって、それを評価してくれる人は、必ず居る。
結局は、自分の信じる事でしか、人を心から納得させる事など出来はしない、本当の落とし処というのは、実は、そこにしかないというのが、事実である。

もしかすると、夜に作る、彼の料理は、言うまでもなく、そのような出来であるのかもしれない。
此処、日本でありがちな、ありふれた味の南イタリア料理などではなく、普段は開かない、非日常の扉を開けてくれるような、ありふれた日常の怠惰を貪っているだけの人間が、頬を張られて目が覚めるような、そんな類の料理であるのかもしれない。

次回、訪れるのが、いつの事になるか、それはわからない。
出来ればその時、そのような料理に出会えればと、心から期待したい。


Allen Toussaint(http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD19106/index.html 引用)
70年代ソウル/ロック界で、プロデューサー/アレンジャーとして引っ張りダコだったアラン・トゥーサン。
ザ・バンドの「ライフ・イズ・カーニヴァル」からラベルの「レディ・マーマレイド」まで、彼が手掛けたアーティストたちのヒットによって、彼自身だけでなくニューオリンズという町もが世界的な注目を集めた。
音楽都市ニューオリンズで産湯につかり、この町に英才教育を受け、50年代より作曲家/プロデューサー/アレンジャー/ピアニストとマルチな才能を発揮。
ニューオリンズ特有のセカンド・ラインをさらに発展させたビートの上に、会話をしているような掛け合いをみせるホーン・セクションを加えてボトムを強化した、新たなファンク・サウンドを確立させた。
パフォーマーとしては、73年に初ソロ作を発表し、その2年後には大名盤『サザン・ナイツ』をリリース。
ザ・ミーターズのド・ファンキーな演奏をバックに、自身のスウィートでリラックスした歌を乗せ、バイユーのしじまに浮かぶ陽炎のような音世界を展開してみせた。
彼の作り出したサウンドは、ジャンルを問わずさまざまなアーティストたちに影響を与え、現代のポップスの中においても形を変質させながら脈々と生き続けている。

原パン工房

2011年01月16日 | 大阪
「自由な世界。」

小奇麗なパン屋に、可愛い売り子がいる、そういう雰囲気作り、それはそれで、そのお店なりの主義の具現化、主張である、そう言えるのかも知れません。
しかし、見栄えや外見を重視する事、イメージ作り、それは、パンそのものの出来とは、全く関係がない。
故に、それ自体が、仕事として、浮ついている。
と、そこまでカタイコトを言うつもりは、ありません。
ただ、こういう朴訥を絵に描いたようなお店、それを目の当たりにすると、外観、内装、従業員まで含めた、トータル・イメージを意図的に演出する、その手のお店というのが、少々軟弱に思える、そういう嫌いは、なくはない、相対的に、いくらかそう見えるというのは、仕方のないことでしょう。

ギラギラ、ネトネトした、客に対する媚びはなく、ガツガツ、ジトジトした商売っ気もない。
ただ、わかり難いこの立地まで、わざわざ足を運び、このお店を訪れた人に対する親切、それだけの意味合いで、パンを販売している。
というよりも、分けてあげている、おそらくそういうニュアンスが、実際でしょう。

鉄道の高架下、電車の通る騒音、それが為に、賃貸料が安いとされるその立地は、工房という名の通り、パンの工場であって、いわゆる小売店としての、いくらかの色気のある雰囲気、そういうものは、ほとんどありません。
しかしそれが、反って素朴で真面目な印象を与え、それは例えば、金持ちと貧乏人との差がハッキリしていて、望ましい訳ではない、そんな立地で、それでも頑張って仕事している、そのような、昔のヨーロッパの田舎の風景を描く、宮崎駿の映画に出てきそうな、そういう類の風情を湛えていて、ワクワクするような、それでいてホッとするような、誰しもが子供の頃に感じたであろう、それ故の自由、パワー、そして、反骨精神、さらに、その先にあるであろう未来、気のせいかもしれませんが、そういうものを感じさせます。

小売店としては少な過ぎる、その日、その時によって、あったり、なかったりするパンの種類、そこに、不満を感じる、それは、全くのお門違いです。
在れば分けてもらえる、無くても当然、何なら、お金などという、世知辛く、味気ないもので、お代を払うというのではなく、自分の作った何かと交換するのが本来である、この現代において、そのような錯覚さえ起こさせる、そもそも、そうする事こそが、実は自然な行為であるという事を思い出させてくれる、それが、このお店の持つ風情です。

例えば、たま木亭のように、パンという枠を超えたパン、そういう訳ではありません。
シュクレのような、社会に牙を剥く、剥き出しの何かを思わせる、強烈な印象のパンというのでもありません。
コティアコティのように、惣菜との絶妙のバランスを口中にて紡ぎ出すパン、そういう訳でもなく、プチメックやビオブロートのように、確固としたある種のイメージを具現化したパン、そういう訳でもありません。
地味で朴訥な仕事の続きに生み出される、特に個性的な訳でもない、ひたすらに素朴なパン。

あえて、そこそこ突出した印象を抱いたものはと言えば、何種類かあるラスク、それが、どれも美味しかった。
美味しいからといって食べ過ぎて、最近少々食傷気味の、ホホエミのキャラメル・ラスク、そこまで個性的という訳ではないけれど、ちょっと雑で、しかし、どこか懐かしい風味の、ホドホドに歯応えのあるラスク。
おそらくは、その種類でさえも、時の移ろい、成り行きに連れて、あるがままに、変化して行くのでしょう、このお店の在り様のように。

ルラション

2011年01月07日 | 京都
「フラニー以上、ゾーイー未満。」

兎に角、肉厚のステーキに、心躍る。
生焼けに見える中程も、頬張ってしまえば、
レアであることを意識させない、絶妙の料理センス。
先の前菜も、スープは兎も角、パテはボリュームたっぷり。
こんな料理は、量にせよ、味にせよ、
ともに来た人と、シェアするのが望ましい。
それは、何故なら、おそらく途中で、飽きてしまうから。
無くなるのを惜しんで、食べるのを遠慮している、そんな場合ではない、
食べても食べても、無くならない、
そんな、贅沢な不満さえ抱かせる、華やか、且つ、豪気な料理。
この店を選んでくれた友人に、感謝したい。

料理と格闘するか、会話を楽しむか、
その加減は、とても、かなり、難しい。
話の出来る相手とは、つまらない、テレビの話など、したくはない。
惜しげもなく、打ち明け話をしてくれる彼女、
自身の経験を、人と分かち合う喜びを知る彼女、
そう、もっともっと、個人的な、そういう話、
その深みに気付けない、そんな人には、欠片も興味を持ってもらえない、
けれども、トコトン聞いてみると、何処か心の奥底で、得心の行く、そんな話。

けれども、実は、そう思っているのは、自分ひとり、心の中で、
「ライ麦畑でつかまえて」の主人公、ホールデンのように、
おそらくそれは、傍から見れば、知的でも何でもない話、
自分が納得いくかどうか、ただ、それだけの話。
少し、アタマのおかしい、気の毒な、ホールデン少年。
彼との違いは、繋ぎとめておいてくれる、妻の存在、
おそらく、ほとんど、ただ、それだけ。

カウンターの奥、灯りはあれども薄暗い、少し低い場所にある、そんなテーブル席。
何の悪気もなく、気を配ってくれている、壁際に直立した、スマートな給仕、
彼はまるで、油断なく目を光らせている、牢屋の看守のようだ。
ワレワレは、見張られている。
クスクスと、含み笑いが漏れる。
彼を背にした友人たちは、意図せず妙な雰囲気を醸し出すその存在に、
おそらく気付いてはいまい。

そんな風情を、デリカシーがないとか何とか、小声で嘲りながら、
実は、ホールデン少年と同じく、自分がいちばん、デリカシーがない。
その時、その場で、様々に気を配ってくれた、彼の心遣い、
その内容に、少し後で思い至れば、まだマシなほうで、
後日、バスタブに浸かりながら反芻し、やっと気付く、そんな間もなく、
おそらくは、消え去ってしまっているのであろう、あやふやな記憶。
おそらくは、自分が、そんな程度の人間であろうこと。
それがいつも、とても、申し訳ない。

ありがとう。

あらた

2011年01月02日 | 京都
「あらたな、年の瀬。」

何事も、人に合わせて行動するというのは、何かにつけて難儀なもので、昨年の暮れ、例年の如く、学生時代の仲間が催す忘年会に参加すること、それは、個人的スケジュールに照らし合わせると、到底無理なこと、しかしそれでも、例年の如く、無理を承知で我々夫婦に声をかけてくれる友人に、どのようにすれば、その心遣い、その心意気に見合った感謝の意を表すことが出来るのであろうか、その答えがその日、多少の機転で、運命的に、コロリと転がり込んできた。

明日の予定もハッキリ立たない、ましてや人と会う予定など見当も付かぬまま、そのような状況の年末において、それでもこの時期、少々雪の積もる事が恒例であるこの地において、車のタイヤを冬用に履き替えない、そういうわけにもいかず、その日、唐突に空いた時間を利用して、京都市内まで、タイヤ交換、さらに、無謀なれども組み込み可能と思える別の所用を済ませるために、昼間、何とか出掛ける段取りを、無理やりに取り付けた。

多少なりとも遠出をする場合、まさか、仕事絡みの諸々、それだけで大人しく帰路に着くというのが、何だか損をしているような、そんな気になるというのは、偏に個人的な感覚、所謂、貧乏性の類なのであろうか。
これを期に、今年最後、会える人とは会っておきたいという、一方的なこちらの都合を、先ずは相手に問うてみる、それは、問うまでもなく迷惑な事なのか、もしかすると、忙しくとも歓迎される事なのか、それは問うてみないとわからない、そう思う、それ自体が、自分勝手であると言われるのであろうその事を、我ながら否定するものではない。

メールの一括送信にて、とりあえず問うてみた数名、その内、奇特にもOKが出たのが、京都市内在住の一名、そして、意外なことに、駄目で元々、そのようなつもりであった大阪在住の夫婦が、何と、わざわざ京都市内まで出向いて来てくれると、そのように言うではないか。

夕方5時頃に立ち上げたこの計画、所用の済む時刻が、およそ8時過ぎ、そこまでの用事が、ちょっと自分でも信じられないくらいに、無事とんとんと完了し、一路、阪急西京極駅へと、奇特にも気前良く、わざわざ大阪から夜の京都に訪れるという彼らを迎えに行く。
さて、予約もなしに、この年の瀬に、どの程度まともなお店に受け入れてもらう事が出来るのか、心配するというより、博打を打つような心持ちで向かったのが、予てから、心の片隅にあった、お好み焼きあらたであった。

日頃、夫婦ふたりだけで、お好み焼きを食べに行くという選択、機会が、あまりない事、そして、大阪から出向いてくれた彼の好みが、普段から、特に鉄板焼きであることを知っていた事も手伝って、無理を承知で訪れた人気店、あらた、案の定、店内に入るまでもなく、その熱気溢れるお店の風情、あわよくばと、引き戸を開けるが、当然のこと満席である。
威勢の良い若い店員さんに、5名、何とかならないかと、とりあえず尋ねてみたところ、ちょうど席が空きそうであるとの事、本日の所用も含め、予定とも言えない予定、時間割の進行は、順調な事、この上ない。

場所は京都駅の裏、八条口、南側に最近出来た、誰がどう見ても無用としか思えないであろう、馬鹿げた規模の、巨大ショッピング・モール、その、すぐ傍である。
元来、地域柄、開けた場所ではない路地の中、迷う事を覚悟で訪れてみると、後から出来たそのモールに近いせいで、お店の風情からすると、その組み合わせに多少の違和感を覚えるが、意外な程にわかり易くなったこの立地、そのお陰で、今後さらなる人気店となるであろう事、必至である。

店の外で待つ間にも、非常に対応良く、段取り良く、店内の準備を待つ、それも楽しいとさえ言い得る雰囲気を作る接客は、特筆に価すると言ってもよい。

店内、総忘年会という雰囲気に乗ってというわけでもないが、急遽こちらの都合によって催される事になった、即席忘年会。
既に出来上がっている雰囲気はと言うと、それがまた、このお店の料理というのが、否が応にも酒の進む、そんな類なのである。
お好み焼きといえども、大雑把な作りではなく、どこか繊細な、丁寧に手の込んだ作り。
店員さんが、広島風と称するお好み焼きは、ちょっと独特で、薄い生地の上に炒めたキャベツとスジ、そして麺、タップリのタレに、さらに刻んだ生の葱をタップリ載せて、マヨネーズの幾何学模様、これが、濃いだけと言うのでもない、外見上で予想する以上に一種独特の、きつい、しかし複雑な風味を持っていて、流石お店の看板商品、特筆物である。
鉄板焼きは、野菜炒めのような状態のものが、濃い味付けで供されるのであるが、それもどこか繊細で、細かいスジを、きっちり味付けしてある、これまさに酒の肴と言っていい状態である。
鉄板焼き好きの彼は、本日が仕事納めであったらしく、ご機嫌よろしく、テンション高く、最後、ラスト・オーダーの時点で、既に皆、充分に飲み食い完了している雰囲気にもかかわらず、さらに追加オーダーする。
そう、せっかく大阪から来てくれたのだから、大いに味わい、楽しんでくれれば良い、それは、勿論の事である。
最終的に、支払いは、2,800円/一人、その程度で、たらふく飲み食いして、驚きのお会計である。

だが、本日最後、そして、今年最後の落とし穴、それが、無いわけはない、世の中というものは、いつでも、何でも、そうなのだ。
程好く酔いのまわった彼は、最終電車の時刻を見誤り、怒った彼の奥方をなだめる唯一の方法、それは、何事もなかったかのように、彼らを無事、車で大阪まで送り届ける、それしかない。
いや、もう、これでこそ、本日の過度に順調に行き過ぎた諸々の所用に、ある面、納得もいこうかというもの、これでこそ、予定調和、そう言えるのではなかろうか。
そう思うしかない、我々夫婦主催の、悲喜こもごも、ご都合主義、お約束的オチ付きの、忘れられないであろう、忘年会であった。